カテゴリー「日記・コラム・つぶやき」の47件の記事

2022年4月14日 (木)

伊川東吾さんからのメール

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先日、伊川東吾さんから劇評「父と暮らせば」を読んだというメールをいただいた。
劇評を誰が書いたのか調べているうちに、僕が笹塚在住と知って、懐かしさのあまりメールしたというのである。このブログのプロフィール欄には郵便番号を載せているからそれでわかったのだろう。
伊川さんは笹塚で生まれ育ったという。
もちろん面識はない。
僕は、1990年ごろから2012年まで、約二十年間笹塚に住んでいた。初めは三丁目、次に笹小近くの二丁目、最も長く暮らしたのは、甲州街道を挟んで反対側、駅に近い一丁目だ。この街で二人の子供を育てた。伊川さんは何歳まで笹塚に暮らしたのだろう。僕たち家族は、笹塚の家が手狭になったのと、僕の病気(心不全)をきっかけに今は京王線の延長にある川崎市多摩区に引っ越した。二人の子供は言うまでもなく笹小、笹中を卒業した。大学に入学するまで笹塚で暮らしたから彼らの生まれ故郷は正真正銘笹塚である。
メールには「僕はもともと黒テントのメンバだったので」とあったからプロフィールがわかるかもしれないと検索してみて、なんと、今は英国を拠点にIchizaという劇団を主宰し、俳優、演出家として活躍している人だとわかった。「ラストサムライ」や「スターウォーズ最後のジュダイ」などハリウッド映画にも多数出演していて、知る人ぞ知る有名俳優であった。
「・・・なんで18年前の劇評を拝見したかというと2007年にロンドンで英語に翻訳された The Face of Jizo を上演しましたが、再び飜訳をし直して(題名も変えます)上演しようと準備を進めているところなのです。この次上演するときはロンドンだけでなく英国中を巡演したいと思っています。……できればテントでまわりたいなあと思っているのですが…(笑)」とあって、2007年のロンドン公演の時のパンフレットがPDFで添えられていた。
僕より二歳年長だとわかったが、まだバリバリの現役で、英国中を演劇ツアーする予定というからすごいことだと思う。是非成功させてほしい。英国は、昔ロンドンに行ったことがあったきりで、長年スコットランドの方へいってみたいと思って妻にもしきりに誘われていたが、透析をする身では、かなわなくなった。
このブログを訪問する人にIchiza版「父と暮らせば」の英国ツアーがあることをお知らせし、その成功を祈って、送っていただいた2007年当時のパンフレットを掲載しようと思います。

 

この文を掲載することを連絡したら、快諾してくれた。
その返信にはこうありました。
「ところで、ichiza はもう存在しません。公演に係わった人のうち、4人が次々と亡くなられました。井上ひさし、深町純(作曲)楠原映二(竹造役)賀古ますみ(演出助手)理事のひとりだった扇田昭彦氏を加えると5人の方がもうこの世には居られません。ぼくが忙しかったこともあって劇団を続けることができなくなりました。掲載していただけるときは《幻の ichiza》とでもしておいてください。」CoverCastThe-play-chose-us_20220414210501
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2022年2月 8日 (火)

この日曜日(6日)に退院してきた。

この日曜日(6日)に退院してきた。また3月には、修理中の心臓工事のために入院しなければならない。腎臓くんは、心臓工事のために犠牲になったが、過酷な造影剤の攻撃にもかかわらずどっこい今でも多少は機能しているらしい。それにしても造影剤と言うのはどうにかならないものなのか。使った後の数値は明らかに1ポイントばかり下がっていた。もう一度やるから、その時は僕の腎臓くんが最後の力を振り絞って、よく耐えてくれることを願うばかりである。自分に所属しているものなのに自分の意思が通じないというのは理不尽ではないか。しかし、それもまたC'est la vie.こんなことをやってるより、あっさり死んだ方がマシだと思うが、医者は、決してそうはさせないとばかり、放置は苦しむだけだと脅してくる。苦しいのは嫌だし、家族が悲しむのも嫌だからなるようになれと、いまは開き直っている。
片手が使えないと本を読むのは厄介だ。そんなこんなで、初めて外でMacを使いたいと思った。一つは音楽を、モーツアルトとショパン、シャンソンにミュージカル、それに演歌を聞くためだ。もう一つはWifiと繋いでやりたいことをやる。スマホでもいいが、画面が小さくて見づらい。iPadは、前回入院した別の病院の病室に備えてあったのでいじったことがあったが、こっちはデカすぎて扱いづらく存在感ありすぎ。そこで、ちょうど良さそうだったiPad miniというのを手に入れて使い始めている。自分がMacに詰め込んだ音楽ソースは、いわゆる「同期」というやつでiPad miniに取り込んで聞けるようになった。ところが、病室で聞こうとすると、毎回ソフトがWifiに繋げといってくる。監獄の名残からか、病室ではTV以外のスマホその他の娯楽は禁止し、患者は治療に専念すべしというわけでWifiが通っていないのだ。だからこれを使おうとすれば、デイルームという共有スペースまで出かける必要がある。デイルームは西新宿から北の池袋方面に開けた風景を一望する気持ちの良い空間で、ここにはWifiが通っている。パソコンを使う連中(といってもそう多くは無い。なぜならここは老人だらけだから。)はここに集まってくる。
まだ、iPad miniを持っていなかった前回入院のとき、隣に座っていた若者が、PCと向き合いイヤホンを使って何か喋っている。小声だから何を言っているのかはわからない。そのうちに気になりだして耳をすましたら、なんと聞こえてきたのは日本語ではない。恐ろしく早口で呟くように何かを喋っている。顔は日本人みたいだけれど南方系ではないどちらかといえばモンゴリアンの原種に見えたからあれはモンゴル語であったか。いや、そうでないかもしれない。聞いたこともない言葉だった。こんな若いものがなぜここに入院しているのか?それも不思議だった。日本人女性が付き添って入院した英語をしゃべるアラブ系の顔の若者もここでPCを使っていたが、その後再入院した時には、見えなくなったいた。
いつも病室から抜け出し、実はフラフラしている頭をそうは見えないように装いながら(そう見えたら、たちまち行動制限が掛かってベッドに縛り付けられる)長い廊下を歩いて、ここのソファの一角を占領してiPad miniを使っていた。Webでメールも調べ物もできる。音楽はもちろんだが、最も重宝したのはAmazon Prime Videoが見られたことだ。ある理由があって「孤独のグルメ」を見始めたらやめられなくなって、このシリーズを今もずっと見続けている。
ある日の夕方、Videoを見ていると、目の端に、明らかに女の裸の長い足が入った。少しずつ目を上げていくと、黒いロウヒールの脛から太ももの上は極度に短い黒いパンツである。げげっと思って、顔を上げると丈の短いブラウスみたいなものの肩の上にタオルを巻いて濡れた髪をのせている。極めて大型の女である。僕より背が高いかもしれない。恐ろしいことだ。こういうのは何かこう「違反」ではないか?近くにシャワー室があるからその帰りなのだろう。向こう向きで幸い顔は見えない。顔は見ない方がイメージ力を働かせられるからいいに決まっている。この背中がスマホでしきりに話をしている。僕は後ろめたい気がして、目を逸らし、なるべく見ないようにしたが、耳はダンボのようになってしまった。これがなんと、予約していた美容院か何かの延期または取り消しの件をしゃべっているのだった。病院にはない光景だから強く印象に残った。この大胆不敵な女はどこへ行ったものか、見たのはこの一度きりで、行くへは杳としてしれない。
こんなことが衝撃なのは、ここには爺さんと婆さんしかいないからだが、反面若い女といえば看護師が大勢いる。しかし、彼女らがそうは見せないのは不思議といえば不思議である。病院生活が長くなると、だんだん病人慣れして人が悪くなるものだというのは本当らしい。

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2022年1月29日 (土)

退院はしたけど


退院はしたけど、まだ本調子ではない。再入院して治療したあと、どうなるか?いずれにしても元には戻らないだろう。こういう状態ではやれることは限られる。冥土の土産に「『中村隆一郎の演劇時評』自選集」でもeBookから出そうかな。と言うわけで、なんとなく取りかかりはじめている。

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2021年12月19日 (日)

入院してた

Kimg0002 Kimg0003 個人的なことを書く場所でもないが、しばらく更新していない理由について・・・・・・。10月半ばごろ体調をくずして、我慢していたが、11月に入って間もなくとうとう心不全で入院してしまった。息ができなくなってこのまま死ぬんじゃないかとそれはもう苦しかった。緊急だったので地元の総合病院に駆け込んだのだが、ここでは、一週間で一応回復したとなって退院した。ところが、やや安心して少しばかり無理をして行動したために、10日後にまた同じ症状が出てしまい、再び同じ病院に舞い戻ってしまった。今度は、一週間経っても回復しない。いろいろ不都合なところが見つかって治療したいらしいが、もともと僕は都心の大学病院に10年以上も通っているので、そっちでめんどう見ろとばかり、二週間後に転院させられた。多摩丘陵の山の上から高層ビル群が建ち並ぶ都心へ向かうタクシーのなかで、向かうのがこの方向でいいのかという奇妙な気持ちと一方で、一種の懐かしさを感じたことも事実であった。転院した時は治りかけだったらしく、たいした治療もないまま一週間で退院となった。とはいえ、年明け早々に治療(と言っても、年齢が年齢だけに限度がある)が始まることになってしまった。11月から四週間も入院していたから、いくつか見逃した芝居はある。残念だが、仕方がない。早く体力を回復して、劇場に行けるようにしよう。コロナ?ああ、コロナね。コロナはもうおしまいだよ。少なくとも我が国じゃあね。

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2019年9月25日 (水)

