ミシュランガイドと丸谷才一それに『竹葉亭」
—その昔、男は食い物の話なぞしなかった—
丸谷才一が亡くなってから十年になる。
そういえば我が国ではじめて「ミシュランガイド」が出たあたりの時分(2007年11月)、彼は、この”ガイド”の店を紹介する文章を批判してたな、と思いだした。
そう思ったら、走馬灯のように(他に言い方を思いつかない)いろいろな思いが浮かんで、俄にそのいろいろを書き付けたくなった。
(ぼくも、この年に、「『ミシュラン東京』だって?」と言う記事を載せているので、後で紹介する。)
どんな風に批判されていたか、知りたいだろうと思うので、後ほど長い引用をしようと思う。
何年も前にすっかり興味を失ってから、その動静はたまにTVなどで知るだけで、最新のことは知らない。といっても、数年前から、対象とする地域が、東京だけでなく、大阪や京都その他の日本中の都市に拡がって、それぞれに一冊ずつ発行されていたり、ラーメン屋とかそばや、イタリア料理、フレンチなどと料理種別にも一冊として扱うと言うことになっているらしいとまでは知っていた。
こっちは丸谷才一先生に従って、店の紹介文だけに興味があるのだから、後はどうなっているかなど関心の外である。
このホームページには、さすがに紹介文はダイジェストだけで、全文読むなら大枚3500円を払って本を購入しなければならない。馬鹿馬鹿しいから図書館で、と思ったが、これが貸し出し中で今日の段階では入手していない。批評を試みる対象としてこれでもまあ、いいのでは。というのは、このダイジェスト版でも突っ込みどころ満載だからである。
天麩羅 なかがわ/Tempura Nakagawa
中央区築地 2-14-2, 東京, 104-0045, 日本
★ ★ ★ · 天ぷら
・ミシュランガイドのビューポイント
中央区銀座 7-2-18 3F, 東京, 104-0061, 日本
★ ★ ★· 寿司
・ミシュランガイドのビューポイント
京都市中京区鍋屋町 210, 京都, 604-8015, 日本
★ ★ · 寿司
・ミシュランガイドのビューポイント
大阪市淀川区西中島 4-5-22, 大阪, 532-0011, 日本
★ · うなぎ
・ミシュランガイドのビューポイント
中央区日本橋 2-10-11 2F, 東京, 103-0027, 日本
★ ★ ★ · 焼鳥
・ミシュランガイドのビューポイント
丸谷才一は、このとき書いた「我がミシュラン論」で、どんなことを言っていたのか。
昔、朝日新聞の企画で小中高の教科書批判をしたとき、文学者の文に比して教科書編集者の書いた文章がひどかったことに似ているから苦笑いになったというのである。
—
中央区銀座 〔味〕
〔値段〕 ★★★★★ 〔サービス〕 ★★★★★
昭和通りを扶んで、三井ガ—デンホテル銀座の前あたりを東側に一筋人ったとこ ろにある。
幕末創業の歴史を誇るうなぎ屋の名門で、由緒ある庭を眺めながらのお座敷で 鰻を焼きものとする会席料理を、また、気軽ににはいれる椅子席では鰻お丼や幕の内弁当など、老舗の味を楽しめる。
高級店でありながら鰻飯は本來丼で出すものと、お重を使わないのはおもしろい。 その鰻お丼は鰻の目方に応じて二種類。 竹の模様をあしらった器もしゃれていて、上品に焼きあがった鰻がすっきり納まっているのはいかにも銀座のうな丼といった風情である。鰻以外に季節の一品などもあり、値段も手頃。池波正太郎氏が好んだという鯛茶漬けが人気で、昼時などはこれを目当ての客も多い。 この椅子席も夜は予約が必要だ。
創業した頃は『刀預所』だつたが、二代目からうなぎ料理を始め、1876(明治九年)年の『廃刀令』でうなぎ料理の専門店となった。
年期の入った建物は物は、1924年(大正十三年)に新富町から移転して以来のもので、昭和の戦禍を受けずに残った貴重な建造物。オフィスピルに囲まれた日本家屋の点内はすべて座敷で、二階が大広間になっている。離れには茶室もあり、茶道具の骨董品も置かれている。
京都の庭園の石組み職人が手懸けたという小さな中庭もある。 美術や骨董とこの店の関わりは、うなぎ研究家で美術家でもあつた 二代目に始 り三代と四代は粋人北大路山人との親交もあつた。店内にさりげなく置かれた当時の器や美術品は、いまも力強く存在感を表している。
竹葉亭のうなぎは、ふっくらとした肉厚が特徴。秘伝の技法で拵えるタレにも定評がある。 おすすめ料理の白焼きは、さつばりとわさび醤油で味わう。自然体で日本の情緒を寿ぎ、愛でることの出来る店。和服を着た女性従業員の応対やサ—ピスも親切だ。座敷は予約が必要 。入りロが别になつているテーブル席では、うな丼が昼夜ともに 手ごろな価格から楽しめる。
竹葉が (カタナアヅカリドコロ? )だつた話なんて何もおもしろくない。第一、刀預所がどういふものなのか、説明してない。 これはわたしもすこし調べてみたがわからなかった。
つまり辞書その他にはない言葉だから、筆者としてぜひとも一言 すべき所なのに 。鰻屋が昔は刀預所 だつたなんて雑学的的歴史趣味は肝心の事情ががはっきりしなければ、別にどうつてことはない。 ハアさうですかである。 書いた当人だって、あまりおもしろいと思はず、ただ紙面を埋めるため文字を連ねてゐるのだらう これぢや読者が引きこまれるはず、ないぢやありませんか。
そこへゆくと文春版は、読者に情報を提供しよう、実のあることを伝へようといふ気になつて書いてゐる。それがまともな態度です。」
精神があつて言葉が生じるといふのは、吉田健一『文学概論』のはじめに書いてある大原則で、文章心得の基本。
ミシュラン日本版はまづこのことから考え直さなくちゃならない。」
普通に考えれば、その店がミシュランの「基準」に合っていることを読者が納得するように書けばいいのではないか?『基準』とは『★』のことだ。
その★は昔から以下のように決まっているらしい。
つまり、この基準では「店がどの距離にあるか」という違いをのぞけば「卓越した料理 」「素晴らしい料理」「優れた料理」の違いと言うことになるだろう。
それでは困る。
せめて、一つ星と三つ星の違いが分かるように書いてくれないと、と思うが、もともとの基準があの通り曖昧なのだから、書く方も、取材したことを適当に並べるしかない。そうして、読者は『気』のないものを読まされることになっている。
天麩羅 なかがわ/Tempura Nakagawa
★ ★ ★ · 天ぷら
同じことは、大阪の 鰻やにも言える。
鰻家/Unagiya
★ · うなぎ
★ ★ ★ · 焼鳥
『食べログ』のある時代にけなげにも頑張っているのか、と思ったら、最新版は『2015〜16年版」で文春e-bookとあるからどうも縮小傾向にあるのだろう。しかし、この本の「はじめに」では、写真をやめて文章量を増やしたことを強調している。
「・・・ネットグルメ評価が店の盛衰を決めるいま、写真映えが能く、分かりやすい味の料理を出す店が評価される傾向になっています。自分の舌で評価できず、情報に左右されるグルメも多い。それに対して本書はあえて写真を排し、選定に関わった覆面探偵の諸氏には、言葉のみで店の良さを読者に伝えていただくため、・・・文章量を大幅に増やしました。」
ますます丸谷先生(生きていたら)の覚えがめでたくなるというものだ。
何故か?
