// お天道様がみているぞ!
とりとめないことを書こうとしている。
その肝心の、何故そう思ったのか、を書く前に、結論だけをいって、おしまいにしてしまった。
何故、「保守」のことに言及したかというと、大学時代の友達からメールで暮れの挨拶があったのだが、その中にとんでもない出来事が起きたとあって、どうにもやりきれない気持ちになった、というのが動機だった。
それでいろいろ考えていたら、これは僕が保守的になったのではないかと思って、保守とは何かを考えたのだ。
彼の専攻は理学部生物学科で、それと関係があったかどうかはともかく、たくさんの種類の野菜を育てていたらしい。家庭で食す野菜のほとんどを網羅していたというから熱は入っていたと思う。
そうはいっても、家庭菜園のことだから、他所へ売りに出すほどの量になるはずもなく、おそらく近所にお裾分けする程度は出来ていたのだろう。
僕はその姿を想像して、驚愕と悔しさと怒りで頭がいっぱいになった。
誰がそんなことをしたのだろう。
すると、この所業に及んだものは、他人が育てた野菜を盗んで、菜園の主が困惑し、怒りに震えるのをみたかったのか。動機はどうでも食べるも売るも出来ないのにそんなことをしたのは、実に底意地の悪い、救いようのない根性である。
なんと言う暗い情熱!
こんなことを誰がしたのか。
してみれば、昨今、果物や野菜を夜中に畑からごっそり盗んで売り歩くものが捕まったりしている。その犯人は外国人であることが屡々である。
決めつけるのはいけないというかもしれないが、『お天道様がみている』と思うものに、これはなかなか出来ないはずだ。
結論を言ってしまおう。
外国人をむやみやたらに移民させることには明確に反対だと言うことである。
安易に、移民を増やし続けた欧州の先進国は、国民の『分断』という深刻な問題に悩まされている。移民によって成立している米国に至っても、不法移民を追い返す政策に取りかからねばならない始末である。
以前、何故インドやアフリカ諸国の人口が増え続けるのかという疑問を調査した結果、社会学者の見田宗介が、これらの社会では『子供は一種の老齢年金であり、老後の保障なのだ』と喝破した。
しかし、『女も男並』という理屈は自然に反した考えである。生物学的に、男と女は別のものという「違い」は歴史的に、文化的に個別社会の中に編成されてきたものだが、そうした自然に反したことは『理屈でねじ伏せるしかない』。「男も女も同じ人間ではないか」という理屈が社会を覆う時代はいつか来るかも知れないが、その時は子供を作るという自然のことが『(あるいは科学的に実行されるような)理屈でねじ伏せられている』かもしれない。すると、いよいよ『理屈によって』人類は人工ふ化あるいは滅びの道に入るに違いない。
江戸時代を通して我が国の人口は三千万とも四千万人とも言われている。統計などないときのことだから正確なことは言えないが、今の三分の一程度だと思われる。これが、明治になって日露戦争の辺りになると、今の半分くらい。六千万人程度になる。つまり百年前はいま怖れている「人口減少」の時代をすでに経験しているのである。
しかも、高度成長時代を迎えるときには人口増による食糧難を心配した時期もあったくらいで、長い目で見たら、かなりいい加減な議論なのだ。
ただ、少子高齢化は避けられないが、直ちにそれがやってくるわけではない。それまでに社会の設計図を書き換えていけばいいだけの話しなのだ。
いままでも、国の借金がGDPの二倍もあるなどと脅して、増税の機会を窺う政治家(立憲民主党)や官僚の存在が見え隠れするを僕らは知っている。
亡くなった石原慎太郎が言っていたが、「この国の財政は大福帳で管理するなんて馬鹿なことをしている。複式簿記を知らないのか。」とあきれていた。
複式簿記で管理された国家財政は、借金もあるが、それと同等の金融資産もあり、全体としてはG7中第二位の健全さを誇っている。
何故か官僚はこれをひた隠しに隠し、国の借金を強調してばかりいる。
自民党も、経団連も、労働組合もあらゆる既製の権力機構が総取っ替えを必要としている気がする。
おまえら、もう退場しろ!
元の日本に回帰するときだ!
前回、『保守のどこが悪い』と書いたが、あれには動機があった。
その肝心の、何故そう思ったのか、を書く前に、結論だけをいって、おしまいにしてしまった。
何故、「保守」のことに言及したかというと、大学時代の友達からメールで暮れの挨拶があったのだが、その中にとんでもない出来事が起きたとあって、どうにもやりきれない気持ちになった、というのが動機だった。
それでいろいろ考えていたら、これは僕が保守的になったのではないかと思って、保守とは何かを考えたのだ。
彼は、家庭菜園で、様々な野菜を育てていたようだが、最近、出来た野菜をことごとく抜かれて盗まれてしまったというのだ。
彼の専攻は理学部生物学科で、それと関係があったかどうかはともかく、たくさんの種類の野菜を育てていたらしい。家庭で食す野菜のほとんどを網羅していたというから熱は入っていたと思う。
そうはいっても、家庭菜園のことだから、他所へ売りに出すほどの量になるはずもなく、おそらく近所にお裾分けする程度は出来ていたのだろう。
ある時、菜園は荒らされて、それらの野菜がごっそり、ことごとく刈り取られていたのだという。いたずらの範囲を遥かに超えた所業ではないか。
僕はその姿を想像して、驚愕と悔しさと怒りで頭がいっぱいになった。
誰がそんなことをしたのだろう。
例え、それらの野菜を収穫し、手に入れたところで、すべてを食べられるわけでも、どこかへ売りに出されるものでもないはずだ。まともな買い手などいるものか。
すると、この所業に及んだものは、他人が育てた野菜を盗んで、菜園の主が困惑し、怒りに震えるのをみたかったのか。動機はどうでも食べるも売るも出来ないのにそんなことをしたのは、実に底意地の悪い、救いようのない根性である。
なんと言う暗い情熱!