今晩、ハンバーグにした。

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今日は、学生時代の友人からおいしいお肉が届いたので、ハンバーグを作った。
オーブンの時間に気をつけたのでいつもよりふっくらと出来ている。
街のレストランの味に引けを取っていなかったのは、僕の腕と言うより肉の質がよかったからだ。
こんなのが四個も出来た。
付け合わせのインゲンのバターソテーは、姉が近所の直売所で買って送ってくれたもの。
35年前から我が家の食事は、僕が作ってきたが、写真をアップしたのは初めてかも知れない。
お礼の意味も込めて。

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2019年1月24日 (木)

// 取り残されたものたちへ ①

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加藤典洋「戦後入門」の無残

先日、このブログで「いま、若者たちの間で、団塊の世代は『時代に取り残されたもの』と囁かれている。」その代表例として、加藤典洋がこれまでの自身の集大成ともいうべき著書「戦後入門」(筑摩新書1146、2015年)で、自衛隊を国連に差し出すという提案をしていることをあげ、その時代認識のズレに愕然としたと書いた。

実は、今年(2018年)の七月に見た蓬莱竜太の自伝的作品「消えていくなら朝」(新国立劇場)の劇評を途中まで書いて、やめてしまっているのだが(近頃、根気が続かなくなった)、その中に登場する蓬莱の父親がちょうど僕らくらいの年代で、彼に言わせると団塊世代にありがちな、昔の自分にこだわるあまり「時代に取り残された男」と言うことになるらしい。

ずいぶん前から僕もそう思っていたからいい機会だと思って、そのことを劇評に盛り込もうと思っていたところだった。つまり、頭を切り換えないとつまらない人生になるよ!(といっても、今さら無駄か?)といいたいのだが、「消えていくなら朝」はカルト教信者の母親の凄まじい家庭破壊力から逃れた劇作家が20年ぶりに帰郷する話で父親の影は薄い。主題は時代に取り残されている父親とはまったく違うところにあって、これを入れるとピンぼけ批評になってしまうからどうしようか思案していた。

そんな時に、加藤典洋がとんでもないことをいっているのに気がついて、これこそ「時代に取り残された」団塊世代の典型と、べつに取り上げることにしたのである。

90年代に加藤と、湾岸戦争に反対する文化人との間で日本国憲法をめぐって論争があったことは、前回紹介した。

2015年の「戦後入門」は、世界大戦以来の歴史的背景からひもといて、戦後日本国憲法についてどんな議論があったかを網羅し、さらにこれからどうすべきか自身の見解を述べた大作である。

加藤の立場は「前書きに」こうある。

「戦争に敗れてから七十年も経って、なお戦後七十年と言うことが問題になるのは、その『戦後』が終わっていないからで、その明らかな証拠が、いま、沖縄の米軍基地を主権者である私たちが、自分たちの意向通りに動かせない事実として、わたしたちの前にある。

だから「日本の戦後について、それがどこからはじまり、どういう言う問題をはらみ、この戦後という空間から脱するのにどうすることが必要なのかについて、全方位的に考える事が重要である。」

つまり、加藤は「対米従属」と言うことを「戦後」ととらえており、戦後を終わらせるとは、米国の支配から完全に我が国の主権を回復させることにあると考えている。そのためには日本国憲法の精神である世界恒久平和を希求するという高邁な理想の実現をめざす国として世界の尊敬を集め、それをもってどこにも従属しない真の国家として自立する、というのである。その一環として自衛隊を国連の指揮下に差し出すというのが、簡単に言えばこの本の結論である。

むろん大賛成と思う人がいても不思議ではない。

例えば日本共産党の綱領の大半の項目は対米従属からの自立であり、半分は国家というものの棄揚(アウフヘーベン)を目途とするというものである。国家として自立したいものの、実現したらそれを廃棄するというのだから実は何をしたいのかよく分からない。自衛隊は憲法違反とするが、しかし、対米従属が嫌だという点では加藤とも右翼とも共通する認識だろう。よけいなお世話かもしれないが、日本共産党はこういう矛盾をこそ止揚すべきではないか。

加藤は、聖書にあるユダヤ人のバビロン捕囚が長引いたことで、ユダヤ人がバビロニア化した事例を取り上げ、このまま我が国の対米従属が続けば日本人のアメリカ化は避けられないと嘆く。あたかも純粋日本人なるものが存在していて、これがアメリカ化すれば純粋日本文化にとって困るとでも言いたいようだ。

人、モノ、金、情報がグローバルに行き交う時代に、こういうもの言いが、とてつもなく馬鹿馬鹿しいことに気づいていないのには呆れるほかない。

いうまでもなく、誰かに従属しているという状態は耐えがたいものである。なぜかを説明するのは省くが、人は誰でも自由であるべきだ。しかし、現実には様々なものに束縛されて生きている。自由とは、それが阻碍されて初めて意識されるものといってよい。重要なのは、それが何によって阻碍されているか、そして、それを取り除く方法はあるか、それが問われねばならないと言うことだ。

戦後が終わっていない動かぬ証拠として、沖縄の米軍基地を主権者である我が国の意向通りに動かせない事実をあげ、これが対米従属だという。

しかし、米国が主権者たる日本の意向に反して、勝手に基地を置き、それを運営しているという事実はない。米国との間には安全保障の基本条約以下細目に渡って契約が交わされており、基地のある土地は日本国のものであり、沖縄の地権者に対して地代も払われている。

基地を貸している相手が外国の軍隊だということは、機密に触れることがあり、両国間の地位協定など、厄介な問題は存在するが、双方に不都合なことがあれば、契約である以上話し合いで解決できるとしたものだ。

加藤が言っているのは、直近のことで、おそらく普天間基地の辺野古移転のことを指しているのだろうが、この問題を指して対米従属というのはどうもあたらない。

普天間は、住宅地の真ん中にあって、世界一危険な基地と言われ実際に事故が何度もあったのだが、ここが住宅地になったのは、基地が出来たあとそのまわりの空き地が宅地開発された結果であった。

それはともかく、この危険除去のために、日米協議の上、辺野古移転に決まり、沖縄県も賛成したことは周知である。問題をややこしくしたのは鳩山由紀夫だったが、政府が米国との間で移転の再交渉をすることはなかった。したがって、辺野古移転は日米双方了解済みの既定路線である。つまり、米国が、我が国の主権を無視してこれをごり押ししたと言うことではない。

「戦後」は、戦争に無条件降伏したという厳然たる事実から出発した。その後、主権を回復して何十年も経ったが、確かに占領下で決まったことがそのまま残っている場合もないわけではない。しかし、だからといって、現在の米国を相手に交渉してこの関係を改革できる道が閉ざされているわけではない。

江戸時代に結んだ不平等条約を改訂するために陸奥宗光らが費やした年月とロビー活動を思えば、この道を対米従属という言葉で短兵急に切って捨てるようなことは出来ない。

それにしても不思議なのは、加藤が指摘するような、誰かに従属しているという耐えがたい状況を日本人が戦後何十年も続けてこられるものなのかと言うことである。

加藤は、フィリピンが米軍基地を撤廃させられたのに、我が国政府はなぜ出来ないかというが、その理由ははっきりしている。非常に簡単に言えば、米軍に基地を提供していることは、プラスマイナスあっても、あるいはそれが対米従属であろうがなかろうが、最終的に国益にかなうと考えてきたからだ。

つまり、歴代我が国政府は加藤の意に反して、戦後のこの体制を是としてきたのだが、この意思決定は、我が国が民主主義国家である以上国民の意思だといってよい。加藤がこれを否定したいのは理解出来る。日本共産党も、かつてあった社会党もその他革新政党と呼ばれるたくさんの政治勢力も同じようなことを主張し、いまも言っているにもかかわらず、国民はそれを選択してこなかった。

なぜこういう政治状況を無視し、屁の突っ張りにもならなかった革新政党と同質の主張が出来るのかと言えば、それは加藤が自分は政治家ではなくて文芸評論家だと自覚しているせいだ。

文芸評論家とは主としてフィクションを扱うものである。

彼の『敗戦後論』を読んだときからの疑問というか違和感は、日本国憲法の成立過程、つまり「戦後」の出発点が「汚れ」「ねじれている」といって、それが、あたかも自分が経験したことのように、憲法を押しつけられた経験者の衣装を身にまとって見せる、ところであった。川村湊が、どうしたらこういう芸当ができるか不思議だと言った

今度の『戦後入門』では、そのことを正直に書いている。

「これまで、自分のものを考える価値の基準を、戦争の死者の場所に置いてきた。戦前の価値の源泉が天皇だとすれば、戦後のそれは戦争の死者たちだと考えたからだ。しかし、戦争の死者というおもりを外して、いまを生きる普通の人の考え方、価値観を基本に考えないと現実的ではないのではないか。戦争を経験していない自分が経験した年長の人々と同じ所にいつまでもいるわけにいかない。そこで戦争がなくてもしっかりものを考えられるようにシフトチェンジすることにした。」

いやぁ、気づいてくれて良かったね。それにしても、自分が戦争を経験したもののようにふるまっていたとは。つまり、彼の論は借り物の土台の上に建てられたフィクションのような構築物だったのである。

つづいて、そのチェンジした立場から憲法九条については、こんな言い方になったという。

「まず九条の高邁な理念、理想的な側面は、非現実的と言われようと捨てられないと感じる。しかし、それは、戦争と切り離し、理念としてかけがえのないものでなければならない。」

九条と戦争を切り離したら、残るのは『世界の恒久平和』を祈念するというコンセプトだけになるはずだ。確かに理念としてかけがえのないものではある。

自分は戦争を経験しなかったのに、経験したふりしたので戦争に言及する資格はない。したがって、戦争を前提にしない、いわば絶対平和を願う理念については発言権があるとでもいいたいのか。

こうして、いよいよ絶対平和などと言う現実にはあり得ないようなフィクションの世界へ飛翔するのである。

そのフィクションを実現するために、自衛隊というウルトラ現実をあたかもそのフィクションの世界へ送りだそうというのが加藤の新しい提案なのである。

加藤が、国連に自衛隊を預けるという、当の国連とは何か?

