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2022年12月 4日 (日)

劇評「書く女」(2006年10月)

Kakuon

何年か前に甲州、塩山から少し北に行ったところへ水を汲みに行ったことがある。初めての場所で、迷っているうちに「一葉のみち」と書いた看板に出会った。大菩薩峠から下りてくるあたりだったが、なぜそんなものがあるのか?まもなく合点がいった。幕末、一葉の両親はここから江戸に駆け落ちしたのであった。苦労して八丁堀同心の株を手に入れ、御家人になった。御一新のあと父親は新政府に出仕、その後事業に失敗して、一葉十六の年に亡くなった。まだ幼かった頃の長女の文才を見抜いていたのが、この父親である。しかし、両親は故郷に思いをはせながら帰ったことはなく、一葉にしても甲州に足を運ぶ余裕はなかった。それでも、ここは一葉縁の土地に違いはないというのだろうが、異議を唱えるつもりはない。

 

さて、永井愛が評伝劇を書いたのは他に記憶がない。ただし、「萩家の三姉妹」「新・明暗」と並べれば、誰かしらの評伝を書いてもおかしくはないと思える。いずれも下敷きがあるものだからだ。それが樋口一葉だったというのは何か格別の意味があるのではないかとかんぐりたくなるが、果たしてなんだったのか?それにしても関連資料を克明に調べ上げて、余さず書こうとした正統的評伝、All About Higuti Ichiyoともいうべき内容で、それがかえって永井の動機が奈辺にあったかを曖昧にしたのではないかと思う。

 

井上ひさしの「頭痛、肩こり、樋口一葉」は一葉を取り巻く家族と母多喜の奉公先、稲葉家の夫人、幽霊の花蛍など女性だけの出演者で、小説には直接触れず主としてその暮らしぶりを描いた評判の評伝劇である。
当然永井愛は、これを意識したであろう。いや、結果としてかも知れないが、この芝居では、井上の描かなかったいわば表の部分に光を当て一葉の短い生涯を浮き彫りにしようとした。

 

表の部分とはまず第一に、半井桃水との恋愛関係である。つぎに、小説の創作とそれにからむ人間関係、そして一葉の日本近代文学における評価と位置、あえていえば、この三つの要素からなる芝居であったということができる。
なかなか煮え切らない恋のゆくへ、深刻な貧乏暮らし、文学者のやっかみや批評という物語にもかかわらず、随所に永井らしい笑いの場面を作りながら、日清戦争前後の社会世相に批判を加えることも忘れない。骨格のはっきりとした面白い芝居であったが、評伝であるということから話が大きく飛躍することもできず、いかんせん一葉の人生が短すぎることもあって、いつもの永井らしい解放感は望むべくもなかった。最後は国文学科の学生の卒論見たようになったのはご愛嬌だが(あんな文学的評価は本に書いてあることで)恋心で始まった芝居の締めくくりとしては少々理屈っぽくなった感がある。

 

大田創は、「新・明暗」で舞台をコの字型に囲む二階建ての装置を作った。その壁に矩形の穴を何個も開けて全体として大正モダンの香りがただようように納得のいく工夫をしたが、この芝居では、障子をモチーフにした大小のボードを仕切りに使い、スライドさせたり下ろしたりして趣向を変えた。時代を感じさせるのはいいが、ボードの切り口が斜めのものがあって、こういう舞台に斜線を持ち込むと何だか煩瑣な印象を与えてしまう。名手も手元が狂ったかという気がした。

 

半井桃水のことは新聞小説を書いていたこと以外知らなかった。まして朝鮮の釜山で妻とともに暮らしていたなどこの芝居で初めて知った。妻は彼の地で病死、以来再婚はしないと心に決めたという。
話は、一葉(寺島しのぶ)がこの半井桃水(筒井道隆)に引き合わせられるところから始まる。小説の指南役にというわけだが、紹介したのは、野々宮菊子(江口敦子)。野々宮は一葉夏子の妹・くに(小山萌子)と裁縫の学校で知りあい、東京府高等女学校に進学して半井桃水の妹幸子(小沢英恵)と同級になった。樋口くにから姉のことを聞いて、半井幸子を通じて桃水に打診したところ、桃水は書いたものを読んでやるくらいのことならと引き受ける。
この野々宮は当時の高等女学校に入るくらいだから相当な才女である。引き合わせたのはいいが、桃水と一葉の仲を疑って噂を流したり、半井家の事情を一葉に吹き込んだり二人のあいだを遠ざけるようなことをした。

 

半井幸子は昭和三十三年まで長生きしたが、この幸子によると野々宮菊子は桃水に好意を持っていたと証言しているようだから、一葉と桃水の関係をやきもきして見ていたのだろう。
桃水は、一葉に釜山でのことを話して、だから僕たち二人は兄と妹でいようとけじめをつけようとする。しかし、一葉に恋心が芽生えれば桃水も気付かぬはずはない。ある木枯らしの吹く日、やってきた一葉の身体を気づかって、しるこを煮てやろうと小鍋に小豆を七八粒と一合ほどの水を入れ、火鉢にかける。砂糖を大量に入れたといってもこんなものがうまいはずはない。しかし、一葉は男の親切というものに初めてあって感激する。そうして七日ほど空けながら訪ねているうちに、桃水も後二十分、いや後十五分と一葉を引き止めるようになる。

 

この桃水とのやり取りが、劇中もっとも面白おかしく描かれており、おそらく「一葉日記」の中にある記事を、永井愛があれこれ推論して、いや心理分析の限りを尽くして「きっと、こうだったに違いない」というものを書き出したのではないかと思われる。確かに、樋口一葉の生涯で、この時期ほど興味・関心の惹かれるところはない。

