中村隆一郎 料亭取材コピー集 第?弾ー(食い物屋を紹介する文章について)
グルメブームは四十年前に始まった
今から四十年ほど前のこと、地図出版の昭文社が東京のうまい店を紹介する本を出した。「神田界隈」とか「有楽町・新橋界隈」「新宿・四谷」「銀座・日比谷」その他東京の主立った街ごとに分けてある。地図の会社らしく紹介文は短いが正確な場所を示して、行ってみたいものには実に便利だった。文庫本より一回り大きい判で、持ち歩くのにも手頃だったから折からのブームに乗って、ずいぶん売れた。
バブル最盛期に入る頃で、それまでグルメなど縁もゆかりもなかったものたちが、この案内本を手に、うまい店めぐりをはじめる時代だった。
我が国のグルメブームはこの頃から始まっているが、TVカメラがうまい店の厨房まで押しかけるようにはまだなっていない。新聞のテレビ欄を見たら分かるはずだが、今ほどのグルメ番組は見当たらない。
「料理の鉄人」はそのおよそ十年後、「ミシュランガイド」が輸入されるのも「鉄人・・・」から約十年後のことである。
もう一冊書き添えておくべきなのは、同じ頃、出版された文芸春秋社の「東京いい店うまい店」である。こちらは紹介文に「いい店」と「うまい店」の理由を書こうと努力の跡が見られ、場所の方は筆書きのような簡略地図で昭文社のとは対称的だった。いずれにしても、大衆のニーズを敏感に感じ取った出版界が魁となって、始まったことだった。
この頃の勤め先が四谷だったので、昼になるとひとりで周辺の食い物屋を探して歩いた。四谷は一丁目から四丁目まで、麹町、二番町、三栄町、坂町、荒木町など小一時間かけても昼食のために費やした。ひたすら趣味のためで、後後食い物屋の取材原稿を書くとは思いもやらなかった。
一方で、我が国のグルメブームは徐々に定着していき、今日ではバカバカしいほど過剰な取り上げられ方になったのであった。
近頃では、観光の外国人たちが日本の食に魅了されたと言って、それを目当てにやってくるようになったが、昭文社がうまい店案内本を出している頃、外国人は日本のグルメなど見向きもしていなかった。
個人的な体験で恐縮だが、あの頃、フランス在住のイギリス人ファッションデザイナー、ザザ・サンデフォードが言っていたことだ。彼女は、世界の主立だった国の百貨店に自分のブランドを出店していて、文字通り世界を股にかけて活躍する若きキャリアウーマンであった。その彼女が言うには「世界で最もうまいもの、うまい店が揃っているのは香港である。」(そのくせ、納豆が大好きというお姉さんでもあった。)と言うことだった。世界中を飛び回っている人の言うことだから、間違いはなかろうと思ったが、どこか違和感があった。その頃は、欧州から日本はあまりに遠く、来てみたいという欲求もそれほどなかっただろうし、今みたいに日本食の人気が一般的な時代ではなかった。だけど、心の奥底で「なにを言う。日本の食の真髄を知らないからそんな認識なのだ。」とも思ったものだ。
それが、何十年も経って、香港は無理矢理中国にさせられ、さびれる一方なのに、今では日本の食文化を求めて外国人がわんさかやってくるようになったのである。
そうして、以前にも書いたが、「料理の鉄人」の前後の頃、僕は、日本料理店と関東の寿司店を巡って取材広告を作る仕事にコピーライターとして参加した。
書くにあたって料理についての基本的なことを学んでおく必要を感じ、神田の古書店で関連する書籍を数十冊手に入れた。料理人とは何ものかについてはインタビューで理解出来るとして、書くべきことのフォーマットを決めた。
そして、この間、東京はじめ関東一円、大阪、京都、沖縄まで遠征して各地で一流と言われる料理店を取材してまわったのである。
これから紹介するのは、その一部だが、すでに何回かに分けて、掲載していて、これが何度目なのかはよく分からない。
一気に行かないのは、およそ二百もあるものだから作業も大変だが、読む方だって連続して読まされるのは迷惑かもしれない。なにしろ、古いもので、自分の書いたものをゲラ刷りでもとっておけばよかったが、まったく手元に残っていなかった。それで掲載誌を探したら、今住んで居る所から電車とバスを乗り継いでいった所の図書館にあったので、これをコピーしてきたのだが、やっているうちに疲れ果てて途中で投げ出してしまった。後日再開しようとしたが、気力が続かないことに気が付いてしまって未だに全部は完成していない。自分の生きた証だが、この際、全部でなくてもいいかと思い始めている・・・。
