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2023年1月 3日 (火)

劇評「火山灰地」第二部(2005年3月)

Kazanbaiti 舞台の上に何十人も俳優がうごめいているのを見るのは豪勢で気分のいいものだ。暗転の後、明りが入ると忽然と舞台一杯に数えきれないほどの群衆が立っている。そういう場面に何度か鳥肌の立つ思いをしたものだ。新国立劇場こけら落としからまもなく、久保栄も演出をしたことのある「夜明け前」(97年12月)が上演された。鈴木慎平の番頭の舌を巻くほどのうまさは、いまでも記憶に残っているが、あの時の婚礼の場面も忘れられない。提灯の明かりがゆれる中一体何人が踊っているのか、いつ果てるともない夢のような饗宴が続いた。
この「火山灰地」もまた総勢87人という空前の数の出演者である。二部七幕の長大なもので二回に分けて公演するとは気付かなかった。まだ間に合うだろうなどと思っていたら一部は既に終わっていた。だから今回は二部第五幕から見たというわけである。
東京芸術劇場の中劇場は広い。広い劇場が白が頭で埋まっていた。民芸の芝居はしばらく観ていなかったが、これには驚いた。民衆芸術運動も年をとったものだ。

 

第二部、五幕、ナレーターの大滝秀治が現れ、しばし朗読が続く。この幕前の朗読は「夜明け前」の「木曽路は全て山の中である。・・・」という冒頭のナレーションを意識したものだろうと高井有一が書いている。情景を説明するものだがこれは明らかに詩として書かれたものだ。長い芝居の句読点になっている。木下順二の「子午線の祀り」にも朗読があって美しい言葉で綴られているが、あれは半分の長さに削るべきだ。
明りが入ると、製麻会社の製線所で、収穫され持ち込まれた亜麻の品質検査をしている所である。この麻布の材料になる植物はいまでは全く見られなくなった。外国から調達したほうがはるかに安いのであろう。それでもこの農産物には出来不出来があると見えて等級がつけられ当然価格の違いが出てくるらしい。会社の肥料を使ったものと農産実験場の雨宮聡(梅野泰靖)が提案した配合飼料を用いたものに果たして差があったのか、そこまでのいきさつはわからないが後者に等級外のものがでていたことは確かだ。

 

第一部を見ていないので物語についてあまり自信のあることは書けない。第二部を見て想像するのだが、この複層的な話は数本の筋によって撚り合わされているようだ。
まず、雨宮聡と妻照子(樫山文枝)の父滝本博士の学説を巡る対立。次に、息子徹(神敏将)がレイプしたという女中しの(中地美佐子)、しのが思いを寄せていた若い炭焼きの泉治郎(斉藤尊史)=第二部では既に旭川に入営していないが、しのは妊娠している。という若者たち。そして、メッケ親父と呼ばれる不在地主の妾で金貸しの駒井ツタ(奈良岡朋子)と小作農たち。他に農民や工場の労働者などの脇筋がある。
昭和十三年の初演というから、蒋介石との戦争が抜き差しならなくって、いよいよ軍部が政治に介入するようになっていた時期である。特に新劇は左翼的なテーマが多く、客席に監視員のためのボックスを設け問題視される場面では容赦なく上演を中止させるということがあったらしい。
この劇では労働運動も農民運動も直接には出てこない。工場で働くものの日常的な不満や小作農の苦労は描かれていてもそれが検閲にかかることは巧妙に避けられている。とはいえ、この劇を観ると、そのようなイデオロギーを超えた世界観が久保栄にあってこの物語を書かせたような気がする。出身地である北海道のどこかに火山灰で蔽われた不毛の土地があって、その大地を暮らしの根拠とせざるを得ない自らもそうであった入植者或いはその子孫の生活、彼らの未来を描くというスケールの大きな構想があったのではないか。この劇の冒頭の有名な朗読が大地=人間と自然へのこだわりを表しているように思える。
「先住民族の言語を翻訳すると、「河の分かれたところ」を意味するこの街は、日本第六位の大河とその支流とが、真っ二つに裂けた燕の尾のやうに、市の一方の先端で合流する、鋭角的な懐に抱きかかえられてゐる・・・」

 

久保は「科学理論と詩的形象の統一」といっているらしいが、人間を見る確かな視点、巧みなストーリー展開と群像をまとめ上げる骨太の構成は、いわゆるリアリズム演劇の枠組みを超えた面白さだとあらためて感心した。
と同時にこの戯曲は、あちこちで目にする久保栄その人の頑固で、執拗で繊細、しかも正義漢という性格をよく表している様な気がする。雨宮聡農産実験場場長という人物像にそれが投影されていたのではないかと思った。
築地での初演は大評判だったらしく、雨宮役の滝沢修の名声も上がったようだ。
それからまもなく、昭和十五年八月、突然劇団の即刻解散が強要されるとともに、劇団員・後援会員を検挙するという新劇に対する大規模な弾圧がおこなわれた。
(検挙されたのは、東京では、新協劇団関係の村山知義・久保栄・滝沢修ら二六名、新築地劇団関係の八田元夫・千田是也・岡倉士朗ら一四名、大阪で新協劇団関西後援会の四名、新築地劇団大阪後援会の四名、大阪協同劇団の馬渕薫ら二名、広島で新協劇団広島後援会の九名、静岡で新協・新築地両劇団後援会の八名、島根で山陰新協後援会の一〇名、京都で新協、新築地両劇団後援会関係の三名、総計八○名であった。)
この検挙も衝撃だったが、拘置期間も意外に長かった。昭和十六年十二月、一年四ヶ月もたって、滝沢修はまだ獄につながれていた。取り調べの予審判事が「開戦の詔勅が下り、これからは文民政府も終わる。したがって君たちの命の保証も出来なくる。」と告げた。
ショックを受けて拘置所へ帰ってきた滝沢修の話を長男荘一氏が書いている。「火山灰地」に縁があるから引用しよう。
拘置所の各監房につながる広間のようなところで、編み笠をかぶって並んでいる人の中に久保栄らしい体つきを発見して滝沢修は驚いた。
「判事に「生命の保証は出来ない」と言われて戻っできたばかりの修の頭に、[もし久保さんだったら、これが今生の別れかもしれない]との思いが浮かんだ。看守から自分の番号が呼ばれた瞬間、修はツーと前へ出て行った。看守の前に立つと、兵隊仕込みの直立不動の姿勢をとり、「ハイツ!」と返事をした。看守は[いい態度だ]と思ったのだろう。ニコッとして、下を向いた。その瞬間、修は久保栄とおぼしい人のところへ突進して、編み笠の下から顔をのぞきこみながら「雨宮さん!」と叫んだ。看守を前にして、「久保さん」と本名を呼ぶわけにはいかない。そこで、とっさに思い浮かんだ、久保栄が書き、修が主役を演じた芝居「火山灰地」の雨宮聡・場長の名前を使ったのである。瞬間、久保栄は大きな目玉で、しっかりと修を見た。アゴの筋肉がブルブルッと震えている。[やっぱり久保さんだ。死ぬ前にひと目、会えた]と思った時、「この!野郎!」と看守から猛烈なピンタを受けて、修はひっくり返った。殴られようが、ひっくり返ろうが、構わない。久保さんも私がわかった。これで、お別れが出来た。修は満足だった。独房の場所が違うので、修とは反対側に去って行く久保栄を修はずっと見ていた。久保栄も何度も修を見た。反対側にある大きな鉄の扉がギーッと開いて、久保栄が入ると、扉はガチャーンと閉まった。」(「滝沢修と激動昭和」滝沢荘一、新風舎文庫)

 

「火山灰地」は戦後昭和三十六年~三十七年に滝沢修の雨宮聡役で再演されている。その時久保栄は既にこの世の人ではなかった。六十年安保闘争の後で、この芝居がどう受け止められたかはわからない。それから四十年以上たった今、これを見ることの意味を自分に問うて見た。「古色蒼然たる」ものが目の前に現れるのではないかという心配も正直のところあった。しかし、見てよかったと思った。
ディテールにわたって様々の不満を目にしたが、それらが問題にならないほど物語の展開が力強い。亜麻を植えて加工するという現代では見られなくなった物語の背景も特殊なことには見えない。こう言う時代になっても雨宮の仕事に対する情熱には共感できるし、した積みのものの苦労や、借金苦にあえぐもの、人情のカケラもない金貸しなどを見ていると人間なんて大した進歩をしてないものだと感ずることが多い。
最後に農民が、レイプされたしのに子どもが産まれたと雨宮の家に知らせに来る。「泉の治郎さにそっくりでねいすか。」
人々がてっきり雨宮の息子、徹の子だろうと思っていたものが、実はしのは好きな男の子を宿していたのだと観客が得心したところで幕が下りる。なるほど「科学理論と詩的形象の統一」か。観客の心を捉える心憎い配慮である。しかし、これとても少しつくり過ぎではないかという批判もあったようだ。
さはさりながら、ここは素直に受け止めるべきだろうと僕は思う。あの時代に比べてわれわれがその程度にまですれっからしになったということにすぎぬ。
久保栄が生きていたらどんなことをいってもらいたいか?という質問に演出の内山鶉が応えている。「うん、現代劇になっているよ。といってくれたら嬉しいな。」

 

僕の上のような感想は内山がたてた演出プランがうまくいった結果なのかもしれない。内山は、この芝居をいまやることの意味を十分考え抜いてつくったのだ。もはや古典といっていいだろう。古典とは格闘するものであり、その痕跡を舞台の上に残してはいけないという定石を内山がさらりと言ってのけたのだと解釈したい。

 

大勢いる俳優の中でYがめずらしく奈良岡朋子を名指して褒めた。金貸しの婆さんという役柄のせいもあったかもしれないが確かにあのうまさ、存在感は際立っていた。この女優はむしろ憎まれ役や汚れ役にまわったときが本領を発揮するような気がしていた。この芝居もそうだったが憎々し気な振る舞いや鬼気迫る表情にとてもリアリティがある女優だ。いま思い出したから書いておこうと思うが、戦時中奈良岡朋子が疎開した弘前の高等女学校で同級だった人の子息の家庭教師をしたことがあった。都会的で洗練されたおしゃれなお嬢さんでいつもみんなの中心にいた。そしてとてもおしゃべりだった。とその人は語っていた。すると彼女は何才か?いや、やめよう年を数えるのは・・・
こんなにいい芝居を若い人たちにも見てもらいたいが、ロビーで見るのは民衆芸術運動に同調してきた年齢の方達ばかりでわれわれがむしろ若いほうというのは気掛かりである。
僕が心配してもしようがないが、劇団民芸には若い世代を劇場に呼ぶことも少しは考えてもらいたいと思う。

題名:

火山灰地第二部

観劇日:

05/3/27

劇場:

東京芸術劇場

主催:

劇団民芸    

期間:

2005年3月20日~29日

作:

久保 栄

演出:

内山 鶉

美術:

高田一郎    

照明:

秤屋和久   

衣装:

緒方規矩子

音楽・音響:

林 光・岩田直行

出演者:

大滝秀治 梅野泰靖 樫山文枝神 敏将・今泉 悠  花村さやか 稲垣隆史・小杉勇二 里居正美鈴木 智  伊藤孝雄 山本哲也西川 明  水谷貞雄 奈良岡朋子 日色ともゑ 岩下 浩 南風洋子 仙北谷和子 ・内藤安彦 千葉茂則 他民芸総出演   

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2023年1月 1日 (日)

劇評「花咲く港」(2005年3月)

Hanasaku

菊田一夫はこの芝居を20日間で書き上げた。「私にしてはめずらしく日数をかけたほうだ。」といっている。井上遅筆堂とは大違いだ。浅草のアチャラカ軽演劇がもっとも盛んだったころ、いま幕が開こうとしている芝居をまだ書いているという凄まじい現場を日常的に体験していたものにとっては、20日もかけられるのは贅沢の極みというのである。このときエノケン(榎本健一)がいた劇団の文芸部長が詩人のサトウハチローで、なかなか書かない上司にかわって菊田はギャグやコントを書いていたらしい。
やがて、古川緑波が率いる劇団の座付作者になって浅草から日比谷の帝劇へ進出した。この作品は昭和十八年、大東亜戦争も敗色が濃くなりだしたころの初演である。俳優は、緑波(野長瀬)、渡辺篤(勝又)、に加えて村瀬幸子、清川玉枝、薄田研二(当時は高山徳右衛門)など新劇から来たものも混じって世相を感じさせる。

 

渡辺徹は、古川緑波を知っている世代とは思えないが、しぐさによく似たところがあって、ひょっとしたら映画か何か見たのかと思わせた。研究熱心はいいが、緑波の品のよさや不器用で味わいのある素人然とした芝居には独特のものがあって、下手にまねるとホントに素人臭くなってしまう。渡辺に喜劇をやるという入れ込みがありすぎたのか、彼の野長瀬修造には時々それが現れた。「おかしみ」ということが俳優その人について回るということはありうる。しかし、それを演じなければならないとなると覚悟がいる。この作品は同じ年に、木下恵介監督デビュー作として、小沢英太郎(野長瀬)、上原謙(勝又)で映画化された。小沢英太郎は喜劇出身ではないが、彼には演技を超えたそこはかとないおかしみがある。戦後、有島一郎(野長瀬)と三木のり平(勝又)でやったことがあるらしいが、この二人ならアドリブ連発のさらりとした(関西風でないという意味で)味わいの喜劇になっていただろう。渡辺は早くから二枚目アイドル路線でやってきたのだから、キャスティングミスだったかもしれない。

 

海岸に朽ちた船の竜骨がいくつも埋まっているという風景を菊田一夫は沖縄列島のある島で見たことがあった。大正のはじめ欧州の大戦で需要が増えると期待された造船業だが終戦とともにあっけなくブームが去り、造った木造船の残がいが砂浜にさらされたのだという。甑(こしき)島という舞台はそれに似たところがあったのだろう。南国の孤島ののどかな時間の中で暮らすお人よしの人々が大まじめでペテン師にだまされるという図式がいかにもありそうで、さすがに菊田一夫の出世作になっただけの上質の喜劇に仕上がっている。
渡瀬憲造というのがその造船業で失敗した伝説的な人物の名前であった。あるとき島で唯一の旅館かもめ館にこの渡瀬憲造の遺児と称する男から予約が入る。渡瀬は当時は起業家、経営者として島の名士であり、失敗したとはいえいまでも尊敬するものは多い。その息子が来るというので事業の再興への期待も込めて「どう歓迎するか」など村長(織本順吉)をはじめ騒ぎになっている。とりわけかもめ館の女将、おかの(寺田路惠)はほれていた渡瀬憲造の後を追いかけて島を留守にしたことがあり、浅からぬ因縁を感じていた。