 

やがて、野々宮の流した噂が因になったのかどうか、師弟の関係を越えてはいけないと一葉は次第に桃水から遠ざかる。「文学界」創刊者の一人平田禿木(中上雅巳)が一葉に原稿を依頼してきて、執筆活動が始まった時期と重なるが、一葉にとって桃水はすでに「遠い人」になっていたと永井愛はいいたいらしい。
文壇から注目され馬場孤蝶(杉山英之)や川上眉山(細貝弘二)ら、取り巻きも現れるようになり、たびたび桃水が訪ねてもすでに一葉は手の届かないところにいってしまったと、この恋のゆくへを断じているのである。僕は「日記」を読んでいないが、そこまで酷なことは書いていないと思う。桃水は一葉より一回りも年長である。一葉の思い過ごしが自然消滅したと見てもおかしくはない。
しかし、それではいかにも劇はつまらなくなるなあ。いずれにしても「書く女」永井愛としてはここの部分がもっとも書きたかった、想像を巡らす楽しみがあったところだろう。

 

「文学界」に原稿を書くように奨めてくれたのが「萩の舎」時代の友人、田辺龍子・花圃(石村実伽)である。一葉は代理師範をする優秀な生徒だったが、もう一人、伊東夏子(粟田麗)と三人合わせて「萩の舎」三才媛といわれた。
田辺花圃は、後に三宅雪嶺夫人となって、なお家に収まらず活躍した女史であるとは知らなかった。小説「薮の鴬」で多額の原稿料を稼いで、一葉に小説を書こうとするきっかけをつくった。一葉が世に出てからその才能にやや嫉妬気味の態度はほんとうだったかもしれない。石村実伽は、腹にものを入れて妊婦の役をこなしたが、出番も少なく適役だったかどうか?

 

伊東夏子のほうは裕福な鳥問屋の娘で、結婚してからも樋口家の家計を助けた。「一葉の思い出」を書き残して、その人となりを知る貴重な資料になっているよ
うだ。
桃水から離れて、一葉は「文学界」の他に雑誌から注文が来始める。しかし、貧乏はいっこうに改善されず、下谷滝泉寺町に荒物屋を開くがこれも口に糊するまでには至らない。
この頃から亡くなるまでの14ヶ月間は文字通り「書く女」と化して小説を書きまくった。ほとんどの名作はこの時期のものである。
そして晩年、批評家の斉藤緑雨(向井孝成)が「たけくらべ」を絶賛して一葉の名を決定づけた。劇では、最後に登場し、極めて厳しい口調で小説を評価し激励するのだが、そのせりふの中に、日本近代文学における樋口一葉の位置を定め、その功績をたたえる言葉を込めた。(この部分が国文科の卒論めいたという話である。)

 

「廻れば大門の見返り柳いと長けれど、お歯ぐろ溝に燈火うつる三階の騒ぎも手に取る如く、明け暮れなしの車の行来にはかり知られぬ全盛をうらないて・・・」(「たけくらべ」冒頭)あの名文を言文一致体で書いたらどうであったか?とは僕もまたそう思う。二葉亭が「浮雲」を発表するのは、一葉没後半年余りであった。僅かに間に合わなかった。

 

永井愛は、東学党=農民運動が激しくなった朝鮮の情勢を背景に、桃水が釜山にいた時、親しく交わった友人の安否を気づかう場面を入れて、日本が朝鮮侵略を企てていることを暗に批判した。やがて日清戦争勝利に喜ぶ母多喜(八木昌子)の万歳も、困ったものだという描き方をした。隣人同士仲良くしなければならないといわぬばかりの口調である。

 

「柔らかい服を着て」「こんにちは、母さん」などの批評でも書いたことだが、永井愛の侵略戦争批判(含戦争反対論)は、感情的で情緒に寄り掛かっている。ベトナム戦争の頃まではそれでもよかった。社会主義という漠然とした正義が存在したからそれを根拠に批判出来た。しかし、いまは冷静に歴史を吟味しなければならない。違和感を覚えるところだ。

 

桃水との恋が終わって、貧乏話から先は少し冗長ではなかったかと思う。文壇に躍り出てからの一葉には、批評に応えるかのような発言はなかったと見えて、さまざまな小説家や批評家がかける声に曖昧な笑顔で通したのは仕方がなかったともいえるが、三時間を越えたのはどうか?
その三時間ほとんど出ずっぱりで一葉を演じた寺島しのぶだが、ずいぶんと印象が変った。二年以上舞台はやっていないということだったが、映画に出て変ったのだろうか。ともかくうまくなった。ディテールの表現でも「見せる」という構えを感じられる。今までなかった色気も出てきた。ただ、いかんせん、まだ母親のような華がない。これからだろう。

 

燐光群の役者、江口敦子、向井孝成、杉山英之は、少し生硬さが感じられた。
開幕してからすぐに若い娘たちが何人か舞台に立つが、竹原典子が選んだ和服の素晴らしさに改めて感じ入った。若々しく華やかで輝いている。明治の、一葉の時代が匂い立つようだった。

 

題名: 書く女
観劇日: 06/10/6
劇場: 世田谷パブリックシアター
主催: 二兎社
期間: 2006年10月2日~10月15日
作:   永井愛
演出: 永井愛
美術: 大田創
照明: 中川隆一
衣装: 竹原典子
音楽・音響: 市来邦比古
出演者: 寺島しのぶ 筒井道隆 八木昌子 小山萌子 石村実伽  
      粟田麗 江口敦子 小澤英恵 向井孝成 中上雅巳 杉山英之 細貝弘二

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