文芸春秋社の「東京いい店うまい店」の文章批判
ところで、日本料理店の紹介コピーを掲載する前に、この間書いた「ミシュラン・・・・・・」の中で取り上げた、文藝春秋の『東京いい店うまい店』(「お箸編」2009~2010年版)にある 「赤坂璃宮」の紹介文(入手できるのはこれだけだった。いつか一冊手に入ったら他の店の分にも言及しようと思う。)についてコメントしたことが、どうも言い足りていないと感じていたので、この際、徹底的に論じておこうと思う。このような衒学的とも言うべき文章を公然と掲げる文藝春秋という出版社には、文章の校正員も、頭のまともな編集者もいないと言うことではないか、と思えるほどである。
まず、その紹介文から。
「赤坂璃宮 銀座店(広東料理)ー『東京いい店うまい店』(「お箸編」2009~2010年版)
中国料理の最高の美味は淸淡にあるとは、昔から様々な文献で言い尽くされている。ただし、うまさの芯は強く、輪郭が涼しくなくてはならぬとか。それをもって本物の洗練とするならば、譚彦彬氏の料理こそまさにそれ。何の汚れもない澄み切った味を供することにかけて、並ぶものがない。それが銀座らしい色合いの交詢ビル五階、モダンで格式のある設えで展開されている。 広東料理の真髄である『合鴨の窯焼き』『窯焼きチャーシュー』『地鶏の醤油漬け』『皮付き豚バラ肉の焼き物』の『焼き物四種盛り合わせ』で肉のうま味と食感を味わいつくし、『赤ハタの蒸し物絹傘茸のせ』などは新しい銀座の醍醐味だ。頂湯のグレードはまさにベストワン。まるで精密機械のような精緻な組み立ての味覚を楽しむ快楽がここにある。」
何を気取ってやがる、理屈を捏ねて褒めるにもほどがあろうと言う文章ではないか。
構造としては、古来、中国料理の最高の美味は「淸淡」にあると言われてきたが、この料理人のつくる料理こそそれであると筆者が判定すると言うことになる。実に偉そうだ。
「淸淡」とは、「何の汚れもない澄み切った味」で「うまさの芯は強く、輪郭が涼しい」ことを意味するらしい。その料理を供する」のが、譚彦彬氏であり、並ぶものがないのがこの店である、といっているが、『淸淡』というからにはあの油こい、香辛料のきいた濃厚な味の中華料理とはたぶん正反対の味か?と言うことぐらいは想像できても、こういう概念言葉では読者には具体的な料理も味も想像することができない。
(僕自身の経験からいって)実務的なことを言うと、このように書いた筆者が、他の店を訪ねたとき、どう言われるか心配である。赤坂璃宮と譚彦彬は中国料理の理想だとすれば、他はどうなのか? これでは他の名店の料理人は、ふざけるな!と言いたくなるだろう。しかも、この記述は、たかが文春の一冊といえども、他に言及している本もないから馬鹿なAIが「赤坂璃宮」と「譚彦彬氏」と『淸淡』をセットで広範囲に流布している。阿呆な!としか言いようがない。
そもそも、筆者のいう中国料理の最高の美味は『淸淡』だという常識が、「いいつくされている」ほど世間に行き渡っているのかと言えば、相当に怪しい。なぜなら、普通の人々の感覚では、脂濃く味の濃いというのが中国料理のイメージだからだ。
実は、そうした一般的な傾向に異を唱えたのが、昔の文人やお金持ちの食通たちで、自分たちの味の理想を工夫し、レシピを料理人に伝え、共鳴した料理人が自分たちの技でそれを実現しようとしたと言うことだった。例えば『随園食単」袁枚著(1792年)、『閑情偶寄」李漁著(1671年)、『食憲鴻秘」朱彝尊著(清代初期)などに共通するのが『淸淡』と言う概念だったといえるが、せめてこういう説明がなければ読者はおいて行かれるだけだ。
『随園食単」と言うレシピ本は岩波文庫でも手に入るから「何の汚れもない澄み切った味」とか「うまさの芯は強く、輪郭が涼しい」とかの雲を掴むような言葉の手がかりをさぐる文献として示しておくべきだった。
従って、この部分の僕の添削を以下に示しておく。
「赤坂璃宮」銀座店 の紹介文添削!