近代国家は、国土と国民と法によって成り立っている。その根拠はジャン・ジャック・ルソーのいわゆる一般意思に仮託された国民の相互承認である。従って、主権者である国民は国家にその運営と法の執行を委ね、それに従う。法を犯したものは、当然定められた刑罰を受けねばならない。

では国連はどうか?

近代国家における一般意思と同じものが、つまり構成員の相互承認が一気にそこへ仮託されるような一般意思が国際社会の中で成立するかと言えば、それは現状不可能である。なぜなら、近代国家は必ず周辺をつくる事で成立しているからである。

国連は、一つの近代国家のように警察権や裁判権などの権能をもっていないため、取り締まることも裁判にかけることも獄につなぐことも出来ない。各国の利害調整を図る以上の権能を持っていないのである。

これを変えようとしても、例えば現状、人口14億人の中国と34万人のアイスランドが同じ1票の投票権であるが、中国とインドが一人1票を主張しはじめたら国連はこの二つの国によって支配されてしまう。どうやって調整するのか気が遠くなるというものだ。

国際連合にあたかも近代国家のような権能を与えることが出来ると考えるのは、およそナンセンスなのである。

一体、加藤典洋はこの七十年の間、何を考えて生きてきたのか。

戦後生まれでありながら、つまり戦前を経験しなければ『戦後』はあり得ないのに『戦後』とは何かと言うことにこだわり続けた。

それは自分の実感に基づかない、戦争経験者が語る議論のテーブルに背伸びしてついていたということになる。

格闘しなければならなかったのは、「戦後」ではなくて、『いま』であり『いまから先』であったはずなのに。

加藤にとって時間は、あの日からとまっていたのである。

僕は加藤と同世代だが、進駐軍の思い出が少しだけある。

たぶん、4,5才ごろのことだった。僕の家は従業員120、30人が働く木材加工の工場をやっていたのだが、ある日の午後、大勢の職工たちが家の前に出ているのに気がついた。50m程先に進駐軍のジープがとまっていて、カーキ色の軍服を着たGIハットの兵隊が4,5人たむろしているのが見えた。

あとで母親に聞いた話では、ジープが向かいの家の塀にぶつかって少し壊れたので弁償したいが留守だったため、どうしようか留まっていたらしい。職工の一人が「School Teacher」と応えていたのに田舎の町工場のことなのに驚いたと母がいっていたが、確かに向かいは校長先生の家であった。翌日もう一度やって来て謝罪と弁償を済ませたこともあとで聞いた。

これが米国というものの初めての経験で、悪い印象ではなかった。

いずれにせよ対米従属を言うのは簡単である。

しかし、主権を侵されているわけでもないのにそのように見えるのには理由があるだろう。それを様々な角度から検証して、問題をひとつひとつ取り除いていくということをしない限り、物事は実際にはじまらないし、変えることもできないものである。

(根気が無くなった。書き足りないがこの辺でひとまず、やめておく。)

加藤は、戦後で時間が止まったが、今度は冷戦終結で時間が止まった事例を紹介しよう。

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2018年10月19日 (金)

取り残されたものたちへ 加藤典洋「戦後入門」の無残(準備編)

Photo 2011年にこのブログで「『現代文学論争』(小谷野敦)を読んで考えたこと」と題して書いたことに関連して、思うところがあり、今その長くなりそうな稿を準備している。

「現代文学論争」は小谷野敦が集めた文学者による論争を紹介するもので、他人の喧嘩が大好きな僕はただの野次馬のつもりで手にとったものだ。むろん、文学史的に意味深いなんてことはほぼ何にもないものであった。

なかで、「湾岸戦争」に反対する当時の知識人たちと評論家の加藤典洋との間に「論争」があったことを知ったのだが、あの、世にもくだらない「反戦新聞広告」を出した連中にたてついた加藤とは何者かと思って、彼の書いたものを入手して読んだことがあった。

(詳細は、「『現代文学論争』(小谷野敦)を読んで考えたこと」の抜粋をこの後再掲するので、確認してください。)

「関連して、思うところ」とは、いささか複雑なのだが、端的に言えば、

あそこで取り上げた加藤典洋が、最近(2015年)自己の問題意識の集大成として書き上げた新書にして600ページを超える大作「戦後入門」の結論というか提案で、自衛隊を一部災害救助用に残し、ほぼすべて国連の指揮下に差し出すといっていることに愕然としたのがきっかけである。

いま、若者たちの間で、団塊の世代は「時代に取り残されたもの」と囁かれている。なぜ囁きかといえば、自分たちが正しいと頑固に思い込んでいるものに、何を言っても無駄だと思っているからだ。

言い方を変えるなら、右翼と左翼の対立という構図でものを考える世代と、そこに何のリアリティも感じない若い世代が存在し、その間では所詮議論はかみ合わないといってもいい。

もっといえば、第二次世界大戦がつくった戦後の世界秩序が終焉し、世界史が新たな局面を迎えているときに、未だに「戦後」の延長上に世界の未来を描こうとしている類の時代錯誤を若者たちが相手にするはずはないのである。

加藤は団塊世代であり彼がそれを代表しているという証拠はないが、「戦後」という時間とその中で展開された言論を共有するという意味では、団塊の中に加藤と近似する心情を抱いているものが一定程度いてもおかしくはない。

加藤は、この著作の結論を急いだ理由として、現政権へのカルト的集団「日本会議」の影響を指摘するなど、政治の戦前回帰型右傾化への憂慮を明らかにしているが、長く「戦後」の社会を二分してきた「右翼と左翼」という「言論空間」にいただけあって、その主張はいまでいういわゆる「サヨク、リベラル」の言論と軌を一にするように見える。

「サヨク、リベラル」は、いかにして憲法の平和主義を実現するかを考えるいわゆる護憲派である。

つまり「平和憲法」を守るという態度の延長上に国連の権能に最大の期待を寄せるという議論は一応まっとうなものと思われるが、この議論の欠陥は国連の存在構造の哲理が説かれていないというところにあり、この程度のことではその主張が現実を無視したタダの観念論的希望に過ぎないということである。

また、戦前回帰への懸念についても、いかにもサヨク的な過剰反応で、「日本会議」や「神社本庁」がめざす戦前的社会が再来するなどはこれもまた彼らの観念的希望に過ぎないことは少し考えればわかりそうなものだ。

高度成長とともに家父長制の家族形態はすでに崩壊しており、もし戦前に回帰するとしても彼らを待ち受けるべきはずの天皇中心の牧歌的農村―瑞穂の国などはもはやどこにも存在しないのである。

つまり、ウヨク的・サヨク的の議論に決定的に欠けているのは、左翼がいうところの下部構造が変わった結果、日本人の生活意識(上部構造)がどのようなトレンドを描いて変化しているかについて一顧だにしていないところにある。

これについては、いずれ、2018年6月に出版された見田宗介「現代社会はどこに向かうか」(岩波新書)で示されたデータと分析を紹介し、「戦後」的議論が遙かに遠いところへいってしまったことを示そうと思う。(ただし、いっておくが、この新書は見田宗介の生煮えな仮説を披瀝した岩波のやっつけ仕事が如実に表れた中途半端なもので、出版業界の堕落ぶりを示すものであった。それは置いておいて・・・・・・)

いずれにせよ、団塊世代は「自分たちは間違っていない」という確信のもとに、国連中心主義などと言う時代のテーマとはおよそかけ離れた議論を大まじめに600ページも費やして主張する。

これを「時代に取り残されたもの」と若者たちが冷笑しているのである。

このことについて、加藤およびその同調者たる団塊の世代に「どの時点で道を踏み間違え停滞したか」を示して、あたかも神風特別攻撃隊という世にも愚劣な作戦を若者に強いた将校然として、国連などという魑魅魍魎の手に我が国民を差し出す権利など誰にもないことを心底理解してもらわねばならない。

とりあえず、以下に、加藤典洋と湾岸戦争反対を表明した知識人との論争について僕がどう考えたか、再録して置こうと思う。

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2011年1月のブログ 再掲

14.湾岸戦争から『敗戦後論』論争 1991ー99 については、少し複雑である。

ここで取り上げられているのは、『湾岸戦争』が始まろうとしている時に日本の文学者有志数名によって出された反戦「声明」についての論争とそれを受けた形で提出された加藤典洋の『敗戦後論』をめぐる議論である。

湾岸戦争の『声明』についてははっきり記憶している。ある朝新聞を開いたら全五段のメッセージ広告が載っていたので『やれやれ勘違いな連中がいる』と思った。

まず、これは前の世代(の文学者たち)がベトナム戦争に反対した行動に対するコンプレックスがなせる技だと感じたのだ。戦争になって、存在感を示すチャンス到来と思ったのだろう。

これについては以前『必読書150の時代錯誤』に次のように書いたことがある。

「今ごろこんなこと(「必読書150」の出版)をやるとは、現在がどのような時代であるかの認識が、全くない事の証左である。さすが、1991年の湾岸戦争が始まろうとしているときに、押っ取り刀でやってきて「戦争反対!」と叫んだ連中だけの事はある。何故反対かといえば、よく聞こえない声で、平和憲法があるからだとのたまったのである。古今東西の古典で頭が充満している日本の知識人のレベルとはこんなものだ。まあ、古典を勉強するよりは中東の歴史を勉強したほうがいいのではないか、とその時はあきれてしまったが・・・。」

これは論争になると直感的に思ったが、あまりのばかばかしさにすっかり興味を失っていた。

それから、2000年代に入ってまもなくだったと思うが、あるとき神田の古書市を漁っている時、加藤典洋が「戦後」論を書いて論争になったことを知った。加藤は同世代であったがはじめて目にする評論家で、そのときの評判ではこれまでの「戦後論」とはひと味違う視点で戦後を議論していて、右翼からも左翼からも批判を浴びているというものだった。遅ればせながら読んでみようとしたが、古本屋街では見つからなかったのでアマゾンに二三冊注文して読んだ。