こんなことを誰がしたのか。
日本人には昔から「お天道様がみている」という言葉が身に染みている。悪いことをしたら、誰も見ていなくても、かならずお天道様がみている、お天道様はなんでも見通しだと信じているのである。そして必ずお天道様は罰を与える。悪いことをしたら誰も見ていなくてもきっと罰が当たる、何か悪いことが起きると思っている。
そう考えると、これは日本人のしたことではないのではないか、と思わざるを得ない。
してみれば、昨今、果物や野菜を夜中に畑からごっそり盗んで売り歩くものが捕まったりしている。その犯人は外国人であることが屡々である。
決めつけるのはいけないというかもしれないが、『お天道様がみている』と思うものに、これはなかなか出来ないはずだ。
ここから先が、「保守的な考え」に至る道筋だった。
結論を言ってしまおう。
外国人をむやみやたらに移民させることには明確に反対だと言うことである。
少子高齢化社会にとって、移民は必要な政策だというのが、政府の言い分だ。動機は実に不純だった。経済界が安価な労働力を欲しかったことに過ぎない。
安易に、移民を増やし続けた欧州の先進国は、国民の『分断』という深刻な問題に悩まされている。移民によって成立している米国に至っても、不法移民を追い返す政策に取りかからねばならない始末である。
経済的理由で、あるいは政治的弾圧という理由で故国を捨てなければならないものがいることは認めよう。ならば、新たに選択した国の文化やルール、規範を尊重し、それらに従うべきであろう。あるいはそのような教育を施すべきでもある。
少子高齢化の問題を、外国人の移民によって補填し解決しようとするのは、多くの識者によって否定的な見解が示されている。社会階層が二分し固定化することは社会を不安定化する。その事例は欧州各国がすでに示しているところではないか。
少子高齢化という問題は、老齢年金や老後の公的支援が充実している先進国においては、ある種必然のことである。
以前、何故インドやアフリカ諸国の人口が増え続けるのかという疑問を調査した結果、社会学者の見田宗介が、これらの社会では『子供は一種の老齢年金であり、老後の保障なのだ』と喝破した。
我々の社会では、子育ての支援を増やせば子を持つ親は増えるだろう、という前提でそのような政策に力を入れている。一方で、女も男並みに働け、子を持つリスクは社会が負担するという。
しかし、『女も男並』という理屈は自然に反した考えである。生物学的に、男と女は別のものという「違い」は歴史的に、文化的に個別社会の中に編成されてきたものだが、そうした自然に反したことは『理屈でねじ伏せるしかない』。「男も女も同じ人間ではないか」という理屈が社会を覆う時代はいつか来るかも知れないが、その時は子供を作るという自然のことが『(あるいは科学的に実行されるような)理屈でねじ伏せられている』かもしれない。すると、いよいよ『理屈によって』人類は人工ふ化あるいは滅びの道に入るに違いない。
そんなことをいう前に、今の少子高齢化をどうするか?と言うことである。
江戸時代を通して我が国の人口は三千万とも四千万人とも言われている。統計などないときのことだから正確なことは言えないが、今の三分の一程度だと思われる。これが、明治になって日露戦争の辺りになると、今の半分くらい。六千万人程度になる。つまり百年前はいま怖れている「人口減少」の時代をすでに経験しているのである。
しかも、高度成長時代を迎えるときには人口増による食糧難を心配した時期もあったくらいで、長い目で見たら、かなりいい加減な議論なのだ。
すると、いま騒いでいる少子高齢化社会(人口減少)は少なくとも人口数の上では経験済みのことではないか。むろん構造上は違うが、人口が減ったからと言ってこの国や社会が崩壊するなんてことはないのである。
この問題についての解決策を具体的に議論するのはここではやめておこう。
ただ、少子高齢化は避けられないが、直ちにそれがやってくるわけではない。それまでに社会の設計図を書き換えていけばいいだけの話しなのだ。
もっとも、気遣いをしなければならないのは、この不安を煽って、国民から税金で金を巻き上げる事に快感を感じる輩がいることだ。
いままでも、国の借金がGDPの二倍もあるなどと脅して、増税の機会を窺う政治家(立憲民主党)や官僚の存在が見え隠れするを僕らは知っている。
亡くなった石原慎太郎が言っていたが、「この国の財政は大福帳で管理するなんて馬鹿なことをしている。複式簿記を知らないのか。」とあきれていた。
複式簿記で管理された国家財政は、借金もあるが、それと同等の金融資産もあり、全体としてはG7中第二位の健全さを誇っている。
何故か官僚はこれをひた隠しに隠し、国の借金を強調してばかりいる。
これは、今の政治体制が、もはや制度疲労を起こしていて、役に立たなくなってきたことの証拠ではないか。
自民党も、経団連も、労働組合もあらゆる既製の権力機構が総取っ替えを必要としている気がする。
お天道様がみているぞ!
おまえら、もう退場しろ!
元の日本に回帰するときだ!
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