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2019年4月23日 (火)

再掲「ボトルウォーターの輸出が疲弊経済を救う」要約

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要約「ボトルウォーターの輸出が疲弊経済を救う」

地方再生のマーケティング戦略― 中 村  隆 一 郎

 

前回は、「革命とサブカル」(安彦良和、言視社、2018年)出版のきっかけになった『回想文集』制作の呼び掛け、『諸兄へ』の内容について検討し、本の批評よりも文集の完成を願って、その構成やレベルあわせなど編集作業のためになればと思って走り書きをした。その際『諸兄へ』の中で示された安彦良和の心の中に二つの空虚があるらしいと指摘しておいた。

2010年にデジタル出版した「ボトルウォーターの輸出が疲弊経済を救う」のなかに、今とはどういう時代かという僕自身の時代認識を書いたことがあった。いま「取り残されたものたちへ③」を準備しているが、それに関連する原稿として、ここに再掲しておくことにした。同書は新書版としてデジタル出版したもので数十部売れたが、そのままになっている。

本の紹介のために用意した要約があるのでそれを掲載しておこうと思う。

 

目次

はじめに

地場産業の再構築に挑む                      

水を売る話                            

「まちづくり」会社で商品開発はできない              

マーケティング発想ということ                   

1.「まちづくり」が「まち」に閉塞感をもたらすー戦略なき政策       

2.加工食品のアイディア開発と事業構想                 

3.現状はどうなっているのか地方都市の様相              

4.どういう「まち」になるのか再生の戦略目標             

5.活用できる資産は何かー資産の棚卸し                 

6.市場をどこに求めるかー環日本海構想について             

7.なにを売るかー商品開発と事業開発                  

 「寿司桶」の輸出フィージビリティスタディということ     

 「ミネラルウォーター」の輸出地方から世界へ           

 世界の水事情                          

 ねらわれる日本の水源林                     

 世界のボトルウォーター市場                   

 「水」の輸出構想                        

8.「いま」とはどういう時代かーわれわれはどこへ行こうとしているか?  

 マーケティングの主題と言うこと                 

 わたしはどう考えてきたか                    

 NAMのことー国家とはどういうものか              

 資本主義のいま                        

9.地方再生の戦略なにからはじめるか                

 

 

 

要約

「二一世紀の水は二〇世紀の石油同様の価値があり,国の富を左右する貴重な商品だ」といわれている。大陸の中心地域では都市化の急激な進行や、農業用水、工業用水の需要が爆発的に増えたことにより帯水層の枯渇がほぼ確実になっている。しかし、資源としての水を輸出できる国は、世界中を見渡してもそれほど多くはない。我が国が世界有数の水資源大国であるにもかかわらず、現在その商品性に気づいているものはきわめて少ない。

 

本書は、地方再生のマーケティング発想とはどうあるべきか、その方法論について述べたものであるが、そのなかで、疲弊した地方経済の再生のために、この水資源を活用する具体的な方法を提案している。

 

一般に、人口二、三十万人以上の全国に四〇ほどある「中核都市」とされる地方都市は、なんとか自律的経済を営むことができているが、問題は、人口五万人前後の地方の小都市である。日本の人口の六割はそうした地方に住んでいるのだが、地場産業の縮小または消失などで経済活動の中核部分が弱っている。何をどうそのためにしたらいいのか。それがわからない。途方に暮れて方向を見失っているというのが、いまの地方都市の姿である。

 

本書は、そのような状況を抜け出して、どこにも頼る必要のない自律した「まち」になるための方法を,一つの事例を通して示そうと言う試みである。

自律とは、あらためて地場産業を再興あるいはあらたに起業して、経済的基盤を安定、発展させようという戦略のことである。その前提となる自治体自身の再構築も視野に入れている。

ただし、事例と言ってもそれは実際に実行されたものではない。

ある地方都市のデータを集めてその状況を把握した上で、「それならこういう考え方もある」という仮の企画を立てたものである。

それは、企業が事業開発を行うときの「マーケティング手法」を、この地方の再生に当てはめてみるという思考実験なのだが、仮説とはいえ、具体的で実行可能な企画,構想になっている。官民一体となって再び地場産業を根付かせるという目標を共有し、その実現を具体的に提言するものである。

ここには、そのために何をどう考えたらいいか、いくつかの実例を示した。

しかも、この考え方は「地方」を限定しない。日本の同じような境遇にある地方都市に当てはめて考えることができる、一つのモデル方程式になっている。変数に「地方特有の」の条件を代入すれば自ずと解答は出てくる。

問題のとらえ方、課題の抽出、その解決に動員できる資産の棚卸し、時代認識および対応するニーズの発見、事業モデルの構築、資金の調達、組織作りと運営など、冷静にじっくり考え抜けば,おのずから道は開ける。そうした考え方の手法を読み取っていただきたいと思っている。

