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2025年10月 2日 (木)

村上春樹の立ち位置

41z6b4xhtjl_ac_ul640_ql65_ 僕がかつて書いた「『井上ひさしさん、お別れの会』(丸谷才一)の近代文学史」 と言う文章の中に村上春樹について書いた部分があるが、なぜ彼はノーベル賞に遠いのかがわかるかもしれないので、今回はそこを抜き書きして紹介しようと思う。

 

丸谷才一が、「お別れの会」で読んだ追悼文の中で、井上ひさしの日本文学史における立ち位置を確かめようとして、平野謙の見解を参照している。
平野謙は、1930年代初頭の日本文学について芸術派と私小説とプロレタリア文学が並び立っていると見ている。丸谷才一は、この図式は現在にもあてはまるのではないかと考えた。

 

「芸術派にあたるのはモダニズム文学で、代表は村上春樹の、アメリカ批評の用語で言えばロマンスでしょう。私小説は、作者身辺の事情に好んで材を取るという 意味で大江健三郎ではないか。そしてプロレタリア文学を受け継ぐ最上の文学者は、井上ひさしに他ならない。その志は一貫して権力に対する反逆であり、常に 弱い者の味方だった。」

 

僕はこの見解に違和感を覚えたので、多少の異を唱えたのであるが、その主な理由は以下のようなことであった。
大江健三郎は『個人的な体験』以来確かに『作者身辺の事情に材をとる」ようになったが、それには個人的なものを普遍へと昇華させようという意思が見られ、それ杖私小説の枠には入りきれない、と言ったのである。また、プロレタリア文学の要件は、イデオロギーにあるが、井上ひさしの作品に、それはまったく見られない。従って、『反権力』だからと言って、プロ文の系譜に入れるには無理があるといったのだ。
そして、芸術派であるが、平野謙は、これをイデオロギーに囚われない、いわばプロ文には反対の作家たちをまとめる名称として提示した。それがモダニズム文学として現代に継承されていると丸谷は指摘したのである。その代表が、村上春樹だと言ったのだが、では、モダニズム作家にはほかに誰がいるのかといえば、思い当たる節がない。村上春樹はだれも仲間のいない孤高の作家ではないか?では、モダニズム文学とは何か?「アメリカ批評の用語で言えばロマンス」だというがなにを意味するのか、もはや理解不能である。

 

そして、以下が、芸術派とモダニズム文学、そして、村上春樹に対する僕の見解である。

 

ところで、言おうか言うまいか迷っていたことがあったが、ここまで書いた以上思い切って述べることにする。
私小説とプロレタリア文学について「現在に当てはめる」のは無理があると言った。では残る「芸術派」についてはどうかと言うことである。

村上春樹についてはあまりまともに読んでいないので、書くのをやめようと思ったのだが、村上春樹と芸術派が対応関係にあるのかということなら一言言っておこうと思った。つまり、それで「平野謙が見た戦前の図式」が「現在にはあてはまらない」という僕のささやかな仮説の証明にとって必要十分条件を満たすというわけである。

(以下は、閑談と思っていただきたい。)
村上春樹の出発点にあるのは、明らかに現代の米国文学である。それもフォークナーやジョン・スタインベックなどの正統的米国文学あるいはヘミングウエイらのロストジェネレーションと呼ばれる作家たちの伝統とは一線を画すと言ってもいいマイナーなジャンルの小説の影響を受けて小説を書き始めたのだ。

典型的には、「ニューヨーカー」に短編を寄稿していた作家たちの作品、たとえばサリンジャー、カート・ヴォネガット、ジョン・アービング、ジョン・アップダイク、アーウイン・ショーといった一連の都会派小説といわれるものである。最近レイモンド・チャンドラーの翻訳をしたところを見ると、米国ミステリーやハードボイルドにも関心があることをうかがわせる。

