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2023年10月15日 (日)

再び、薄田泣菫「茶話」(富山房百科文庫)について

2007年頃に書いた「茶話」について思い出したので再掲します。

「天声人語」は朝日、「編集手帳」は読売「余禄」は毎日、皆、新聞第一面にあるコラムである。昔は「天声人語」が大学入試にでるといって朝日は宣伝した。「社説」ほど裃付けずに、時事的な話題を匿名の一人称で語るという新聞の中では独特の位置にある読み物である。その時の新聞社で、最も筆の立つ編集委員が担当することになっているという。文章の達人が書くのだから大学入試にでてもおかしくないというわけだ。今も取り上げる入試があるかどうかは知らないが、ここ十年ほど読んでいた限りでは感心するものはあまりなかった。特に、教養をひけらかすだけのもの、道徳を説くものなどは「何を偉そうに」と僕だけでなく、そこいらの反感を買いそうだと思った。ほのめかしやたとえ話もわざとらしくて、発想が貧困だった。だいたい近頃の書き手は教養がない。学問がない。聞いたこともないような本の引用をして、それを読んだ、読みこなした印象がないことがままある。そんなものを有り難がって、若い者の頭を悩ませるのはほとんど害毒を流すに近い。昔は、高等遊民にもなりきれない貧乏文士やなりそこないの学者を新聞社が引き受けた。こういう連中は世の荒波にもまれているから書くことに心棒が一本通っていて、おのずから個性がにじみ出る。学校出て、高給を食んでぬくぬくと新聞社の看板の下で生きてきたものが、昔の記者(社会的には役立たずという意味でやくざ同様)の口まねをしてもお里は知れているというものだ。

 

いつごろから新聞にこういうコラムが出来たのかはよく知らないが、非常に早い時期に(最初は大正四年)それとおぼしき記事を連載していたものがいる。いまとなっては、こんなに皮肉で洒脱で風刺が利いていて、そこはかとなくおかしい文章は見ることがない。薄田泣菫である。大昔、国語の教科書にでていたから名前だけは覚えている人もいるだろう。その時は島崎藤村、土井晩翠以降の象徴詩を継いだ詩人たちの一人としてであった。詩作をやめた後、小説から随筆に転じて国民新聞社、帝国新聞社、大阪毎日新聞社を渡り歩いた。この時に連載した「茶話」と言うコラムがそれである。名詞代わりに(もちろん泣菫の)初期の短いのを紹介しよう。

 

「私の故郷(くに)は瀬戸内海の海っ辺(ぱた)で、ヂストマと懶惰漢(なまけもの)と国民党員の多いところだが、今度の総選挙では少し毛色の異(ちが)った人をといふので、他(よそ)の県で余計者になった男を担ぎ込み、それに先輩や知人の紹介状をくっつけてさも新人のやうに見せかけてゐる。ゴオゴリの「死霊」を読むと、名義だけは生きてゐるが、実はとっくに亡くなっている農奴を買収し、遠い地方へ持ち込んで、そこで銀行へ抵当(かた)に入れて借金をする話が出てゐるが、今の選挙界の新人もちょっとそれに似てゐる。」もうひとつ。

 

「フランク・ハリスと言えば聞こえた英国の文芸家だが、(ハリスを英人だといえばあるいは怒り出すかもしれない、生まれは愛蘭土で今は亜米利加にいるが、自分では巴里人(パリジャン)のつもりでいるらしいから)今度の戦争について、持ち前の皮肉な調子で、「独逸はきっと最後の独逸人となるまで戦ふだらう、露西亜人もまた最後の露西亜人となるまで戦ふだらうが、ただ英吉利人はーーーさうさ、英吉利人は最後の仏蘭西人がといふところまではやるに相違ない」と言ってゐる。流石(さすが)にハリスで、よく英吉利人を見てゐる。」とまあこんな調子である。

 

あまり感じない人にとってはご愁傷様だが、僕は読んでいておかしくて笑い転げていた。こういう感覚のものが何年にもわたって連載されたのだ。もちろん博覧強記、古今東西あらゆることに通じていて、それを時事と絡めて極上の読み物にしている。