 

当日現れたのは野長瀬修造(渡辺徹)で渡瀬憲造の息子にしては年をくっている。おかしいと思っているところへもう一人、息子と称する男、勝又留吉(高橋和也)がやってきて、これは一体どうしたことだとなるが、野長瀬が機転を効かして実は二人は兄弟だということにしてその場を治める。
言うまでもなく二人は詐欺師で、示し合わせたわけでもなく別々に一芝居打って何がしかの金をせしめようと島へやって来たのであった。
かもめ館に滞在して島の様子や人々の心根を観察していたが、いよいよ島にやって来たわけを話すことになった。二人は父渡瀬憲造の遺志を継いでこの島に造船所をつくることにしたといい、ついては会社の株をみんなで買って欲しい、つまり会社に投資をしてくれというのである。おかのはやっぱりそうか、さすがは渡瀬のご子息、と得心し率先して協力することにする。村長も新しい事業が始まることに反対の理由がない。しかし、網元の林田伍一(石田圭祐)などは以前、渡瀬の会社に出資していたい目を見ているからあまり気が進まない。なかなか意見がまとまらないが、島民の中に戦争という時局を考えれば造船して物資の運搬に協力するのは国民の努めと言う雰囲気が生まれて、ついに甑島造船株式会社設立が決定する。
株券を販売している日、少し知恵遅れの少女(木南晴夏)を伴ったゆき(富司純子)がやって来て、なけなしの金でわずかばかりの株を分けて欲しいという。聞きつけたおかのが何故か激怒し追い返そうとする。ゆきと娘は二三年前に島にやって来て暮らしている。おかのが仕事の面倒を見てやっているがこれには深い因縁があった。

 

甑島をでた渡瀬憲造を追いかけて南洋の島に行ったおかのは、そこでゆきと渡瀬の取りあいになってしまう。つまりゆきは恋敵というのである。おかのは甑島に戻り、ゆきは里枝を生んで、まもなく渡瀬が亡くなると外国の暮らしから夫の故郷へやって来たというのである。
こう言う世話話的なところがいかにも菊田一夫である。なくてもかまわないエピソードだが、入ると物語の陰影がぐっと深まって渡瀬という男の人となりが魅力的に見えてくる。富司純子がこれを細い体でいかにもはかなげに、知恵遅れのかわいい少女とともにやるものだからいっそう哀れに感じ、芝居を観たなあという充実感も生まれる。こう言う人の気持ちを外さないうまさは浅草の観客の顔色を見ながら会得したものであろう。近ごろのお笑いは観客の目にさらされずにテレビに出てくるからすぐに飽きられる。

 

金庫には現金が溢れ、ひとつでは入りきれない程になる。およそ六万円が集まった。大金である。おそらくいまの価値にしたら億の金になるだろう。
見たこともない大金を手にして勝又はすぐにずらかろうというのだが、野長瀬は躊躇する。自分は小額の詐欺しか働いたことがないから、あまり後ろめたいこともなかった。こんどはみんな自分を信じてくれて金を投じてくれた。このまま持ち去っていいのだろうか?と大いに迷う。ここがこの芝居の見せ場で、菊田一夫はくどいほど書き込んである。このあたりは緑波がどんなふうに演ったかを想像しながら見ていたが、どうしても渡辺徹では役不足だ。鬼のような顔で逃げようとし、次の瞬間気弱にへたり込んで、心底から悪党にはなりきれないこの男の逡巡を、おかしくてやがて哀しいといった風情で表現するのは「つくって」はできないだろう。それは、俳優のからだからにじみ出てくる「おかしみ」なのだ。
ぐずぐずしているうちに甑島造船株式会社はでき上がって、最初の船のへさきが目の上に見えるようになった。残り少なくなっていく金を眺め、何度も島を逃げ出そうとするのだが果たせない。嵐の夜、荷物をまとめて出ていこうとしているところへ船が危ないという知らせが入り、島民が一丸となってこれを守るということがあった。

 

とうとう船は完成して、金庫には一銭もなくなった。祝賀会で野長瀬は県知事閣下の表彰を受ける。感謝状一枚だけの表彰でがっかり。皆が祝賀の酒に酔っている間に勝又共々逃げ出して幕が下りる。
結局一銭も手にすることなく、使った旅費さえ取り戻せずに帰るはめになったことを嘆きに嘆く詐欺師だが観客の心は明るい。二人を信じてお金を出しあい、目的を果たして資産を作ったのだから詐欺でもなんでもない。善行ではないか。これでよかったと誰もが満足する結末だった。
当然検閲の目を意識して書かれたことでもあろうが、後の「がしんたれ」や「放浪記」のようなこてこて関西風とは対極にある清涼感ただようさっぱりとした味わいの芝居になっている。やはり緑波を前提にしたものなのだろう。
栗山民也は新国立劇場の今季シリーズを"笑い"とした。何故いまさらのように菊田一夫を持ちだしたか不思議に思っていたが、この作品なら話はわかった。大まじめに事業に協力しようとした島民と二人のペテン師。だまそうとしても現実がそうはなってくれないもどかしさ、そのすれ違いが「笑い」をさそうのだ。
そうした基本的な構図のうえで、詐欺師を演ずる役者の個性が「笑い」を醸し出してくれる。僕は述べてきたように菊田一夫が古川緑波という個性を十分に意識してこれを書いたのだと確信する。役者に備わった「おかしみ」、そこにいるだけでどこか「おかしい」という味わいは、何も大衆演劇だけのものではない。「花咲く港」を選んだのは「喜劇」としての骨格がしっかりしていることもあったが、ひょっとしたら役者そのものが「笑い」を創造してくれるのではないかという期待も栗山の意識にあったのではないか?そんな気がしている。

 

久しぶりに寺田路惠を見た。あまり器用な女優ではないと思っていたが、このおかのは熱演だった。村長の織本順吉も元気だった。
稽古が十分だったのか調和がとれていた。こう言う場面の出し方、ストーリーテリングのうまさは演出の鵜山仁の得意とするところだ。目立たなかったが、鵜山を適任とした栗山民也の眼力も注目に値する。
それにしても菊田一夫か。あの「君の名は」の菊田一夫だ。母親の手に引かれて「大勝館」の二階の桟敷席で見た映画の記憶が微かに残っている。日本中がまだ貧乏だった頃の話である。春樹が真知子を追いかけて全国を旅するのだが、あの旅費は一体どこから調達したのか子供心にも心配だった。そういう心配など誰にも感じさせぬほど菊田が練りに練った恋愛物語が大人の恋心を焦がし引きつけたのであった。
「セカチュー」だって女湯を空には出来まい。いや、僕らがとんだすれっからしになったということなのかもしれない。そういう意味では菊田一夫はいい時代に生まれたのである。

 

題名:花咲く港
観劇日:05/3/29
劇場:新国立劇場
主催:新国立劇場     
期間:2005年3月14日~31日
作:菊田一夫
演出:鵜山 仁
美術:島 次郎    
照明:室伏正大    
衣装:緒方規矩子
音楽・音響:高橋 巖
出演者:渡辺 徹 高橋和也 寺田路恵 高橋長英 織本順吉 富司純子石田圭祐 大滝 寛 津田真澄 吉村 直人 木南晴夏 田村錦小長谷勝彦 沢田冬樹 森池夏弓 矢嶋美紀 植田真介 木津誠之
                         

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劇評「コミュニケーションズ」(2005年4月)

Communications

シリーズ"笑い"の中のひとつで「コミュニケーション」がテーマのオムニバス・コント集である。劇作家11人がこの公演のために新たに書き下ろした作品を渡辺えり子が構成し、演出した。劇作家協会と共同制作ということで、別役実と永井愛が監修に当たっている。
参加した作家を見てもどういう基準で選んだかわからない。最初から構成演出が決まっていた渡辺えり子の好み、というより仲間ないしは頼み安い連中とでもいえばいいか、イメージにあわないと渡辺が書き直させた本もあったようだから、あの「姉御」のいうことをきく作家たちだろう。無論断られたのも何人かいたらしく、なかでも野田秀樹だけ名前が挙がっていた。(アフタートークで)自分は喜劇が書けないといったそうだ。正直で結構な話だが、それを言う渡辺えり子の口ぶりに含むところがあって、なるほど野田というのは嫌みな男なのだというのが伝わってくる。

 

"笑い"とはなにか、ということを理屈で考えるのはそれ自身は笑ってられないからしんどいことだ。あえていえば人間にしかない感情表現ということもあって動物との境界を前提に人間そのものを考えることが出来る、ということになるのか?ベルグソンが笑いについてのエセーでどう書いているか、興味はあったがあいにく読んでいない。ところが最近ある種の霊長類にも笑いに似た動作が発見されたようで、それがほんとうなら、笑いの本質は本能的なもので理屈を超えているということになる。
動物がなんで笑うか知らないが、人間の"笑い"には赤ん坊の笑いからブラックユーモアのように知識あるいは知性が関係するものまでかなり複雑な階層を持っている。たとえば「まんじゅうこわい。」という言葉がある。これはある落語の「落ち」だが、全く関係の無い状況で使ったとき、知っているものは笑えるが、知らないものはわらえない。落語の「崇徳院」も百人一首を知らないものにはいまひとつだろう。"笑い"とは記憶とか知識がからんだ高度な精神的働きという側面を持っているのだ。

 

人とひとの間の意志の疎通が「コミュニケーション」である。これがうまくいっていれば問題ないが、かみ合っていないと困る。その困っている状態を見ているのはおかしい。典型的にはボケに突っ込み二人という最小単位で演ずる漫才である。この舞台にも漫才はじめさまざまなシチュエーションでどうにもすれ違って右往左往するおかしい人々が登場する。つまり「コミュニケーション」の齟齬から生じる"笑い"というわけである。

 

おしまいにしようとしている芝居小屋の舞台裏という設定で、小劇場の両側の壁には二間×3尺のレトロな絵の看板が二段に並んでいる。なにしろコントという短い形式の喜劇は戦前の浅草の軽演劇に端を発し、戦後はやはり浅草のストリップ小屋の幕間に演じられたという事情からこのような「庶民的」と言えばいいか、やや猥雑な香り漂う中がふさわしいと考えたのであろう。これは大いに賛成である。寅さんの渥美清もそうだった。その前、脱線トリオ(由利徹、八波むとし、南利明)や転覆トリオ(三波伸介、伊東四朗、戸塚睦夫)劇作家井上遅筆堂、やや異彩を放つ内藤陳のトリオ・ザ・パンチ、そしてコント55号(萩本欽一、坂上二郎)彼らは皆浅草ストリップ小屋と縁があった。
皮肉なことに浅草の観客にはコントを目当てに来るものは一人もいなかった。幕間をつなぐだけの短い時間にどれだけ観客の目を引きつけておけるかが即給金につながったから必死である。同じネタだが、客の反応を見ながら微妙に変えていくうちに練れてきて見ているものの心の琴線に触れるところまで来ると完成型である。こう言う「芸」を見せられると何度見てもおかしい。例えば、由利徹が裁縫をする婦人のまねを何十年もやって見せたが、単なる形態模写を超えた(中流の良妻賢母のしぐさでありながら由利徹がやるとある種の浮世絵のようなひわいな感じが漂うのであった。)おかしみがそなわっていて、いつ見ても楽しめた。

 

新劇の俳優にそんな「芸」を要求するのは無理だが、台本さえしっかり出来ていたら十分笑えるものになる。
11人の劇作家の作品を21のエピソード「場」にして構成した。その中には渡辺えり子が書いた「コミュニケーションズ」というコントを開幕からはじめて終わりまで都合六つ挿入してある。また、竹内佑は漫才の本を三つ書いた。あとは作家がそれぞれひとつづつ(綾田俊樹だけは、武藤真弓が書いた「ボスと男たち」のあとを受ける続編を書いているが・・・)の本を出している。
それぞれシチュエーションもトーンも違う芝居を積み重ねることになるが、「コミュニケーションズ」という渡辺のコントがひとつのトーン・マナーを持っているのでそれがうまく句読点の役割を果たして飽きさせない工夫が施してある。監修にあたった永井愛が渡辺えり子の構成作家としての力量を評価したところだろう。

 

アフタートークで面白かったものに拍手を、ときいたところ「蟹を食う」(鄭義信)「バス停のある風景」(別役実)「フルムーン」(綾田俊樹)「立てこもり」(いとうせいこう)「有田焼の男」(高橋徹郎)「坂本」(土田英生)といったところが多かったと記憶する。
竹内佑の漫才が不調だったのは、山崎清介と腹筋善之介のせいではない。彼らは大まじめに漫才師を演じたのだが、きまじめすぎた。もっとちゃらんぽらんにやらせてもよかった。もっとも話が「お笑い界」だからいわば楽屋話である。こう言う身内批判めいたものは本物の漫才師のほうがよかったかもしれない。それにしてもこの腹筋善之介という珍妙な名前の俳優はどこから出てきたのか?剃髪した頭にくりくりの目玉、体は太いが鍛えられている。怪優といっていいかもしれない。この二時間あまりの舞台で出番も多かったがもっとも目立った存在だった。
僕は腹筋善之介が染め付けの焼き物を被って出てきた「有田焼の男」が面白いと思った。ある朝目覚めると頭が焼き物の器になっている。とりあえず病院にいくが先生(金内喜久夫)も原因がわからない。手の施しようが無いとかなり無責任な態度である。男はこのままでは女も寄りつかないし結婚も出来ないと嘆いている。それはなんとかなるといった途端、客席中央に作られた小舞台に明りが入り異様に胸のでかい看護婦(石井里弥)がピンクの照明の下で何やら怪しげなしぐさで踊りだす。先生が男を案内し、これは私の娘だが気に入ってくれたら一緒にしてもいいと言いだす。男はこんなにかわいくて胸も大きい女の子なら喜んでと踊りが終わるのを待っている。さて、看護婦である娘もまんざらではない様子に先生は「じゃがひとつ承知しておいて欲しいことがある。」といいだして、突如娘の制服を脱がして胸をさらけ出す。なんとそれは大きな焼き物の乳房だった。

 