まず冒頭の部分から。
「清代に書かれた料理書『随園食単』(岩波文庫)などによって中国料理の最高の美味は『淸淡』とされている。これは、深いコクがありながら澄み切った味という意味で、この店の料理人である譚彦彬氏もこれに同意しこれを追求するという。」
次のフレーズ「それが銀座らしい色合いの交詢ビル五階、モダンで格式のある設えで展開されている。」は、「銀座交詢ビル」がことさらのように強調されているが、「銀座らしい色合い」の意味が分からない。
実は、この交詢ビルは最近建て替えられたが、もともとは明治時代に福沢諭吉によって提唱された我が邦初の社交クラブ交詢社の建物である。このため慶応大学OB の倶楽部があることで有名で、大正の震災の後、建て替えられたそのモダンなファサードの一部を記念碑的に現在のビル正面に移築している。それほどに銀座の象徴的な建物であった。これが『銀座らしい色合いの』では何も分からないし、わざわざ場所に言及した意味がない。
これも次のように添削しておこう。
「お店は、最近改築された、銀座でも歴史ある交詢社ビルの中にあって、訪ねるのに迷うこともない。」
次の「広東料理の真髄である・・・・・・『焼き物四種盛り合わせ』で肉のうま味と食感をあじわいつくし」とあるのは、せっかく、具体的な料理をとりあげていながら、その味に『淸淡』のコンセプトがどのように実現されているかに言及がないのは不満である。読者は肉料理と「淸淡」の関係に関心があるに違いない。
僕にとっては、食してないからこれを添削するのは、むずかしいが、あえてするなら、こうなるだろうか。
「『焼き物四種盛り合わせ』は、抽出された食材の特徴ある濃厚なうま味を味わうとともにれぞれの肉質、歯ごたえを楽しむことができる。」
次の、「新しい銀座の醍醐味」とは、思わず『ぷっ!』と吹き出してしまうほどのまったくの意味不明。筆が滑ったとしかいいようがない。
添削するとしたら。
「『赤ハタの蒸し物絹傘茸のせ』などはお店オリジナルの新しい中華の味覚と言ってよい。」くらいか。
そして、「頂湯のグレードはまさにベストワン。」だが、これには少し説明がいるだろう。頂湯がなにかを知っている人が、そう多いとは思えないからだ。
頂湯は、鶏肉や豚肉を長時間煮込んで上澄みをすくった清んだスープのことで、 そのまま料理として供されることは少なく。他の料理の味の下地になる材料である。
その典型的なレシピは次の通りである。
豚肉の赤身9500グラム、骨なしの老鶏4000グラム、生ハム(金華ハムのような中華風生ハム)1500グラム、生姜100グラムと料理酒を水21キログラムの中に入れて煮込む。
材料は下茹での前処理が必要であり、老鶏はぶつ切りに、赤身肉は角切りにした後、沸騰した湯に入れてアクを取り除き、この最初のスープは二番だしとして取っておく。処理済みの主材料とハム、生姜の塊をステンレス鍋に入れ、水を加えて強火で4時間煮込む。煮込み終わった後、二重のさらし布で不純物を濾過する。
材料を揃えるのにお金がかかりそうだとはいえ、しかし、名のある中国料理店ならどこでもやっていることだろう。
日本料理では、「この店の出汁のグレードは・・・」と言っているようなもので、この基本のスープにグレードなどあるのだろうかという疑問がわく。それなのに、「頂湯のグレードはまさにベストワン」というからには、どういう点がベストワンなのか説明がなければ、この文章はただの装飾に過ぎない。
これなら、他の名店から「頂湯がいいの悪いのと比べるのはおかしい」とクレームが来るかも知れない。こんなのはよけいな一言である。
これは添削のしようが無いから『添削』の『削』のみとしよう。
最後の「まるで精密機械のような精緻な組み立ての味覚」だが、これは味のことをいっているようにも思えるが、それならどんな味の「組み立て」なのか解釈のしようが無い。
この「組み立て」は、あるいは献立のことを言っているのか。