加藤の主張は、押しつけられた憲法ならもう一度あらためて選び直すべきだということと、侵略戦争で死んだ兵士は犬死にだったが、それだからこそアジアの戦争の死者たちよりも先に弔うべきだというものであった。

これだけでは何か唐突のような感じもしたが、当時はまあそういう視点があってもいいかと思った。実は期待していた議論ではまったくなかったので半分はがっかりした。その後別のところで戦前の左翼は戦略的ではなかったと書いて、はじめて新しいことを言ったという印象を受けたのだが、一体どこに問題意識があるのか未だによく分からない。

ところが、一連の「敗戦後論」論争のきっかけになったのが、湾岸戦争の時の『声明』だったことをこの本ではじめて知った。

なるほど、この『声明』を受けて、加藤が声明に署名した連中は『平和憲法があるから反対だと言ったのだな』と書いたことに端を発していたなら、加藤がこのような反論に対する反論ーつまりは『敗戦後論』を書くのはもっともだと思った。

この「声明」と『敗戦後論』のことを書きたかったので、この稿を起こしたのだが、それはあとにして、目次の残りの項目のことを書いておく。(以下、中略)

「その2」

『現代文学論争」(小谷野敦、ちくま叢書)の中の目次「14.湾岸戦争から『敗戦後論』論争 1991ー99」 について思うところがあって、前回稿を起こしたといった。

その中で、2000年代の初め頃に加藤典洋の『敗戦後論』をめぐる論争を遅ればせながら発見して、何か新しい視点で『戦後』を語っているのかと思って期待したが、実は半分がっかりしたと書いた。そのとき何を期待したのだったか、そのことを書き付けておこうと思う。

それは、このブログの「『ハーバード白熱教室』に寄せて 政治と哲学」で、現代における哲学の積極的な活用について書くと約束しておきながら果たしていないことへの回答にもなるはずである。いや、この『敗戦後論』の論争はむしろそれを説明する格好の素材を提供してくれているといってもよい。

この際、それを整理して何をどう考えるべきか検討し提案しようと思う。

取りあえず、発端となった文学者の『声明』について、紹介しておこう。

 声明1

 私は日本国家が戦争に加担することに反対します。

 声明2

 戦後日本の憲法には、「戦争の放棄」という項目がある。それは、他国からの強制ではなく、日本人の自発的な選択として保持されてきた。それは、第二次世界大戦を『最終戦争』として闘った日本人の反省、とりわけアジア諸国に対する加害への反省に基づいている。のみならず、この項目には、二つの世界大戦を経た西洋人自身の祈念が書き込まれているとわれわれは信じる。世界史の大きな転換期を迎えた今、われわれは現行憲法の理念こそが最も普遍的、かつラディカルであると信じる。われわれは、直接的であれ間接的であれ、日本が戦争に加担することを望まない。われわれは、「戦争の放棄」の上で日本があらゆる国際的貢献をなすべきであると考える。

われわれは、日本が湾岸戦争および今後ありうべき一切の戦争に加担することに反対する。                         一九九一年二月九日

 

2は発起人16人が名を連ね、1はその16人を含む43人が署名している。

従ってまず16人の名をあげると、

柄谷行人、中上健次、島田雅彦、田中康夫、高橋源一郎、川村湊、津島佑子、いとうせいこう、青野聰、石川好、岩井克人、鈴木貞美、立松和平、ジェラルディン・ハーコート、松本侑子、森詠 である。

1の署名者は省略する。

「湾岸戦争」というのは、1990年8月2日にイラクが突然隣国クウェートに戦車350両の機甲師団10万人で攻め入って、一週間後には併合を発表してしまったことに端を発する。

なぜイラクがそんな暴挙に及んだのかをなるべく短く言うと、まず、クウェートがオスマン帝国のバスラ州の一部であったことが、サダム・フセインのクウェート侵攻の下敷きになっている。

アラビアのロレンスで知られるオスマントルコとの闘いに勝利した英国がアラブを委任統治領にしたとき、英国はすでにバスラ州の一部であったクウェートを切り離して保護領にしていた。当然のことながら石油の利権を確保したのである。

イラクは1932年に独立、王国となったが、1958年軍事クーデターによって共和制が敷かれる。その政権も63年にバース党によって奪われ、やがて79年に大統領に就任したサダム・フセインの独裁政権につながる。翌年からイランとの国境をめぐる紛争が勃発し、89年まで続くが、この戦争によってイラク経済は追い詰められる。(イランに追い出された米国が、サダム・フセインに大量の武器供与を行って助けたことが、モンスター独裁者を生むことになった。)

一方、クウェートは1961年に英国から独立したが、世界最大級の油田を有し、ペルシャ湾に面した良港をもってアラブでも有数の豊かな国になった。

人口約300万人、国民一人あたりのGDPは4万ドル(先進国並み)、税金はなしで医療、教育は無償である。クウェート人は、一日の労働時間は約4時間で、下働きは外国人出稼ぎ労働者が引き受けるという王侯貴族のような生活ぶりである。

一方のイラクは人口約3千万人、一人あたりGDP約3500ドルとクウェートの10分の1以下、イランとの戦争で油田は壊滅状態、唯一の輸出品である原油価格は当時最安値を続けるという最悪の状態であった。

イラーイラ戦争で経済的に窮したフセインは、おそらく羨望と嫉妬が動因となって『あそこは、もともと俺のものだ。いまなら無防備だから攻め込んで盗ってしまえる。」そう思ったに違いない。内々に米国に『盗ってしまうが文句あるか』と打診したところ『国境問題にかかわる気はない』と言ったのに安心して、電光石火侵略したのであった。今時のやくざも顔負けのとんでもないやり方である。独裁政権というものは平気でこういうことをするものある。

クウェートはすぐさま亡命政府を作って『出て行け』と国連に訴えたが、もたもたしてらちがあかなかった。この間フセインは、イスラエルを批難してアラブ対ユダヤの構図にすり替えようとしたり、クウェートにいた日本人を含む外国人を人質に取ってイラク本国の攻撃されそうな建物に監禁して『人間の盾』にするという暴挙に出た。(12月までに全員解放)これにはさすがに国際社会の批難が殺到して、ついに国連が1991年1月15日までに撤退するよう決議、最後通牒を突きつけた。

多国籍軍には米国、英国、エジプトなど30カ国以上が派兵、1月17日に攻撃が開始された。日本は、国際紛争を武力で解決することを永久に放棄しているので、時の首相海部俊樹は、戦費130億ドルを供出することを申し出ることになった。

イラク軍は一応抵抗したが、もともとあまり戦う気がなかったから2月27日にクウェート市を解放、3月3日には停戦協定を結んで一応の終結を見た。

さて、『声明』はこの戦争のさ中、二月九日にだされている。

そうした状況を背景に置いてみると、いかにもとんちんかんで、なんのためにこのまもなく終わろうとしているタイミングにわざわざ『戦争反対』の「声明」を出さねばならないのか理解に苦しむのである。

僕がこれを新聞で発見して『ばかばかしい』と思ったのは、日本が派兵しているわけでもないのに、なぜわざわざ戦争に『荷担』するのは反対だというのか、しかも何紙出したか知らないが新聞の紙面を買うのに一千万円以上は使っているはずである、とんだ無駄をするものだということであった。さらに言えば、これは現に交戦しているイラクと多国籍軍の戦争にはかかわらないことを宣言したものである。その理由を、かつて日本が戦争で迷惑をかけたことを反省した結果、いまは平和憲法を持っているからだというのである。しかもそれは世界にとって最も根源的なものーつまりは範とするものだと言っている。

これを小谷野は『現代文学論争』の中で、いじめっ子の比喩を使ってもっともな批判している。

「『僕はかつてA君をいじめたことを反省し、今後、誰が誰をいじめようと、干渉することなく、誰かを助けるために働かず傍観し、いじめず、かついじめの一切にかかわらない』と宣言しているようなもので、むろん今でも、護憲論者というのはこれと同じことを言っているのだが、さらにその上には、もし日本が侵略にあったらどうするのかという思弁すら抜けているのだから、救いようがない。」(260頁)

今度、読み返してみて、『声明』2の長文には、『文学者』が書いた割には教養が全く感じられないとあらためて思った。

教養というのは語られた言葉の一つ一つに根拠があって、読むものを諄々と説き聞かせる力があることである。ポツダム宣言受諾の詔勅を完成させた安岡正篤などという漢籍に通じた教養などいらないが、せめて事実に忠実な真情あふれ出た文言にまとめあげる文才は欲しかった。

いまさら、どうでもいいことではあるが、間違いは正しておかねばならない。

第一に、小谷野も指摘していることだが「第二次世界大戦を『最終戦争』として闘った日本人」とは事実ではない。

まず、第二次世界大戦とは(便宜的に)連合国と枢軸国が世界規模で戦った戦争の総称であり、大日本帝国が戦った終戦にいたる15年続いたあの戦争の総称は通常「大東亜戦争」という。なお『太平洋戦争』とは、米国が戦後、日本国民に対し『大東亜戦争』の使用を禁じ、これを強制的に言いかえさせた呼称である。僕は、米国の強制力がない現在は二つの言い方のうち『大東亜戦争』の方に歴史におけるリアリティを感じて、使うことにしている。

また、『最終戦争』は昭和15年に、石原完爾が発表した論文と講演で使われた言葉で、石原は戦争史を概観し、いずれ一発で大都市を殲滅するような最終兵器が現れ、これを持って互いに総力戦を戦った後に恒久平和がやってくるといった。それを戦うのは東亜の王道と西欧の覇道であり、その戦争に勝つのは東亜の王道でなければならない。最終戦争の時期は、今から二、三十年後(つまり昭和35年か昭和45年頃に)に訪れるはずだという意味のことを言ったのである。

石原は、長距離を飛ぶジェット機や小型携帯電話などを予測していたからおそらく原子爆弾のことを考えていたのだろう。この当時、米国は艦隊をハワイに集結させて、盛んに日本を威嚇、挑発していたのであったが彼は、日米開戦は避けるべきだと主張していた。軍人でありながら、彼我の力の差がありすぎることを知っていたからであった。

そういう事情で、我が国にこれ以外の意味で『最終戦争』の言葉を使った事例はなく、大日本帝国が『最終戦争』を戦ったなどという事実はない。

第二に、「アジア諸国に対する加害への反省」が憲法に反映しているといっているが、「加害者」としての議論が起こってくるのは戦後だいぶたってからで、憲法が草案される時分に『加害への反省』という言葉に対応する議論は見あたらない。これはもっとずっと後になって、賠償の話が持ち上がった時に出てくるのである。敗戦でうちひしがれている時に、そんな心の余裕があるはずはないと文学者なら思いそうなものだ。

第三に「二つの世界大戦を経た西洋人自身の祈念が書き込まれているとわれわれは信じる。」も根拠はどこにあるのだろうか?