ある朝目覚めると巨大な昆虫、というのはあったが、焼き物、しかも染め付けの有田にしたのは何だかハードボイルドでおかしいのである。腹筋善之介の慌てぶりも笑えるが、金内喜久夫のおとぼけ、無責任ぶりも板についていて、変身という事実がこの二人の落差を見るにつけ、取り返しのつかない恐ろしいことのように思えてくる。この短いプロットに足下から言い知れぬ「不安」が立ち上ってくるような気がしたのはコントとして大成功ではなかったかと思う。焼き物の乳房という「落ち」もよく考えられていて、頭が磁器なのよりははるかにむなしく、ブラックユーモアこのうえない。

 

「バス停のある風景」(別役実)は自殺しようとしている夫(金内喜久夫)とその夫を殺して保険金を受け取ろうとしている妻(神保共子)のすれ違いの話である。バス停にはベンチ、傍らには別役芝居になくてはならない装置、電柱があり首を引っかけるロープが下がっている。妻は携帯電話で夫を殺す方法を打ち合わせている。背中合わせで、夫は携帯電話で誰かと話している。
不条理劇の大御所らしく「コミュニケーション」というテーマに応えながら「夫婦」或いは人間関係全体の非合理な側面をあらわした、極めて知的な味わいの佳品であった。
評判のよかった「蟹を食う」は、蟹鍋を囲む父(綾田俊樹)母(神保共子)息子と娘の一家に男性A(金内喜久夫)男性B(片岡弘貴)男性C(山崎清介)がからむいわば家庭劇である。舞台中央に卓袱台が置かれ、大ナベからは湯気が立っている。煮えるまでの家族の会話がかまびすしい。フタをとると本物の蟹が出てきてみんながつがつ食べはじめたのには驚いた。最後に女装した三人の男が出てくるがこれはいただける代物ではなかった。
少し時機を逸した感はあったが、「おれおれ詐欺」を扱ったのもあった。「存在証明」(杉浦久幸)は「俺だ。俺だ。」といって自分の祖母に電話して金を振り込ませようとしても信じてくれないので困ってしまう男の話である。これなどはいかにもありそうな話で、自分のアイデンティティの証明がいかに難しいかをあらためて思い知らされる。

 

「坂本」も同じようなテーマ性を持っていた。
心が休まるのは「ボスと男たち」。ボス(金内喜久夫)は子分たち(片岡弘貴、腹筋善之介、山崎清介)に対して、敵の親分に復讐するアイディアを出せという。次々にアイディアは出るのだがその度に、「そいつは、あれが困るだろう。」といって否定し、ついには何も出来なくなるという話である。
何と言ってもおかしかったのは綾田俊樹である。多くのコントに出演して、喜劇人らしいキャラクターを存分に発揮したが、自ら書いた「フルムーン」がもっとも面白かった。神保共子との老夫婦役。ハワイ航路の船のデッキでロマンチックに昔話をしているうちに、何十年にもわたって互いに我慢してきたことが次々に告白され口論になっていくという妙にリアルな話である。ボードビリアンらしくコミックに演じる綾田俊樹にさすがに芸達者な神保共子が応えて完成度の高いコントに仕上がった。
他の作家のものもすべて高い水準にあり、その面白さは実際見てもらうしかないと思うからこの辺で紹介はやめよう。
問題は浅草軽演劇-ストリップ幕間で育った形式というところに立ち返って考えた場合、観客の目によって練り上げられていく要素をどう取り込んでいけるかということである。
短編小説は独特の感覚があって書くのは難しいとされる。コントもまた凝縮した時空の中に"笑い"をはじめさまざまな要素を詰め込んでしゃれた仕上げを施さねばならない、という点で短編小説に近い。演じるほうにもそういう形式にふさわしい例えばボードビルのような手法がもっと数多くあってもいいと思う。
そのうえで、観客の目にさらし「芸」の領域になるまで磨きをかける。「蟹を食う」に登場した女装の男たちを脱線トリオやコント55号がやったらあんなに異様には見えなかったはずだ。
もっとも、そんな暇があるかねと言われれば、言葉に窮してしまう。

 

アフタートークで別役実に「テレビのお笑いブーム」について質問があった。
彼はお笑いは好きでよく見ると答えた。「中に面白いものはあるが、こう言う舞台で演じるものと違って観客の反応がいまひとつとどかない。その分『消費』されていくという感じがしている。」ともっともなことをいっていた。
そういう『場』を新国立劇場が提供するという覚悟があってこの"笑い"シリーズなかんずくコント集を考えたのだと信じたい。 

 

 

題名: コミュニケーションズ
観劇日: 05/4/8
劇場: 新国立劇場
主催: 新国立劇場
期間: 2005年4月8日〜24日
作: 綾田俊樹  いとうせいこう  ケラリーノ・サンドロビッチ 杉浦久幸 高橋徹郎 竹内 佑 鄭 義信  土田英生 別役 実 日本劇作家協会戯曲セミナー第1〜4期生/ふじきみつ彦 武藤真弓 筒井康隆(原作使用) 
演出: 渡辺えり子
美術: 加藤ちか
照明: 中川隆一
衣装: 矢野恵美子
音楽・音響: 近藤達郎・ 原島正治
出演者: 綾田俊樹 石井里弥 円城寺あや 片岡弘貴 金内喜久夫 神保共子 腹筋善之介 矢崎 広 山崎清
綾田俊樹 石井里弥 円城寺あや 片岡弘貴 金内喜久夫 神保共子 腹筋善之介 矢崎 広 山崎清介

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劇評「屋根裏」(2005年4月)

Yaneura 前口上で「屋根裏の散歩者」に言及していたが、江戸川乱歩の主人公は天井裏から他人の暮らしをのぞき見た。しかし、この芝居の舞台はわずか一間四方にせいぜい四尺(つまりまともに立てない)の高さの穴蔵か檻のような空間である。他人様の生活を観察するどころではない。見えるものは壁と、あえて言えば自分の内部だけだ。世界一狭い舞台と称して米国で興行してきたらしいが、評判を聞かないところを見ると・・・どうだったのか?日本の住宅は兎小屋で有名だったから極端にした喩えかと思ったかもしれない。

 

坂手は、人の生とは物語として語れる以上のものであり、もしその真実を表現しうるとすれば、さまざまなフラグメントを寄せ集め、そこから立ち上るかげろうにようなものだと言いたげである。そのためにしばしば分かりにくく退屈である。いくつかの関連の無いエピソードを連ねた『二人の女兵士』(2005年、新国立劇場)がそうであったように、この芝居も自殺した弟が住んでいた学生寮と見立てた屋根裏部屋で何故彼は死んだのか考え続ける兄(猪熊恒和)の話に始まり、引きこもり少女を巡る人々、幕末の浪士、張り込みの刑事、地下室の死人、防空壕の兵士などが登場するさまざまの寸劇を重ねたものである。後半は冗長に思えたが、この狭い舞台が醸し出すメタファが存外明瞭に感じられて楽しめた。

 

この屋根裏は、屋根と天井の間ということになっているが、地下に埋められた棺桶のようなもの、エレベーターのように上下する箱、野中に置かれた小屋などという設定が登場し、次第に「閉じた狭い空間」を意味することがわかる。
この屋根裏という閉所にもっともふさわしいと思われるエピソードは「引きこもり」である。登校拒否の少女(江口敦子)のもとへ同級生の男子(小金井篤)がやってくる話やその後訪ねてきた女教師(宮島千栄)が説得を試みる場面、或いは引きこもりの少年と必死で諭す母親とのやりきれない会話などからもその印象が強く残る。また、新潟で実際にあった事件も取り上げられて、このあたりは社会派坂手洋二の面目躍如と言ったところである。
しかし、「引きこもり」という社会問題がテーマだと言い切るのは短絡に過ぎる。

 

幕末の浪士二人(下総源太朗、向井孝成)が言い争い、刀を抜こうとするが、壁につかえて抜くに抜けない話、張り込み中の二人の刑事(下総源太朗、向井孝成)が清張の小説のようだと語る漫才のようなやり取りなどは坂手のサービス精神の一面に違いないが、見方によっては、このデジャブのような光景が望遠鏡を逆にのぞくような極く小さな空間に閉じこめられ「矮小化」した社会そのもののように思えてくる。我々の住んでいる世界はそのように狭く息苦しいのだといいたいのかもしれない。

 

坂手はこの「屋根裏」を40万円で売りに出している。ステンレスの柱で組み立てた小屋のようなものをだ。どんな料簡か分からないが「屋根裏ハンター」なるものがたびたび登場し、それを鑑定するところを見ると簡易物置や簡易ハウスに見立てているのだろう。なるほど「引きこもる」にはちょうど具合が良さそうだ。
ところが、終盤に至るとこの作り物は宇宙に飛びだす勢いで上昇する。かと思えば吹雪の中の山小屋やホームレスの段ボールハウスに変貌し、ついにはまわりを蔽っていた黒い壁が取り去られ、むき出しの空間にぽつねんと置かれる。屋根裏と称する狭い濃密な舞台の中にあった観客の視線は突然単なる物置を眺める他者の目に変貌せざるを得ない。

 

坂手は「引きこもり」とは何かを考えていて、それがおそらく社会的病理に通底すると直感したのだ。引きこもりは自己愛の過ぎたようなもの、つまりは自分を傷つける外の世界との間にバリアを作ることと僕は勝手に要約しているが、それをポジティブに考えれば「立てこもり」になる。下界を積極的に拒絶する。そこに潜り込んで出てこないというイメージは何となく愉快なのである。、しかし、その立つこともままならぬ狭いところに押し込められている苛立ちもまた一方の真実で、これは二重三重の意味で、我々が生きている時代の極めて閉塞した様相を象徴しているといえるのだ。では何故現代人は、何に対して立てこもるのであろうか?

 

管理社会とは真綿で締め上げるように目に見えない力で人間の自由を奪う。いや自由を奪われているという自覚すら与えずに巧妙に管理する社会、それが現代である。例えば僕らは、たいていは源泉徴収という無自覚の仕掛けで税を取られている。電気代、ガス水道代NHK、健康保険、銀行自動引き落とし、生きている以上はついて回る。そして保険会社のパンフレット通りのライフステージを生きて、言われるがままの保険料を払い、時々ディズニーランドで息抜きをする。民営化したもと国有鉄道に乗ってその利益に貢献し、運が悪ければその儲け主義の犠牲になって果てる。我々は国家や企業の利益のために生かされている。少子化を恐れるのはその高が減るからだ。終戦直後、いまの半分の人口だったことをもう忘れている。国家や企業は利潤を生み出すために我々に貨幣を配っている。支払う金がなければ高利で貸し与えてくれさえする。ついに払えなくなれば死亡保険金で始末をつける。我々はすっかり見透かされ見張られていて、この循環からついに逃れることは出来ないのである。

 

これはリチャード・ドーキンスがいう「我々は遺伝子の陰謀によって生かされている」というテーゼとよく似ている。我々の肉体は滅んでも遺伝子だけは受け継がれ生き続けるのである。科学もまた時代を反映しているといえる。
ここまで書いて、朝刊(朝日、5/5木)のあるコラムが目に留まった。しばらく見なかった木幡和枝が芸大教授の肩書きで写真の「木村伊兵衛賞」三十周年に寄せて短いエセーを書いていた。
写真は、その性質上もっとも直裁に時代を表現する芸術のひとつといえるが、三十年間の受賞作を並べてみて、木幡はある「感情のざわめき」を覚えながら「長い年月、多様な世界、多義化する感性。その中で自分はどこに立っているのか。」自分の「何か」、どこかが分かったという感慨を漏らしている。
彼女はこの展覧会を次のように総括した。
「30年の間には極地の貴重な自然や動物、産業の変遷と環境破壊、内外のディープな都市光景とテーマが目まぐるしく変わり、激変する後期資本主義社会の変貌を誇張しているようにもみえる。だが、作者のうちなる眼が何を見ているか、撮る(作る)動機は何か、そこにより根底的な変化を感じる。」
この変化、すなわちスタイルと価値観の面での世代交代を98年以降とし、とりわけ00年の女性作家(3人受賞)以後は「好きなものや人、雰囲気、色、かたちを手元に置く、その手段としての写真が前面に出てくる。・・・共通するのはプリクラ世代の収集癖と好きなものフェチである。」というのが現在であるらしい。
そして、展覧会のムックにある座談会の藤原新也の発言を次のように引用して現状を認めた。
「第三回受賞者でもある藤原新也は、一回目の北井(一夫)を『写真が時代思想に関わっていた最後の人だ』と語る。そして最近の自己言及的な傾向については、世界の飢餓や戦争といった諸問題に目を向けないのを批難するよりも、多数の若者が『引きこもり』状態にある現状を『人の面倒みてる場合か』みたいなところがある」として自己表現と自己治療のための写真(もはやこの意味では美術も変わらない)の有効性を擁護している。」
ニヒリスト藤原新也らしいものいいだと感心した。
このように書きながら、かつての神田カルチェラタンの女闘士の胸がざわめいたことは容易に想像が出来る。それが時代ではないかといわれれば否定は出来ないが、ではその先は?という問いには、とりあえず立ちすくむしかないのが僕らの『時代』でもある。

 

このようにして坂手洋二もまた苛立っている。
ナレーターは客席の前に立って独り言のようにつぶやく。「かつてポーランドで何百万人も虐殺されたユダヤ人が、いまパレスチナで大勢を殺している。」
引きこもる若者にとってなんの関心もないことである。その言葉が、目の前の狭い空間に届くことはない。しかし、坂手はあえてこのような台詞を書かざるを得ないと考えている。
坂手は屋根裏にこの社会全体を押し込めてこれが我々の時代だと見せようとした。それには成功したと思えるのだが、ではどのように告発するかという点で迷いがあった。
終盤の冗長さはこの手探りがこうじたものである。
もとより正解など無い。
それはそれでかまわないと思うが、振り上げた拳を頭上にかざしながら、幕が下りたという感じがした。

 

照明の竹林功がいい仕事をしていた。狭い空間に光を程よく回すのは技術的に難しかったであろう。暗転のタイミングもうまくいっていた。目立たないが職人芸といっていいだろう。
俳優は、よく稽古していた(海外公演で鍛えたか?)とみえる。
下総源太朗と向井孝成のコンビはなかなか見せてくれる。
江口敦子が女子高生をやれるのには驚いた。案外若いのか?何を考えてるのか分からないところがあって次も期待したい。

 

