« 劇評「チェックポイント黒点島」(2006年12月) | トップページ | 劇評「八百屋のお告げ」(2006年11月) »

2022年12月 3日 (土)

劇評「飢餓海峡」(2006年11月)

Kiga

小学生の頃、わが家には「主婦の友」と「オール読み物」が毎月配達されていた。他に時々「文芸春秋」と「漫画読本」が届いた。母が実家の習慣を持ち込んだものである。菊池寛が麻雀の普及に努めたために、戦前から家族で卓を囲んでいたらしい。文芸春秋=文化の影響をもろに受けていた。良妻賢母の「主婦の友」はご愛嬌だが、文春にしても、新聞は朝日ではなく読売だったところを見るとわが家にはアンチ教養人の気分が潜在していたと思われる。
おかげで我が「ヴィタ セクスアリス」を語るに「オール読み物」は欠かせない。実はもう一つ欠かせないエピソードがあって、この際だから告白しておくが、小学生の頃近所にとてもきれいなお姉さんがいた。すらりと背が高く色白で面長、少しつり上がった目がいつも笑っているようで、大概は渋めの色の和服に下駄履き、時々日傘などをさして歩いていた。小股の切れ上がったいい女とはあれのことだな、と後になって思った。見かけるたびにドキドキしていたがむろん人に話せるものではない。二十歳を過ぎた頃、思い切って母に言ったら「バカ、あれは私の同級生だよ。」と心底あきれられた。学校出てから芸者をしていたものらしい。ある時子供を負ぶって台所仕事をしているのを窓越しに見たことがあった。身請けされたのか。まもなく僕のほうが引っ越した翌年、昭和三十一年の大火でその界隈が全部焼けて区画整理されたから痕跡すら無くなった。今や淡い想い出の中の出来事である。

 

「オール読み物」は今でもそうだが、良質の大衆小説を多く掲載してきた雑誌で、直木賞候補の登竜門として格式は高い。当時でも宇能鴻一郎や川上宗薫などの官能小説は少なかったが、なにしろ大衆小説のことだから一つに一ヶ所ぐらいはそういう場面がある。ページをめくっては探し出して読んでいた。それでもいたずらに刺激するだけのものは少なくて、中でも藤沢周平だけはそういう場面が一ヶ所もない作家として幼い日の記憶に残っている。
そうした中でまず松本清張に出会った。おそらく小学5年生ぐらいだろう。「点と線」が評判になる前に、短編をいくつか読んでいた。清張は、それまであった横溝正史や江戸川乱歩のいわゆる探偵小説のあり方を根底から変えた。犯罪の方法よりも動機の持っている社会性に注目した最初の作家が松本清張であった。社会派推理小説の誕生である。清張を読んでいるうちに水上勉が現れた。そして次々に社会派の作家がでて僕はそれらを片っ端から読んだ。推理作家の名簿があったからそこから懐かしい名前を挙げると生島治郎、木々高太郎(高木彬光と同人物)、黒岩重吾、小泉喜美子(生島治郎の妻)、佐賀潜、笹沢左保、佐野洋、島田一男、多岐川恭、陳舜臣、戸板康二、戸川昌子、仁木悦子、日影丈吉、山田風太郎、結城昌冶らである。

 

「飢餓海峡」は読んだ記憶よりも映画の方をよく覚えている。内田吐夢が回想場面を16mmフィルムで撮影し35mmに拡大したというのが評判で、事実その画面の粗れた感じが映画のテーマにぴったりだった。弓坂刑事の喜劇役者、伴淳三郎は初めてシリアスな役をやって、その年の映画賞を総なめにしたことでも話題になった。杉戸八重の左幸子、犬飼多吉の三国連太郎も適役であった。明るいうちにすいている映画館に入って、出てきた時は真っ暗になっていたという長い映画だったが、さすがは内田吐夢である、画面にみなぎる緊張感は最後まで持続した。

 