ここで、いま僕が入手できる『東京いい店うまい店』(「お箸編」2009〜2010年版)から一例を紹介しよう。
中国料理の最高の美味は淸淡にあるとは、昔から様々な文献で言い尽くされている。ただし、うまさの芯は強く、輪郭が涼しくなくてはならぬとか。それをもって本物の洗練とするならば、譚彦彬氏の料理こそまさにそれ。何の汚れもない澄み切った味を供することにかけて、並ぶものがない。それが銀座らしい色合いの交詢ビル五階、モダンで格式のある設えで展開されている。
広東料理の真髄である『合鴨の窯焼き』『窯焼きチャーシュー』『地鶏の醤油漬け』『皮付き豚バラ肉の焼き物』の『焼き物四種盛り合わせ』で肉のうま味と食感を味わいつくし、『赤ハタの蒸し物絹傘茸のせ』などは新しい銀座の醍醐味だ。頂湯のグレードはまさにベストワン。まるで精密機械のような精緻な組み立ての味覚を楽しむ快楽がここにある。」
誰を相手に書いているのか?知らないが、ようするにあの油を多用する中華料理をさっぱりとした味わいに仕上げるのがいいと言いたいのだろう。それが本物の洗練だとか輪郭が涼しいとか『様々な文献で言い尽くされている」なんて、ついぞ僕の耳に入ったことがない。日本人である僕は、そういう味の中華は好きだが、中国人がそういっているなんて、ホントかいな。邱永漢はそんなこと言ってなかったぞ。そうまで『知ったかぶり』をいうならどこの誰が言っているのか、根拠を示せ。といいたくもなるじゃないか。もうひとつ、「何の汚れもない澄み切った味」とはどういう味だ。「気取ってんじゃないぞ!」ったくもう。
この本は「いい店うまい店を紹介する」のが目的である。それなのに、店も料理もそっちのけ。まるで文士気取りがいきがって『どうだ、オレの文章は小説家みたいだろう。』と顎をしゃくっているようで実に不愉快。
料理のうまさなど、個人がその舌で感じるものである。他人に自分の感覚を押しつけるようなもの言いはただ迷惑である。自分の感じたままをさりげなく伝えて、共感してくれたら幸福であるという謙虚な態度が、料理のうまさを伝えるものには必要だと僕は思っている。
文春が、こういう本を出す背景には、戦前から小説家が食い物について書くものには暇人や役に立たないという意味でやくざな連中など一定の読者が期待できると分かったからで、だから態度が文士になる。文章量を増やすと言っているが、この調子ならいっそう『生意気さ』が増すに違いない。
公平を期すために、取り上げよう。
1995年ごろから5年ほど、僕は、ヒゲタ醤油「本膳」の雑誌広告の制作にコピーライターとして参加していた。
これは、『旬と出会う日本料理名店探訪」(毎日新聞社のグラフ誌掲載)というシリーズと同時に進行していた「関東実力派すし店めぐり」(週刊文春掲載)という広告のために、お店を訪問して料理の写真を撮り、料理長にインタビューをして記事にするという仕事であった。
まず、ヒゲタ醤油『本膳』は、一流の店で使われている高級な醤油であることを一般に訴求する。
次に、広く料理店での『本膳』の採用を促進するために、仕入れ担当者である各店料理長に商品をアピールする。(普通の醤油より高価なため、一般消費者より、料理専門店の購買を期待していた)同時に料理と料理店を紹介し、店の広告の役割とする。店に客がたくさん来たら、『本膳』もたくさん使ってもらえるだろう、と言うわけである。
さて、こういう前提で、僕はどう書いたか?
「竹葉亭」(木挽町)
庭もいい。 百年はこえていそうな漆の木を中心に、となりには隠れ蓑という乙な名前の高い木が、下生えの笹や灌木、石灯籠や古井戸、竹矢来の塀などとともに素っ気なく、いかにも粋な風情を醸している。こうした情趣を愛する人は多く、中でも魯山人が足しげく通ったことはよく知られていて、あのような厳しく鋭い眼力にかなう数少ない料理屋のひとつと言える。
本格的な料理との組み合わせはごく早い時期に、うなぎを蒸す長い時間の繋ぎに出した付け出しから発展したという。万事手をぬかない主義がうなぎ懐石を生み出したのだ。いま、その日本料理を担当しているのが野沢徳治料理長である。昭和二十四年に入ってうなぎを修行し、一旦外に出て、江戸料理の名門をいくつかあるいた。このとき、飾らない実質本位の伝統的な関東風の技と味を身につけ、五年経って再び戻ってきたのである。
写真の角皿と割山椒は魯山人である。演出がむずかしいといわれる器を、これだけさりげなくあっさりと使いこなすには、料理の技量を超えた、ある成熟した境地が必要なのではないかと思う。五十年近い包丁人生だからこそ出来ることか。平成七年秋、東京都知事賞受賞。」
何故こんなことになったか。
それはこの店の鰻と日本料理という二面性をどうもうまく伝えられないという感じを持ったからだ。
鰻を割いて串に刺し、蒸して焼いて出来上がるまで、三十分あるいは小一時間程度だが、待つ身には長いと感じることもある。その時間の埋め合わせに軽い食前酒のつもりでお銚子一本くらいならと言う気になるかもしれない。その付け出しと言って、日本料理のお膳が出てくるようではいささかトゥマッチで困惑するではないか。そばがゆであがるまでの間に板わさとかだし巻き、奴豆腐をつまんで一杯、というのと同じで、これからとびきり旨いうな重をいただくのに、腹に入れておけるのは、せいぜいが上新香程度というものだ。ぼくなら胡瓜の浅漬けをつまんでちびちびやって待つところだ。
鰻の蒲焼きは江戸時代の発明としては秀逸と言っていいほどの飯と相性のいい料理である。つまりは飯の上にのせた段階で完璧な完成形である。
ただし、これが川魚であるところは、日本料理としっくり合わない。川魚を専門にする料理屋はあるが、これまで取材した料亭の懐石、会席に川魚が登場したことはない。しばらく井戸水に入れて泥を吐かせる手間は独特の技術で、そのため板前にとって、川魚は、鯛や平目とは別次元のものである。
食べる立場としても、これをタレのしみこんだ飯といっしょに口に放り込むのでなければ、鰻の蒲焼きだけを口にしても、その快楽は半減どころではなかろう。
つまり、日本料理の献立の中のどこに入れてもこの鰻ははみ出してしまうのである。
その二つが同居する料理屋にどう言って客を呼び込むのか?
丸谷先生が、『 わたしはあの店の椅子席で一杯やるのが好きなんです。』と書いたのに倣って、座敷や庭には触れず、うな重の食前酒に言及してお茶を濁すか、「鰻懐石」を言葉を尽くして説明するか?
そんなめんどうなコピーは誰も読んでくれないと思ったから、幸い北大路魯山人の器があったので、分かりやすい話に流れたというわけである。
写真の料理の蒲焼きだけ盛り付けた皿は豪勢に見えるが、一口食べた途端に飯が欲しくなるはずだ。すると、他の皿の料理は無理をしても腹に収めねばならない。TVに登場するデブの大食漢なら別だが、デブは粋と対極にあるものだ。健康にも悪い。
他にも、時たま「すし懐石」が看板の店に遭遇すると、僕は同じように軽いめまいを感じることが常である。
かくのごとく、料理屋のことを褒めるのは骨の折れる仕事なのだ。
日本橋の小さな寿司店のことである。付け場は女人禁制、鮪は生に限るという、昔気質の頑固者がご主人。その取材広告が週刊文春に載った二三日後のこと。夕方、仕込みをしていたところへ、一人の客が飛び込んできた。手には広告の掲載誌を丸めて握っていたそうである。
後日、訪ねたヒゲタの部長に聞いたことだが、このお客は日本にむかう飛行機の中で、その週刊誌の記事広告を目にしたそうだ。是非ともこの寿司屋に行きたいと思って、矢も楯もたまらず成田からタクシーを飛ばしてきた、と言ったらしい。
20年以上前のことだから、どんな広告文だったか、店の名前もすっかり忘れてしまっているが、出だしはかすかに記憶している。
昼時が過ぎて客足が途切れると、「久兵衛」の小僧さんが、忙しくなる。仕込みの時間なのだ。厨房は別だが、行き来は簡単にできた。ある昼下がり、手のついた大鍋を火にかけて、その底を盛んにこすっているのを見かけて何をしてるのか訊ねたことがある。それは鯛の身の繊維がほぐれるように鍋の底で炒りつけている手間暇のかかる作業であった。寿司屋の修行は天ぷら屋の何倍もかかるというのもうなずけることだと思った。
丸谷才一の「我がミシュラン論」もその頃書かれたが、僕の目にとまったのは「人形のBWH」の中だから一年後である。
これを読んで、どうやら賛同するものが少なからずいると判断した僕は、ミシュラン社に手紙を書いた。店の選択はまかせるが、説明文を書かせてはくれまいか?とこれまで書いたものをいくつかコピーして送ったのである。しばらくして返事があった。「そう言うことはしていません。」素っ気ない応えだった。
いや、ついてはいるが、ホンの付け足しで、店の回りしか分からないようになっていて不親切であった。それでブームに乗り遅れた感があったが、金持ち喧嘩せず、泰然としたものだった。まさか「お前らのいけるところではない」と言うつもりではなかったろうと思うが、東京の街は駅からの地図がないとたどり着けない。実際の役に立てようという気はハナからなかったのだ。
