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2023年10月29日 (日)

劇評「デモクラシー」(05年)

Democracy

だいぶ前からテレビで大宣伝をしていたから話題作に違いないと漠然と思っていた。面白そうだが、こう言うのに限って内容は存外ヒドイのが多い。

 


分厚いパンフレットの最初のページを開くと自信なさ気な若い顔が現れた。ホリプロの社長とあるから二代目なのだろう。対するページにはテレビ東京の社長の顔がある。やれやれ、こう露骨にプロデューサー殿が出張ってきては芝居が嘘臭く見えてくる。宣伝文句も「26年ぶり舞台共演!」などとプロデューサーが劇の中身に関心がないことがあからさまである。ところが、これが案外効いていたらしく「デモクラシー」などという社会科の勉強みたいなタイトルに関わらず、鹿賀丈史と市村正親の共演ならば見逃してなるものかと駆けつけた観客が多数いたことを近ごろ流行りのWeblog上で知った。若い観客にはスパイ事件そのものがピンと来ていないこともあって、退屈な共演をあくびをこらえて見ていたようだ。

 


僕は、劇場に行くまでマイケル・フレインの作品だとは知らなかった。
結論から言うと、あの「コペンハーゲン」にまさるとも劣らない知的興奮を誘う正統派英国演劇といえる出来であった。まず構成がしっかりしている。しかも様々のテーマを、つまり現実政治的な或いは人間関係にまつわることに限らず欧州の社会をかたち作ってきた歴史、その到達点である民主主義そのものにかかわるテーマをいくつも重ねた奥行きの深い物語になっている。
そして、基本的には昔から人をひきつけてきたスパイの話である。もともとが複雑な人間関係、その中での心理的駆け引きという点で十分演劇的なのである。グレアム・グリーン、ジョン・ル・カレ、フレデリック・フォーサイス、フリーマントルといった英国スパイ小説の系譜につらなるというには無理があるが、マイケル・フレインが人間に向ける関心にこれらの英国作家たちに共通するものがあると感じた。
原子爆弾の製造を巡って、ナチに開発を命じられていたハイゼンベルクがコペンハーゲンで亡命の機会を待つボーアのもとを訪ね、製造の可能性について互いの真意を探り合うというのが「コペンハーゲン」であった。原子爆弾という人類最悪の発明に向き合った科学者の苦悩を遠景に配し、二人が打ち立てた量子論の不確定性原理の世界をあたかも会話劇に翻訳したような知的でスリリングな展開のミステリー(推理劇)であった。

 


この劇では何故マイケル・フレインは数あるスパイ事件の中からブラント=ギヨーム事件を取り上げたのか?英国では、もっと大掛かりで、大物のスパイ事件があった。キム・フィルビーはケンブリッジ在学中からの共産主義シンパで、政府中枢にもぐりこんだ彼らは機密文書を超小型カメラで撮って送り続けた。発覚寸前に逃亡し、亡命したソ連政府から勲章が与えられている。西側にとっては少し苦々しいが、見事成功を収めたスパイの話としては「華」がある。
おそらくギュンター・ギヨーム(市村正親が演じている)が逃げなかったことにマイケル・フレインは、注目したのだと思う。ギヨームは自分に疑惑の目が向けられていたことに気付いていながら、しかも国外に出て逃亡の機会がありながら、東ドイツとの国境を越えようとしなかった。何故彼は、命の危険を犯してまで西ドイツに留まったのか?その時ギヨームの心に何が起きていたのか?
当時僕はこの事件を新聞で見て、何かの冗談ではないかと思った。よりによってブラント(鹿賀丈史)の秘書官がスパイだったなど、そんなことを許した西ドイツの政府はなんてどじなんだと思ったものだった。写真に写ったギヨームはなんとも風采の上がらない平凡そのものの太った中年男だった。その後ブラントが苦境に立たされたと言うニュースは何度か目にしたが、ギヨームによってもたらされたダメージがどんなものだったかの報道は無論ない。米国がNATOの情報を渡さないという嫌がらせをやったことで想像が出来た。やがてシュミット(この劇では三浦浩一がやっている)が後を襲って、僕らはギヨームの存在を忘れた。

 


逃げなかった男、ギヨームに興味を持ったマイケル・フレインは、自分のなぞ解きの旅のたどり着いた先から逆にこの劇を語りはじめる。
東ドイツから亡命、地方の社会民主党のなかで頭角をあらわし、写真屋でコピーの仕事を引き受けながら、西ドイツ内閣府のオフィスに居着いてしまうギュンター・ギヨームという男の話を。
開幕からギヨームにはアルノ・クレッチマン(今井明彦)が影のようにつきまとっている。東ドイツの諜報機関でギヨームの上司にあたる。ギヨームが撮影した文書のフィルムを受け取る連絡係でもある。
舞台上手手前には首相のスタッフである大臣ホルスト・エームケ(近藤芳正)の執務室、真ん中奥に連立内閣を組んだ自由民主党との混成チームの大きなテーブル、あとは全体が黒一色で統一されたシンプルな舞台である。時々二三枚のパネルが舞台中央を横切るのが場面転換に使われる。堀尾幸男の装置は、蜷川芝居のようなよけいなものをとりさって、この上なくさっぱりとしているように見えるが、漆黒の大きな板を鋭角的に張りだし、緩やかな階段状に重ね、その向こうに一段低くスタッフのテーブルを配するなど、実は巧みにこの重厚な会話劇にふさわしい緊張感を作り出しており、久しぶりに得心のいく仕事ぶりだった。

 