梅ヶ丘駅前のみどり寿司でYと一緒に一杯と思って劇場を出たが、11時に近く、ラストオーダーも終わって店じまいするところだった。床に座りっぱなしで腰が折れていたのを蟹味噌サラダとビールで伸ばそうという魂胆だったが残念だった。
坂手洋二には悪いが、なにしろ、うしろの30分がよけいだった。   

 

題名:

屋根裏

観劇日:

05/4/15

劇場:

梅ヶ丘BOX

主催:

燐光群

期間:

2005326日〜416

作:

坂手洋二

翻案:

 

演出:

坂手洋二

美術:

じょん万次郎

照明:

竹林功

衣装:

野典子

音楽・音響:

じょん万次郎 内海常葉

出演者:

中山マリ 川中健次郎  猪熊恒和 大西孝洋 下総源太朗 江口敦子 樋尾麻衣子 宇賀神範子 内海常葉  向井孝成 瀧口修央 宮島千栄 裴優宇  小金井篤 杉山英之 久保島隆

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2022年12月26日 (月)

劇評「春、忍び難きを」(2005年5月)

Haru 終戦直後、信州松本在の地主一家の話である。
進駐軍の農地改革によって、何百年も続いた地主と小作農の関係が変わった。革命的と言っていいが、農業の地位が今のようになっては革命だとは誰も言わない。土地の所有を巡ってこのようなドラスティックな変容を遂げたのは日本ぐらいのものだ。他の国は、とりわけアジアはこれが出来ないからいまでも困っている。
地主は先祖が拓いた、或いは買った土地を二束三文で小作農にやるのは口惜しい。その話が主軸には違いないが、斉藤憐はこの時代におきていたあらゆる出来事を歴史学者の様な手つきで拾い上げ、登場人物それぞれに配置して「権力というもの」を告発しようとする。
学者のようだと皮肉ったのは、取り上げた話がいかにも類型的で総花的であり、今さら教科書みたいな戦後史をみせられても一緒になって怒る気にならないということだ。

 

望月多聞(松野健一)は、里山辺村の庄屋で戦時中は村長をしていた。次第に明らかになるが、戦時中は本土決戦を覚悟した帝国陸軍の要請でこの地に地下軍需工場建設を容認、多数の朝鮮人、中国人労働者を「強制的に連行」して従事させた。劣悪な環境のため朝鮮人7人が土手の上のバラックで病死した。この時日本人の給料が16円で彼らは7円しか貰っていない、とよく調べてある。
三男、三郎(脇田康弘)が戦地から帰還する。応召する前は左翼思想にかぶれて当局から目をつけられていたが、帰ってみると百姓などやめて東京で一旗揚げようという魂胆に変っている。ソビエト軍がソ満国境を越えると自分たち関東軍は特別列車を仕立ててさっさと帰ってきたが、民間人を置き去りするとはひどいことをしたものだ、と三郎のせりふに権力批判を込める。
次男、二郎は南方からまだ帰ってこない。結婚して5日目に入営したが、その妻よし江(井上薫)が同居して、姑のサヨ(川口敦子)多聞の姉、出戻りのトメ(美苗)とともに家事や田畑の世話をしている。トメは子どもが出来なかったために婚家をだされた。斉藤憐のフェミニズムが顔をのぞかせている。
葛西芳孝(森一)は多聞の長女、清子の夫で大学教授である。「国のために命を捧げるのが学生の本分」という思想を公言して煽ったことで公職追放にあい、中央から隠れて妻の実家に居候を決め込んでいる。

 

長男太郎(武正忠明)は「朝鮮半島の地図に黒く印がつけられるくらい広大な山林」を所有する会社の経営者で、京城に千坪余の屋敷を構え二十人の女中に囲まれて暮らしていた。その全てをおいて、子どもと妻佐和子(早野ゆかり)の一家で引き上げてくる。家督は既に次男が継ぐと決めてあり、太郎に百姓をやる気はさらさら無いからトラブルはないが、こうなっては親の財産分与をあてにする以外に無い。
多聞の村長時代、役場の兵事係だった上条誠作(河原崎次郎)が時々出入りしている。小作農の二木房吉(渡辺聡)が昭和初年から三度も戦地に招集されたのは、上条のせいだと責めるが、あれは陸軍が決めること自分は赤紙を発行して届けるだけの役割だったという。房吉は農耕馬を飼っていて、馬喰としての才もあったため馬とともに戦地に赴いた。一家の働き手と動力を失って田畑は荒れ、家はますます貧しくなったと嘆く。
「青紙」というものがあったのは知らなかった。馬を徴用する令状である。金は払った。ただし相場の半額程度だったらしい。百五十万枚発行されて一頭も帰還しなかったと斉藤憐は怒っている。

 

この話には後日譚があって、上条の前で多聞が房吉に真実を明かす。「いくら陸軍でも、お前が馬を持っていて、扱いになれていることなど知るはずが無えだ。」房吉は愕然とする。こう言うことがはっきりといわれたことはなかったと記憶する。あの当時、赤紙は村役場の兵事係のさじ加減だったと知られたら、ただではすまされなかったろう。
望月の家には若い無口な作男、朴潤久(斉藤淳)がいる。近郊の鉄道工事にやって来ていた朝鮮人の子どもで、孤児になったのをかわいそうだとサヨが引き取って育てた。植民地問題が影を落としている。
サヨは戦時中満州に花嫁を紹介し送り込む事業に協力していた。しかし、まもなく終戦とともに夫と離れ離れになって引き上げてきた娘も少なくない。その中にすえ(小飯塚貴世江)がいた。すえは美ケ原の開拓地に入植する。開墾にふさわしい土地が与えられるはずもない。標高千二百メートルの水も乏しい荒れ地では農業は難しい。すえは何かとサヨのもとへ相談にやって来ていた。
僕の生まれた町でも引き揚げ者の開拓地は河岸段丘の上の台地で開墾しても陸稲を作るのが精一杯だった。肥たごは天秤にして二つを担ぐものだが、一個を二人でようやく運んだ教師上がりの夫婦がいたという。腰がふらついて、肥たごが溢れそうなその姿がおかしかったと子どもの頃だれかに聞いた記憶がある。

 

満蒙開拓団と花嫁、引き揚げ者の痩せた辺鄙な土地への入植、国策であった。
二郎がいよいよ戻らないとなって、葬式を出すことになる。骨も何もない。妻のよし江はこれを機に実家に戻るというが、三郎と「直して」家を継がせるという思惑から多聞もサヨも残れという。三郎もその気があった。すでによし江が誘って体の関係もあった。戦死した兄嫁と弟の結婚など、今ならとんでもない人権無視といわれそうだが、こんなことに文句を言うものはいなかった。(斉藤憐は、ヒドイ話でしょう?といいたげだが。)
三郎はしばらく百姓仕事をやっていたが、ヤミで儲けることを覚えてから農家を継ぐのはばかばかしいと思いはじめる。ついに、決心して身支度を整え、密かに家を出ようとよし江を誘うが、躊躇しているところを母親に見とがめられる。よし江は「おらがいなくて、この秋の麦は誰が蒔くだ。」といって一緒に行くことを拒んだ。三郎は独りで東京に出ていく。

 

ある日、挙動の怪しい男が家の様子を窺っている。聞けば戦場で二郎と一緒だったという。この幸田(関口晴雄)と名のる少尉は、二郎の最後の様子を伝えに来たというのである。葛西芳孝元教授を認めると最敬礼して「自分は先生の思想に共鳴、学徒出陣にあたり国のために命を捧げるのが学生の本分と覚悟し、心の安寧を得て戦地に赴きました。」と礼を言う。葛西にしてみれば今さら思い出したくない傷に触れられて困惑するばかりである。幸田はもっと話を聞かせて欲しいという家族の誘いに食い物の心配もいらないとすっかり居候を決め込んでしまう。幸田はよし江を手伝ってよく働いた。
そんなときひょっこり三郎が東京からやってくる。化学肥料を農家に売りに来たのだ。しきりに幸田の存在を気にしているが、商売の方が大事らしい。化学肥料だの農薬だのを農民に押し付けたことが斉藤憐には気に入らないようだ。
このころ戦争未亡人のところへ戦友と名のって近づき、悪いことをするものがいた。
多聞たちがよし江に幸田を婿として妻合わせるのもひとつの方法だと思いはじめていた矢先、役場の上条が飛び込んできて、二郎の戦死した場所は違うと告げる。とんでもない詐欺師だという声をきいて幸田は消えてしまう。
太郎一家は東京に勤め口を見つけて去っており、もはや家を継ぐものはいなくなった。
逆上した多聞は、このうえは自分の子を生ませる他無いとよし江に襲いかかるが、ここで脳溢血の発作が起きる。
婦人参政権が布かれて最初の選挙、サヨは文字の練習をしている。貧農の出であるサヨは字が書けない。サヨのようやく書いた仮名文字タカクラテルは日本共産党の女性候補者の名だった。・・・やれやれである。
終幕、男達は誰もいなくなり、サヨは「また戦争、起こらないかなあ。」と長嘆息する。無論、空襲など知らない農村の光景に重ねなければ理解できない台詞である。

 

たしかに男共は百姓を捨てて、みんな都会へ出ていってしまった。戦時中の外国人「拉致」強制労働があったとすれば明治憲法下だろうが有罪に違いない。学徒兵を煽った今思えばとんでもない曲学阿世の教育者もいた。満州に開拓団をおくって、花嫁を斡旋したのも事実である。ブラジル移民にも同じことをした。植民地で広大な山林を私有して大きな商いをしたものもいただろう。
斉藤憐は、「世紀末のカーニバル」(04年2月)で、80年前に始まったブラジル移民は日本国の「棄民」だったといった。その延長で言えば、この劇のエピソードのひとつひとつは国が犯した間違いとして告発されなければならない。告発するのはかまわないが、あれから既に60年が過ぎている。「棄民」だって棄てられて80年、今やブラジル経済に無くてはならない地位を築いて80万人の日系人が暮らしている。戦後60年も短い歳月とは言えない。
今ある親殺し子殺し、DV、引きこもり、年少者の殺人、食料自給率の低さ等々の問題の原点が「・・・堪え難きを耐え、忍び難きを忍び・・・」のあの時代、「天皇が戦争責任をとらなかった」ことにあると言い張るのはいくら何でも無理だろう。とりわけ農村を痛めつけたことに、日本が工業化社会を作ったことに原因があるという議論には言葉を失う。
こう言う狭量で頑固なおじさんがいわゆる「環境屋」になったり勘違いの「人権屋」に組みしたがるのだ。
ならば、別の選択肢や有効なモデルを示せといって、探してみても婦人参政権のところで日本共産党の「タカクラテル」なるものが見つかるだけで、これではやれやれと苦笑するしかない。

 

少し品のない言い方だが、斉藤憐もヤキがまわってきたなあ。
「ミレナ」(02年/10月)もつきあった演出の佐藤信もこれでよしとしているなら「黒テント」の名が泣いている。
評論家の大笹吉雄が劇評で書いているのもそういうことだろう。
「これまでにも俳優座に作品を提供したことのある斉藤はともかく、アンチ新劇を唱えていた運動に深く関わっていた佐藤が一枚かんだのには、時の流れを感ずる。あれはなんだったのかという思いがよぎらないでもないが・・・」(朝日新聞夕刊5/11)
とはいえ大笹は褒めている。「・・・ことに斉藤の戯曲が緊張感のうちにもユーモアをたたえた秀作である。」
ただ「ここから伝わってくるのは、農業を切り捨てた我が国の選択とその結果に対する異議申し立てだが、歴史問題を一因とする近隣国の反日デモを見る昨今、ことに近代史に疎いといわれる若い世代に一見を勧める。」と妙な褒め方である。これでは歴史の教科書にはなるぞ、といっているだけだ。その「異議申し立て」の有効性を論ずるのが劇評ではないのかね。ようするに大笹はうまく逃げたのである。
「秀作」と言われるが、同じテーマを井上ひさしの芝居でいやというほど見てきた僕のようなものにとっては、いくら斉藤憐の自伝的な話しとは言え、エピソードの取り上げ方、描き方が「いかにも」という感じがして、今どきの言葉で言えば「くさい」。役者が出てきて様子を見ただけで何が言いたいか先が読めるというものだ。

 

大笹が言わないから、僕が代わりに論評しよう。
斉藤の言いたい「異議申し立て」はとっくに時効が切れている。
日本は戦後農業政策を誤ったかもしれないし、所得倍増も間違った政策だったかもしれないが、そういう議論の射程は長く見積もっても80年代までだ。
今ある問題は、あの時代に起因すると強弁したところでなんの解決にもならない。
あえていえば、現在日本の社会でおきている様々の事件や社会問題は、日本固有のものではない。少し視点を引いてながめると先進諸国に共通する社会病理に根ざしているように見えてくる。つまり、社会システムとしての資本主義が制御不能の段階に達したために、「想定」していなかった問題が噴出してきたと見るべきである。

 

農業について言えば、確かに食糧帝国主義の様なことは理論上ありうる。井上ひさしが「日本の米を守ろう」「美しい水田の風景を子孫に残そう」と叫んだとき、吉本隆明は「あの馬鹿者が」と吐き捨てるようにいったらしいが、食糧生産のグローバル化、分業化はもはや避けられない。日本の米を守るならむしろ、ブランド米は世界でも高く売れると「発見」したように、マーケティング戦略を考えるべきだ。(例えば「ボジョレヌーボー」はボルドーなど質の高いブランドに対抗するために産地が仕組んだ戦略である。)
斉藤憐にはぜひこう言う視点で日本の農業を考え直してほしいものだ。
もっとも、今となってはあの望月家も後継者に悩んだように、専業農家は1%程度にまで落ち込んだ。こう言う現実を前にすると斉藤さんのいっていることがいかにもせんないことに見えてくる。やれやれだ。
二郎の嫁よし江をやった井上薫が適役と思った。きらきらと輝く眼が印象に残った。始めから同じ調子なのにどんどん大きくなっていく川口敦子の存在感はさすが。松野健一、森一はややトゥマッチ。佐藤信が何故途中何度も仮面を付けた民族舞踊を挿入したのか理解に苦しんだ。
こう言うことをやるから、大笹吉雄は「秀作」というが、僕なら「しゅう」の字に他の文字をあてたくなる。

題名:

春、忍び難きを

観劇日:

05/5/13

劇場:

俳優座劇場

主催:

 俳優座    

期間:

2005年5月5日~5月16日

作:

斎藤憐

演出:

佐藤信

美術:

佐藤信     

照明:

黒尾芳昭    

衣装:

