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2023年9月12日 (火)

映画監督 伊丹十三さんの思い出

Photo_20230912170201 「テーブルデザイニング」(世界文化社)は、1987年=昭和62年から全部で五巻出された本である。実は、この本は、僕が勤めていた会社がスポンサードしてつくった。
制作にあたって、僕も関わっている。(巻頭の辞は僕が書いた。)第1巻がでた後、ほどなく僕は会社を辞めた。会社は、やめてからも残りの巻の制作を手伝えと言ってくれたので、今度はフリーランスの立場で最後まで参加することが出来た。この本は全国の図書館で扱ったはずなので、いまでもいくつかは残っているのではないかと思う。
第一巻の編集の最中に、僕の上司が「伊丹さんに巻頭エッセイを書いてもらったらどうか?」と提案してきた。伊丹さんは、すでに面白い文章を書くことで定評があった。書いてくれたらこの上ない。僕の上司は、コピーライターの草分けで、どう言う訳か伊丹さんの映画「タンポポ」にエキストラで出演していた。伊丹さんは、ドキュメンタリーやCMなどをつくっていたから広告やTV制作の縁で、親しくしていたのだろう。
ある日、僕と上司、それにカメラマンと連れだって、伊丹さんが当時住んでた世田谷区赤堤の自宅を訪ねた。本の主旨は伝わっていたと見えて、普段使いの器など用意して待っていてくれた。
たくさんある器だが、目を凝らしてみると、金継ぎをしているのがいくつか見えると思う。僕はこの時はじめて金継ぎというものを知って、日本人の感性に驚きなんと美しいものかと思った。伊丹さんは、写真手前にある小振りの、コバルト色の器を手に取ると、穏やかな口調で、中東の沙漠の国で手に入れたもので相当に古いものだという。お気に入りの一つだったのだろう、なでるように扱っていた。ひとつひとつ器の説明を受けているうちに、後ろのふすまが開いて宮本信子さんが起き出してきたので、それを潮に辞することにした。
届いた原稿は、読んでいただいたら分かると思うが、クロード=レヴィストロースを横に置いても勝るとも劣らない「思想性」を放っている見事なものであった。
あれから、すでに三十年以上もたった。
この間、ふと思い出して本棚から取りだしてみたら、このままにしておくのは勿体ないと思うようになった。著作権侵害だと言われそうだが、言われたら言われたときのこと、ここに掲載して読んで頂こうと思う。

 

 

 

食卓論
映画監督 伊丹十三

 

Photo_20230912170902 子供の頃、父親が亡くなってからは大変貧乏をしたもんだが、食卓なんてものは貧乏だから貧しいってものでもないのだよ。うちの母親は20代をお茶だけに明け暮れた変りものであったから、たとえ食卓に上るのがひと椀の白いめしと汁と目刺しだけであってもね、梅一輪ついた小枝を添えるとかね、味噌汁の上に蕗の薹をぱっと散らすとかね、食卓の中に小宇宙を作ることは上手であったよ。
その頃、湯はアルマイトのやかんを七輪にかけて沸したな。炭がある時は炭で沸かすのだが、金がない時は炭のかわりにそこらで木っ端を拾ってきて燃やすさ。だから、うちのやかんは、煤で真黒にいぶされているのが常であった。
ところがある時、母親はその黒地のやかんをナイフでこさげて絵を描くことを思いついたのだな。しばらくごりごりとやっていたと思ったら、見事な狩野永徳風の梅を彫り出した。黒地にアルマイトの金色がなかなかよく映えてね、
漢詩が2行添えられておったな。

 

去歳荊南梅雪に似たり。

 

今年薊北雪梅の処し。

 

このやかんは、われわれにこの世の憂さを忘れさせて2、3日は食卓の傍らにあったが、やがてまた湯を沸すのに使われて、もとの真黒なやかんに戻っちまった。今は私の頭の中だけにある、というわけさ。

 

こんな風にして育てられたから、わしは食器にはうるさいぞ。使っているのは古い伊万里が主であるが、これは年に2度、東京美術倶楽部の売り立てへ出かけて、ぱっと2∼3百万衝動買いをするのさ。それは素早いものだよ。わしは骨董の目利きでもなんでもないが、好きなものはあちらから目の中へとびこんでくるのだ。
買ったものはもちろん毎日使う。子供も赤ん坊の時から古伊万里さ。食べ終ったら子供に台所まで運ばせる。全く音を立てずに置いたら100点だってほめてやるのさ。お陰でうちの子は食器だけは大事にするな。この間、下の子がお嫁さんの条件というのを話すのを聞いていたら、プッ、食器を大切にする人っていいやがったよ。