これは第一次世界大戦後のことを言っているのではないか?一千万人以上の戦死者を出して戦った第一次欧州戦争は、終わってみるとその惨禍に驚いて、戦争は二度とごめんだとしてパリ講和条約に集まったのだが、そのときは確かに戦争放棄の憲法を想像したかも知れない。

しかし、第二次世界大戦が終わってみると、ここで言う西洋人の前にソ連という新たな脅威が現れた。そういう時期に武力を放棄するなどという発想も平和への「祈念」も浮かぶはずはないのである。真っ先に浮かんだのは原爆を落とし合う石原完爾言うところの最終戦争たる第三次世界大戦のことであろう。

「西洋人自身の祈念」に該当する西洋人自身の言葉なり宣言なりがどこかにあるというならそうでもあろう。「平和への祈り」なら毎日坊主がやっていると言っても無駄である。しかし、そんな証拠もないなら、西洋人にとっても勝手に心の中を斟酌されて迷惑な話である。

この文言は、外国人が『宣言』を読む場合が想定されていたと川村湊がいっているようだが、30以上の国々が多国籍軍を形成していることに冷や水を浴びせるようなもので、柄谷ともあろうものがとんだ恥さらしをしたものである

はっきり言えば、この憲法は、占領軍の米国流民主主義を至上のものとするとりわけ若い人生経験も少ない軍人や軍属、学者たちの良心、彼らのいわば浮世離れした理想を文章にしたもので、そういう意味ではよくできた憲法なのである。本国に帰れば二億丁もの武器を各家庭が隠し持っているのを合法だとしているのに、武装しないのが進歩的民主的だというのである。

米国政府が目的としたのは、あまり物事を深く考えずに戦後処理として、日本から武器を取り上げるための口実を作ったに過ぎない。なぜ深く考えなかったかといえば、まもなく朝鮮半島が共産勢力に盗られそうになって、大慌てで日本再軍備を画策したのがその証拠である。

1950年になって、占領軍は日本が丸裸では自分の負担が増えるばかりだから警察予備隊を作れと命令した。時の吉田首相は、軍隊を養うのでは復興が遅れると言っていやがったが、泣く子も黙るマッカーサーの命令だからしたがった。朝鮮で負け戦が続くといよいよ不安になって、二年後には保安隊に増強し、その二年後にはめでたくどこから見ても軍隊である「自衛隊」になったのである。

憲法を草案した張本人が、憲法違反をとがめ立てしないのだから時の政府としては、誰にも文句を言われる筋合いではない。しかもこのときはまだ占領中であった。野党が四の五の言ったところで「はい、止めましょう」というものでもない。これが、憲法違反だ、いや合法だと途方もなく長い間日本人にとってただただ不毛な議論を繰り返す種になってしまった。

ついでだからいうが、この湾岸戦争のときにはじめてマスコミにデビューしたものがある。「軍事評論家」である。それまで、軍事に関する専門的なコメンテーターがTVに出ることはなかった。僕はそういう職業が成立することをこの時はじめて知ったのだが、それほどまでに『軍事』についてはタブーだったのである。おそらく、『軍事評論家』なるものは、いかにも好戦的で暴力的な風貌を持っている者とおおかたの想像するところだったと思うが、NHKが登用した江畑謙介が冷静沈着、該博な知識と分析で説得力のある解説を見せてくれたおかげで、その後何人もの『軍事専門家』が何事もなくマスコミに場所を得ていったのである。

さかのぼると、1963年(昭和38年)の「三矢研究」の時は、大騒ぎになった。自衛隊が内部で、戦術の想定研究つまりオペレーションリサーチを行ったことが外部に漏れて、野党が追及した事件である。自衛隊と言うか軍隊ならごく当たり前のことだったが、それがけしからんというのである。このとき僕はまだ高校生だったが、どうしてこんなことが騒ぎになるのかばかばかしい世の中だと思った。

『自衛隊』は存在するのに、与党は「あれは軍隊じゃない」といい、野党の頭の中では『存在してならない』ものとなっているからこんな当たり前のことが争いになるのだが、そういいながら何事か起こる訳でもないという「ごまかし」と頑迷な観念論の実はなれ合う様を誰も不思議としなかった幸福な時代だったのである。

この時以来『軍事研究』は、建前上やってはいけないことになったし、マスコミも「軍事」について取り上げるのを禁忌とした。それから三十年近くたった湾岸戦争をきっかけに、ようやく禁が解かれることになったというわけである。

さて、『声明』の杜撰さについては、このくらいにして本題の「『敗戦後論』論争」に入ることにする。

ここでは、今更『論争』をなぞるのはいかにも古証文をくくってみせるようなもので、すでに小谷野が「たいした意味はなかった」と言っていることだから、省略する。

そこでまず、加藤典洋がで、どんなことを言ったのか『キーワード』を上げて簡単に説明し、そのあとで僕なりの意見を重ねることにしようと思う。

『敗戦後論』には、前書きのようにして、加藤の小学生時代の逸話が語られている。あるとき学校の遠足でいった場所で他校の遠足と一緒になり、学校の代表のような形で一人ずつ出て相撲を取ることになった。自分の学校の代表が「土俵際に詰められ、踏ん張り、こらえきれずに腰を落とした。と、うまい具合に足が相手の腹にかかり、それが巴投げになった。」自校の生徒はどっと拍手をして喜んだ。自分もつられて拍手をしたが、そのときの後ろめたさを忘れられないというのである。

相撲が一瞬にして柔道になったことが、そしてその技で勝ったことに拍手した自分が、許せないと加藤少年は思った。

日本国憲法についても、そんな感じを持つという。

成長して後、憲法の成り立ちを勉強した時に、この思い出がよみがえったのだそうだ。つまり、日本国憲法は他人によって押しつけられたものであるにもかかわらず、我が国民にとって至上のものであるというのは「うしろめたい」気がするというのである。

これは「声明」2の最初の「戦後日本の憲法には、『戦争の放棄』という項目がある。それは、他国からの強制ではなく、日本人の自発的な選択として保持されてきた。」と言う文言に対応している。

加藤は、日本国憲法の成立過程を文献を上げて証拠立てし、偽りのルーツによる『汚れ』(一種の心持ちの悪さのこと)を正すには、あらためて日本国民の手によって憲法を選択し直さなければならいと主張する。

この日本国憲法について、どう考えるか、というのが『敗戦後論』によって触発された僕の第一の主題である。

これは一義的には『戦争放棄』のことであるが、その延長には『天皇の戦争責任論』と天皇制の問題がある。憲法を採択し直すというのであれば当然のことであるが、この二つがテーマとなる。

さらに、加藤は一連の論争の中で、日本の加害責任論に対抗する形で、日本は大儀のない侵略戦争を戦ってアジアに迷惑をかけたと認めた上で、アジアにおける戦争の死者を悼むより前に、日本の戦争による三百万の死者を悼むべきではないかと述べた。この背景には、当時韓国人従軍慰安婦が日本政府を相手に賠償請求した事件があり、他にも、中国から南京虐殺や重慶空爆など旧日本軍の暴挙を批難する動きがあったためにそれに対応したものになっている。これは、政治問題としての『アジアに対する謝罪』と『靖国問題』につながっている。加藤は、この問題が生じる原因として、自民党の代議士に代表される保守派と野党や市民運動・リベラル派に代表される二つの対立軸にあると言った。つまり、日本人はジキル氏とハイド氏の二つの人格に分裂して戦後を生きてきたといったが、この発言は、侵略を認めたくない右翼からも謝罪を優先する左翼リベラルからも非難されることになったのは当然であった。

これは、いわば『敗戦国の責任の取り方』論であり、不毛な議論を繰り返してきた左右どちらの陣営にとっても、どう決着をつけるか、つまり分裂した人格を一つにまとめるという第二の主題を提示している。

加藤は、少年の頃の潔癖さを未だに持ち続けている立派な人格で、日本国憲法に対してある『汚れ』を感じているが、その第九条は守るべきであるという意見の持ち主である。

加藤は憲法が発布された後に生まれ、たまたま『勉強して』その成立過程には不純なものがあると感じたが、それで何か不都合があったかと言えば、そういうことでもなさそうだ。僕も、彼と同世代で後に憲法の成立については実にドラマティックないきさつがあったことを「勉強した」が、これが汚れていると感じるほどの感受性をあいにく持ち合わせていなかった。

だから、憲法とは立法府がこれに抵触する法律を作ってはいけない、行政府がこれに違反する政策を行ってはいけないと言って、国家権力を規制するための規範であり、国民の側から見れば、国民の総意を一気にそこにゆだねている成文化された「国家=構成する国民」というものの正体であり、その枠組みであると普通に理解してきた。

この精神に照らして、僕は、加藤のような居心地の悪さを感じなかったし、憲法が僕らの生活を圧迫していて、邪魔になると感じたことは一度もなかった。もしも、国民が憲法は「我らが総意」を汲んでいないというのであれば、これは手続きは大変だが、変えられるようにできあがっている。僕は、そのときがいつかは来るかも知れないと考えている。しかし、今に至るもその必要性を僕は未だ感じたことがない。