この『東京いい店うまい店』という本は今でも毎年出ているようで、この間見かけたから手に取って見るといまでは地図などどこにも出ていなかった。店の名前に五六行のコメントがあるだけという味も素っ気もない料理屋案内である。
それが、バブル到来と一緒に崩れて、うまいものをうまいといって何がわるいという風潮になった。
池波正太郎などという元株屋は泡銭で食ったうまいものの記憶をたどって臆面もない文章を書いてよく売れた。立川談志など、どういう料簡か、ありゃなにも分かっちゃいないと池波をけなしているが、一応、東京の老舗どころは押さえてあるから誰も文句は言えない。文句をつけた談志のほうも食い道楽だったなどという話は聞いたことがない。第一、「あそこのなになにはうまい」などと談志がいうのはまったく信用にならないし、そんな話は見たくも聞きたくもない。
それにしても、どうせ食のことを書くなら、どこそこのウナギは旨いとか、あそこの寿司を食いてえとかつまらないことを気分にまかせて書いていないで、もう少し教養を磨くことを考えてもらいたいものだ。
80年代半ばといえば、僕も随分とあちこち尋ね歩いてこのうまいものとやらに出会ってきたが、池波正太郎が取り上げた店などは、数から言えば大したことはないのであっという間に制覇した。それどころか社用も兼ねていたから気がついたら昭文社発行の本に取り上げられた店は大概ね尋ねていた。
その後90年代になると五年ばかり料亭とすし屋を月に4軒くらい取材して原稿をかいていたから、それが仕上げになって、いまでは、食い物屋の話などしたくもない。なにやせ我慢だろう、店を訪ねる金がないのだろうと言われそうだが、本気で料理屋の料理など別に食いたいとも思わなくなった。
なにしろ毎日のメニューを考え、買い出しに行き弁当を三人分作ってきたのだから、主婦を料理人とは言わないが、料理が主婦の仕事だというなら僕は今やその両方を勤める主夫だといっても過言ではない。日本料理の職人がグラタンを作れと言われたらおっかなびっくりだろうが、僕にとってはマカロニグラタンなど手作りホワイトソースからはじめて目をつぶったって作って見せる。芋の煮っ転がしだろうがコンニャクの煮付けだろうがピザパイだろうがお茶の子さいさいである。キッシュにシュウマイ、トムヤムクン、パンにまんじゅう、チョコレートパフェなんでもござれである。魚をこしらえるのだって厭わない。妙齢のご婦人を連れて料理屋で密会、なんてことからはすっかり足を洗っったわけだから、これで料理屋に行く必要があるだろうか。
究極のグルメとは自分で料理が出来ることである。料理は難しいかというと、何事も経験だというのがたいていのことの真実の一端を示しているくらいに何といったって経験がものをいう。だから中学を卒業してすぐに料理人になるのが一番だと今でも信じている親方がいる。確かに人間、失敗から学んで成長するというのは本当である。試行錯誤して味をからだに覚え込ませることも大事な修業である。しかし、不思議なもので、一杯飲み屋に毛の生えたような店で修業をすると酒のつまみは作れるが、エビ新嘗のお椀とかヒラメの昆布締めに、サヨリの酒盗干しなどという手間のかかる料理は死んでも作れないものだ。経験とはいってもそんなもので、上を知らないと話にならない。
僕の経験からいくと、料理は素材である。素材がよければ何でもうまい。肉も魚も鮮度がいいに越したことはないが、よすぎるのでも困ることがある。いや大概は困る。というのも肉にしても魚にしても身のたんぱく質がうま味の成分アミノ酸に変化するのに時間がかかるからである。魚の方が早いのだが、それにしたってたとえばフグは一日置いた方がいいとか鯛でもヒラメでも柵にとってから冷蔵庫で一日くらい寝かした方がうまいといわれる。確かに釣ってきたばかりの魚の刺し身は歯触りがいいだけで味も素っ気もないことが多い。マグロにしたって少し置いておいた赤身などねっとりとしたうま味が感じられてトロなど足下にも及ばない。トロは油っ気が強いから、舌触りでごまかされているが、本来あれは味のないものである。油は酸化が早いからさっさと食べた方がいいということもあって、熟成したうま味とはほど遠いものなのだ。
肉については、ある豚カツ屋のはなしだが、鮮度のよい肉を仕入れるのは当たり前として、驚いたことに客に出すまで一週間もかけるということだ。肉はすぐに切り身にされて、一日分の分量に塩コショウしたらバットに入れて冷蔵される。このバットが常に冷蔵庫に七個ある。つまりは一週間経ったものを順繰りに取りだして今日の販売分にするというわけである。こうすると肉の熟成度合いがちょうどよくなって、コクも香りも歯触りもよそとは違う逸品ができ上がるという。
野菜は鮮度が命とはどこかの宣伝文句だが、まったくその通りで、この間鉢で育てたピーマンを料理して食わしたら、娘がこのピーマンの死亡推定時刻は二時間前だろうと見事に当てた。それほどスーパーで売っている野菜との違いが歴然としているものなのだ。 これは科学的なことは知らないけれど、植物は切ったところですぐに細胞は死なないからではないかと思う。長く保管しても熟成する理由がないからただ単に酸化したり水っケが抜けたりしてまずくなる一方なのだろう。
待てよ。僕は「ミシュラン東京」の話をするつもりだった。とんでもない回り道をしたものだ。 ともかく、この本はいろいろな意味で画期的だったらしい。まず東洋では始めて、世界では22番目に取り上げられたということ。フランス版とか英国版などは全国を一冊におさめているが、日本は東京一都市だけである。京都や大阪は入っていない。それから、三つ星が八店というのは一都市にしては多い。(ちなみにNYは三店)二つ星が二十五軒に一つ星が百十七軒というのは他と比べると格段に多い数字だという。
「東京は世界一級の美食の町」と出版元が言ったらしいが、何を今更という感じである。二十年ほど前に、パリに住んで、日本のデパートにもブティックを持っていたZ・サンデフォードが言っていたが、東京の食はバラエティがあっておいしいけれど香港にはかなわないといっていた。世界中をまたにかけて往来しているものがいっているのだから本当だろう。して見ると、これから香港版が出るとなればどうだろう。
それにしても、三つ星候補といわれながら選ばれなかった店はかなり悔しがっていたようだ。欧州では、死活問題になるとかいっているが、東京ではどうだろう。今どきミシュラン片手に食べ歩くほど情報に困っていないのだからまあ、黙って見守るしかないのではないか。
とはいえ、こういう風潮を批判するものもいて、こんなものを有り難がる必要はまるでないのだという。この間、劇作家の川村毅のブログにその代表的な意見が書いてあったので紹介しよう。
「で、たこ焼き、焼きそば食ったんだけど、東京ミシュランって結局東京に来た外国人向け、もしくは外国人への接客用だな。あんなもん参考にする普通の東京人がいるかね。で、これを演劇に置き換えて考えてみたらむらむら頭にきだした。ヨーロッパだかのわけのわかんねう批評家が東京の舞台を見まくったと称して、舞台のランク付けをしてるってことだろ。冗談じゃねえや。てめえらの審美眼がそんなに絶対なのかよっていいたくなる。」だそうである。 まあ、そんなところだろう。
あっという間に話題はもえつきてしまったわけだ。「ミシュラン東京」は来年も出すのかね。 どっちにしろこの間歯医者に言ったらほとんど残った歯も役立たずになっているといって思いっきり抜かれてしまった。母親の遺伝だが、亡き母を恨むわけにもいかず、歯がなくなって急に老け込んでしまって、ミシュランどころの話じゃないことを書こうと思って書きはじめたのに延々と余計なこと書いてしまった。梅干し爺になって、もはや終点を通り過ぎ、車庫に入っている。そろそろ年貢の納め時だが、納める年貢もない。
そういえば我が国ではじめて「ミシュランガイド」が出たあたりの時分(2007年11月)、彼は、この”ガイド”の店を紹介する文章を批判してたな、と思いだした。
そう思ったら、走馬灯のように(他に言い方を思いつかない)いろいろな思いが浮かんで、俄にそのいろいろを書き付けたくなった。
(ぼくも、この年に、「『ミシュラン東京』だって?」と言う記事を載せているので、後で紹介する。)
丸谷才一の文章があるのは、たくさんあるエッセー集の中の一つだったと見当を付けて、夜中のことだったが本棚をひっくり返して探してみた。この「我がミシュラン論」と言う文章は、2009年12月発行の「人形のBWH」に所収されていた。
どんな風に批判されていたか、知りたいだろうと思うので、後ほど長い引用をしようと思う。
その前に、いま「ミシュランガイド」はどうなっているのか?