 

若い頃は関西料理なども随分動強したが、結局はものにならずじまいであった。仏蘭西料理の盛り付けというのがわしには苦手でな。仏蘭西人の料理人の盛り付けは、パりの街さながら、皿の中心に肉や魚を盛って、そのまわりに放射状にアスパラガスやアンディーブを飾ったりするであろう。食器だってそうだ。初めからしまいまで同じデザインで統一されておる。要するに連中はすべてにおいて人間を超えた秩序を志向するのだ。世界を隅から隅まで構成しようという権力への意志が食卓にまであふれかえって、わしを息苦しくさせるのだ。

 

Photo_20230912171001 そこへゆくと日本人の食卓はやさしいな。自然に対してへりくだっておる。
放射状やシンメトリーや格子模様などで自然をねじふせようというのではなく、日本人の感じる自然のたたずまいを、そのまま食卓に反映させようとする。
日本人は中心をずらしてしまう。中心より重心を大切にするのじゃ。大切なのは微妙なバランスや動きの中に、自然のいとなみを宿らせることである。そういう意味で、日本文化というのはチラシの文化だな。チラシというのはあれは偉大なものじゃ。しかと見てみい。ちゃんと一つの小宇宙を形成しているであろうが。

 

もう一つ、わしは別段国粋主義者ではないが、日本人の特技をいうなら、日本人はモノにココロをこめるということができるのだ。日本の男たちはゴルフのクラブでも車でも心をこめて磨いたりしおる。心をこめることによってモノは単なるモノではなくなるのだ。
寿司屋のカウンターは単なる白木の板ではない。あれは寿司屋の心のこめられた、モノ以上の、何か神聖なるものなのだ。そして、寿司屋が心をこめて切った鮪のひと切れは、単なる魚の死肉の一断片ではない。寿司屋の心こめたる包了さばきで生き生きと蘇った命ある何ものかなのだ。

 

さて、日も䫗いてきた。山の斜面に樹樹が揺れ、遠く海が光る。子供たちの遊ぶ声が風にのって切れぎれに響く。客たちはそれぞれ好みのを手に、法螺を吹きあっている。そろそろ老妻とともに厨房に入るとするか。われらの手は材料の摂理に従って動き、心は自ずとモノたちにこもる。
こうして出現した小宇宙の中に、われらはしばしの生を遊ぶのである。

 

 

中村註:
僕らのとき、国語の時間は「現代国語」と「古文」と「漢文」に別れていた。いま、大学の試験がどうなっているか知らないが、漢文も入っているのかどうか、いずれにしても、世の中から漢文の素養が聞こえてくることなど全くなくなった気がしている。
それはともかく、
伊丹さんのお母さんがやかんのすすを削って書いた漢詩の一節について知りたいと思った人がいたのではないか、そう考えたので下に注釈のようにして解説しておこう。これは唐の玄宗皇帝のとき燕国公に封ぜられた帳説(洛陽の人、667〜730)の作で、梅花と雪を詠った句である。

 

題は「幽州新歳作」。
去年の岳州(南国)の春では梅花が雪のように咲いていたが
今年この幽州(現在の北京付近、北国)で迎える春は寒くて梅花のように雪が降る
と始まる詩の最初の二行をとったもので、やかんの腹にすらすら梅と漢詩を書き付けられるとは、お母さんの並々ならぬ教養がわかるというものだ。

 

全編は以下の通り。
少し前まで、篆刻をしたり書を稽古したり「唐詩選」などを取りだして勉強しようとしたこともあったが、いまはトンとそちらには気が行かなくなってしまった。

 

去歳荊南梅似雪   去歳荊南、梅雪に似たり

今年薊北雪如梅   今年薊北、雪梅の如し。

共知人事何嘗定   共に知る。人事何ぞ嘗て定まらん。

且喜年華去復來   且らく喜ぶ。年華去りて復た来たるを。
邊鎮戍歌連夜動  邊鎮の戍歌  連夜 動き,
京城燎火徹明開  京 城の燎火  徹明して 開く。
遙遙西向長安日  遙遙として 西のかた  長安の日に向ひ,
願上南山壽一杯  願はくは 南山の壽(じゅ) 一杯を 上(たてまつ)らん。

 

 

 

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