若生 昌

音楽・音響:

田村悳

出演者:

松野健一 河原崎次郎 森一 武正忠明 渡辺聡 関口晴雄 齋藤淳 脇田康弘 川口敦子 早野ゆかり 井上薫 小飯塚貴世江 美苗

   

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2022年12月25日 (日)

劇評「その河を越えて5月」(2005年5月)

Sonokawa5 日韓ワールドサッカーの年に初演されて、朝日新聞の舞台芸術賞グランプリを受賞した。賞金二百万円は新国立劇場に入って、作者には何もなかったと平田オリザがアフタートークで語っていた。
あのときの僕の劇評では、グランプリをやるほどのことはないと表明しているが、考えてみれば「朝日」である。この手の偏向は得意だった。
さて、前回に比べると大幅な改訂は見られないと思ったが、ポタージュとコンソメの違いほど印象の差があった。あっさりとしてひっかかりがない。日韓交流とは言いよう、互いに勝手なドラマが進行するだけで、韓国語の勉強にはなるが違う者同士が理解しあおうとする熱意が感じられない。少なくとも前回は、そういう気概が舞台にはあった。

 

西谷次郎(佐藤誓)の職業が、ボールペンを販売する文具会社のサラリーマンから、介護用品を売る会社の社員に変わっていた。ボールペンの製造技術は日韓で差がなくなったことによるといっている。また、在日の朴高男(小須田康人)は水泳のオリンピック候補で韓国で強化合宿を行っている設定であったが、種目がクレー射撃に変えられた。俳優が年をとって水泳ではリアリティを欠くことになったためだという。
もっともこれらの変化は劇のテーマ性に本質的には影響しない。
あえて言えば、介護問題は韓国も同じような事情であるらしいことを示唆している。
印象がうすくなったのは演出が大きく変わったせいだと思う。大ざっぱに言えば、韓国語学校の日本人が前回は『群像』として描かれ、それぞれが抱えている問題を互いに批判しあった。ひいては日本のもっともリアルな社会問題を俎上に上げて議論することになった。朴高男と韓国人の恋人、李新愛(金泰希)については在日三世と言う立場と韓国における日本人との恋愛という問題。林田義男(蟹江一平)には、不登校と言う問題。主婦の佐々木久子(三田和代)には、植民地時代の記憶と専業主婦という在り方。定職を持たず世界中を旅して歩く木下百合江の(椿真由美)のフリーターという生き方。西谷次郎には、韓国のビジネス習慣との差からくる怒り。

 

それらが芝の上に敷かれた六畳ほどの敷物の上で混然として語られるのである。韓国にあって、日本の様々の問題がさらされることによって韓国の観客はこれが日本の縮図なのかもしれないと理解したであろう。日本の観客は作家が取り上げた問題は確かに代表性があると得心したはずである。
今回の演出は、これらの問題を個別にくっきりと見せるために、場面から余計な人物たちをいろいろな理由をつけ、巧妙に排してテーマを立たせた。
それは、そのかぎりでは成功していたが、あれから既に三年が経っている。ボールペンを介護用品に変え、水泳をクレー射撃に変える必要性を感じたように、時の流れには抗しがたく、エピソードが立てば立つほど『現在』とのずれが目立った。

 

一方、韓国語の教師、金文浩(李南熙)の一家の問題は弟、金才浩(徐 鉉喆)とその妻羅旅珠(鄭 在恩)のカナダ移住計画である。この背景には、経済や教育問題があることが示唆されていて、韓国の移民熱は未だにおさまらないという現実がある。弟は、これを母親鄭クッダン(白星姫)に言い出せない。韓国においてオモニ(母親)の権威は絶対で、反対されたらそれまでである。
この韓国側のエピソードも舞台の上からしばらく母親が姿を消し、弟の妻も不在と言うことが多く、取り残された弟が所在なさ気な様子は前回にも増していた。こう言うことからもあっさりしすぎたという印象を受けたかもしれない。
この熱意のなさは、今日の日韓の関係を象徴しているように見える。

 

前回は日韓ワールドカップ共催を成功させようという機運が盛り上がっていた。大統領金大中は訪日して天皇陛下の主催する晩餐会で、植民地支配を批難することより、未来を見据え日韓の新時代を築くと演説した。その延長上に空前の韓流ブームが訪れたことは記憶に新しい。もともと金大中は親日的であった。軍事政権下で民主主義を唱え、来日してホテル滞在のおりに当時のKCIA=韓国中央情報局、金東雲らによって拉致され、ずだ袋に入れられて洋上を韓国まで運ばれた。途中何度も海に投げ出すと脅され生きた心地も無かったという。国家反逆罪で有罪、一度は死刑判決を受けたが、恩赦で減刑、やがて獄中から解かれたが何年も軟禁状態にされた。北朝鮮の金正日とは陸路板門店を越えて訪問会見して南北統一を話あった。この功績が評価され、ノーベル平和賞を受けている。

 

これに対して、大統領盧武鉉は苦学して司法試験を突破、判事から弁護士になり、人権派で鳴らした。金泳三に抜擢されて国会議員になり軍事政権時代の不正を暴いて国民的人気を獲得、政界再編のどさくさで、若者の支持を得て大統領に当選した。左翼思想の影響を受けて、反米的な立場を取り、日本とは一線を画すという態度である。
今年は、日本の国連安保常任理事国入りに反対する民衆デモを放置し、自らもドイツ訪問のおり、日本の「入常」を阻止する意思を表明した。そのことに端を発し、小泉首相の靖国参拝問題、教科書の歴史認識問題が中国にも飛び火し、中国各地で反日デモが吹き荒れたことはつい一月前のことである。
強弁に過ぎると言われるかもしれないが、観客の気持ちの中にこのような政治的な出来事あるいは韓国市民のファナティックとも言うべき反日デモの光景が浮かばないと言えばウソになるだろう。

 

こうした現実が背景にあって、まるで出演者を舞台から間引きしたように人影まばらになってしまった芝居では、よけいに両国のぎくしゃくした関係が見えてくるように感ずる。
ここは、強引にでもがやがやと大勢で冗談交じりに花見の宴会として見せるところだった。(いかんせんタイミングが悪すぎた。)
さらにもともとこの劇全体に言えることだが、韓国の移民の話を母親に告げるかどうかなどというきれい事で見せるのでは、韓国の人々の本当の暮らしが見えてこない。これは相互理解という点で致命的な欠陥だと僕は考えている。オモニが韓国の家では特別の地位にあるというのは今や常識になっている。年上の前ではたばこは吸わないというのが礼儀である。それは儒教思想が暮らしの隅々まで浸透していることが背景にある。それはいい。
しかし、移民と言う問題の背景はもっと根が深いところにあることを僕らは知らない。

 

たとえば、金大中の支持基盤が、全羅道にあって、その地域出身者が露骨にエコ贔屓されることや一般に出身地が差別の要因になりうる社会であることはあまり知られてはいない。また、長く続いた軍事政権のもと、所得格差も広がったという社会構造上の問題も存在する。先日の激しい反日デモも、この格差によって鬱積していた不満が対象を見つけて噴出したのではないかという見方もある。あれだけ激しく民族性を強調する国民でありながら、案外あっさりと国をでるというのも不思議にみえるが、その裏にはやはり、経済問題があるに決まっている。韓国に留まっていては「食えない。」という事情があるのだ。
少し古いデータだが、韓国の一人当たりGDPは、約1万ドル。それにたいして日本は約3万8千ドル、この時の百円は60ウォン、現在は10ウォンという比較になる。例のアジア通貨危機によっていっときひどく落ち込んだ経済が立ち直ったとはいえ、後遺症はまだ残っている。

 

教育問題はかつて日本でもあったように高学歴であれば職業選択のアドバンテージを確保でき、高所得が保証されると言う社会構造であり、ここから外れたものにとっては生きにくい国だということになる。それをするには塾だ家庭教師だと金が要る。
僕は韓流ドラマも映画も見たことはないが、脇で見ているかぎり上に述べたような本当の姿、韓国社会病理のような世界を描いたものがあるとは思えない。済州島出身者を露骨に差別する韓国社会常識を知ったのは、崔洋一の「月はどっちにでている」という喜劇を見たときだった。これは在日の作品である。
このような複雑な背景をすべて表現しきれるものではないが、韓国の人たちは自分のことだから十分すぎるほど知っているはずだ。何も知らない僕らだけが、この劇を観て、韓国では母親の地位が随分高いものだと思い、移民など今日の日本では考えられ無いものだから随分勇気のあることだと思うのがせいぜいだろう。

 

ついでに言えば、移民で出て行った先、例えばニューヨークの街角で、朝まで煌々と明かりをつけて商売をやっている八百屋があったらそこは間違いなくコウリアンの店である。これは、所得の低い黒人やヒスパニックにひどく嫌われる。商売も労働もシェアしようという彼らの基本ポリシーを犯しているからだ。西海岸の黒人暴動の時真っ先に襲われたのはコウリアンの店であった。僕は、何故こういうことになるのか韓国の人の意見を聞いてみたい。
きれい事で済まそうという感じが、今回はますます助長されているように思えてこのつくりは大いに不満であった。
最後にソウルの河べりに中国から「黄砂」が飛んできて、日中韓は近隣同志なのだと強調されるが、これがまた「きれい事」のきわめつき、とどめになってしまった。

 

題名:

その河を越えて5月

観劇日:

05/5/20

劇場:

新国立劇場

主催:

新国立劇場    

期間:

2005年5月13日~5月29日

作:

平田オリザ/金 明和

演出:

李 炳焄/平田オリザ

美術:

島 次郎     

照明:

小笠原 純    

衣装:

李 裕淑/菊田光次郎

音楽・音響:

渡邉邦男

出演者:

三田和代 小須田康人 佐藤 誓 椿 真由美 蟹江一平 島田曜蔵 白 星姫 李 南熙 徐 鉉喆 鄭 在恩  金 泰希
                             

 

                                                                                       

 

 

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2022年12月24日 (土)

劇評「箱根強羅ホテル」(2005年6月)

Hakone

チケットを取るのに並んでしまったとYが言っていた。新国立劇場の前売り切符売り場に大勢の中年女性が押し掛けて、なるべくいい席を取ろうとひしめいていたらしい。内野聖陽である。Yが言うには彼を目当ての行列だった。井上ひさしの新作に駆けつけたわけでない。役者に魅かれて芝居見物とはよくある話だから文句の言い様もないが、せっかく持ってる「頭」を使っているように見えないところがどうもねえ。やれやれ。

 

その井上ひさしがまた遅れたようだ。前口上で「ところが、わたしは・・・またもや稽古場を地獄にしてしまいました。」と平謝りである。
この「遅れる」ということが、劇全体の出来にさほど影響しない場合もたまにはある。新国立劇場こけら落としの「紙屋町さくらホテル」は公演二週間前にようやく最後の原稿が届いた。観客にはその修羅場がほとんど感じられなかった。
この劇は同じ「ホテル」であるが、遅筆堂の悪癖が名手栗山民也にかかっても舞台上に出てしまうことを避けられなかった。近ごろの井上作品は「with音楽」の傾向が極めて強く、歌と劇のつながり部分がうまくいかないとひどいことになる。ひたすら稽古を積むしかないところだが、台本が無ければはじまらない。というわけで、井上ひさしの新作は避けるべきだと言うのが賢者の判断である。しかし、このスリルと出来の悪さを味わうのも、おつなもので、僕らの場合、もはや「習い性」「病気」になっている?かもしれない。

 

ヒトラーに攻め立てられたスターリンが後ろを襲われたらたまらんと言って、結んだ日ソ不可侵条約も昭和20年4月ごろには効力を無くしていた。
ところが、日本は敗色がいよいよ濃くなって、外務省を中心に降伏の手がかりをソ連に求めようとしていた。麻布狸穴のソ連大使館は宮の下の富士屋ホテルに疎開していたが、これを休業していた箱根強羅ホテルの施設に再疎開させる計画が持ち上がり、外務参事官加藤清治(辻萬長)がその任に当たっていた。
加藤ら外務省の思惑は、強羅ホテルと言う豪華な施設を提供することで、ソ連大使館の好感を得て、スターリンに連合国との仲介を願い出る機会をうかがうというものであった。
かなり頓珍漢な作戦だが、大まじめにやった可能性はある。なにしろ、この役所の情報収集能力の劣悪さはどうも現在に至るまで一貫しているらしいから。
このために、強羅ホテルの管理人兼留守番、秋山テル(梅沢昌代)のもとで働く従業員が公募されてやってきた。植木係の国枝茂(内野聖陽)、靴磨き兼靴修繕係の岡進太郎(段田安則)、同じく坪井広三(藤木 孝)アイロンミシン係の三浦彰(酒向 芳)、同じく稲葉定一(大鷹明良)、ランドリー係の三人娘(中村美貴、吉田 舞、平澤由美)それにロシア人とのハーフで大使館員の子弟に日本語を教える教師の山田知恵子(麻実れい)である。
一同は無論住み込みで各人が部屋を割り当てられている。最初の日、広間に集まってそれぞれ紹介されるが、目ぼしい男子は皆兵隊にとられ、ここに残ったものは運動能力も怪しい、たよりない連中に見える。岡慎太郎などはラムネ瓶の底のような眼鏡をかけ、足下もおぼつかないほどの近視である。三浦彰といえば常時黒眼鏡をかけて怪しいが、実は他人が目を合わせると困惑するほどの斜視で、単にこれを隠しているのであった。管理人の秋山テルに気合いを入れられながら、歌など歌って草むしりに出かけるのはまるで小学生並みの様子だ。

 

夜になり皆寝静まって、外は雷の音と稲光がしている。舞台下手に三つある従業員用の部屋のドアがひとつ開き、中からきびきびした様子の男が出てくる。昼間の鈍くさい態度とは比較にならない。薄暗い広間で何やらとりだしてごそごそやっている。と、もう一つのドアが開く。これも動きやすい服装で身を固めた男があたりの様子を窺って舞台中央へ後ずさりしながらやって来る。と、そこで前の男とばったり鉢合わせ。また一人暗がりに出てきて・・・。と靴磨きやら、ランドリー係やらが薄暗がりで互いの怪しい素性を探り合う。
実はこの連中、外務省の意向をかぎつけ、断固降伏を阻止し、日本帝国を本土決戦に導こうとする組織から派遣された軍人たちであった。
稲葉定一(大鷹明良)は帝国陸軍の将校、岡進太郎(段田安則)は中野学校出の下士官、三浦彰(酒向 芳)は海軍少佐で階級は上だが、その頃になると乗船する軍艦も沈められて丘に上がった河童同様、陸軍からは馬鹿にされている。国枝茂(内野聖陽)は陸軍参謀部(大本営)から派遣された将校、坪井広三(藤木 孝)だけは少し毛色が変わっている。彼は特別高等警察、内務省のいわゆる特高=治安警察からこのホテルに潜り込んでいた。
陸海軍の思惑は、箱根強羅ホテルに爆弾を仕掛けて、適当な時期に爆発させ入居してきたソ連大使館員を傷つけ脅すことによって外務省の意図をくじくことにあった。