「献立が精密機械」とはどういうことか。西洋料理の献立は前菜からスープ、魚料理に肉料理、デザートなどと決まりがありそうだが、これを機械的に進行すると言えるかも知れない。もしも中国料理にもそういう決まりがあって、銀座『赤坂璃宮』ではその決まりに沿って料理が供されるとでも言うのだろうか。客が食いたいものを注文したら精緻に組み立てられた機械が壊れるとでも言うのだろうか。
もし、これが献立のことなら、以下のように、添削しよう。
「よく考え抜かれた献立と吟味された料理を味わうことで感じるのは。中国料理の最高の美味のひとつに出会えたと言う満たされた思いである。」
以上をまとめると、
銀座『赤坂璃宮』
「清代に書かれた料理書『随園食単』(岩波文庫)などによって中国料理の最高の美味は『淸淡』とされている。これは、深いコクがありながら澄み切った味という意味で、この店の料理人である譚彦彬氏もこれに同意しこれを追求するという。 お店は、最近改築された、銀座でも歴史ある交詢社ビルの中にあって、訪ねるのに迷うこともない。広東料理の真髄である『合鴨の窯焼き』『窯焼きチャーシュー』『地鶏の醤油漬け』『皮付き豚バラ肉の焼き物』の『焼き物四種盛り合わせ』は、抽出された食材の特徴ある濃厚なうま味を味わうとともにれぞれの肉質、歯ごたえを楽しむことができる。また、『赤ハタの蒸し物絹傘茸のせ』などはお店オリジナルの新しい中華の味覚と言ってよい。よく考え抜かれた献立と吟味された料理を味わうことで感じるのは。中国料理の最高の美味のひとつに出会えたと言う満たされた思いである。」
ということになる。
この添削がうまくいったかどうかは、読者に委ねるが、丸谷才一先生亡き後、指摘するものもいないからおかしいと思ったら取り上げて見ようと思う。
『東京いい店うまい店』2015-2016年版
ところで『東京いい店うまい店』の文章は、手に入ったのが上記の(「お箸編」2009~2010年版)のものだけだったので、他の店の紹介文章も取り上げないと不味いかと思い、『東京いい店うまい店』の新しい判を図書館で調達した。それを見ると、「赤坂璃宮」銀座店は、2015-2016年版でも取り上げられていた。ついでだからどのように変化したか確認のために、それをここで取り上げよう。
赤坂璃宮 銀座店(『東京いい店うまい店』(2015-2016年版)
中国の古典「紅楼夢」によれば、料理の最高の美味は清談にあり、しかも旨さの芯が強いこと。それならば現代の銀座、まるでニューヨークのような交詢ビル5階、モダンで格式ある店で展開されている譚彦彬総料理長の料理こそそれだろう。
雑味を徹底的に排し、濁りのない澄み切った味を供することにかけて香港でも並ぶ店がなく、まさに日本一の中華料理店の名に恥じない。
それを支えるのは黄金色に輝く頂湯を初めとするスープのグレードで、それをすべての料理に使って素材の個性と食感を引き出そうとする。
「蟹肉入り特上ふかひれの上湯スープ仕立て」は一人前1万円を超す値段だが、もとは味がないフカヒレが上湯と合わさることで、深くやさしく、そして正しい旨味が立ち現れる。
広東料理最高の凝縮感だろう。しかし決して高価な店ではない。
考え方によっては、味のグレードを張り合う福臨門魚翅海鮮酒家の半額だとも言える。
夜のコースは高級乾貨を使った5万円のものまであるが、一番安い1万円でも、焼き物前菜盛り合わせ、ホタテと野菜の紅麴炒め、すりつぶし冬瓜と蟹肉入りふかひれスープ、豚肉のそぼろ炒めレタス包み、毛がニのせ香港風茶碗蒸し、小エビのチリソース煮、海鮮とコーンのチャーハン、本日のデザートという内容。 これで入念な下拵えと的確な料理法の密度濃い譚料理を満喫でき、マネージャーを筆頭にスタッフの高品質なサービスを受けられるのだからリーズナブルだ。供される茶もいいし、ワインや紹興酒もごっそり揃っている。
文章の量は、大幅に増えているし、内容も理屈っぽくなく分かりやすくなったという印象だ。ところが、所々何のことか分からない記述があり、読者を茫然とさせる。しかも、一万円だの五万円だの安いの高いのと取り上げる話題に恐ろしく品がないのはどうしたことか。これは前のと同じ書き手の手ではないのだろうと思うが、前の反省が効きすぎてはいないか?