さて、加藤のいう憲法を選び直して「汚れ」を祓うとは具体的にどういうことか。その方法は、いくつか考えられる。まず、現行憲法を廃して新憲法を日本人の手で創案する、というのが(原点に返ることになって)、加藤にとっては好都合に違いない。しかし、彼は九条はあってもいいと言っているのだから、それ以外の条項を検討して、新たに創案することが考えられる。それでいくと、いずれにしてもどれを残してどれを変えるかという議論になる事は必定である。

それが、現在ある改憲論とどこが違うのかと言えば、単に改憲の動機が違うだけで、結果としてやることは一緒と言うことになるのではないか。何のことはない、加藤の提案は、これまで延々と続いてきた九条(天皇論も含む)をめぐる改憲論に還元されてしまうのである。

こんな単純なことをご大層に何頁にもわたって書き付けるのが文学者である。

加藤は、「勉強して」分かったことをあたかも自分が経験したことのように物語って「戦後」の出発点が「汚れ」「ねじれている」(「戦後」が「戦前」と連続していないと言うことか)ことを嘆いて見せた。憲法を押しつけられた経験者、さしずめ白州次郎あたりの、あるいは捕虜引き揚げ船で「しょったれた日の丸」を見て「これが戦に負けた日本の姿だ」と国と自分に毒づいた大岡昇平の衣装を身にまとって見せる。川村湊は、どうしたらこういう芸当ができるか不思議だと言ったらしいが(「現代文学論争」)勉強をしすぎて対象が憑依するというのはないものでもない。戦争帰りの教師が、日の丸、君が代はごめんだと生徒に教えると、あたかも戦場でひどい目にあった兵士たる教師が憑依して、経験したこともないのに日の丸、君が代を憎むがごとくである。

こう言うのは「勉強ができる」ものほど陥りやすい錯誤である。僕の子供の頃は、日の丸、君が代は保守反動の象徴としてインテリのよく尊敬するところではなかった。おかげでインテリでもないくせに未だにこの二つには多少の感情がゆれる。がしかし、「国家」に死ぬ目に遭わされた経験もない若い教師が、日の丸に頭を下げず、君が代を歌わないというふるまいには、けしからんとは思わないが、ある種の痛々しさを感じるものである。痛々しさとは、こんなつまらぬものに、職業を賭け家族の生活の安寧を賭けるほどの意味はないと思うからである。

こういうものがつまらぬ意地だと見えるのは、そのうらにある組合の運動方針の根拠たる「国家」とは何かという定義と認識がくだらない屁理屈だからである。

危機存亡の時でもないのに、「押しつけられた憲法は汚れている」などというどうでいいことにこだわるのもそうだが、「日の丸」「君が代」などと言う今更ながらの事柄につまらぬ意地を張って生活と命まで賭けるという日本人の精神構造の、この頑迷というか建前論の屁理屈好きの朱子学的習性は、もはや宿痾と言ってもいいレベルではないか。

僕は、「日の丸」が絶えず自分のそばにぶら下がっていなければ日本国民たる自覚がなくなるほど自分の精神が危ういものとは思っていないので、家で国旗掲揚などと言う七面倒なことをする気はない。しかし、必要とあらば頭を下げて敬意を払うことを拒むものでもない。「君が代」については、「君の世がいやさかであれ」という歌詞が嫌いだというむきもあるが、これを歌うからと言って僕は自分が天皇の臣下であると思ったことは一度もない。こんなものは一種のたとえ話、物語、古い文学にすぎない。日本が近代化する過程でどうしても必要だった道具立ての一つで、今となっては骨董品の輝きを発してむしろ美しいとさえいえる、などと書いたら喜ぶむきがあるかも知れないな。国歌というものが何がし、なければいけないなら「君が代」にこだわることもないが、あえて青筋立てて否定するほどのことではない。言わずもがなだが、我が国の国歌としてふさわしい代案があるなら、何時でも検討したらいいと思っている。またこういうと、加藤のような潔癖症や朱子学的空理空論を唱える輩が出てきてやかましいことになるのがやっかいではあるが。

ところが僕は、他人と同じことをするのが大の苦手で、なるべく国歌斉唱の場に遭遇しないようにしているが、やむを得ず同席することになれば口パクで済ましている。これは対人恐怖症という精神の傾向性がそうさせるので、決して思想的な背景があるわけではない。あるいはまた、子供の頃にさんざん「日の丸」「君が代」論を聞かされたせいで、この言葉に対する心的外傷が未だ癒えず、つまり古傷がうずいているのかも知れない。

中途半端だがひとまず、中断。

再び、はじめる。

「日の丸」「君が代」などと言うあらぬ方角へ暴走してしまったが、話を元へ戻そう。

日本国憲法である。

とりわけ、「声明」がすべての戦争に反対だという根拠を、我が国の憲法第九条においているのだから、この問題からはじめよう。

今さら、条文を確認する必要もないが、これは日本は軍隊や武器などの戦力を持たないし、国際紛争を解決する手段として武力を使わないことを国家が決めて国民に宣言し、その国家の主権者たる国民がそれを認めていると言うことを意味している。

ところが、武力は永久に放棄すると言っておきながら、’50年、警察予備隊設置から自衛隊まであっという間に再軍備をしてしまったために、これは憲法に違反すると野党が反対し、左翼・リベラルが騒いた。

自衛隊は、階級の呼称を工夫したり、上陸用の戦力を持たないなどの部隊編成上のいいわけを用意し、軍法会議も持たないといった一種の偽装を施して軍隊ではないとした。政府は、憲法九条が自衛のための戦力まで放棄しているわけではないとの解釈で合憲と主張したが、数多く訴えられた裁判の下級裁判所では時々違憲の判決もでた。当然である。自衛隊は、陸、海、空軍をそろえた陣容から、その保有する武器のどこからどう見ても軍隊である。

これを政府は軍隊ではないといい、反対派は「憲法を守れ」といって果てしない対立・論争になった。

護憲派の言い分は、日本は戦争や軍隊を放棄したのだから戦力たる自衛隊は要らない、憲法九条に違反しているというものだ。それに対して改憲派は、ならば憲法を改定して自衛隊を合憲にしてしまおうというのである。

護憲派に対して改憲派が、もしも日本が他国に侵略されたらどうするのかと迫ると、「いや、話し合いで解決する」という。話し合いが着かない場合はと問われると、「とにかくそうなる前に話し合いだ」と言ってそれ以上前へ進まない。侵略されて武力がないならやられっぱなしになるのは当然だが、そういうことは「考えなくていいこと」にしようというのだ。

森嶋通夫などは「侵略されてもしようがないじゃないか、なに、五百年もたてば血が混じって日本人だか何人だか分からなくなる」といったが、自分を守る武力を持たないと言うことは、そういうことを覚悟することだという意味である。

南米のことを思い出して言っているのだろう。人類はすでにこういうことをしているのである。

護憲派にそういう覚悟があるとは思えないし、それを言ったとたんに皆離散してしまうだろう。とにかく何が何でも憲法九条を守ろうと、これはすでに理屈抜きの宗教になっている。

一方、改憲派は武力を持って国際貢献できる「普通の」国になると言う比較的穏健なのから「核武装しなければ」正常な国際関係は成立しないという過激なものまで様々である。

こちらも、どの程度が「普通」なのか、たとえば国連軍のようなものを想定しているといっても国連の意向が我が国の利害と一致しない場合もあるかもしれない。そもそも国連が大国の利害を調整できるのかあやしいところ大である。

また、核武装と言ってもいざ実現しようと思ったら、米国は核拡散防止条約を楯にいやな顔をするだろうし、アジア諸国はとたんに青筋立てて批難しはじめるだろう。やってやれないこともないが、どう考えてもあまりいいことはなさそうだ。隣国が領土問題などで脅しをかけてきて、どうにもたまらなくなったら考えても遅くはない。何しろ、水爆を作る材料は始末に困るほど我が国は所有しているし、いざとなったら一夜にして水爆の十個や二十個を作れる能力があることくらい知らせておく必要はあるのかも知れない。

水爆というのは原爆を起爆剤にして水素原子の核融合をやるのだが、これは太陽が日常やっていることそのままなので、たとえば日本列島なら十発もあれば壊滅するという威力のものだ。世界には、と言っても米国とロシアだが、これが何千発も残っていると言われている。実際これを使ったら地球がおかしくなるのは確実で、 こう言うのを脅しに使えるといっても、誰も本気で攻撃に使う気になるものはいないだろう。

ところが、国家と国家の間にはいざとなれば殺し合いをするという可能性は存在する。弱肉強食が国家の存在原理だと言うことを忘れてはならない。

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2018年6月21日 (木)

ジャーナリストの頓珍漢

前回、AIは人間の能力を超えたものではなく、大量のデータを素早く処理する機械であり、蓄積された「過去」を元にしていると言う意味で、その先に来る未来は本質的にConservative=保守的であると書いた。

そうしたら、メールマガジン「田原総一朗公式サイト」から最近(6/12/18)届いた文の中にタイミング良く次のような記述があった。

囲碁や将棋で人間がAIに負けたことやAIのせいでメガバンクが千人のオーダーで人員削減することをあげて、

「・・・これらは、専門に特化したAIだ。

対して、人間と同じように思考するAIがある。

汎用型AIというものだ。この汎用型AIが進化すれば、近い将来、人間の知能を超えるときが来る。

それを「シンギュラリティ」と呼ぶ。そのとき、AIはどうなるのか。

人間のように感情的になって、暴走したりしないのか。そして、人間はどうなるのか。・・・」

僕が「シンギュラリティ」など杞憂に過ぎないと書いたのは今年の三月だった。

田原さんが読んでいたら、こんなことを書かなかっただろうが、それにしても「ジャーナリスト」というのは単に「話題」が重要でその中身についてはどうでもいいとは言わないが、あまり深い関心がないものだと言うことがはからずも露呈したのではないか、とこれを読んで僕などは思ってしまう。