おそらく村上春樹は、こういう小説がなぜ日本にないのだろうかと疑問に思い、それなら一つ俺が書いてみようと思ったに違いない。その気持ちは、実はアーウイン・ショーを耽読した時に僕が感じたことでもあった。いや、むろん本気ではなかったけれど、米国大陸の乾いた風土でなら可能かも知れないが、我が国のような高温多湿の気候では成立しないかなどと考えていた。

こういうものを戦前の日本文学に見つけ出そうにも皆無である。無理矢理こじつければ井伏鱒二か太宰かと言うことになるが、潮流と言うにはあまりに心細い流れである。つまり、芸術派すなわちモダニズムと言ったところで、所詮私小説にもプロ文にも分類できないものを集めてまとめてみせただけで、何が本流なのかわかりにくいのである。

わかりにくいが、逆に追いかけて現在の(といってもすでに二、三十年は経過してしまったが)米国の都会派小説は、平野謙が見ていた三十年代のモダニズムのどこにつながるのか考えてみてもいい。

あの当時の日本文学の、いや平野謙当人のと言ってもいい、視野の中に欧州文学はあっても米国文学があったとは思えない。日本文学史は、米国文学に関心がなかったのである。

少しせっかちなまとめ方をすると、日本において、米国文学のしかもそのマイナーな部分を面白がって、その影響のもとに創業して成功したのは村上春樹が最初で、それは日本文学史の伝統にはないオリジナルの位置にある。

 

ところで、日本文学史が米国文学に関心がなかったのは、日本に「芥川賞」と「直木賞」があったからだ。この二つの賞は、希代のマーケティング・プランナーである菊池寛の発明だが、もう役割はとっくにすんでいるどころか我が国小説界に悪しき毒素を振りまいている。

かつて、ある出版社が現代日本文学全集を編むことになって人選をはじめたら、三島由紀夫がいいだした。松本清張を入れるなら俺は降りる。そこを何とかと言っても断固たる態度で聞き入れてくれない。大衆小説と純文学を一緒くたにされたくないという三島の考えだろうが、少なくとも清張は芥川賞作家である。柴練や五味耕祐(受賞しているが、あとで剣豪小説と占いに転向?した)とは違うのだ。結末は確か清張が苦笑しながら降りることを承知したのであった。

米国文学にはこんなくだらない分類はない。しかし、日本文学史は、大胆なことを言いますと、米国文学を全体としてなんとなく「直木賞」のジャンルにみていた。有り難くなかったのである。だから相手にしていなかった。村上春樹だって最初は遠巻きに見られていたし、芥川賞だってくれてやらなかったではないか。

 

文芸誌の衰退ぶりについてはすでに述べたが、三十年代の文学地図を片手に現代文学の案内をしているようでは回復の兆しは見えないと言うべきだろう。何でも衰退しているものの処方箋を考えるくせがあるもので、考えてみたのだが、文芸誌にとって必要なことは、ジャンルはあまり気にしないで、面白がる第三者をたくさん育成することだろう。つまり、小難しい文学談義はやめにして、批評家を育てることだ。もうひとつは、哲学、思想界にすんでいる人々との交流を盛んにして、作家と批評家の思想を鍛錬することである。
そして、もはや影も形もない文壇なるものにとらわれない広い視野で文学史を編み直した方がいいと思う。(当事者でもないのに余計なことを言ってしまった。)

 

村上春樹の言動にたいして関心はなかったが、最近、エルサルム賞を受賞したことをニュースで知った。これはイスラエルが与えるものだから、イスラム圏を敵に回すおそれがあって、考えどころだったが熟慮の末に受けることにしたと言うことらしい。
そこでの挨拶が見事であった。

 