何年も前にすっかり興味を失ってから、その動静はたまにTVなどで知るだけで、最新のことは知らない。といっても、数年前から、対象とする地域が、東京だけでなく、大阪や京都その他の日本中の都市に拡がって、それぞれに一冊ずつ発行されていたり、ラーメン屋とかそばや、イタリア料理、フレンチなどと料理種別にも一冊として扱うと言うことになっているらしいとまでは知っていた。
「ミシュランガイド」は、フランスのタイヤメーカーがパリ万博(1900年)を機に販売促進用としてはじめた出版物だから何をどうしようと会社の勝手だが、もともとホテルやレストランの格付けをやって、勧進元としては長い間にそれなりの権威を築いてきたものだ。ところがラーメン屋とかおにぎり屋も対象というのは『権威』の前でいかがなものか、宗旨替えではないかといささか心配になる。
聞くところによると、この出版物はミシュランタイヤの売上の1%程度を占めるにすぎないが、別に道楽でやっている訳じゃないから、これ自体のマーケティングが必要になった結果ということなのかも知れない。
最近のことは、ホームページを見るとそれなりのことは分かる。毎年コンセプトを変えるわけにゆかない出版物だから新しいイベントの報告や新規の店の紹介など内容には工夫を凝らしている。
こっちは丸谷才一先生に従って、店の紹介文だけに興味があるのだから、後はどうなっているかなど関心の外である。
このホームページには、さすがに紹介文はダイジェストだけで、全文読むなら大枚3500円を払って本を購入しなければならない。馬鹿馬鹿しいから図書館で、と思ったが、これが貸し出し中で今日の段階では入手していない。批評を試みる対象としてこれでもまあ、いいのでは。というのは、このダイジェスト版でも突っ込みどころ満載だからである。
このホームページに掲載された紹介文をいくつか上げておこう。ランダムに選んだもので、これらの店には何の思い入れもない。
天麩羅 なかがわ/Tempura Nakagawa
中央区築地 2-14-2, 東京, 104-0045, 日本
★ ★ ★ · 天ぷら
・ミシュランガイドのビューポイント
昔ながらの仕事を貫く師匠から学んだ天ぷら。種は魚介を中心とし、高温の油で揚げる。車海老は程良い火入れで香ばしく、二尾目はレアで甘みを生かす。穴子は焼くように揚げて胡麻油の風味を重ねる。「天ぷらは脱水作業」というのが持論。衣の中で蒸し、焼くことで食材の水分を抜き、旨みを引き出す。
鮨處 やまだ/Sushidokoro Yamada
中央区銀座 7-2-18 3F, 東京, 104-0061, 日本
★ ★ ★· 寿司
・ミシュランガイドのビューポイント
兄弟で切り盛りする息の合った振る舞い。兄がつけ場に立ち、弟は裏方に徹する。品書きは15貫の握りのみ。種と酢飯の調和で完結するため、つまみや生姜は出さない。魚は寝かせて旨み引き出す熟成した種が中心。焼き椎茸、北寄貝の胡椒風味といった珍しい種も。味の流れに変化を与え、自らの発想で進化させる。
先斗町 鮨 いし屋/Pontocho Sushi Ishiya
京都市中京区鍋屋町 210, 京都, 604-8015, 日本
★ ★ · 寿司
・ミシュランガイドのビューポイント
先斗町通、細く西に伸びる24番路地の奥に暖簾が掲げてある。すしと一品料理を自由に楽しめ客の要望に応えてくれる。和牛の炭火焼や、牛肉とうにの巻物など、すし屋で牛肉を味わえるのは珍しい。食べ頃を見計らった鮪も楽しみ。種類豊富な品書きは、割烹店の役割を果たす。もちろん、おまかせもおすすめ。
鰻家/Unagiya
大阪市淀川区西中島 4-5-22, 大阪, 532-0011, 日本
★ · うなぎ
・ミシュランガイドのビューポイント
関西では主流の地焼き鰻を供する店。鰻を蒸さずに焼くため、皮目の香ばしい風味が特長。仕入れる鰻は身質を重視し、産地は絞らない。鮮度にも気を配り、注文を受けてから生きた鰻を割き始める。手際良く串打ちし、赤く燃えた備長炭を操りながら焼く。店主の職人技を見ながら鰻重が運ばれてくるのを待ちたい。
焼鳥 髙はし/Yakitori Takahashi
中央区日本橋 2-10-11 2F, 東京, 103-0027, 日本
★ ★ ★ · 焼鳥
・ミシュランガイドのビューポイント
渋うちわで炭火を操る主人。修業先で学んだ近火の手法を実践しながらも、自らの焼鳥を目指す。部位ごとにタレと塩を使い分ける。しっかりとした肉質を生かすため塩味が多く、種が大振りなため満足感がある。焼鳥の醍醐味は鶏もも肉にあるというのが持論。一串目に供する理由がそこにあった。
△
これらについての批評は後ほどにして、2008年の「ミシュランガイド東京」日本デビューの頃に遡る。
丸谷才一は、このとき書いた「我がミシュラン論」で、どんなことを言っていたのか。
「それにしてもすごい人気でしたね、ミシュラン。 わたしは早速手に入れてもらつてちらちらと目を通し、苫笑ひした。」
昔、朝日新聞の企画で小中高の教科書批判をしたとき、文学者の文に比して教科書編集者の書いた文章がひどかったことに似ているから苦笑いになったというのである。
「さて、ミシュランの文体はどんな 具合に悪いか。一つには欧文脈といふのか 閲係代名詞入りみたいな名詞の上にゾロゾロ長くのっかつてゐる主語や目的語入りの文章が多いのね。 このせいで頭にはいりにくくて悪文になる。
たとへば、これは現代風フランス料理ガストロノミ—フランセーズタテル ヨシノ(一つ星 )の紹介の冒頭。
バリのレストラン「ステラ マリス」と芝公園にある「キュイジーヌ フランセーズ タテル ヨシノ」のオーナーシェフを務める吉野健が、「バークホテル」で2003年に開業したフレンチレストラン。汐留エリアのランドマ—クといわれる「汐留メディアタワ—」で、 同ホテルのフロントロビーと同じ階に位置する。
「吉野健」の上が長いし、「汐留メディアタワー 」の上が長い。そのくせ情報それ自体は大したことない。」
これはもうおっしゃるとおりである。
「もう一つ、そば会席「翁 」(一つ星 )の出だし。
歴史ある更科そば店の八代目直系にあたる女将が独立し、料理長と共に切り盛りしている、 そばが名物の日本料理店。料理長は、先代にそばの文化を教え込まれた。その場で手打ちをし た後、茹でたてのそばだけを供している。
読んでて厭になる下手な文章だが、それにしても「茹でたて」でないそばを出すそば屋があるものかしら。不思議な気がします。
和食「石かわ 」(二つ星 )はこんな調子。
上記の住所で 年間営業していたが、「石かわ」の若き店主は 年末に神楽坂6-37へ店を移転する。掲載されている写真や地図は移転前のものとなり、電話番号は変更しない。 移転後も、今までと全く変わらない季節料理を供する。店主は東京の割烹料理店で 修行を積んだ 。メニューはおまかせで、コース料理は魅力的な内容でまとめられている。以来、足繁く訪れる常連客のお目当ては、割烹の伝統を受け継ぎながらも他所では朱わえない逸品の数々。一貫したもてなしの精神と、店主の味づくりに対するひたむきな熱意こそ、この店の最大の特色 といえるだろう。
これで約三分の二。引越しの話がゴタゴタしてゐて、面倒くさくなるでせう。気持がすっきりしない。たとへば「以来」とは何以来なのか。「常連客」とは「足繁く訪れる」者に決ってるぢ やないか。こんな文章では、とても出かける気にならない。」
ここで、丸谷先生、突然、文春の料理屋案内本を取り上げて比較する。
「その点、さすがは文藝春秋、『東京いい店うまい店』の文章は段違ひにうまい。今までこの本の文章に感心したことなんかなく、ただ単に、『東京いい店うまい店』はかういふ調子で書くとだけ思ってゐたのだが、ミシュランと比較してみるとすごかった。」
この『東京いい店・・・」については、僕も「『ミシュラン東京』だって?」で言及しているが、丸谷才一先生が言うように「すごかった」などとはちっとも思わなかった。
「たとへば鰻の竹葉亭本店。
竹葉亭本店
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中央区銀座 〔味〕
〔値段〕 ★★★★★ 〔サービス〕 ★★★★★
昭和通りを扶んで、三井ガ—デンホテル銀座の前あたりを東側に一筋人ったとこ ろにある。
幕末創業の歴史を誇るうなぎ屋の名門で、由緒ある庭を眺めながらのお座敷で 鰻を焼きものとする会席料理を、また、気軽ににはいれる椅子席では鰻お丼や幕の内弁当など、老舗の味を楽しめる。