メガバンクが大規模なリストラをするのもAIのせいだというが、事務処理がそんなに早くAIに取って代わるというなら他の業界の事情も同じはずで、いまごろリストラの嵐が吹きまくっているはずだ。とは思わないらしい。

本質的にはむしろ銀行の収益構造が変わりその社会的役割が変質しつつあるということだろう。いま街中から銀行の店舗が次々に消えていることはその象徴的出来事である。

これも追求すると低金利「資本主義」(つまり利益を生み出す時空間がせばまりつつある時代)ががどのように変容していくのかという問題につきあたるはずだが、この観点は、ジャーナリストにとって「話題」としてはあまり魅力的でないのだろう。

田原さんが言うところの汎用型AIのことだが、今どうなっているのか。

「アルファ碁はなぜ人間に勝てたのか」の著者、斉藤康己京都大学教授がAIに出会ったのは40年前留学先のイギリスだった。それから15年ばかりAIの研究に取り組んだが、次第に限界を感じて、結果宗旨替えをしたという。

例えば、囲碁というゲームに勝つためのプログラムを構築する、というテーマで論文を書くというのは、立派な研究に違いないが、やっていることはデータの処理技術ではないか、といわれたらおそらく反論のしようが無い。

僕の勝手な想像だが、斉藤教授が夢見ていたのは、自分でものを感じ、理解し考えるAI=人工知能、のことで、いわば人間そのものの再現なのではないか。

宗旨替えというのは、認知科学という新しい脳の機能の研究分野だったことがそれを物語っている。

ただ、人間の脳は、それだけで機能しているわけではない。目や手や足、全身の感官器官と情報のやりとりしていることを考えれば、この人工知能は身体を持つ必要がある。

ロボット研究とはまた別のアプローチからAIロボットをつくろうということなのだろう。

とりあえず人間が脳内でどのようにして情報処理をしているのか分かれば、それを機械に移すことは可能だ。

最近は、時々聞こえてくるように脳の神経細胞のネットワークや部位別の機能など少しわかってきたこともあるようだが、斉藤教授によると細かな情報処理機構は未知の部分が多いということだ。

例えば、幼児が一時に爆発的にボキャブラリーを増やして使いこなす現象やたった一度ある新しい言葉が使われる場面で、この言葉を正しい概念と対応付けできてしまう「即時マッピング」などの言語獲得分野だが、そんなことがどうして可能なのか誰にも分かっていないのだ。

人間の汎用的な「学習」についても、その脳内プロセスを特定するような研究成果は今のところ皆無。人間が一体どうやって知的なふるまいを行っているのか、いわばその情報処理のスペック、仕様についてはまるで雲を掴むような状態で、認知科学に宗旨替えしたのはいいが「日暮れて道遠し」だと斉藤教授は嘆いている。

そういえば、最近「AIが東大受験するプロジェクト」というのを断念したことを耳にした。

これは、国立情報学研究所がやってきた「東ロボ君」のことだが、何でも「現代国語」の問題文を理解出来なかったことが一つの原因らしい。

試験は大概、長文とそれについての設問でできている。

例えば「この文の要約として適当なのは次の四つのうちどれか?」などと言う問題があったとすると、文中のキーワードの出現分布とか頻度とかを使って解答するらしい。

これは予備校で教える受験テクニックみたいなもので、斉藤教授にいわせるとこんな「姑息な」手法ではとても東大合格はおぼつかない。

そもそも人間が「分かる=理解する」とはどういうメカニズムで機能しているかまるで見当もつかないのである。つまり、AIに文章を意味としてとらえさせるプログラムを構築することがおそろしく困難なために、確実に正解が出せないと言うことなのだ。

この汎用型AIのことはまたあとで取り上げることにして、田原さんの心配の種である「AIが人間の仕事を奪う」時代ということについてである。

毎度おなじみの古典的なテーマがジャーナリストの関心事であるのは困ったことだが、これについて、

「先日、僕が信頼する2人の経済巨頭と激論をした。榊原英資さんと竹中平蔵さんだ。この鼎談は、『AIと日本企業』という本になっている。そこでの結論は、2人とも僕と同じだった。「AIの進化によって、人間のチャンスはむしろ増える」というものである。我が意を得たり、という気持ちだ。既存のものに縛られる人間は悲観的になる。この2人のように、テクノロジーをおもしろがり、それを使って新しく何かをしようと考える人間は、いつもエネルギーに満ちている。自分も、いつまでもそんな人間でありたい、と強く思った。」

と書いている。

80歳を超えてなお意気軒昂は結構な話だ。鼎談のお相手が新鮮でないことはともかく「AIが人間の仕事を奪う」時代にはすでに生きていない巨頭ふたりでは、話が無責任になりはしないか。「リーマンショック」も予測できなかった経済学者が来たるべきAI時代に言及できるのかと半畳を入れたくもなるが、その前に一体誰が仕事を奪われるといっているのか?

人間はもともと怠惰なものである。遊んで暮らしていけないから仕方なく仕事をしている。どうせやるなら楽にこなせないか常に考える生きものである。結果、石器にはじまり土器鉄器プラスティックと有史以来様々なものを開発してきたが、大概は生きていく上で便利なものばかりと言える。

最近では、総力戦を闘ったあげく大量に敵国民を殺す必要が生じたためにこれを楽にこなす兵器を開発したばかりである。ところが、愚かなことに敵も同じものを開発できるとは考えなかった。ために、人類皆殺しの武器は実際には使えないという奇妙な事態になっている。

昔、僕の故郷の街では鉄道がやってくるというので馬喰の組合が大反対をした。馬車の用がなくなることを心配したのだが、勢いに押された当局は仕方なく隣町に駅をつくる事にした。実に不便だったが、馬車は生き延びた。

ところが戦争が終わるとまもなく馬車は消え、貨物輸送は鉄道からトラックの世に中になっていた。

子供の頃、母親は、早起きしてかまどに火をおこし米を炊いた、午前中はたらいに洗濯板、石鹸で衣類を洗い、午後は掃除に繕い物、終わると買い物をして夕飯の支度、家族の為にだけ一日中休む間もなく働いた。これが中学生くらいになると「三種の神器」が登場してあっという間に主婦は「三食昼寝つき」と揶揄されるようになる。

それで、今はスマートフォン全盛の時代だが、これはパソコンが携帯出来るほど小型になって外にでたものと僕は認識している。

ところが、1987年生まれの落合陽一に言わせると、次のような大事になる。

「スマートフォンはおそらく21世紀でもっとも人の生活を高速に、そしてダイナミックに変えた装置でありインフラだった。・・・たった10年で人・もの・金・環境・哲学・美意識に至るまで劇的に世界のすべてを作り変えたのだ。

スマートフォンの普及による結果、人はインターネット上に第二の言論・視聴覚空間を作り、住所を持ち、SNSを生み、社会を形作った。言うなれば人はデジタル空間にもう一度生まれた。」(「趙AI時代の生存戦略」大和書房、2017年)

昭和24年に死ぬ前、満州事変の仕掛け人、退役中将石原完爾は「やがて一人ひとりが通信手段を持つ時代になる」と携帯電話=スマートフォンを予言していたが、それを誰も疑った形跡はない。人が想像したものは、大概実現することを知っているからだ。

ただ単に、石原が想像した時代が来ただけなのに30年そこそこの人生にとっては、スマートフォンごときが「劇的」変化に見えるらしい。

その結果、「人間の認識」ということまで変わったと、この若者は言うが、これは大問題だから、別に論じることにして、前に進もう。

職を失う心配のことである。

僕が車で移動電話を使い始めたのは約四十年前だが、その頃街中にはまだ公衆電話がたくさんあった。それがポケベルから携帯電話になり今はスマートフォンだ。それで公衆電話の会社がつぶれたか。

カメラもフィルムからデジタルに代わって、知り合いのプロカメラマンは「絶対に」デジタルは使わないと頑張った。現像所がなくなるとは思わなかったのだろう。

頑張ったコダックという米国のフィルムメーカーは、つぶれたが、富士フイルムは様々な製品分野で活躍している。

普通の人でもこういうことを知っているから、新しいものや技術やサービスが現れても何も驚かなくなっている、というのが常識なのに、職がなくなると心配をしているのは「ジャーナリスト」田原総一朗とその取り巻きだけではないか。

ジャーナリスト全部がこう頓珍漢だとは言わないが、近頃のマスコミというのは、何一つ魅力的な言論を発していないところをみると劣化が激しいといわざるを得ない。

田原さんが「汎用型AIが進化すれば、近い将来、人間の知能を超えるときが来る」と怖れるのは、「人間のように感情的になって、暴走したりしないのか。そして、人間はどうなるのか。」という心配である。

これについては、もう少し詳細な議論が必要だろう。

いうところの「人間の知能を超える」とはどういうことなのか。

複雑なゲームではすでにAIが勝っている。つまりある分野ではすでに「超えている」ことは周知である。しかし、これはビッグデータを処理するプログラムによって正解の確率を上げるという方法で人間の能力を上回っているだけで、「人間のように」ものを認識し、考えているわけではない。

AIが「猫」を認識するのに用いられている方法は、インターネット上にあるあらゆる「猫の画像」を天文学的数だけ、収集して記憶し、対象と照会するというもので、人間のように「猫」という概念で認識しているわけではない。

この方法なら、「猫」という形のあるものはいいが、例えば「幸福」とか「民主主義」とか「悪意」とか「猫を被る」とか形のないものをどうやって記憶させるのか考えただけでも気が遠くなるというものだ。

汎用型AIは、実際に可能なのか。

斉藤教授は、脳の認知機能は殆ど解明されていないといいながら、不可能だとはいっていない。

将来、可能だと思っているからだろう。田原総一朗も落合陽一もたいていの人は自分たちよりも優秀な頭脳が出現することを漠然と信じているように見える。

果たしてそうか?