前置きが長くなったが、この芝居は水上勉自身が戯曲に直して1972年に文学座が初演したものである。記録によると、大地喜和子、高橋悦史、金内喜久男、北村和夫、矢吹寿子、坂口芳貞らが出演している。再演は18年後の1990年、地人会、石田えり、永島敏行、金内喜久男、利根はる恵、金井大、松浪志保らによる。そして今回16年ぶりの再々演となった。永島敏行は前回に続いて犬飼多吉役、金内喜久男については34年前の初演から弓坂警部補の役を続けている。これもたいしたことだが、今回はさすがに少しよれていた。

 

物語は、よく知られているように、台風で転覆した洞爺丸事故と同じ日に起きた岩内(積丹半島の付け根にある街)の大火を関連させて作ったものである。時代を終戦直後の昭和22年に遡行して設定した。転覆した青函連絡船は「層雲丸」、岩内は札幌の北数十キロにある「岩幌」とおきかえられている。
層雲丸が台風で転覆したその夜岩幌ではある質屋から火が出て、折からの大風であおられ街の大半を焼く大火があった。焼け跡から質屋の一家が他殺体で発見され、大金が奪われていた。一方、層雲丸の遭難者の内身元の引き取り手がいない遺体が二体残った。調べると連絡船の乗客ではない。その数日前、網走刑務所を出た男二人が岩内雷電海岸の「朝日温泉」で質屋の主人らと出会っている。その際ふたりにはもう一人、犬飼多吉と名乗る大男の連れがいたことが判明する。函館署の弓坂刑事はこの男が一人で本州へ逃げたものと判断し、捜索を開始する。その夜対岸である下北半島に火の手が上がったという噂を頼りに船など上陸した痕跡がないか一帯の捜査にやって来る。

 

開幕は恐山の巫女の口寄せの場面である。あれは古典的でもっとも分かりにくい津軽弁を独特のリズムとイントネーションでつぶやくもので、耳を澄ましていないと訳が分からなくなるものだ。たまたま亡くなった母親の口寄せを頼んでいた杉戸八重(島田歌穂)は、通りかかった復員服に雑嚢を提げた大きな男を目にしている。

 

翌日、八重がいる大湊の娼館「花乃家」にこの大男が現れる。腕にけがをしているのを見つけ八重がかいがいしく世話をするが男は無口である。八重は極貧の家に生まれ娼家に売られたが性格は純朴で底抜けに明るい。男は犬飼多吉(永島敏行)と名乗った。風呂に入り八重の体に触れもせず翌朝一番の汽車で大湊を発った。発つ前に犬飼多吉は紙に包んだ札束を八重に押し渡す。大金が入っていた。

 

函館署の弓坂刑事(金内喜久男)がやってきたのは、その直後であった。犬飼多吉はこなかったか?という問いに八重は本能的に反応した。「そんな人は知らねえ。」
もらった金で娼家への借金を返して、残りを懐に東京に出た。
昭和24年、八重は池袋の酒場「富貴屋」で酌婦をしている。池袋の西口界隈には今でも猥雑で危険な香りを感じさせる場所が少しあるが、当時は一帯が、まともなものは敬遠するような無法で荒あらしい生命力の横溢した場所であった。そのなかで八重は懸命にはい上がろうとしていた。弓坂刑事は八重のゆくへを追いかけ上京するが、すんでのところですれ違う。

 

昭和32年春、翌年売春防止法の施行が決まって、娼家は商売替えを、娼婦には職業訓練が必要になっていた。亀戸遊廓にある「梨花」にいた八重にも商売替えが迫られていたが、八重には蓄えがあった。それはゆっくり考えてもいいことだった。
そんな中、ある日新聞を見て驚いた。十年前犬飼多吉と名乗った男の顔があったからだ。犯罪者更生のために三千万円も寄付した樽見京一郎という篤志家の記事であった。
八重は、一言礼を言いたくて矢も立ても溜らず樽見京一郎の住む京都府舞鶴に向かう。

 

この物語は、最初から犯人が登場している。犯行の様子も金を奪う強盗殺人であった動機も、それを隠ぺいするための殺人であることも提示されている。社会派推理小説といえどもこれはかなりルール違反ではないかと思われる。しかし、水上勉が週刊誌に、一年かけて連載しても完結せず、その後こつこつ530枚も書き足して完成させたのは、この杉戸八重や樽見京一郎の懸命に生きた軌跡を書きたかったからであった。