 

子供の頃こういうものが書きたくて(ということはどこかで出会っていたのかもしれない)新聞部にいたことがあった。いかんせん実力がともなわない子供のことで、まね事のように書いたものを回りが笑ってくれたが、国語の教師は「ふん、面白いだけで、意味がない。」と木で鼻をくくったような態度であった。別に自信があってしたことではなかったので、あまり応えなかったが、「俺が書くものには意味がない」ということが気にかかった。してみるとその教師は某有名官立大学文学部出のキレ者で、四角いあごに大きめの目、浅黒い顔の上の刈上げた頭にはいっぱい「意味」がつまっているのだろう、そのために意味のないものには感情が動かされなかったのだ。それから一生懸命僕の頭にも「意味」を詰め込もうとしたが、それほど出来がよくもないせいでいまだに半分も満たされずにいる。

 

不思議なもので、後年この教師とよく似た顔の人と出会ったが、やはり木で鼻をくくったようなつまり笑顔というものがない人だった。いうまでもなく某有名官立大学文学部出でこういう顔にありがちなパターンなのかきっと頭が「意味」で充満していたにちがいない。あまり一杯でゆとりがないからかえって反応が鈍くなるのかもしれない。不思議だ!
こういう人に上のような文章を読ませたら、きっとこれのどこが面白いかじっくり分析の上解説してくれると思うが、聞きたい人には参考になると思う。

 

ところで(突然ですが)薄田研二を知っているだろうか?東映時代劇の悪役専門の役者で痩身に四角い小顔、くぼんだ目にこけた頬という一目見たら忘れられない容姿である。大概はそういう役者と思っているが、当時子供の僕は物知りの母親から「あれはもと、高山徳右衛門といって、築地小劇場から飛び出て、後に原爆でなくなった丸山定夫、仲みどりらと劇団を結成したり、演劇研究所をつくった新劇の大立者」と聞かされていたから、そこらの歌舞伎出身とは違ってちょとした芸術家、インテリに見えていた。

 

Images_20231015214801 幸い薄田泣菫の顔写真を見たことがない僕は、「茶話」を読む時この薄田研二の顔を思いだしている。彼はあまり表情を動かさない単なるきむずかしい爺さんに見えるのがいい。これが文机の前で面白くもないといった顔で鼻の頭を掻いたりしながら原稿用紙のマス目を埋めている様子を想像して読むと感じが出るのである。

 

新聞の話に戻るが、そんなわけで「茶話」のようなコラムがあったら夜が明けぬうちに表へ出て新聞配達がやって来るのを待つところである。むかし、アレクサンドル・デュマの「モンテ・クリスト伯」が「デパ」という新聞に連載された時がそれであったという。話の続きが読みたくて皆争って新聞を買ったのだ。新聞社も売れるから話を延ばしてくれといったために、巌窟王捕らわれの日々が長くなった(と言うのは冗談)。

 

件のごとく、小説を新聞の販売促進に使うというのは150年前からやっていることで、珍しくもないが近頃では惰性でやっているとしか思えない。読んでいるものどれだけいるのか?たまに、男と女の究極の愛などというフィクションが新聞小説のカンフル剤のように現れるが、ああいう疲れる話で息を吹き返すとはとても思えない。

 

社説など新聞社自身がもういらないのではないかといっているぐらいだし、「天声人語」、「編集手帳」も「余禄」も別に読みたくもないが、では何で、新聞なんて取っているのかといわれると、はてと考えてしまう。
結局、広告だね。広告を見るともなしに見る。そのために新聞が存在する。ニュースは、系列のキー局に配信してスポンサー付きで放送してもらう。その方が速報性がある。従来の紙面は広告で構成してただで配布。すると僕らは、年間5万円ほど払っている新聞代を節約出来ると言う寸法である。
(完本「茶話」上中下 薄田泣菫 富山房百科文庫)

 

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