僕は、これには二つの方向から考えてみる必要があると思っている。

まずひとつは、自分の「心」は外に取りだしてながめられるものか?取りだしたとたんにそれは別のものになってしまう、類のものではない?

もう少し言えば、人間の脳がその脳よりも優秀な脳を考えることが出来るかという矛盾である。脳は自分の脳を超えでることはできないというアポリアをどう考えるかという問題である。

もうひとつの考慮すべき方向性は、汎用型AIが実現した世界というものを考えてみるという思考実験である。人間と同じ同じように考え、感情もあり、あらゆる試験を突破する知性の機械が人間と共存する社会を想像してみるということは必要だろう。

熟考した結果、存在しても使えない道具、になるかも知れない。

最初の問題は、典型的な事例がいくつかある。

今思いつくのは、もう半世紀近い昔の話だが、「総括」で有名になった連合赤軍事件である。「総括」の意味は、今の自分がいかに「共産主義者」でないかを反省するということだった。

簡単にいえば、資本主義的価値観に汚染されていない真の「共産主義者」でなければ正しい革命はなしえない、という考えが支配していたために、これを一人ひとり徹底的に追求されることになった。

しかし、資本主義社会に生まれたものは、生まれながらに汚染されているから資本主義社会の中にいる限り真の「共産主義者」にはなれないのである。共産主義社会の中でしか真の共産主義者にはなれない。

初めから矛盾したものを正しいと信じさせる力が働いき、真面目すぎる若者たちがこれを信じたのだが、冷静に考えれば分かることであった。

ただ、マルクス主義者の間にはこの「資本主義社会の内部」から逃れられないという複合感情が根強くあって、アルチュセールや今ならジジェクにもみえるが、ここを理論的な限界と認めるものも多い。ユダヤ―キリスト教の「原罪」意識に非常によく似た心性で「イデオロギー」が「イデア」存在しない理想を前提にしていることがよく理解出来る。

(つづく)

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2018年6月11日 (月)

AIの本質はなにか。


この間、シンギュラリティ(人工知能が人間の能力を超える時代)など心配するほどのことではないといったことだが。

AIといえば、映画や小説の影響もあって、自分でなにかを感じ、ものを考えているようなイメージでとらえているむきもあるが、実体は厖大なデータを人間が作ったプログラムに従って処理している機械にすぎない。

再び囲碁の話で恐縮だが、昔、後の二十四世本因坊秀芳が最年少タイトル獲得者になった若手の頃、観戦記者に何手先を読んでいるか問われて「ひと目、千手」と答えた。

冗談か、おおぼらかとたいていの人は思ったに違いない。

しかし、本人はいたってまじめに答えている。

相手が打った瞬間に、いくつかの「次の一手」が浮かび、そこから数手あるいは数十手先までの進行予想が、ちょうどレイヤーのように重なって頭の中の碁盤に現れたらそれが合計千手くらいになるのは有り得る話だ。

現代の囲碁ソフトにかかると、一秒間に読んでいる手は100万手だそうである。「次の一手」の候補手からなんと、終局までの進行予測を何万通りもシミュレーションし、勝てる確率の高い手を選び出している。「絶対に勝てる」ではなくて、「確率」という点だが、ゲームのあらゆる局面を網羅してはじめてなしうるのが「絶対」で、それにはスーパーコンピュータ「京」を宇宙年齢136億年動かし続けても到達できない。「確率」としか言い様がないのである。

とはいえ、一秒100万手では人間がかなうわけもなく、機械が勝つ確率はぐんと高くなったということなのだ。

機械が人間に勝ったからと言って、プロ棋士が揃って職を失うかと言えば、今のところそんな話は聞こえてこないし、お先真っ暗と予想するものもいない。人間の知能と人工の知能は別のもの、ボクシングとレスリング戦いで力の強いレスラーの方が勝ったようなもの、かもしれない。

翻訳ソフトというのも近頃ではかなり良くなっているらしいが、これもAIが自分で文章を解釈して他の言語に翻訳しているわけではない。A言語とB言語の厖大な対訳事例を集めてその中から適切とされる確率の高い翻訳を選び出す作業を機械がやっているのである。

対象が何であれ、機械が自己学習を重ねて自動的に精度を上げていくというプログラムもあるが、それでもデータを処理するという点で、AIがやっていることは本質的に変わらない。

つまり、元になるデータがなければ何もはじまらないというのが人工知能なのである。それに肝心なのは、データを処理するプログラムである。これは外から人間が与えるほかない。

このふたつが、AI=人工知能の本質、正体である。

ここから見えてくる未来、言うところのシンギュラリティの先とは何を意味するか。

まず第一に、人工知能が判断するためにはできるだけたくさんのデータを集めなければならない。これは誰が何を集めるかはともかく、総じて人間の営みの集大成、つまり「過去」の集積のことである。

人工知能が判断する未来とは、何も突飛なものや想定外のものでもない。いわば人間の残した過去の集積の延長にあり、それ以外には描かれないものだと言える。

その「過去」を処理するプログラムは人間が組み上げなければならない。

囲碁のようにルールが決まっているゲームでさえ、「絶対」つまり「勝つ」は存在しても到達には物理的限界があるのに、それよりはるかに変数の多い事柄について、プログラムを構築するのはたいへんそうだ。なぜならゴールは無限にあり、それ自体が何処にも定位できないからだ。

しかし、人間がこれまで「過去に学べ」という教訓を曲がりなりにも信じて実行してきたはずだとすれば、膨大な数のデータ化された「過去」に学ぶのだから、そのプログラムがどの方向を向いていようと、まず「今そこにある問題」を解決するというベクトルを持つのは必然である。

つまり、人工知能が判断する未来は、囲碁における「次の一手」を探索するような方法で得られるものと似ている。AIは、根拠もなくデータも無く、ある日突然無から何かを創造する天才ではない。「次の一手」はその直前に打たれた「一手」が(つまり「過去」)規定するのである。それによって方向付けられているのだ。

これは何を意味するか。

AIは革新的なものではないということを示している。

つまりAIの本質は、Conservative=「保守的」にあるということである。

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2017年12月27日 (水)

デザイナーになったぞ!

竹田青嗣 「欲望論 第二巻『価値の原理論』」に取りかかったとたん、予期せぬブレーキがかかってしまった。

使っていたアドビ社「Illustrator CS3」と「Photoshop CS3」が開かなくなって焦ったことが原因だった。

このソフトは、三十年近く前の、たぶんVersion3.0あたりから使い始めて延々金をかけ更新してきたものだ。いま、アドビ社はソフトのDVDでの売切りをやめ、Webによる期間使用契約に切り替わっている。他のソフトも合わせると年間二三万円もかかるし、「CS3」の機能で十分だからそのまま使っていたのだが、この間、突然「以前のJava SE 6ランタイムをインストールする必要がある」との表示が出て開かなくなってしまった。

Macは自動的に、と言うより勝手に、OSのヴァージョンアップをする。夜中に、再起動する「ジャーン」という音が何回か聞こえると新しいOSがβ版だろうとなんだろうと勝手に入ってくる。時間がかかるOSのインストールは夜中に限るというわけだ。

そのたびに少しづつ使えなくなるソフトが発生する。

「以前のJavaを再インストール」してもとうとう「Illustrator CS3」と「Photoshop CS3」は開かなくなってしまった。

四十才台からずいぶん稼がせてもらったソフトだから、しようが無いと諦めるのはいいが、では年間契約に切り替えるかといえば、とっても躊躇せざるを得ない。

開店休業の有様では、高額のソフトがあっても宝の持ち腐れである。

とはいえ、この二つの機能が我が愛用のMacからなくなると実に不便で不安。つまり、今までやれていたことができなくなるというのは実に恐怖である。

そこでフリーで使えるソフトを大急ぎで探してみた。

さんざん探し回ったが、代わりになるような機能のソフトは皆高額であった。

そのうちに、家人が恒例の年賀状制作を催促してきたものだから、多少の出費は止む無しと「Affinity Designer」と「Affinity Photo」締めて12,000円を購入した。

使っていた「Illustrator」と「Photoshop」とは使い勝手がまるで違った。

むろんその二つとも現在のヴァージョンはかなり進んでいるだろうが、新しくあつらえたソフトは画像の分析と処理の能力が格段にアップしていた。

例えば、風景の中の人物だけを取り除こうとすると、人物と背景の境界を読み取りその部分を削除し、人物の背後にあらたに背景を合成する必要がある。その離れ業が画像をなでるだけで瞬時に出来るようになっていた。あっ?消えた!まるで手品でも見ている気分である。

もっとも驚いたのは、いとも簡単にマスク画像を作れるようになっていたことだ。風にたなびく髪の毛の一本一本までごく自然に切り抜ける。それがたいした手間もなく出来るのには感動した。多彩なグラデーションの作り方も新しい発想だった。

こういうのは、時間をかければ「Photoshop」でも出来たが、僕に来る注文は画像処理よりグラフィックデザインやプレゼンテーションだったからあまり必要なかった。しかし、こんなことができたら、もっと役に立てたかも知れない。

せっかく購入したソフトだから早く慣れなきゃと思い、やっているうちにだんだん面白くなってきた。チュートリアル映像も多数あるから見てると厭きない。

そのうち、映像を見ながら自分でもやるようになったら、とうとうはまってしまった。夜中に目を覚ますと、やらずにいられなくなり、朝までかかって3D画像をつくる、なんてことが度重なるようになって、本を読むのがお留守になっている。

「欲望論」を読むのにあと二冊参照する本を同時並行で読んでいるので、第一巻のように一気呵成に読み上げるというわけに行かないが、そのうち「Affinity 」にも厭きるだろう。

いや、そんなことをいうためにこれを書いたわけではない。

これはつまり、僕の営業活動である。

チラシやポスター、ブックレットなどのグラフィックデザイン、コピーライティング、画像処理、年賀状制作、パッケージデザイン、などの他、Web用映像制作のご用命も承ります。制作費用はに相談に応じますので、お気軽にお声かけください。

よろしくお願いしますよ、皆さん!

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