高級店でありながら鰻飯は本來丼で出すものと、お重を使わないのはおもしろい。 その鰻お丼は鰻の目方に応じて二種類。 竹の模様をあしらった器もしゃれていて、上品に焼きあがった鰻がすっきり納まっているのはいかにも銀座のうな丼といった風情である。鰻以外に季節の一品などもあり、値段も手頃。池波正太郎氏が好んだという鯛茶漬けが人気で、昼時などはこれを目当ての客も多い。 この椅子席も夜は予約が必要だ。
読みやすいし、事柄がすつきりと頭にはいるし、竹葉へ行つてウナ丼を食べたくなるでせう。 わたしはあの店の椅子席で一杯やるのが好きなんです。これ 池波さんに教へられた。ただし、 ハウスワインがもうすこし吟味してあるともつといいね。
ついでに念のため、ミシュラン『・・・2008』の 竹葉亭(一つ星)を全文( 定休 日や営業時間や所書きや電話番号を省いた形で)引用する。
江戸未期に創業したうなぎ料理の店。銀座八丁目にあるのが本店で、現在の主人が七代目。
創業した頃は『刀預所』だつたが、二代目からうなぎ料理を始め、1876(明治九年)年の『廃刀令』でうなぎ料理の専門店となった。
年期の入った建物は物は、1924年(大正十三年)に新富町から移転して以来のもので、昭和の戦禍を受けずに残った貴重な建造物。オフィスピルに囲まれた日本家屋の点内はすべて座敷で、二階が大広間になっている。離れには茶室もあり、茶道具の骨董品も置かれている。
京都の庭園の石組み職人が手懸けたという小さな中庭もある。 美術や骨董とこの店の関わりは、うなぎ研究家で美術家でもあつた 二代目に始 り三代と四代は粋人北大路山人との親交もあつた。店内にさりげなく置かれた当時の器や美術品は、いまも力強く存在感を表している。
竹葉亭のうなぎは、ふっくらとした肉厚が特徴。秘伝の技法で拵えるタレにも定評がある。 おすすめ料理の白焼きは、さつばりとわさび醤油で味わう。自然体で日本の情緒を寿ぎ、愛でることの出来る店。和服を着た女性従業員の応対やサ—ピスも親切だ。座敷は予約が必要 。入りロが别になつているテーブル席では、うな丼が昼夜ともに 手ごろな価格から楽しめる。
これぢやあ、とても、銀座八丁目へ行ってウナ丼といふ気にならないでせう 。ブロとアマの相違である。
竹葉が (カタナアヅカリドコロ? )だつた話なんて何もおもしろくない。第一、刀預所がどういふものなのか、説明してない。 これはわたしもすこし調べてみたがわからなかった。
つまり辞書その他にはない言葉だから、筆者としてぜひとも一言 すべき所なのに 。鰻屋が昔は刀預所 だつたなんて雑学的的歴史趣味は肝心の事情ががはっきりしなければ、別にどうつてことはない。 ハアさうですかである。 書いた当人だって、あまりおもしろいと思はず、ただ紙面を埋めるため文字を連ねてゐるのだらう これぢや読者が引きこまれるはず、ないぢやありませんか。
そこへゆくと文春版は、読者に情報を提供しよう、実のあることを伝へようといふ気になつて書いてゐる。それがまともな態度です。」
「 『東京いい店うまい店J とミシュラン東京とをくらべて 一番大事な違ひは、文章の巧拙の差ではない。前者は伝へるべき内容を持ってゐるから、書かうといふ気力がある。後者は伝へる中身がないから、書く気がない。
精神があつて言葉が生じるといふのは、吉田健一『文学概論』のはじめに書いてある大原則で、文章心得の基本。
ミシュラン日本版はまづこのことから考え直さなくちゃならない。」
では、ミシュラン日本版の文は何を伝えるべきなのか?と僕も考えざるを得ない。
普通に考えれば、その店がミシュランの「基準」に合っていることを読者が納得するように書けばいいのではないか?『基準』とは『★』のことだ。
その★は昔から以下のように決まっているらしい。
★★★:そのために旅行する価値のある卓越した料理 ★★:遠回りしてでも訪れる価値のある素晴らしい料理 ★:近くに訪れたら行く価値のある優れた料理
これでは、自動車に乗って、なるべく長距離を移動してタイヤを消耗してくれると言うことが基準になっているように見える。タイヤメーカーとしては至極まっとうな基準だが、しかし、三つ星の店のすぐ近くに住んでいる人にとって、その店は『旅行するほどの距離にないから」三つ星の店には該当しないし、早い話しが、近所の店は皆一つ星に分類される。となれば、この『基準』は一つが三つにでも二つにでもなるという『矛盾』をはらんでいると、少々意地悪を言いたくなる。
つまり、この基準では「店がどの距離にあるか」という違いをのぞけば「卓越した料理 」「素晴らしい料理」「優れた料理」の違いと言うことになるだろう。
しかし、実際これをどう表現したらいいのだろう。僕なら間違いなく途方に暮れる。どう書いたらいいか分からない中身なら、丸谷先生の言うとおり、中身はないに等しいのではないか?
それでは困る。
せめて、一つ星と三つ星の違いが分かるように書いてくれないと、と思うが、もともとの基準があの通り曖昧なのだから、書く方も、取材したことを適当に並べるしかない。そうして、読者は『気』のないものを読まされることになっている。
タイヤメーカーとしては、そこまで厳密に文章で料理屋を評価する義理はない、ミシュランという「権威が格付けしたのだから」店の紹介文などあればいいだけで、読者がどう思おうとどうでもいいわい、と言いたいのだろう。(ただし、ホームページでは、一問一答形式で、評価の方法や調査員に関する情報を発信していて、権威の裏付けをしようとはしている。)
こういうものを読まされる方も、どう理解していいか途方に暮れるだけだ。
最初に掲げておいたミシュランガイドのホームページには個別の店のリストがあり、それぞれ短い文章が載っている。これは本文の要約だろう。(本文は、本を買って読め。)これからして『気』のない典型例になっているのは、2008年当時丸谷才一先生が指摘したときから何も改善しようとしなかった証拠である。もう一度同じものを上げる。最初の
天麩羅 なかがわ/Tempura Nakagawa
★ ★ ★ · 天ぷら
昔ながらの仕事を貫く師匠から学んだ天ぷら。種は魚介を中心とし、高温の油で揚げる。車海老は程良い火入れで香ばしく、二尾目はレアで甘みを生かす。穴子は焼くように揚げて胡麻油の風味を重ねる。「天ぷらは脱水作業」というのが持論。衣の中で蒸し、焼くことで食材の水分を抜き、旨みを引き出す。
天ぷら屋の職人は、誰でも最初はどこかの店に入って師匠から仕事を学ぶものである。魚介を中心にしない天ぷら屋はおそらく存在できない。高温の油も脱水作業もいちいち言うまでもなく、これは天ぷら屋一般を説明する文であり、「天麩羅なかがわ」がいかに優れて星三つなのか、まったく説明していないし、説明する『気』がない。
同じことは、大阪の 鰻やにも言える。
鰻家/Unagiya
★ · うなぎ
関西では主流の地焼き鰻を供する店。鰻を蒸さずに焼くため、皮目の香ばしい風味が特長。仕入れる鰻は身質を重視し、産地は絞らない。鮮度にも気を配り、注文を受けてから生きた鰻を割き始める。手際良く串打ちし、赤く燃えた備長炭を操りながら焼く。店主の職人技を見ながら鰻重が運ばれてくるのを待ちたい。
「注文を受けてから生きた鰻を割き始める」鰻屋は真面目に仕事をしているといえる。しかし、これは美食の店に選ぶ最低条件であり、これが一つ星の説明にはなっていない。「手際良く串打ちし、赤く燃えた備長炭を操りながら焼く。」あたりまえだ。こうしなければ鰻は焼けない。もはや『旨い不味い』とは何の関係もなく、どこの鰻屋でもやっている仕事を説明しただけである。
焼鳥 髙はし/Yakitori Takahashi
★ ★ ★ · 焼鳥
渋うちわで炭火を操る主人。修業先で学んだ近火の手法を実践しながらも、自らの焼鳥を目指す。部位ごとにタレと塩を使い分ける。しっかりとした肉質を生かすため塩味が多く、種が大振りなため満足感がある。焼鳥の醍醐味は鶏もも肉にあるというのが持論。一串目に供する理由がそこにあった。
東京だけに限ったとしても、一杯飲み屋はじめ焼き鳥を出す店は4〜5千軒あるいはそれ以上になるだろう。(電話帳に『焼き鳥屋』で登録しているのは2千軒以上)その中で三つ星に評価される理由には誰もが関心を持つはずだ。その関心に応えられるだけの筆力でそれを説得できなければ食通(そういうものがいたとしたら)に馬鹿にされるだけだと思わないのかね。と、僕はこの文を読んで思った。
それでは、『東京いい店うまい店』はいまどうなっているか?