その奥のテーブルのまわりにいるのは、ヴィリー・ブラントと同じ社会民主党の長老ヘルベルト・ヴェーナー(藤木孝)副党首で後の首相ヘルムート・シュミット、内務大臣で自由民主党のゲンシャー(加藤満)その部下で社会民主党の保安局長官ギュンター・ノラウ(温水洋一)らで、どちらかといえばブラントに対立する人々である。ヘルベルト・ヴェーナーなどは常に党内の権力争いの中心にいる人物で、腹の底は明かさないといういかにも政治家らしい態度の老人である。シュミットがこれと結んでいると見えるがしかし、真意を計りかねるという政治的な思惑や連立政権の政策を巡る駆け引きなど権力中枢の裏話的面白さもこの劇にはある。実際、実在の大臣や首相が権力をむき出しにしたり、変化する状況を前におろおろする様子は実に人間的で、権力者と言えども内実はそういうものだろうなと思わせる。
そのような権力闘争の場があればこそ、ブラントが心を休めるところは政治家であるよりは法律学者であったホルスト・エームケの執務室であった。
演出のポ-ル・ミラーは、この対比を適当な距離で表現し、簡潔にして要を得た登場人物および背景説明を素早く冒頭で見せてくれた。そして最後まで抑制の効いた身振りと明晰なせりふ回しで劇全体の知性と品位を保ち続けた。この前に平田オリザの「御前会議」を見ていただけに、演劇の形式は決してひとつではないなという思いを強くした。

 


エームケが大臣を辞して、いよいよ頼りになるものはギヨームしかいない。スパイは偶然願ってもない首相の秘書官という地位を手に入れる。
二人はドイツ中を遊説に出かける。また、ブラントはアウシュビッツを訪ね、地に膝まずきユダヤ人に謝罪を表明した。東ドイツとはその存在を認め宥和政策を採る。ギヨームにとっては、何一つ邪魔立てすべき政策はなかった。ブラントが目を通すものはギヨームも見た。ブラントが書いたものはギヨームの手から渡された。首相がいつなにをするか、誰と会うかは、ギヨームだけが書き込むノートによって決まった。
ある日、保安局長官ギュンター・ノラウの報告によってこの長い蜜月時代は終わりを告げた。首相の周辺から機密事項が漏れ出していることに気付いた長官がギヨームに疑いの目を差し向けたのだ。ブラントには告げられたが、意に介してるふうには見えなかった。そうした中、戦前ナチに追われて亡命していたノルウェイの田舎で家族とともに休暇を過ごすことにしたブラントが、既に親しくなっていたギヨームの家族も誘う。
素晴らしい休暇を過ごしたあたりから、ギヨームは嫌疑がかけられていることに気付きはじめていた。自分はスパイである。しかし、逃亡すれば、これまで培ったブラントとの友情を裏切ることになる。おそらくそれをしたくなかったギヨームはスパイである自分を裏切ることにしたのだ。
ギヨーム逮捕の後、ブラントが辞めるまで少し間があったが、その間の権力争いはいわゆる「政局」といわれるもので、デモクラシーなどとほど遠い。結局、民社党の黒幕ヘルベルト・ヴェーナーが動いて、後継者にシュミットを指名、就任演説をするところで幕が下りる。
ポール・ミラーは演出のポイントを二つの流れを際立たせることに置いたといっている。ひとつは西ドイツ中道左派政権を舞台にしたソーシャル・コメディと呼べるような物語。もう一つはマイケル・フレインが言っている「複雑性の芝居」というもの。つまり、個人のもつ内面の複雑さの表現、である。それはねらいどおり十分にでていてこの芝居の一種の分かりやすさになっていた。

 


それにしても、タイトルの「デモクラシー」とはなんだったのか?
西ドイツの社民党はソ連やと東欧、東ドイツなど東側に寛容で、ブラントは歴訪によって戦争の謝罪をし、融和しようとした。それが西ドイツ大衆の民意であったとすれば、それこそデモクラシーというものではないか。しかし、ナチが台頭した遠因は第一次世界大戦にある。ナチは始めから独裁ではなかった。選挙によって政権をとったのである。そのときデモクラシーの原理は機能していた。結果として600万人のユダヤ人が虐殺され、2000万とも3000万とも言える人々が戦争の犠牲になった。ブラントの時代、ヨーロッパは二つの大戦の教訓によってデモクラシーの意味を更新したのである。我が国でも、軍人が何と言おうと戦費の支出は国会が決めた。結果三百万人の同胞が戦死し、1500万人の東亜の人々が犠牲になった。日本でも、戦後デモクラシーの意味は深化したのだと思いたい。

 


そして米国のデモクラシー。傷ついたことのない大国の原理原則。そろそろどこかで止揚されることがなければ新たな犠牲が生まれるだけ、とそのような気がしている。

 


最後に、役者について言及することにしたい。さて、演出のうまさだけが目立って特別目に留まったことはないが、男ばかりの殺風景な芝居に関わらず皆達者で、素直に劇の世界に入ることが出来た。市村正親は眼鏡で適当に表情を殺し、いつもよりは抑えてギヨームという難役をこなした。ブラントの鹿賀丈史は風格があった。藤木孝は適役を得た。そういえばこの二人はジャズ、ロックの歌手出身だった。古い話だ。
久しぶりに本格的正統派演劇を目にして十分満足した。マイケル・フレインはやはりすごい。

 


   (2005/4/11)

 


題名: デモクラシー
観劇日: 05/3/25
劇場: ル・テアトロ銀座
主催: ホリプロ・テレビ東京
期間: 2005年3月16日~31日
作: マイケル・フレイン
翻訳: 常田景子
演出: ポール・ミラー
美術: 堀尾幸男
照明: 沢田祐二
衣装: 小峰リリー
音楽: 高橋巌
出演者: 鹿賀丈史 市村正親 近藤芳正 今井朋彦 加藤満 小林正寛 石川禅  温水洋一    三浦浩一  藤木孝

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