 

ではなぜ直接ソ連と関係のない(内務省)治安警察は、箱根強羅ホテルに興味を持ったのか?
実はロシア人とのハーフ日本語教師の山田知恵子を追いかけていたのである。山田の知人が米国のシカゴにいて、山田はソ連の外交行嚢を利用してこれと文通していた。この知人のもとへ大山郁夫が出入りしていて、その動向を探るというのが坪井広三(藤木 孝)の仕事であった。
大山郁夫は早稲田の教授でリベラル派。弾圧を嫌って米国に移住していたが、降伏を早めるために、米国政府が日本の亡命政府を大山を中心に作ろうと画策した形跡がある。実際には大山はこれを断ったようだが、特高の探索はここまで及んでいたと井上ひさしは言いたいらしい。なるほど外務省のお坊ちゃん上がりよりはなんぼか役に立つものだわい。泣く子も黙る特高を無くしたのはちと惜しいか?いま、公安警察はあるが、左翼もよぼよぼになってせいぜいオウムの連中くらいが対象では、いっそ外務省に移してスパイをやらせたほうがいいのではないか?(余談だった!)
この山田知恵子には幼いときに別れた腹違いの弟がいた。管理人の秋山テルが子を手放した過去を持つ身に覚えがあることから山田知恵子と国枝茂(内野聖陽)の話をつなぎあわせ、二人が姉弟であることを突き止める。国枝を自分が棄てた子だと思い込んだは勘違いだったが、二十年ぶりの再会を手助けしたのであった。

 

井上ひさしは生き別れ姉弟再会譚が好きである。僕が観たのだけでも上げると「兄おとうと」「花よりタンゴ」に同じ話があった。何か理由があるに違いない。暇な文学部の学生でも調べてみたらどうか?
傑作は、本土決戦を戦う作戦だった。H弾というのは空中で粉を散布して航空機のエンジンを止めると言う触れ込みで開発しようとしたものだがうまくいかなかった。H剤は犬用の催淫剤で、まくと犬が発情期の状態になり皆おとなしくなったという。中野学校でこれが盛んに用いられたという。米軍が上陸してきたら、犬を手名づけようという魂胆だった。上陸といえば、もっともおかしかったのがマムシ作戦である。これは海軍が考えたアイディアらしいが、上陸が予想される湘南海岸の後背地の草むらにマムシ50万匹を放つという素晴らしい作戦である。日本の野や山に海軍軍人が大挙して入りマムシを捕獲して大量に集める。何も知らずにやって来た米兵たちがマムシに噛まれて往生すると言うわけである。しかし、その姿を思い浮かべるだけの豊な想像力があれば、さっさと戦争をやめたほうがいいと考えつきそうなものだ。

 

ということで、箱根強羅ホテル爆破作戦は大いに邪魔が入って外務省の知れるところとなり、大失敗をしてしまったのである。早く負け戦を終わらせてこれ以上の国民の犠牲を食い止め無ければ、と気付いた稲葉定一(大鷹明良)は軍に帰ってこれを進言したために満州に追いやられ、戦後はシベリアに抑留されることになってしまったという。
結局8月9日にソ連は条約を一方的に破棄してソ満国境を越えてきた。この前に降伏していれば、スターリンにあれだけ大きな顔をさせないですんだものを、この当時の日本人は頭悪かったのだなあ。
たぶん軍が大馬鹿だったのだ。何故軍隊があれほど政治を蹂躙する力を持ちえたのかということを井上ひさしは書かない。気ちがいに刃物といって済ませられることでもない。戦後日本は軍隊を持たないことにしたから、このあたりの事情がとんとわからなくなったのだ。軍は威張ってばかりいたから皆作家が軍人嫌いになってしまって口するのも腹が立つという具合だ。まあ、そのうち誰かが書いてくれるだろう。

 

この芝居は、戦時中のソ連を扱ったという点で珍しい。ゾルゲがあるではないかというかもしれないが、あれは既に完結していた。この終戦間際のソ連との裏交渉について井上ひさしはごく詳細に調べてある。A級戦犯でただ一人文官で死刑になった広田弘毅が箱根のソ連大使を訪ねて和平の道を探っていた。この辺は劇には全く反映していない。
この時既にスターリンが自国の人民を一千万人ほどは殺していただろうが、気がついていたのか?
分かっていたらこの独裁者に近づくという発想は生まれていただろうか?ヒトラーと組んだのは松岡外務大臣の誤りだったと人のせいにしているが、それよりもっとたちの悪い独裁者にすり寄ったのは外交史上最悪の戦略ではなかったか?戦後米国が強硬にソ連を追い払ったからよかったものの、一歩間違えたら今ごろ北海道と南北問題でもめていたかもしれない。
完成度はいまいちながら、話題の新しさで見せてくれた。
役者は今日このような喜劇を演じるにふさわしい最高のキャスティングになっている。
もっと早く本が出来ていたら、もう少し点をやってもよかったが、とりあえずはシリーズ"笑い"の第三弾として間に合ったことを僥倖とせねばなるまい。
                

 

題名:箱根強羅ホテル
観劇日:05/5/27
劇場:新国立劇場
主催:新国立劇場    
期間:2005年5月19日~6月8日
作:井上ひさし
演出:栗山民也
美術:堀尾幸男     
照明:勝柴次朗  
衣装:前田文子
音楽・音響:宇野誠一郎
出演者:内野聖陽 段田安則 大鷹明良酒向 芳 藤木 孝 辻 萬長 麻実れい 梅沢昌代 中村美貴 吉田 舞  平澤由美

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2022年12月23日 (金)

劇評「国語元年」(2005年6月)

Kokugo05 三年前の春に見たときは、偏見を持っていた。文部官僚が標準語をつくったとは聞いたことが無かったからだ。井上ひさしのホラ話に違いないと思ってみたが、案の定、悪戦苦闘したあげくに完成できなかった。もともと世間の常識では、東京山の手言葉がいわゆる標準語の土台になったことになっていて、いくら薩長政府でも「おまんさー・・・ごわす。」など全国民に押し付けて済むはずが無いと思ったろう。
何故、標準語なるものが出来たかについて、定説がどうなっているのかは知らない。大方のところ、言文一致体の文章ができ上がって行く過程で案外すんなりと出来たのだろうというのが僕の考えである。

 

二葉亭四迷が「浮雲」という本邦初になる口語体小説を書いたときを、山本夏彦は「これを産み出すときに天地万物を産み出すような苦しみをした。」(「完本文語文」より)と書いている。その後、すすめられて二葉亭はツルゲーネフの「あひゞき」の翻訳を試みて徳富蘇峰の「国民之友」にのせるが、これが「出来立ての口語文とは思えない出来栄え」(夏彦翁)で、皆唖然とした。国木田独歩が「武蔵野」を書いたのはこの口語文に刺激されてのことだったという。一葉樋口奈津(夏)がもう少し長生きしていたらと思えば残念この上ない。
というわけで、言文一致体の誕生とその産み出されたものの万人が認めるすじのよさがごく自然に標準的話し言葉になり、共通語と言う暗黙のコンセンサスを産み出したのに違いないと、僕はそう思っている。

 

このような見地からすれば、小学唱歌を編纂したという文部省学務局四等出仕、南郷清之輔(佐藤B作)ごときが「あーだ。こーだ。」悩んだところで所詮は小役人、小説家などという当時も今もやくざな渡世のものでもなければ、こんな大事は行えない。
ざっとまあ、こんな偏見であった。

 

ところが、芝居というものは何度見ても新しい発見があるもので、今度の場合、最後の最後ではたと膝をたたいてしまった。つまりエピローグで、書生の広沢修二郎(植木潤)が一同打ち揃ったところを写真に収めようとして、ストップモーションになりそれぞれの消息を語る場面である。だんな様=南郷清之輔は二十年後の明治二十七年、本郷の東京瘋狂院で亡くなったと淡々と語ったのであった。
前回は、ここを聞き流していた。結局、南郷清之輔は標準的な日本語話し言葉を産み出そうとするうちに狂った。狂ったために婿養子だった清之輔を置いてつれあいの親娘は鹿児島へ帰ったらしい。西郷隆盛の征韓論が一敗地にまみれて、上京していた薩摩隼人の多くは故郷に帰った。ご隠居は三年後の西南戦争の激戦地田原坂で戦死したとあるからまだ矍鑠たるものだったのだろう。下男の弥平(角間進)が主人に付き添って亡くなるまで面倒を見たようだ。

 

狂ったのは、自分が身命を賭して働いた文部省学務局が無くなったからなのか、標準的日本語口語体を完成できなかったからなのか、まあどちらでもあろうが、井上ひさしは主人公を精神病院にぶちこんむことで芝居を締めくくったのである。こう言う身もふたもない終わり方は他にも、例えば「雨」「薮原検校」など無いわけではないが、この芝居は後からじんわりと哀しみというかある種の感慨がやって来る点で、一線を画している。
もともとテレビドラマとして書かれた本だというから、どちらかといえば、明治初期の混乱期に方言同志が語り合う、混乱、おかしみに主眼が置かれたものだったに違いがない。新しい文法を編み出してそれについて実験を行うなどという高級な話に当時も今もテレビの視聴者がたえられるとは思えない。
ところが、この文法を完成しようと悪戦苦闘するところがこの芝居のもっとも大事な見どころ、テーマになっていて、これがいかに難事業であったかを、ついには狂ってしまうという後日談をさらりと知らせることで示したのであった。

 

そもそも、僕の誤解は年代感覚のずれにあった。二葉亭の「浮雲」は明治二十年~二十二年である。しかし、「なるほど『浮雲』は先頭を切ったが、ホンマモンの口語体小説の嚆矢は紅葉の『多情多恨』(明治二十九年)と私は思う。」(徳岡孝夫)と言う人もいる。口語体も完成したと言えるのは尾崎紅葉の不倫(未遂)小説からだというのである。このころ樋口一葉は『たけくらべ』『にごりえ』を文語体で書いていた。鴎外森林太郎にしてもこの時代まだ文語体である。しゃべるようにあるいは饒舌に書くということが盛んに行われるようになるのは、明治三十年以降のことであった。
このあたりになると軍隊もなにしろ日清戦争を戦う必要があったのだから、組織も整い、号令や伝達の言葉も統一されていたに違いない。明治憲法も発布されてあらゆる方面において国家がひとつになる方向をめざしていたのだから標準的な口語体がまとまるのも自然の理であったろう。

 

ところが、この芝居の舞台は明治七年、東京と名をあらためたばかりの元江戸は麹町番町である。
学制は布かれたばかりで、全国に小学校は約四百あったが、この当時の推定人口三千万人に対してこの数は、日本の識字率がまだ50%程度に留まっていたことを思わせる。(それでもアジア諸国に比べたら断トツに高い。) 学制だけではない。この時代、郵便だの鉄道だのあらゆるインフラが西洋化されねばならない、国家の草創期にあった。三百諸侯のお国なまりも日本語として統一される必要があったのだ。

 

小学唱歌を編纂した実力を買われて、南郷清之輔がこの任を仰せ付けられたのは自然の成り行きだった。
井上ひさしは、このように政府が新しい日本語を簡単に作れると考えたことに間違いがあるという認識を土台にこの芝居を書いた。だからこそ、それは未完に終わり、南郷清之輔はついに気が触れてしまったのだ。
こう言う物語の骨格ははっきりしているが、その過程は実に面白く描かれている。
南郷家に集まったのは全国から縁あってやってきたもので、そこはお国なまりの集大成、方言のるつぼとも言うべき呈であった。南郷清之輔は長州弁、妻光(土居裕子)とその父重左衛門(沖恂一郎)は薩摩の出で鹿児島弁である。御一新のとき夫が上野の山でゆくえ不明になり、巡り巡って元自分が住んでいた屋敷に奉公することになった秋山加津(剣幸)は東京山の手言葉、下女の高橋たね(田根楽子)は江戸長屋ぐらしがながい下町言葉である。下男の築館弥平(角間進)は南部遠野弁、若い下女の大竹ふみ(野々村のん)は羽州米沢弁、書生の広沢修二郎は名古屋弁と南郷家は北から南からやって来たお国なまりが飛び交うなんとも囂しい屋敷である。そこへ、南郷清之輔にだまされたという御田ちよ(岡寛恵)が飛び込んでくる。清之輔は名をかたられただけの人違いと分かるが、行き場が無いことから南郷家に居座ることになる。ちよは河内の出身で、これがべろべろの大阪弁。それにあるとき日本語教授という触れ込みで、上がり込んできた裏辻芝亭公民(たかお鷹)が京言葉、後で強盗に入ってくる若林虎三郎(山本龍二)はもと会津藩士で、極端に分かりにくい東北訛り、と登場人物の言葉は一度聴いただけでは判別がつかないほどである。

 