 

劇では、樽見のもとへ借金を申し込みに来る積丹開拓団の責任者、大石源三(鈴木慎平)が登場し、樽見のすさまじい半生を明らかにする。それによると、樽見たちは満州の開拓で苦労し、引き上げてくると国から不毛の地、積丹半島に入植するよう僅かな土地を分け与えられた。必死で耕作しても、でき上がった作物は交通の便がないためみすみすくさらせてしまう有り様であった。樽見は大石に、今船を作っていると元気づける。大石たちが作ったジャガ芋を船で舞鶴に持ってきて、自分の工場で澱粉にするというのである。
八重にしても貧しさから抜け出そうとあがきながら戦後の混乱期を生きている。劇は、その朋輩も黒人兵のオンリーになるものがいたり、売防法施行前の世相を写し取っている。

 

第三幕の杉戸八重が樽見京一郎の家を訪ねて来た後、あえて言えば少々混乱していると思う。この後樽見京一郎がいきなり手錠と腰繩で現れるのは、唐突である。彼が杉戸八重殺しの犯人だという証拠はどこにあったのか?そこから十年前の岩幌大火事件と結びつけるいきさつがやや短絡的に見えたのは残念だった。

 

この始末の付け方は映画とも原作とも違っていたから、水上勉自身がよくよく考えてしたことなのだろう。とりあえずよしとしなければならないか。
島田歌穂の杉戸八重は、それなりに雰囲気がでていてよくやったと思う。ただ、比べたらかわいそうのようなものだが左幸子の印象が強くて、もう少し底が抜けていてもよかったのではないかと思う。大地喜和子の八重は見たかったな。

 

黒人兵ジミーの吉田敬一(木冬社にいた)にはその変りように驚いた。相手役の勝恵のスタイルの良さも目立った。やはりなんといっても鈴木慎平のうまさは光った。出番の少ないのは仕方ないが、こういう役をやらせるとそのはまり具合はもっとみていたいと思うものである。
そう、永島敏行について書くのを忘れていた。適役ではある。気持ちも十分込められていた。しかし、ディテールについてもう少し何とかならないものか。

 

作者本人が「大嘘」を書いたと言うのはどうかと思うが、本格社会派推理といえども、齟齬や、無理、矛盾はどこかにあるもので、それをいちいち指摘するのも野暮な話である。清張の「点と線」にしても、東京駅で、向こうのホームが見渡せる十分程度の時間帯を使ってアリバイ工作するのがみそだが、見るか見ないか「偶然」に頼るところが大きくて、厳密に言ったらかなり怪しいのである。
この作品もそういう批判にさらされたのだが、紛れもない水上勉、渾身の代表作だと思う。この後推理小説から離れるが、それと同時に僕は彼の作品を読まなくなった。子供には難しすぎたからだ。それでも、杉戸八重を見る視点や、越前の海、下北半島の、あの解像度の荒い風景など水上勉の世界は今でも好きである。(実際水上勉は娼婦が好きで、講演旅行などの機会にもまめに会っていたことが分かって驚いている。)
久し振りに大作を見て、内田吐夢の映画をもう一度見ようかという気になった。

タイトル

飢餓海峡

観劇日

06/11/22

劇場

紀伊国屋ホール 

主催

地人会

期間

20061115日~1124

水上 勉

原作/翻訳

 

演出

木村 光一

美術

石井 強司

照明

古川 幸夫

衣装

渡辺 園子

音楽

松村 禎三

出演

島田歌穂 永島敏行 金内喜久夫 鈴木慎平  飯田和平 蔵一彦 仲恭司 井上文彦 押切英希 小長谷勝彦  吉田敬一 白井圭太 岸槌隆至 助川嘉隆 松浪志保 山下清美 金沢映子 玉木文子  島田桃子 藤島琴弥 勝惠 ひらきちか 織田あいか

| |

« 劇評「チェックポイント黒点島」(2006年12月) | トップページ | 劇評「八百屋のお告げ」(2006年11月) »

劇評」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 劇評「チェックポイント黒点島」(2006年12月) | トップページ | 劇評「八百屋のお告げ」(2006年11月) »