よけいなことかもしれないが、これも添削しておこう。
最初のパラグラフー
「中国の古典「紅楼夢」によれば、料理の最高の美味は清談にあり、しかも旨さの芯が強いこと。それならば現代の銀座、まるでニューヨークのような交詢ビル5階、モダンで格式ある店で展開されている譚彦彬総料理長の料理こそそれだろう。」
前の僕の添削通り、中国の古典の具体名を出して根拠を明確にした所は評価できる。
次の「まるでニューヨークのような交詢ビル」とはなんだ。こういうでたらめを許している文藝春秋社とは何だといいたい!
このパラグラフ全体を添削すると、
「中国の古典「紅楼夢」によれば、料理の最高の美味は清談にあるという。これは、深いコクがありながら澄み切った味と言う意味で、この理想を実現しようとしているのがこの店の総料理長譚彦彬氏である。お店は銀座交詢ビル五階にあって、モダンで格式ある設えで本格中華を味わうことができる」
次の「 雑味を徹底的に排し、濁りのない澄み切った味を供することにかけて香港でも並ぶ店がなく、まさに日本一の中華料理店の名に恥じない。」
であるが、突如として「香港」が登場し、それと比較しても勝っているから日本一だといいたいらしい。しかし、読者は香港の中華料理店事情も知らなければ、なぜ香港と比べるのかも理解出来ない。しかも「香港でも並ぶ店がない」ことがなぜ日本一になるのか、日本の他の店と比べてみたことはあるのか。こういう非論理性は読者の頭を混乱させるだけだ。
このパラグラフ全体を添削すると、
「淸淡、つまり、雑味を徹底的に排し、濁りのない澄み切った味を追求するという点で、世界でも香港には同様のコンセプトの店が多く、それにもひけをとらない高いレベルにあると言える。」
次のパラグラフ、
「それを支えるのは黄金色に輝く頂湯を初めとするスープのグレードで、それをすべての料理に使って素材の個性と食感を引き出そうとする」。
「それを支える」の「それ」とは何か?一応「淸淡」の実現と言うことだと理解するしかないだろう。これをどの料理にも使うと言うことは、日本料理における「出汁」と思えばいいのか。「頂湯」の作り方は前に示したとおりで、煮込んだ材料から出るアクや雑味を徹底的に取り除く以外にどんな技術があるのか。店や料理人によって「それほど」の違いがあると主張するならその根拠を示さねばならない。すべての基本になる出汁(その上に料理の味が重なっていく)を幾ら褒めても所詮は出汁に過ぎないことを知るべきだ。
このパラグラフを添削すると、
「中国料理の理想を実現するには「頂湯」はじめ、すべての料理の基本となるスープの品質が高くなければならない。それによって素材の個性や食感がよりいっそう引き立つからだ。」
次のパラグラフ。
「蟹肉入り特上ふかひれの上湯スープ仕立て」は一人前1万円を超す値段だが、もとは味がないフカヒレが上湯と合わさることで、深くやさしく、そして正しい旨味が立ち現れる。広東料理最高の凝縮感だろう。しかし決して高価な店ではない。
考え方によっては、味のグレードを張り合う福臨門魚翅海鮮酒家の半額だとも言える。」
これはおそらく「上湯スープ」を強調したかったのだろうが、書き手が「いくら何でも1万円は高かろう」と驚いている様が浮かんで、それは「とりあえず関係ないではないか、今は料理のことをいうべきだ」とは思わなかったらしい。「もとは味がないフカヒレ」なんてものが・・・・・・1万円なんて。という声が聞こえてきそうだ。