<挨拶文>
 「受賞の知らせを受けたとき、ガザで戦闘が続いていたこともあり、この地を訪れることを警告されていました。私は自問しました。イスラエルを訪れることは適切なのだろうか?どちらか一方の側に味方する行為にならないだろうか?
 じっくり考えました。そして、来ることにしたのです。多くの作家がそうであるように、私も他人に言われたことと反対のことをするのが好きなのです。これは、作家としての習性なのです。作家は自身の目で見、自身の手で触れたもの以外を信用することができません。だから私は見ることを選びました。口を塞ぐことよりも、ここで話すことを選びました。私が話したかったのはこういうことです。
 もし、硬くて高い壁があって、そこに卵が投げつけられていたら、いかに壁が正しく卵が間違っていたとしても、私は卵の側に立つのです。
 なぜか?なぜなら、我々はみな卵だからです。かけがいのない魂を壊れやすい殻の中に宿した卵なのです。我々は、誰もが高い壁に立ち向かっています。高い壁とは、普通なら一人の人間としてやるべきではないと思うようなことまでやらせようとするシステムのことです。
 
私が小説を書く目的は一つしかありません。それは、個人の中の無二の神性を描き出すことです。唯一無二であることを祝うためです。システムが我々を紛糾させるのを防ぐためです。だから、私は生きること、愛することの物語を書くのです。人々を笑ったり泣いたりさせるように。
 我々はみな同じ人類であり、独立した人間であり、壊れやすい卵です。壁と戦っても勝ち目はありません。壁はあまりに高く、あまりに暗くて、あまりに冷たいのです。壁と戦うには、我々は魂を一つにし、温めあい、力を合わせなければなりません。システムに主導権を握らせてはいけません-システムに我々がどんな人間かを規定させてはいけません。我々がシステムを規定するのです。
 あなた方に感謝します。イスラエルの皆さん、私の本を読んでくれてありがとう。何か意義深いことを分かち合えたら、と思います。あなた方がいることが、私がここに来た最大の理由なのです。」

 

井上ひさしの作品が「一貫して権力に対する反逆であり、常に弱い者の味方だった。」という評価に一脈通じるものがあると思いませんか。
この一点で、村上春樹をプロレタリア作家の裔と言ってもいいくらいだ。(いや、これは冗談!)

 

ここまでが、僕の「『井上ひさしさん、お別れの会』(丸谷才一)の近代文学史」の中の文章である。
ところで、村上春樹がノーベル賞を取るのではないかと長年期待されてきたが、一向にその気配がない。そのうちに、ボブ・ディランが受賞するという椿事が起きていったい何事か?と思われたが、その後平静さは取り戻された。
で、村上春樹の受賞だが、なぜ人々の待望の声にもかかわらず、ノーベル賞の選考会はこれを決定しないのか?というのはだれにも疑問である。
これまでの日本人の選考については、確たることはないが、まことしやかに言われていることがある。
それは、日本の推薦と日本国内の評判だというのである。
例えば三島由紀夫は、推薦に値する作家に違いないが、国内の評判に多少瑕疵が見られるという理由で、見送られたとうことが噂されていた。右翼的な言動が祟ったのかもしれない。その点、川端康成と大江健三郎は何位抵抗もなく受賞にこぎ着けたのだろう。
さて、では村上春樹はどうか?
国内で、彼を推薦するものは果たしているか?ファンと称するものはごまんといるが、ノーベルの委員会が期待するアカデミーの世界で見ると、ほぼそれが見当たらない。文学として研究するものはいても、それが権威までにはなっていないのだ。
では、評判はどうか?
村上春樹の小説は、アメリカ文学という我が国ではマイナーな系譜に属しており、それは必ずしも純文学とは捉えられていないと言う事情がある。つまり、純文学と言えないものは娯楽作品の類になり、内容がどうあれ評判は一段低いものにならざるを得ない。
もうひとつ、村上文学に対する批評が少ない。優れた批評があって始めて、小説は文学になるのだが、そのような有効な批評を僕は知らない。
そう言うことが、村上春樹が受賞に遠い理由ではないかと僕は考えている。

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