『食べログ』のある時代にけなげにも頑張っているのか、と思ったら、最新版は『2015〜16年版」で文春e-bookとあるからどうも縮小傾向にあるのだろう。しかし、この本の「はじめに」では、写真をやめて文章量を増やしたことを強調している。
「・・・ネットグルメ評価が店の盛衰を決めるいま、写真映えが能く、分かりやすい味の料理を出す店が評価される傾向になっています。自分の舌で評価できず、情報に左右されるグルメも多い。それに対して本書はあえて写真を排し、選定に関わった覆面探偵の諸氏には、言葉のみで店の良さを読者に伝えていただくため、・・・文章量を大幅に増やしました。」
ますます丸谷先生(生きていたら)の覚えがめでたくなるというものだ。
僕はこの本をずいぶん昔から知っていて、何度も読んだことはあるが、一度も買おうとしたことがない。
何故か?
ここで、いま僕が入手できる『東京いい店うまい店』(「お箸編」2009〜2010年版)から一例を紹介しよう。
「赤坂璃宮 銀座店(広東料理)
中国料理の最高の美味は淸淡にあるとは、昔から様々な文献で言い尽くされている。ただし、うまさの芯は強く、輪郭が涼しくなくてはならぬとか。それをもって本物の洗練とするならば、譚彦彬氏の料理こそまさにそれ。何の汚れもない澄み切った味を供することにかけて、並ぶものがない。それが銀座らしい色合いの交詢ビル五階、モダンで格式のある設えで展開されている。
広東料理の真髄である『合鴨の窯焼き』『窯焼きチャーシュー』『地鶏の醤油漬け』『皮付き豚バラ肉の焼き物』の『焼き物四種盛り合わせ』で肉のうま味と食感を味わいつくし、『赤ハタの蒸し物絹傘茸のせ』などは新しい銀座の醍醐味だ。頂湯のグレードはまさにベストワン。まるで精密機械のような精緻な組み立ての味覚を楽しむ快楽がここにある。」
どうです?
誰を相手に書いているのか?知らないが、ようするにあの油を多用する中華料理をさっぱりとした味わいに仕上げるのがいいと言いたいのだろう。それが本物の洗練だとか輪郭が涼しいとか『様々な文献で言い尽くされている」なんて、ついぞ僕の耳に入ったことがない。日本人である僕は、そういう味の中華は好きだが、中国人がそういっているなんて、ホントかいな。邱永漢はそんなこと言ってなかったぞ。そうまで『知ったかぶり』をいうならどこの誰が言っているのか、根拠を示せ。といいたくもなるじゃないか。もうひとつ、「何の汚れもない澄み切った味」とはどういう味だ。「気取ってんじゃないぞ!」ったくもう。
と言う具合に、はっきり言うが、その文章がしゃら臭いのである。
この本は「いい店うまい店を紹介する」のが目的である。それなのに、店も料理もそっちのけ。まるで文士気取りがいきがって『どうだ、オレの文章は小説家みたいだろう。』と顎をしゃくっているようで実に不愉快。
料理のうまさなど、個人がその舌で感じるものである。他人に自分の感覚を押しつけるようなもの言いはただ迷惑である。自分の感じたままをさりげなく伝えて、共感してくれたら幸福であるという謙虚な態度が、料理のうまさを伝えるものには必要だと僕は思っている。
文春が、こういう本を出す背景には、戦前から小説家が食い物について書くものには暇人や役に立たないという意味でやくざな連中など一定の読者が期待できると分かったからで、だから態度が文士になる。文章量を増やすと言っているが、この調子ならいっそう『生意気さ』が増すに違いない。
ところで僕も先に上げた『竹葉亭』について書いたことがある。
公平を期すために、取り上げよう。
1995年ごろから5年ほど、僕は、ヒゲタ醤油「本膳」の雑誌広告の制作にコピーライターとして参加していた。
これは、『旬と出会う日本料理名店探訪」(毎日新聞社のグラフ誌掲載)というシリーズと同時に進行していた「関東実力派すし店めぐり」(週刊文春掲載)という広告のために、お店を訪問して料理の写真を撮り、料理長にインタビューをして記事にするという仕事であった。
広告の目的ははっきりしている。
まず、ヒゲタ醤油『本膳』は、一流の店で使われている高級な醤油であることを一般に訴求する。
次に、広く料理店での『本膳』の採用を促進するために、仕入れ担当者である各店料理長に商品をアピールする。(普通の醤油より高価なため、一般消費者より、料理専門店の購買を期待していた)同時に料理と料理店を紹介し、店の広告の役割とする。店に客がたくさん来たら、『本膳』もたくさん使ってもらえるだろう、と言うわけである。
さて、こういう前提で、僕はどう書いたか?
「『旬と出会う日本料理名店探訪」
「竹葉亭」(木挽町)
江戸の末期、新富町で開業、いまのご主人で六代目という、うなぎの老舗である。震災後移転したが、意外にもこの木挽町界隈だけは、空襲の戦火からまぬがれた。現在の建物は、一部を除いて、七十年以上になる。とりわけ離れのお座敷は、昔の尺寸で作ってあるせいか、座るとしっくりと身体がなじんでくつろげる。
庭もいい。 百年はこえていそうな漆の木を中心に、となりには隠れ蓑という乙な名前の高い木が、下生えの笹や灌木、石灯籠や古井戸、竹矢来の塀などとともに素っ気なく、いかにも粋な風情を醸している。こうした情趣を愛する人は多く、中でも魯山人が足しげく通ったことはよく知られていて、あのような厳しく鋭い眼力にかなう数少ない料理屋のひとつと言える。
本格的な料理との組み合わせはごく早い時期に、うなぎを蒸す長い時間の繋ぎに出した付け出しから発展したという。万事手をぬかない主義がうなぎ懐石を生み出したのだ。いま、その日本料理を担当しているのが野沢徳治料理長である。昭和二十四年に入ってうなぎを修行し、一旦外に出て、江戸料理の名門をいくつかあるいた。このとき、飾らない実質本位の伝統的な関東風の技と味を身につけ、五年経って再び戻ってきたのである。
写真の角皿と割山椒は魯山人である。演出がむずかしいといわれる器を、これだけさりげなくあっさりと使いこなすには、料理の技量を超えた、ある成熟した境地が必要なのではないかと思う。五十年近い包丁人生だからこそ出来ることか。平成七年秋、東京都知事賞受賞。」
ずいぶん「気」のない文ではないかと言われそうである。
目的のうち、料理長を紹介して経歴を顕彰したこと、庭に一見の価値がある老舗であるとを伝えることは出来ている。これで満点というわけにもいかないが、必要な要素は最小限組み込んである。ところが、中身が薄いと感じられるのは、料理についての言及がきれいに避けられている印象なのだ。
何故こんなことになったか。
それはこの店の鰻と日本料理という二面性をどうもうまく伝えられないという感じを持ったからだ。
鰻を割いて串に刺し、蒸して焼いて出来上がるまで、三十分あるいは小一時間程度だが、待つ身には長いと感じることもある。その時間の埋め合わせに軽い食前酒のつもりでお銚子一本くらいならと言う気になるかもしれない。その付け出しと言って、日本料理のお膳が出てくるようではいささかトゥマッチで困惑するではないか。そばがゆであがるまでの間に板わさとかだし巻き、奴豆腐をつまんで一杯、というのと同じで、これからとびきり旨いうな重をいただくのに、腹に入れておけるのは、せいぜいが上新香程度というものだ。ぼくなら胡瓜の浅漬けをつまんでちびちびやって待つところだ。
それに、もうひとつ違和感を感じたことがあった。
鰻の蒲焼きは江戸時代の発明としては秀逸と言っていいほどの飯と相性のいい料理である。つまりは飯の上にのせた段階で完璧な完成形である。
ただし、これが川魚であるところは、日本料理としっくり合わない。川魚を専門にする料理屋はあるが、これまで取材した料亭の懐石、会席に川魚が登場したことはない。しばらく井戸水に入れて泥を吐かせる手間は独特の技術で、そのため板前にとって、川魚は、鯛や平目とは別次元のものである。
食べる立場としても、これをタレのしみこんだ飯といっしょに口に放り込むのでなければ、鰻の蒲焼きだけを口にしても、その快楽は半減どころではなかろう。
つまり、日本料理の献立の中のどこに入れてもこの鰻ははみ出してしまうのである。
その二つが同居する料理屋にどう言って客を呼び込むのか?