しかし、食い物のことを書く人間が「味がない」などと言ってはいけない。干しなまこを戻したものに味はあるか?牛肉を焼いただけのものに味があるか?刺身に味があるか?ほうれん草のお浸しに味はあるか?つまり、たしかに調味料を使わなければ味は生まれないものだ。そう思える。
ところが、フカヒレに味はないかと言えば、もともと魚の軟骨コラーゲンであり、口中に触れる感触やゼリー質の繊維ののど越しの快感などフカヒレ特有の味わいがもともと備わっていることを、この書き手は、知ろうともしない。中華ではないが、刺身にしても、なにもつけずに食べても魚の名をあてることだって出来る。つまり、素材に味がないとは、味に鈍感なものが言う言葉である。
次ぎの、
「上湯と合わさることで、深くやさしく、そして正しい旨味が立ち現れる。広東料理最高の凝縮感だろう。」
味がないフカヒレと上湯があわされると旨味が立ち現れる、とは素材と調味料の関係と言えるからいいとして「凝縮感」とは何か?しかも広東料理最高というのは、何がどう凝縮しているのか理解不能である。
続く、
「しかし決して高価な店ではない。
考え方によっては、味のグレードを張り合う福臨門魚翅海鮮酒家の半額だとも言える。」
ここでは、
「蟹肉入り特上ふかひれの上湯スープ仕立て」が、1万円だからといって、全体として普通の人が行けない店ではないことを言い分けのように言いたいらしい。それはいいが、「考え方によっては、福臨門魚翅海鮮酒家の半額だ」というこの突然現れた「福臨門魚翅海鮮酒家」が理解不能である。
「考え方」というのは「赤坂璃宮」銀座店より遥かに高い店もあるではないかと言う考えであろう。しかし、比べる福臨門魚翅海鮮酒家」とは何処にあるどれだけ高い店なのか?何の説明もない。
仕方ないから僕が調べてみたら香港にある名店だということらしい。どれほど高いかは知らないが、「フカヒレの姿煮」は一人前2万円くらいはするのだろう。
ここまでのパラグラフを添削すると、
「蟹肉入り特上ふかひれの上湯スープ仕立て」(一人前1万円)は、この店のもっとも高価なメニューのひとつだが、時間をかけて丁寧に戻したフカヒレに品格ある上湯をベースにした濃厚な蟹アンをかけてあり、その舌触りとのどごしはフカヒレと言う素材の凝縮した旨味を感じさせるに十分である。
メニューは豊富で、夜は、高級食材を使った5万円のコースもあるが、もっともポピュラーな1万円のコースは、焼き物前菜盛り合わせ、ホタテと野菜の紅麴炒め、すりつぶし冬瓜と蟹肉入りふかひれスープ、豚肉のそぼろ炒めレタス包み、毛がニのせ香港風茶碗蒸し、小エビのチリソース煮、海鮮とコーンのチャーハン、本日のデザートという内容で、十分すぎるくらい「淸淡」を掲げる中国料理の真髄を味わうことができる。」
最後のパラグラフ、
「これで入念な下拵えと的確な料理法の密度濃い譚料理を満喫でき、マネージャーを筆頭にスタッフの高品質なサービスを受けられるのだからリーズナブルだ。供される茶もいいし、ワインや紹興酒もごっそり揃っている。」
「一万円のコースで十分だといいたいらしいが、それではなぜわざわざお高い「蟹肉入り特上ふかひれの上湯スープ仕立て」(一人前1万円)をとりあげたのか?上湯スープのことを言いたいのなら「冬瓜と蟹肉入りふかひれスープ」の方が合理的ではないのか?