実は、まだ問題はその先にある。

事業戦略ができて、それを実行しようと思った時に,地方には決定的に不足しているものがある。たとえば、販売チャネルについての知見や経験、外国に販売する時のチャネルおよびノウハウ、製造技術や機械に関する知見、リサーチの方法等々である。

しかも、その費用を捻出するのはむずかしい。

しかし、ここであきらめるのは早い。

すでに定年退職した団塊の世代の出番である。団塊の世代は,その知識と経験を豊富に持っている。高度成長からバブル期を牽引し、長期低迷期を耐えた。これは我が国の、というより我が地方の資産である。なぜなら彼らのルーツは故郷にあるからだ。しかし、このまま何もしないなら資産は生かされず、年をとって朽ちていくだけだ。

団塊の世代よ。故郷に帰れ!

いま、故郷は傷んでいる。

 

 

再生の考え方を要約すれば、まず自分たちの「まち」におけるもっとも優先順位の高い課題から手をつけなければならない。それは雇用機会を増やすことにほかならないが、それには自分たちで事業を興すことしかない。どんな事業にするかは、自分たちの持っている資産の棚卸しから始める。現在持っている資源がなにかを明確にし、それがどんな事業に結びつくのかを注意深く検討する。そしてその規模を見積もり、必要なものが何かを明確にする。その際、自分たちの自立が目的だから、自立できる規模や自立するための目標を掲げることが肝要である。

 

この事例で検討された地方都市の棚卸しであがったものは、まず、農産物や収穫される魚介類,特産品である。これを一定程度の事業まで育成するにはどうしたらいいか。その方法を考える。また、この地方は藩政時代から木材の集散地として栄えた歴史を持っており、木材とその加工技術が蓄積されている。これを再興する方法を考える。さらに、世界自然遺産の観光資源とその地下に眠る大量のミネラルウォーターである。また、四万トン級の船が停泊できる港と山間部にある空港が十分活用されていない資産として存在する。

これらをもとにどのような事業が考えられるか?

ここで重要なのはマーケティング発想ということである。自分たちの持っている事業のシーズと世界を見渡した時に見えてくるニーズをいかに合致させるかは、あくまでも川下発想でなければならない。ここでは一つの事例として、世界的な寿司ブームを前提に「寿司桶」の輸出を検討している。また、今世紀は「水」戦争の世紀になりそうだという世界的な見通しに基づいて、豊富に存在する水をボトルウォーターとして輸出する事業を提案している。水は船で港から運ぶのがもっとも効率的である。こうした地理的条件を満たす地方都市は水資源国日本には少なくない。ザッとあげるだけでも、鳥海山麓、立山連峰伏流水の富山県、白山水系、大山水系、鹿児島、屋久島、高知、紀伊半島南部、静岡などである。

れらの事業について、その市場の背景を詳細に検討、どのような事業体にして、またどのようなマーケティング戦略に基づいて実行していくのかを具体的に提案している。

 

その戦略を考える際、どの地方都市にとっても「マーケティング発想」が重要だとすでに述べたが、その原点にあるのは「今とはどういう時代か」という認識である。これは二つの意味で重要である。ひとつは、自分たちの事業が世界的な資本主義の方向性に合致しているかを確認することで効率的な事業運営ができることにある。もうひとつは、特に団塊の世代に対してであるが、ともすればマルクス的な国家と資本主義に対する「幻想」を捨てきれずに社会に対して斜に構えるところがあることをこの認識によって否定したいと考えるところにある。すなわち、「需要」というファクターを自らの手で生み出すことができる資本主義というモデルをマルクスは知らずに死んだ,すなわち、資本主義は自らの矛盾(マルクスが指摘したような)を克服できなければそれ自身が滅びることを知っており、当面の間その矛盾克服の方向性で進む以外に生き延びる道がないことを認識している。資本主義が生み出す矛盾を自ら解決しようとする時代、それが「いまという時代」だという認識があれば、資本主義的社会に積極的に関わる思想的足場ができるということである。

このような考え方で、団塊の世代には積極的に地方再生に関わって貰おうという狙いがあり、地方発の事業こそ結果として国全体の経済を押し上げる礎になる。

こうして、地方再生の事業を考える大きなフィールドができあがる。

あとは、本書の事例を参考にして自分たちの地方再生のために、独自の変数を代入するだけとなる。何から始めるかは、自分たちが検討して決める。支援が必要な時は、団塊の世代に相談する。そのための組織は用意するつもりである。

 

もはや迷走する政治も、がん細胞のように増殖したパラサイト公務員集団も一切頼ることはできない。地方が自立できなければ、日本はこのまま朽ちていくだけだ。いまこそ地方再生を、住民自らの手で行う時がきた。グローバリゼーションに対抗する住民資本主義の樹立が結局は世界を救うことになる。

中村 隆一郎 

 

 

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