この通じないということが様々の悲喜劇と言うか喜劇を生んでおかしいのだが、とりわけ強盗に入った虎三郎の言葉が誰にも通じなくて、お互い立ち往生してしまう場面がおかしい。「かねをだせ。」を「じぇねこくんにぇーが。」と言うのだがこれを南部遠野出身の弥平が聴いてもチンプンカンプンで腹を立てた虎三郎にけ飛ばされてしまう。会津も遠野も同じ東北なのに通じないのはおかしいと思うかもしれないが、発音のずーずー弁というのは似ていても、山ひとつ隔てればもう分からないというのがお国なまりである。虎三郎はこの状況に苛立つが、そこへ武家の教養をもつ加津が割って入って、「じぇね」と言うのは『ぜに』つまり『銭』ことではないかと尋ねると、果たしてそうであった。つまり、言葉というものは分からなくても僅かな手がかりを見つけて推論し、仮説を立てて検証するという手続きを持って理解できると言う方法論を期せずして示したのであった。こう言うものが可能になるのは教養の力である。
そんな騒ぎの中から清之輔は、新しい全国統一はなし言葉は各国のお国言葉からいいものをとって編纂するというアイディアを具申するが、田中閣下に一蹴される。会津言葉などけしからんというのである。薩長に逆らった敵の言葉など言語道断、何を寝とぼけたことを言っていると叱られてしょげ返る。
これがヒントになって言葉を権力の構造にしたがって政治的につくるのが受容されやすいと判断し、維新に貢献した薩長土肥の言葉から選択のうえ数のバランスを考えて提出しようとするが、鹿児島言葉から選んだ数は足りても、単語が皆暗い後ろ向きの意味ばかりでご隠居が怒りだす。
とうとうこれも諦めたところへ、加津が、若いころ吉原の飯炊きをやっていてた高橋たねが花魁言葉はやさしいと言っていたのを思い出して、その話を清之輔の前でするようにすすめる。「そうザンス。」「お分かりナンスエ?」とやる例の言葉である。なるべく分かりやすいつまり東京山の手の言葉使いに・・・スとか・・・スエ?とかつけて話せば、どこの地方出身の男にも通じた、または花魁がなまりを隠せたと言うわけである。

 

清之輔はこれに目をつけた。こうして完成を見たのが全国統一はなし言葉、文明開化語規則九条である。
動詞を活用するときになまりが忍び込むので、活用させずに言い切るかたちにする。たとえば「わかる」と言う言葉なら、文の終わりに来て言い切る場合、「ス」をつける。「わかるス。」言いつける(命令形?)場合は「セ」をつける。「わかるセ。」「行くセ。」「来るセ。」
可能を表すには「・・・コトガデキル。」否定を表すには「・・・ヌ。」、「売るヌ。」「わかるヌ。」とやる。過去と未来は「・・・タ。」「・・・ダロウ。」をつける。といったことである。
理屈はよく出来ている。理屈を覚えたら話すのは出来ないこともないが、情が通じるかどうかはわからない。そう思って、清之輔は様々の実験を試みる。虎之介を相手に刀を売りつけ、こともあろうに下女のふみを口説いてみる。
ここのやり取りがよく慣れていて、この不思議な言葉が案外当たり前に聞こえて来るのはどうしたものだろう。こうして完成したと思った清之輔が押っ取り刀で文部省に駆けつけたところ、職場が無くなっていたという最初に書いたところにつながる。

 

これより前、お国言葉を買うという公民先生の提案に一同がそれを持ち寄るのを虎三郎が批難していうせりふがある。
「いいか、言葉というものは人が生きていくうえでなくてはならない宝物だベ。理屈こねて学問するにも言葉がなければわからない。人と相談するのも商いするにも言葉だ。人を恋するとき、人と仲良くするとき、人を励まし人から励まされるときいつでも言葉がいる。人は言葉がなくては生きられない。そんな大事な言葉を自分一人の考えで勝手に売り払って構わないと思っているのか?・・・」
南郷清之輔の努力は理解できるが、自分一人の力で、と言うよりは政府=権力の力で、全国統一話し言葉の制定を企てたことにそもそも問題があったのではなかったかということがこう言う台詞から感じ取れる。虎三郎も実験しようと、清之輔のつくった文明開化語で警察を襲ってみたが、迫力不足でつかまった。実用には向かないという感想である。

 

清之輔は狂ったが、その命が消えようとしていたころ、二葉亭や尾崎紅葉たちが口語文すなわちしゃべるように書く日本語の文体を生み出す苦しみを味わっていた。おそらくそれが、話し言葉の土台になり、やがてラジオと言う文明の利器が登場してNHKのアナウンサーが標準的日本語を全国に流布していくようになるのだ。
このような俯瞰図に清之輔を置いてみると、少し置き場にこまるが井上ひさしのユーモラスな筆致によってしかるべき位置を与えてもいいような気になってくる。狂ったあと二十年病院にいて亡くなったと気付いて、いささかの哀歓を持った所以である。

 

植村潤は、テレビの演劇中継番組でなじみだった。芝居ははじめて見るが、禿頭と大きな目玉が迫力である。観客をいじる余裕もあって、さすがは「花組芝居」の立役者である。ただし、やり過ぎのところもあった。岡寛恵は適役とは思えないがよくやっていた。たかお鷹の公民先生もどんどんよくなっていく。剣幸もはまってきたように見えた。
この芝居は4回目の再演ということだが、アンサンブルはすこぶるよかった。
それは、演出の栗山民也の力に負うことが多いのだが、さりげなく一点の瑕疵もないようにできているために、その功績が見えにくい。ここに記して称えたい。   

 

 

題名: 国語元年
観劇日: 05/6/10
劇場: 新国立劇場
主催: 新国立劇場
期間: 2005年6月3日~6月12日
作: 井上ひさし
演出: 栗山民也
美術: 石井強司
照明: 服部基
衣装: 渡辺園子
音楽・音響: 宇野誠一郎
出演者: 佐藤B作 たかお鷹 山本竜二土居裕子 沖潤一郎 剣幸 田根楽子 植木潤 後藤浩明 角間進 岡寛惠 野々村のん

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劇評「死の棘」(2005年6月)

Sinotoge 鐘下辰男の芝居を観るといつも「劇画」を思い出す。劇画をどう定義したらいいか?つまり、荒々しい筆致でリアルに描かれた絵に擬音の文字が重なり、濃厚なストーリーが展開する。時には凄まじい暴力や激しい性描写があって、平常な心が波立つこともある。劇画と言うくらいだから、そういうものはどこか「劇」的なのに違いない。
鐘下辰男の感覚の中にこのような傾向が潜んでいる。それが「劇的」なるものだという信念があるのかもしれない。
劇画は、劇的な場面の描写をいくつかのこまに連続して見せる。台詞はあるが、それ以上に絵があることによって情感をビジュアルに表現することが出来る。見ればわかるのである。ところが、見終わって、はて今のはなんだったのかと思い返すと言葉にならない。つまり、情緒に流れて対象化することが難しいのである。

 

鐘下辰男は、この情感に流れるということに自らが感情移入して、それに観客を巻き込もうとする。
一方、観客の態度は基本的に舞台と対峙している。目の前で展開している物語に引き込まれついその中にはまりこむことはある。しかし、のべつ劇画では入り込むきっかけさえつかめない。
例えば、新国立劇場2000年の「マクベス」で高橋恵子のマクベス夫人が乳幼児を抱いて長く独白するところがあった。あの激しい気性のマクベス夫人に子どもがいなかったことに注目して、もしありせばというのである。ここは母親としての情感を訴える静かで非常に長い場面だったが、とってつけた感じは否定できなかった。単に情緒に訴えただけで、そうした必然性もなければ、マクベス夫人の新しい解釈によって「マクベス」劇を止揚したのでもなんでもない。

 

芥川竜之介の原作をもとにした「新・地獄変」(2000年3月)や川口松太郎の「新・雨月物語」(99年1月)もまたおどろおどろしさにおいて、あるいは粘性の情念を描くという点で劇画を思わせるものだった。
こう言うものを見せられていると、鐘下辰男に知性や論理性というものがあるのか、と言う気になってくる。

 

この芝居は、島尾敏雄の原作を鐘下自身が本にしたものだ。「死の棘」というタイトルだけは目にしたことがあった。なんの興味も湧かなかった。
こんどわかったことだが、自伝的な、と言うよりは島尾敏雄の身に実際に起こったことを小説に書いたものである。完全な私小説といってよいが、これを16年もかけて完成させたいわばライフワークのようなものだ。
あるときトシオ(松本きょうじ)は妻ミホ(高橋恵子)に浮気がばれた。何年もよそに女がいたのを知られることになった。妻は夫を責めた。鐘下辰男によると小説は冒頭から「三日三晩に及ぶ執拗なまでの夫トシオへの休み無い尋問のあけくれ。」が続くということだ。

 

この芝居もまたそこから始まる。
四角いプールの真ん中に円形の板敷きの舞台をおいて、真ん中に四角く切った穴、やや前方にむき出しの水道管と蛇口、バケツが置いてある。周りのプールはひざ下くらいの浅いもの、下手前方に書き物机があり、原稿用紙の上にインク瓶が転がって文字は判別できない。
トシオは異常なまでの妻ミホの怒りと狂気にただひたすら頭を下げ、もう二度としないと誓うのだが、ミホは、新たな疑いを持ちだし自ら嫉妬を駆り立てるように燃え上がり、再びいつ果てるとも知らない修羅場へと戻っていくのである。
その女の影が近づいてくると言う妄想、女と夫がどこかで一緒にいるという想像、それらがまた夫に対するあるいはその女に対する憎しみをつのらせ、罵声を浴びせ包丁を持ちだして、一緒に死のうと責め立てる。

 

その周りを海軍中尉時代の制服を着た敏雄(高田惠篤)、背広姿の敏雄(小島尚樹)、学生服の敏雄(石橋祐)の三人が取り囲み、時に批判がましいことをいい、時に理解を示し、また時にはミホと一緒になってトシオをなじり投げ飛ばしたりする。
これは、責められるトシオがそれに真摯に向き合って、徹頭徹尾、妻に謝罪しようとする態度なのだが、三日も続くと言うのはどこか奇妙とも言える。
ようするにミホには別れる気はない。愛情が憎しみと表裏一体となってまともな判断が出来なくなっている状況といえばいいのか?(最近、逮捕された奈良の騒音おばさんの異様な顔を思い出した。)こう言う精神の異常な昂進は病気として扱う領域のものだろう。
それがわかっているから、トシオも丁寧につきあっているのだ。

 

観客もいやいやながら「丁寧に」つきあわざるを得ない。水道管から漏れる水のしずくがバケツの底をたたく規則正しい音に苛立ち、時にプールに投げ込まれ水浸しになるトシオとミホに目を見張り、こんな格闘をいつまでやる気かと言う思いになる。二人の子どもは半透明のプラスティックで出来た人形だ。それが傍らに投げ出されているが、実際、こうして親の諍いにたちあったのかと思えばやりきれない気持ちになる。
そんな、ねちこく、直接感情に訴えるような描き方は鐘下辰男のもっとも得意のところである。しかも「こう言う経験をした者、つまり妻に浮気がばれて同じような修羅場を味わった者には見ていて辛いものがあるだろう。」などとわかったようなことを書いている。(パンフレット「いずれが"狂気"か?」
これはミホの狂気が問題なのかといえば、そうではない。トシオは、ひたすら耐えている自分を極めて客観的な視点で捉えている。自分の過去の人間像=人格まで動員して今の自分を責める。実際のところこの劇は、ミホが主人公のように見えるが実はトシオの心象をひたすら表現しているといえる。

 

トシオには、妻のほかに女をつくったことによって、究極的には「愛」とは何かという解決不能のテーマが住み着いてしまっている。この「愛」も通俗的な愛情というものではなく、信仰という自らの存在の根幹を揺るがす重大事である。
島尾敏雄は、海軍の特攻であった。奄美大島で終戦直前の8月13日に魚雷艇特攻命令が出て、出撃を待機している間に玉音放送を聞いた。ミホとはその前に会っている。敏雄が出撃したらミホは死のうと覚悟していたらしい。
士官学校出で飛行機乗りに志願した政治家の加藤六月が「自分の立っている地面が真っ二つに割れるような気がした。」(「朝まで生テレビ」7/1放送)と終戦の体験を語っていたが、島尾のような出撃命令が出た特攻なら(しかも当時既に29歳)もっと深刻であったろう。
恐らくその体験が深く関わっていたに違いない。島尾は39歳の時にカソリックの洗礼を受けていた。

 

鐘下がパンフレットの最後にこう書いている。
「桶谷秀昭が『島尾敏雄断片』という評論文に『あれは島尾さんの方が重症なんですよ』という吉本隆明の発言を書いている。私たちの稽古は、ここから始まったといっていいのである。」
また、志村有弘(文芸評論家)によると、「『死の棘』と言う題は、『聖書』コリント人の手紙拠る。」ということでもともとこの小説=島尾の意識の中に神という存在が影を落としていたのである。

 

それでは、鐘下辰男がこの点をどのように評価し、描いたのか?
吉本隆明は当然、島尾の洗礼について知っていた。しかし彼は、キリスト教の信仰について理解を示したとは到底考えられ無い。「重症」という言葉は吉本一流の皮肉だろう。
鐘下は、ここから出発したと言っているが、「重症」という言葉が示しているように、これは島尾の心を病気として外から眺めているものの態度である。
しかし、その時島尾の心を占めていたものは、「病気」ではない。
何か大きな超越的な存在があって自分の精神はそこに帰依しているはずだが、それに背いて、人の倫に外れたことを平然とやってのける自分が現実に存在する。島尾はその相克に苦しみ悩んだ。愛人との恋愛を継続しようとすれば、神は自分の心に棘のように突き刺さってくる。人間として感情のままに生きようとすれば自分は信仰を失い、それから先の人生は恐らく闇に違いない。西田幾多郎ではないが「絶対矛盾的自己同一」を迫られたのである。

 

このようなトシオの神との相克は、見たかぎり舞台には、描かれていなかった。
ミホとの関係は、どんな難問にも当てはまる定理「時が解決する。」をもって、次第に修復されていくという道筋をこの劇では選択した。無論原作に忠実なのだろう。
闇を切り裂くような汽笛が長く尾を引いて、機関車は走りだす。トシオの故郷八戸へ子どもを連れて旅をすることが、ひとつのきっかけを作った。ただし、ミホの精神的病いが完全に癒されることはまだなかった。
そうして、もういいよと、僕の心が悲鳴を上げはじめたところでようやく幕がひかれて、ほっとすることになった。

 

鐘下辰男はこれを純愛物語と考えたようだ。ミホの狂気とそれに真摯に応えようとしたトシオとの間にあるのは最大の圧力をかけられて変形した「愛情」だと思ったのだろう。近ごろ流行の恋愛ものとは一味違うが底流にあるのは、愛情物語なのだという理解が鐘下の中にあったのは明らかだ。愛憎、狂気、格闘、劇画の劇的な要素はそろっていて、まさに鐘下ごのみである。そういう背景が無ければ今ごろこのような出し物を選んだ動機がわからない。
しかし、島尾敏雄はこの出来事を自分の信仰の危機として受け止め、それを超克するために試みたさまざまな思考を克明に記録し、それを自虐的に公開したのである。
考えてみれば、こんな話はそこいらに山ほど転がっている。男と女がいるかぎり止めようもないことだ。だから人の倫と言うものがあるかのように定めをつくって自らを律するようになる。そんな禁忌がどのように成立してきたかについては民族学者や文化人類学者に任せるが、それが絶対だとは言い切れない。所詮、吉本隆明ではないが「共同幻想」に過ぎないからだ。こんなありふれた話を延々と読まされるほうにとって、「神」の存在でもなければ退屈で仕方がないだろう。
しかし、こんなことが、いま僕らの最大関心事でない。「神」などというものが例えば、現在の中東の状況を見たら一目瞭然だが、どれほど無力か明らかではないか。小説が今日のように思想に対して力を失ったのはこんなくそ私小説を書いてきたからだ。今となっては望むべくもないが、芸術家はもっと時代感覚に鋭敏でなければならない。