まあ、それはよしとしよう。
「マネージャーを筆頭にスタッフの高品質なサービス」は、マネージャーが何か特別な意味を持つのかと誤解してしまう。そのあと、急に「茶」とか「ワインや紹興酒もごっそり揃っている」とか急に言い方が伝法になるのは不思議だ。
このパラグラフの添削は、
「スタッフのサービスも行き届いており、供される高品質の中国茶、ワインや紹興酒の品揃えにも手抜かりはない。
と言うことで、これらをまとめておくと、次の通りである。
赤坂璃宮 銀座店(東京いい店うまい店』(2015-2016年版)添削版
「中国の古典「紅楼夢」によれば、料理の最高の美味は清談にあるという。これは、深いコクがありながら澄み切った味と言う意味で、この理想を実現しようとしているのがこの店の総料理長譚彦彬氏である。お店は銀座交詢ビル五階にあって、モダンで格式ある設えで本格中華を味わうことができる。淸淡、つまり、雑味を徹底的に排し、濁りのない澄み切った味を追求するという点で、世界でも香港には同様のコンセプトの店が多く、それにもひけをとらない高いレベルにあると言える。中国料理の理想を実現するには「頂湯」はじめ、すべての料理の基本となるスープの品質が高くなければならない。それによって素材の個性や食感がよりいっそう引き立つからだ。「蟹肉入り特上ふかひれの上湯スープ仕立て」(一人前1万円)は、この店のもっとも高価なメニューのひとつだが、時間をかけて丁寧に戻したフカヒレに品格ある上湯をベースにした蟹アンをかけてあり、その舌触りとのどごしはフカヒレと言う素材の凝縮した旨味を感じさせるに十分である。
メニューは豊富で、夜は、高級食材を使った5万円のコースもあるが、もっともポピュラーな1万円のコースは、焼き物前菜盛り合わせ、ホタテと野菜の紅麴炒め、すりつぶし冬瓜と蟹肉入りふかひれスープ、豚肉のそぼろ炒めレタス包み、毛がニのせ香港風茶碗蒸し、小エビのチリソース煮、海鮮とコーンのチャーハン、本日のデザートという内容で、十分すぎるくらい「淸淡」を掲げる中国料理の真髄を味わうことができる。スタッフのサービスも行き届いており、供される高品質の中国茶、ワインや紹興酒の品揃えにも手抜かりはない。」
こういうことになる。
この『東京いい店うまい店』2015-2016年版の全体が、添削しないではいられない出来かと思って、『赤坂璃宮』銀座店の次のページをのぞいてみた。
次にそれを紹介しよう。
麻布長江 香福筵[四川料理]
四川料理と聞くと、麻辣味を想像する人は少なくない。しかし、それは和食=あっさり、と同じくらい大雑把な捉え方だ。四川ダックこと樟茶鴨(ジャンチャーヤー)、五目おこげやいんげんの炒めなど、うまみと香ばしさを備えた料理も四川の味覚。この店では、赤く、辛い刺激だけではない、四川の技法で作られる多彩な中華が、高いレベルで味わえる。
スペシャリテはふかひれの姿煮。
四川式に白湯(パイタン)を使い、ねっとりと艶やかに仕上げた一皿は、広東系や上海系の店では味わえない濃厚で芳醇な味わい。ディナーコースにはすべてふかひれが入るが、9500円以上の尾びれの姿煮入りなら、その味わいを余すところなく満喫できる。
さらに誰もが知っている定番中華も違いが冴える。いわゆるエビチリはフレッシュトマトと卵を使い、もち米と麴でつくる自家製の四川調味料・酒醸(チューニャン)で独特の甘みとコクを出すスタイル。おこげは店で乾燥させた手づくりで、口に含めば出来合いとはひと味違った、軽やかな弾け方だ。一方、香料で煮た牛の内臓を麻辣味で調味した夫婦肺片や、たっぷりと辣油が浮いた水煮牛肉など、硬派な四川料理も間違いない。
オーナーシェフの田村亮介氏は、折に触れては中国に学び、また現地から四川料理の専門誌を毎月取り寄せては目を通すなど、人一倍勉強熱心。中国大使館のスタッフが訪れるというのも頷ける。中華マニアをうならせる味、万人に受ける味。その両方を作り出せるのが田村氏の凄さである。
僕はこれを読んでびっくりした。
四川料理の特徴や専門用語の解説も十分であり、店の活気が伝わってくる紹介文としては適切なものになっている。文句のつけようがない。『赤坂璃宮』銀座店のレベルとは段違いである。これで分かったことは、どうやら店によって書き手は違うようで、この本全体が「ひどい」とはいえないようだ。
『赤坂璃宮』銀座店の書き手は、これ以上の店はないという絶賛振りだったが、念のため入手した「ミシュラン2025」には影も形もなかった。(続く)


















最近のコメント