丸谷先生が、『 わたしはあの店の椅子席で一杯やるのが好きなんです。』と書いたのに倣って、座敷や庭には触れず、うな重の食前酒に言及してお茶を濁すか、「鰻懐石」を言葉を尽くして説明するか?
そんなめんどうなコピーは誰も読んでくれないと思ったから、幸い北大路魯山人の器があったので、分かりやすい話に流れたというわけである。
写真の料理の蒲焼きだけ盛り付けた皿は豪勢に見えるが、一口食べた途端に飯が欲しくなるはずだ。すると、他の皿の料理は無理をしても腹に収めねばならない。TVに登場するデブの大食漢なら別だが、デブは粋と対極にあるものだ。健康にも悪い。
他にも、時たま「すし懐石」が看板の店に遭遇すると、僕は同じように軽いめまいを感じることが常である。
かくのごとく、料理屋のことを褒めるのは骨の折れる仕事なのだ。
極論すれば、「ミシュランガイド」は番付の勧進元として店を取り上げ、星を付けたところで仕事は終わっている。店に客が来ようと来まいと関心がないから文章にも関心がない。『東京いい店うまい店』は覆面取材はミシュランと同じだが、文章にはこだわる。でも、本が世に出たらそこで、おしまい。読んだお客が店におしかける(一度行ってみろなどとそんな書き方をしていない)、なんてことはあまり期待していない。
こういう仕事で、最もうれしいのは、めったにないことだが、広告(あるいは紹介文)の効果が如実に現ることである。これを僕が、「関東実力派すし店めぐり」(週刊文春掲載)で一度経験した。
日本橋の小さな寿司店のことである。付け場は女人禁制、鮪は生に限るという、昔気質の頑固者がご主人。その取材広告が週刊文春に載った二三日後のこと。夕方、仕込みをしていたところへ、一人の客が飛び込んできた。手には広告の掲載誌を丸めて握っていたそうである。
後日、訪ねたヒゲタの部長に聞いたことだが、このお客は日本にむかう飛行機の中で、その週刊誌の記事広告を目にしたそうだ。是非ともこの寿司屋に行きたいと思って、矢も楯もたまらず成田からタクシーを飛ばしてきた、と言ったらしい。
20年以上前のことだから、どんな広告文だったか、店の名前もすっかり忘れてしまっているが、出だしはかすかに記憶している。
「春子とかいてかすごと読む。掌大の小鯛を三枚におろし、塩をしたあと軽く酢で締める。大鍋の底に鯛の片身を炒りつけてほぐし、淡口とみりんで味を調えると、ほのかな桜色のそぼろが出来上がる。小鯛にこいつをひとつまみ噛ませて握るのが季節にふさわしいこの一貫・・・・・・」
僕は学生の頃、数寄屋橋の東芝ビル(いまは建て変わっている)にあったレストラン四季の中の「天一」でアルバイトをしていた。天ぷら屋のことはこのときいろいろ経験したが、それはともかく、隣には鮨の「久兵衛」があった。
昼時が過ぎて客足が途切れると、「久兵衛」の小僧さんが、忙しくなる。仕込みの時間なのだ。厨房は別だが、行き来は簡単にできた。ある昼下がり、手のついた大鍋を火にかけて、その底を盛んにこすっているのを見かけて何をしてるのか訊ねたことがある。それは鯛の身の繊維がほぐれるように鍋の底で炒りつけている手間暇のかかる作業であった。寿司屋の修行は天ぷら屋の何倍もかかるというのもうなずけることだと思った。
△
さて、「ミシュランガイド東京」が出てまもなく、僕はこのブログに「ミシュラン東京だって?」という文を載せた。その全文をもう一度掲載する。
丸谷才一の「我がミシュラン論」もその頃書かれたが、僕の目にとまったのは「人形のBWH」の中だから一年後である。
これを読んで、どうやら賛同するものが少なからずいると判断した僕は、ミシュラン社に手紙を書いた。店の選択はまかせるが、説明文を書かせてはくれまいか?とこれまで書いたものをいくつかコピーして送ったのである。しばらくして返事があった。「そう言うことはしていません。」素っ気ない応えだった。
ミシュラン東京だって? 2007年12月
「ミシュラン東京」なる本がでたので一時話題になったが、まるで潮が引くように今では誰も口にしなくなった。本屋に行っても並んでいないから、大した数を印刷しなかったのであろう。数は出さなくとも採算は合うと考えたのか、予想外に売れたから今大車輪で印刷しているのかどっちかわからない。どっちにしろ、こうも素早く下火になっては、もう一度火をおこそうとしても苦労するだろう。
80年代の半ばに、ということはバブルの頃であるが、一度グルメ案内がブームになったことがある。多少高くても実際に行って食べて見たいというニーズが懐具合のいい連中始め下々にも広がった。なにしろ証券会社の新入社員の女子でもボーナスの封筒が縦に立ったといわれるくらいである。教養よりも色気よりも食い気に走ったのは自然の成り行きだった。この時は、うまいものを食わせる店を「地域ごと」に紹介するというもので、どちらかといえば繁華街の店の場所案内、はやい話がハンディな「地図帳」であった。
つまりは小金を手にした連中が俄にうまいものを探そうとしたからどこにそれがあるのかうろうろしたということだろう。したがって、料理のジャンルも多様、高級店もあれば庶民感覚の店も混在していた。ただし、高級料亭やホテルのレストランなどは「うまいに決まっている」と思ったのか、編集者の手の届くところではなかったのかあまり選ばれていない。
本質的には「地図」なのだから昭文社という地図専門出版社がもっとも力を入れていたし、よく売れていた。デザイナーが描いた見ばえのいいだけの地図なぞは役に立たないものだが、さすがに昭文社、地図は正確の上に簡潔な装丁がよかった。確か毎年「年度版」と称して出していたが、気がついた時にはいつの間にかやめてしまっっていた。なにしろ「地図帳」だから毎年更新することもないのである。そのうち「失われた十年」に突入して、グルメどころの騒ぎではなくなった。
こういう本はもともと江戸時代から盛んに出版されてきた一種の情報本である。代表的なものに「吉原細見」と言う案内本があった。そこを知っているものでないと書けない本だから、書いているのは、大概が暇人である。江戸の御代はともかく、明治からコッち暇人の代表格は小説家である。小説家といえば聞こえはいいが、だいたい良家の子女は、関わりのないようにそばに近づかないというやくざまがいの連中で、ろくなものがいない。
そのロクでないものを長年養ってきた文藝春秋社がこういう本を得意としてきた。毎年のように料理屋案内を出していたことを知っているものは少ないだろう。暇な連中が、料理屋の話をするのを取り巻きが面白がって買っていた程度には売れていたが、それに「地図」を付けなかったのはうかつであった。
いや、ついてはいるが、ホンの付け足しで、店の回りしか分からないようになっていて不親切であった。それでブームに乗り遅れた感があったが、金持ち喧嘩せず、泰然としたものだった。まさか「お前らのいけるところではない」と言うつもりではなかったろうと思うが、東京の街は駅からの地図がないとたどり着けない。実際の役に立てようという気はハナからなかったのだ。
この『東京いい店うまい店』という本は今でも毎年出ているようで、この間見かけたから手に取って見るといまでは地図などどこにも出ていなかった。店の名前に五六行のコメントがあるだけという味も素っ気もない料理屋案内である。
なんだか目立たないようにそっと出している風情があるのは、昔から日本の男は食い物に言及しなかったということにたいして、多少の恥じらいがあるのかもしれない。真っ昼間からあそこの何はうまいとかどこそこの何が食いたいとか言うものは男の風上にも置けなかったのである。
それが、バブル到来と一緒に崩れて、うまいものをうまいといって何がわるいという風潮になった。
池波正太郎などという元株屋は泡銭で食ったうまいものの記憶をたどって臆面もない文章を書いてよく売れた。立川談志など、どういう料簡か、ありゃなにも分かっちゃいないと池波をけなしているが、一応、東京の老舗どころは押さえてあるから誰も文句は言えない。文句をつけた談志のほうも食い道楽だったなどという話は聞いたことがない。第一、「あそこのなになにはうまい」などと談志がいうのはまったく信用にならないし、そんな話は見たくも聞きたくもない。
それにしても、どうせ食のことを書くなら、どこそこのウナギは旨いとか、あそこの寿司を食いてえとかつまらないことを気分にまかせて書いていないで、もう少し教養を磨くことを考えてもらいたいものだ。