 

「せかちゅう」だとか「冬ソナ」だとかありもしない恋愛物語を望む気持ちは、一方で、いかに男と女の関係がそれとは正反対になっているかという現実を表している。「恋愛=ロマンティックーラブ」がたかだか二百年前の欧州の発明だったことを、しかも信仰=宗教が背景にあったことを思い出してほしい。
こう言う状況がでてきたのは「フェミニズム」を十分議論してこなかったせいだ。と言うより田島陽子らの狂信者がぶち壊しにしたのがまずかった。もう一度イヴァン・イリイチまで遡行すべきではないかと、僕は思っている。話があらぬ方へ行きそうだからここいらでやめよう。

 

鐘下の勘違いに丁寧につきあったせいで、ひどく疲れた。役者も疲れたことだろう。さぞかし水は冷たかったろう。真冬の公演でなくてよかった。それにしても、プールで、水で、水道で、水浸しだったのは何故だろう。まさかトシオが海軍の特攻だったからではないだろうな。円形の舞台の縁に線路をまいて、その上を玩具の機関車が走るのだが、何だか滑稽だった。鐘下辰男はむずかしい。

 

 

題名:

死の刺

観劇日:

05/6/17

劇場:

シアタートラム

主催:

演劇集団ガジラ

期間:

2005年6月17日〜7月3日

作:

島尾俊雄

翻案:

鐘下辰男

演出:

鐘下辰男

美術:

島 次郎

照明:

中川隆一

衣装:

小峰リリー

音楽・音響:

井上正弘

出演者:

高橋恵子 松本きょうじ 高田惠篤 石橋祐 小島尚樹

 

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2022年12月22日 (木)

劇評「アルトゥロ ・ウイの興隆」 (2005年6月)

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赤く染めた舌をだらりと下げて、息づかいも荒く地べたをかぎ回り、激しく体を震わせる。まるで猟犬が獲物を追いかけるように舞台を縦横に駆けずり、観客はこの見たこともない俳優の身体能力にしばらく圧倒される。これは犬である。何かに憑かれたような恐ろしい動物である。幕が開く前、舞台の両脇にはそれぞれ巨大な牛の頭をかぶった大きな男と蛇の頭の男が立っていて、異様な物語が始まるのを予感させていたが、それでもなおマルティン・ヴトケのこの犬は意表をつく開幕であった。日本の俳優の誰がこのような激しい形態模写をやれるだろうか?マルセ太郎の「猿」は他の追随を許さぬ傑作であった。ただ、あの猿には理性が感じられた。静かに動き回った。それに反してヴェトケの犬は野生そのものである。狂った獣である。それが延々と続く。その体力があるのには驚かされる。日本人とはまるで違うものを感じた。
 

この違いは、たぶん肉を食って生きているかどうかに関わっていると僕は思っている。
ブライアン・クラークの「請願」(2004年6月新国立劇場)は静かな老夫婦の話だったがビフテキ(あれは英国の話だからローストビーフか?)を食っていると違うものだと書いた記憶がある。ガンで余命いくばくもない妻と頑迷な元軍人が自我をむき出しに自分たちの過去を激しく議論する二人芝居だったが、僕らとしては老夫婦といえば小津映画の感覚だからどうしても驚きあるいは違和感しかなかった。
 つまりこの芝居の開幕からは僕らの文化とは違ったもの、ヨーロッパの何ものかを見せられるという強烈な印象を受けたのであった。
 これは、ヒトラーを戯画化した物語である。いうまでもなく小さな猟犬は独裁者のカリカチャーである。アルトゥロ・ウイ(マルティン・ヴトケ)はシカゴのけちなギャングで、ある時蔬菜市場を牛耳っている市長のドッグズバロー(シュテファン・リゼヴスキー)の不正を嗅ぎつけ、これを脅迫することから次第にのし上がっていくという話である。
 
F267_1 アルカポネの「アンタッチャブル」を思い出させるが、ブレヒトがこれを書いたのは1941年、亡命先のスエーデンだったというから大恐慌時代のシカゴの事件は知っていたに違いない。それにヒトラーを重ねたのはうまい発想であった。(同時にすこぶる危険であったろう。)
 けちなギャングとはいえ物語はなかなか複雑で重層的である。
 ウイは、不景気にあえぐ蔬菜協同組合のリーダーに助力を申し出るが、ドッグズバローの支援を当てにしている組合からは相手にされない。ドッグズバローが新しい埠頭を造るという口実で組合のために市から融資を引き出してくれ、その金で蔬菜産業はよみがえるというのである。組合の挑戦的な態度にあらがわないウイに対して、手下たちは不満である。側近のローマ(トーマス・アンツュエンホーファ)が水面下で工作することを勧めるが、強力な後ろ盾がない限り動くべきでないというのがウイの考えであった。
そうしているうちに、埠頭の建設など行われていないことがわかる。探りを入れると、ドッグズバローが融資話を私的な利益のために使っていることをつきとめた。ウイは、ドッグズバローに自分を警察から守ってもらうかわりに、融資の行方の追及から市長を守ってやると申し出るが、自分で何とかできると踏んだドッグズバローはそれを断る。しかし、すでに情報は飛び交い、新聞記者のダルフィート(ローマン・カミンスキー)も動き出していた。追いつめられたドッグズバローは、ついにウイと手を結ぶことにした。ウイは証人を殺害し、警察の捜査も中止を余儀なくされた。

 

ウイの人気は高まり、組合の連中も傘下に入るようになり、まるで民衆の代表のような立場に上り詰めるが、ウイにはそれにふさわしい態度や風体、振る舞いが備わっていない。とつ弁を直し、英雄的な態度を身に付けるために俳優が呼ばれ、シェイクスピア劇を稽古しながら次第に獣性をカバーしていく。組合はウイにしたがっているように見えたが、実は水面下で離反し始めていることを知ったローマがこれをウイに告げる。ウイはこれを利用してさらに組合との関係を深めようと盟友で側近だったローマを殺害(ウイがローマにキスをして、その直後に突然拳銃で撃って殺したには驚いた。)他の手下も手にかける。組合はこのやり方に恐怖を覚え、ウイを受け入れざるを得なくなっていく。
ウイは独裁的な力を手に入れるが、取り巻きも部下をも失い孤独にさいなまれ、悪夢にうなされる日々を迎える。
エピローグでは登場人物が一堂に会してそれぞれが一人の独裁者の誕生にどんな役割を果たしたか確認するようにして終幕を迎える。Autro

 

僕は、ブレヒトを見て面白いと思ったことは一度もなかった。俳優座が、とりわけ千田是也が熱心だった若い頃、地方周りでやってきたときから今に至ってもどこがいいものかと思ってきた。ところがこのブレヒトを見て驚いた。あの説教じみた、思わせぶりな物語とは打って違って、寓話的ではあるけれど恐ろしくリアリティのある芝居になっている。目の前にヒトラーがいたからだろうが、こんなのも書いていたとはしらなかった。
帰った夜のうちにこの頁に「ぜひ見て欲しい!」とはじめてやや興奮気味のメモを載せた次第である。
ただ、後でパンフレットを読むとこの芝居がこんなに興奮させたについてはたくさんの別の要因があったことを知った。
岩淵逹治(学習院大学名誉教授)氏がパンフレットに寄せたエセーに依拠して書くと、まず、この芝居をブレヒト自身は上演していないのだという。初演は彼が亡くなった後、1960年のことであった。岩淵氏はこれを見ている。そのために全く新しくなった今回の演出とどうしても比較して見てしまうのだそうだ。

 

プロローグの犬の場面は原作にはなかった。これは、演出家ハイナー・ミューラーのアイディアで、彼が1995年に初めてブレヒトをやるとき、ヴトケを起用することで可能になったという。ミューラーはこのためかどうかはわからないが、もともとのプロローグをカットして今度のエピローグに回してしまったのである。
ミューラーはタイトルも変えた。変えたというよりは、形容詞をとってしまった。「アウトォロ・ウイの止めど難くない興隆」が原題で、ブレヒトはヒトラーの興隆が止められないわけではなかったというドイツ国民に反省を促すフレーズを入れていた。95年の時点では、岩淵氏のいうようにミューラーもこれでは啓蒙的にすぎると考えたのだろう。
また、原作ではヒトラーを取り巻く実際の政治家たちと登場人物の対応関係がスライドで投影されて分かりやすかったが、ミューラーはそれをやめてしまったのだという。

 

F267_2 そういえばなぜか理由はわからないがこの芝居は字幕を出してくれなかった。解説のイヤホンを貸し出したが(長蛇の列に並んでも希望者全員に行き渡ったわけではない。何という不親切。)せりふの一部を翻訳しただけで実に不十分だった。
つまり登場人物それぞれに実在の政治家がモデルとしていたことが僕らにはあとでわかる。かなり史実に忠実で、ドイツ人なら誰をさして、歴史の何を示しているかすぐに理解できるようになっているというのだ。たとえば・・・ここは岩淵氏の文を引用したほうが早い。
「やや落ち目だったヒトラーが首相に任命されるや、国会放火事件で共産党を弾圧、財界や旧勢力と妥協するために過激な同士を粛正し、大統領の死後は総統となってナチスの一党独裁体制を固め、オーストリアへ無血侵入して合併するまでの事件」を描いており、それぞれ登場人物はヒトラー始め、ゲーリング、ゲッペルス、レーム、フォン・シュライヒャー(元首相)、ヒンデンブルグ、タルフィート(オーストリア首相)らに対応しているという。
ここまでわかっていたらもっと面白く見られたかもしれない。

 

何日かたって、アフタートークに出かけた。俳優はヴトケだけで他の二人が何ものかは遅れて入ったためにわからない。ドイツ人は皆饒舌だった。質問の時間が来て何人か立ったあと一人の老人が指名された。
彼はいくつか理解できないところがあったという。
舞台中央奥に高い台が有り、その下にエンジンのような機械がおいてあるが回転する羽が動いていないのは何故か?その台の上に真っ赤に塗られた木枠がおりてくるのは、その場所が市庁舎のつもりなのではないか?(確かにこの毒々しい赤は気になるところだった。)
また、ギャングの情婦(マルガリータ・ブロイヒ)がなぜ突然ヴェルディのアリアをアテレコで歌うのか?その情婦がギャングに夫を殺されたといううそ芝居をするとき、親衛隊の制服制帽の男が現れ、着ているものを脱ぎ出してお終いに全裸になってしまうのは何故か?
と、聞いているうちになんか覚えのある内容だと気がついた。

 

司会者は質問が長いので、通訳がもはや翻訳をあきらめていることを見て取って、割って入った。「専門的な質問で恐れ入りました。差し支えなければお名前を。」というと老人は「岩淵です。」と答えた。
岩淵さんは自分がパンフレットに書いた疑問をここで直接ドイツ人に確かめようとしたのである。これにはびっくりした。通訳する人間はあきれ顔だが憤慨しているようにも見える。ドイツ人がけげんそうな顔をするのに、通訳氏は相手にしなくていいのだといわんばかりで、この岩淵さんの質問は宙に浮く形になった。僕もこの全裸の必然性には疑問は感じていたからぜひ通訳してもらいたかった。この場面よりももっと前に登場人物全員が舞台に並んだとき若いシート夫人(ソニア・グリュンツィヒ)が着ていたミンクのコートをわざとらしくはだけると、そこには何も身に付けていない均整のとれた女体が現れた。必然性という点で、質問したくなるのは女優自身ではなかったかと今でも僕は思っている。

 

これにはいくつか答えが考えられる。裸に関してそれほど羞恥心がない。単なるサービス精神。感性、つまり理由はないが気分の問題。僕らが気付かない深遠なる哲理が存在する。肉を食っている人たちの感性はわからない。
岩淵さんの企ては残念なことに、司会者と通訳の陰謀によってうやむやにされてしまった。ドイツ人スタッフのためにも実に惜しいことをした。初演のころの舞台を見ている人なんて今や貴重品に違いない。芝居ははねて、新国立劇場の場所は空いているのだから、僕としては時間を限らずぜひこの議論を聞いていたかった。

 

それにしても、この芝居はヴトケのものである。開幕の犬といい、途中何度も挿入されるナチのハーケンクロイツを思わせる独特のパフォーマンス、その身体能力、何を考えているかわからない不気味な独裁者の雰囲気、いずれをとってもウイを演じるに最もふさわしい俳優といっていい。彼の初演から10年、40歳を超えて「しんどく」なったといっていたが、これを見る機会を得たのは幸せだった。
ヒトラーについてどう思うかという質問について、遠い過去の人物で自分との直接的な関係は感じられないといっている。
戦後60年経って、日本でも同じことが言えると思うがあの戦争は今「同時代史」であることをやめて、大急ぎで「歴史」になりつつある。それはあらがいがたいことである。
ハイナー・ミューラー演出が史実にこだわらずブレヒトを感性でとらえ直して、このような形で作り出したことを肯定的にとらえたいと僕は思っている。

 

 

タイトル アルトゥロ・ウイの興隆
観劇日 2005/6/22
劇場 新国立劇場
主催 新国立劇場
期間 2005年6月22日~6月30日
作 ベルトルト・ブレヒト
原作/翻訳
演出 ハイナー・ミューラー
美術 ハンス・シュリーカー
照明 マリオ・ジーガー
衣装 ハンス・シュリーカー
音楽 マリオジーガー
出演 "マルティン・ヴトケ トーマス・アンテュエンホーファー
マンフレッド・カルゲ フィクトール・ダイス
シュテファン・リゼヴスキー ミヒャエル・グヴィスディック マルガリータ・ブロイヒ
ローマンカミンスキー クラウス・ヘッケ
ファイト・シューベルト ミヒャエル・ロットマン
ペータードナート トーマス・ヴェンドリッヒアクセル・ヴェルナー 他"

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