そこへいくと戦前の連中は徹底していた。「美味求真」の木下謙次郎、「食道楽」の村井弦斎、巣鴨の監獄で暇をもて余して「味覚」を書いた大河内正敏(この人は、殿様で、理化学研究所の創業者)、上げれば切りがないが、これらは背景になっている教養と追求心が並大抵ではない。戦後になって吉田健一や邱永漢も面白いエッセーを書いているが、彼らにはかなわない。
80年代半ばといえば、僕も随分とあちこち尋ね歩いてこのうまいものとやらに出会ってきたが、池波正太郎が取り上げた店などは、数から言えば大したことはないのであっという間に制覇した。それどころか社用も兼ねていたから気がついたら昭文社発行の本に取り上げられた店は大概ね尋ねていた。
そのうちにものの味も分からないような若い女やガキどもが、生意気なことを言うようになって、すっかりいやになってしまった。僕のグルメブームなどはこの時期であらかた終っていたといってよい。
その後90年代になると五年ばかり料亭とすし屋を月に4軒くらい取材して原稿をかいていたから、それが仕上げになって、いまでは、食い物屋の話などしたくもない。なにやせ我慢だろう、店を訪ねる金がないのだろうと言われそうだが、本気で料理屋の料理など別に食いたいとも思わなくなった。
なにしろ毎日のメニューを考え、買い出しに行き弁当を三人分作ってきたのだから、主婦を料理人とは言わないが、料理が主婦の仕事だというなら僕は今やその両方を勤める主夫だといっても過言ではない。日本料理の職人がグラタンを作れと言われたらおっかなびっくりだろうが、僕にとってはマカロニグラタンなど手作りホワイトソースからはじめて目をつぶったって作って見せる。芋の煮っ転がしだろうがコンニャクの煮付けだろうがピザパイだろうがお茶の子さいさいである。キッシュにシュウマイ、トムヤムクン、パンにまんじゅう、チョコレートパフェなんでもござれである。魚をこしらえるのだって厭わない。妙齢のご婦人を連れて料理屋で密会、なんてことからはすっかり足を洗っったわけだから、これで料理屋に行く必要があるだろうか。
究極のグルメとは自分で料理が出来ることである。料理は難しいかというと、何事も経験だというのがたいていのことの真実の一端を示しているくらいに何といったって経験がものをいう。だから中学を卒業してすぐに料理人になるのが一番だと今でも信じている親方がいる。確かに人間、失敗から学んで成長するというのは本当である。試行錯誤して味をからだに覚え込ませることも大事な修業である。しかし、不思議なもので、一杯飲み屋に毛の生えたような店で修業をすると酒のつまみは作れるが、エビ新嘗のお椀とかヒラメの昆布締めに、サヨリの酒盗干しなどという手間のかかる料理は死んでも作れないものだ。経験とはいってもそんなもので、上を知らないと話にならない。
それにバカには料理は出来ない。毎日同じものを作っているならバカの一つ覚えでもいいが、食わされる方も厭きるし、第一自分が厭きてしまうだろう。創意工夫をするから料理は面白いし、奥も深くなっていくものなのだ。ただ経験を積めばいいのでない。中身が重要、その重要な中身を時間を短縮してつまりは勉強をして身につけることも出来るから、経験だけだといいきれるわけでもない。それにセンスがいる。それこそ天性のものでもあるが、ある程度までは師匠のを盗むという手もある。ただし、家族に食わす料理でそんなことまで必要はないからなくてもかまわない。
僕の経験からいくと、料理は素材である。素材がよければ何でもうまい。肉も魚も鮮度がいいに越したことはないが、よすぎるのでも困ることがある。いや大概は困る。というのも肉にしても魚にしても身のたんぱく質がうま味の成分アミノ酸に変化するのに時間がかかるからである。魚の方が早いのだが、それにしたってたとえばフグは一日置いた方がいいとか鯛でもヒラメでも柵にとってから冷蔵庫で一日くらい寝かした方がうまいといわれる。確かに釣ってきたばかりの魚の刺し身は歯触りがいいだけで味も素っ気もないことが多い。マグロにしたって少し置いておいた赤身などねっとりとしたうま味が感じられてトロなど足下にも及ばない。トロは油っ気が強いから、舌触りでごまかされているが、本来あれは味のないものである。油は酸化が早いからさっさと食べた方がいいということもあって、熟成したうま味とはほど遠いものなのだ。
肉については、ある豚カツ屋のはなしだが、鮮度のよい肉を仕入れるのは当たり前として、驚いたことに客に出すまで一週間もかけるということだ。肉はすぐに切り身にされて、一日分の分量に塩コショウしたらバットに入れて冷蔵される。このバットが常に冷蔵庫に七個ある。つまりは一週間経ったものを順繰りに取りだして今日の販売分にするというわけである。こうすると肉の熟成度合いがちょうどよくなって、コクも香りも歯触りもよそとは違う逸品ができ上がるという。
野菜は鮮度が命とはどこかの宣伝文句だが、まったくその通りで、この間鉢で育てたピーマンを料理して食わしたら、娘がこのピーマンの死亡推定時刻は二時間前だろうと見事に当てた。それほどスーパーで売っている野菜との違いが歴然としているものなのだ。 これは科学的なことは知らないけれど、植物は切ったところですぐに細胞は死なないからではないかと思う。長く保管しても熟成する理由がないからただ単に酸化したり水っケが抜けたりしてまずくなる一方なのだろう。
待てよ。僕は「ミシュラン東京」の話をするつもりだった。とんでもない回り道をしたものだ。 ともかく、この本はいろいろな意味で画期的だったらしい。まず東洋では始めて、世界では22番目に取り上げられたということ。フランス版とか英国版などは全国を一冊におさめているが、日本は東京一都市だけである。京都や大阪は入っていない。それから、三つ星が八店というのは一都市にしては多い。(ちなみにNYは三店)二つ星が二十五軒に一つ星が百十七軒というのは他と比べると格段に多い数字だという。
「東京は世界一級の美食の町」と出版元が言ったらしいが、何を今更という感じである。二十年ほど前に、パリに住んで、日本のデパートにもブティックを持っていたZ・サンデフォードが言っていたが、東京の食はバラエティがあっておいしいけれど香港にはかなわないといっていた。世界中をまたにかけて往来しているものがいっているのだから本当だろう。して見ると、これから香港版が出るとなればどうだろう。
だいたい、欧州の料理は獣肉と小麦それに乳製品ででき上がっている。緯度が高いからとれる野菜にも限りがある。東南アシアから東アジアにかけての気候や地勢からいって、素材のバラエティにも相当の差があるといっていい。たとえば発酵食品のバリエーションを比較して見たらいい。納豆、茶の葉、醤油、みそ、熟れ鮨・・・。植物の根を水にさらして澱粉を取る方法と同じものを欧州に探して見つかるだろうか?まあ、はっきりいえば、食については始めから勝負がついている。審査をした連中がどんな者たちか知らないが、驚いたとすれば正直な気持ちだっただろう。
それにしても、三つ星候補といわれながら選ばれなかった店はかなり悔しがっていたようだ。欧州では、死活問題になるとかいっているが、東京ではどうだろう。今どきミシュラン片手に食べ歩くほど情報に困っていないのだからまあ、黙って見守るしかないのではないか。
とはいえ、こういう風潮を批判するものもいて、こんなものを有り難がる必要はまるでないのだという。この間、劇作家の川村毅のブログにその代表的な意見が書いてあったので紹介しよう。
「で、たこ焼き、焼きそば食ったんだけど、東京ミシュランって結局東京に来た外国人向け、もしくは外国人への接客用だな。あんなもん参考にする普通の東京人がいるかね。で、これを演劇に置き換えて考えてみたらむらむら頭にきだした。ヨーロッパだかのわけのわかんねう批評家が東京の舞台を見まくったと称して、舞台のランク付けをしてるってことだろ。冗談じゃねえや。てめえらの審美眼がそんなに絶対なのかよっていいたくなる。」だそうである。 まあ、そんなところだろう。
あっという間に話題はもえつきてしまったわけだ。「ミシュラン東京」は来年も出すのかね。 どっちにしろこの間歯医者に言ったらほとんど残った歯も役立たずになっているといって思いっきり抜かれてしまった。母親の遺伝だが、亡き母を恨むわけにもいかず、歯がなくなって急に老け込んでしまって、ミシュランどころの話じゃないことを書こうと思って書きはじめたのに延々と余計なこと書いてしまった。梅干し爺になって、もはや終点を通り過ぎ、車庫に入っている。そろそろ年貢の納め時だが、納める年貢もない。
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