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2018年3月22日 (木)

AIは、実はIA(Intelligence Amplifier)ではなかろうか?

この間、『一般意思2.0』のことを紹介しようとしたところで、「よく考えると『AI』も実は得体の知れないものではないか?・・・・・・世間が騒ぐ『45年問題』は、スローガンばかりが先走りしていて、本当のところは明るみに出されていない。それは『45年問題』の問題である。」と書いた。

『45年問題』というのは、端的に言えば、2045年にコンピュータの知性が人類を超える時点、「技術的特異点(シンギュラリティ)」を迎え、それから先はAIが幅をきかせるはずだからどういう世界になるか分からん!という心配である。

センセーショナルな話題だから、そうかも知れないと早合点したものも多いに違いない。ただし、ネタ元を探せば、せいぜい2、3人の数学者・専門家の言説に過ぎない。メディアのいい加減な「知性」(記事を書いている者の知能のことを言っている)にとって天才数学者が書いた論文は有り難いご託宣に聞こえるのか、あおって記事が売れればそれでいいと思ってのことか、「何も知らない大衆」が、だから信じたくなるのは仕方ないともいえる。

たしかに、この間言ったとおり、AIが囲碁のプロ棋士に勝つには百年かかると言われていたのが、去年グーグルの開発したソフトが世界最強の棋士に勝った。人工知能の発達は想像以上のスピードで人間の能力に近づきつつあると実感できる出来事である。これなら、あと四半世紀もしたら、AIは自分でものを考え出し(つまり「技術的特異点」を超え)、人間はそれに従って生きていれば良いという時代になるかも知れない。

それで幸福なら結構な話だが、人間が人工知能にあごで使われるようになったらどうしよう。今でも有名大学出が卒業証書をかざせば、とりあえず恐れ入るくらいだから、器械とは言え、天才のその上を行く頭のいい奴には、かなわないとなるのだろうか?

こっちはまもなくこの世からおさらばする身だから、いらぬ心配だが、おろおろしててもはじまらないからホントかどうか考えてみた。

この間、棋聖戦の生中継のなかで王銘琬九段が岩波から新書を出したと宣伝していたので、岩波新書も五年に一篇ぐらいはいいものを出すワイと思って読むことにした。王銘琬九段は囲碁プログラムの開発に協力してきた経験からAI囲碁とプロ棋士の感覚の違いについて語るにふさわしい数少ない棋士の一人である。

新書と単行本に加えて、ついでだからとおもって「アルファ碁はなぜ人間に勝てたのか」(斉藤康己・京都大学教授、ベスト新書)を手に入れた。

実は、これを読んで、僕は内心「何がシンギュラリティだ。数学者なんてものも所詮専門馬鹿にすぎないなあ」と思ったものだ。

僕は、碁は少しばかりやるが、コンピュータプログラムはずぶの素人だ。だから僕が理解出来る範囲のことに基づいて、AIに関して言いたいことを述べようと思う。もちろん斉藤教授の新書に全面的に依拠してのことである。

とりあえず、AIはどのようにしてプロ棋士に勝ったのか?

囲碁や将棋、チェスといったゲームのコンピュータプログラムは、基本的に「ゲームの木」というものでなりたっている。

話を分かりやすくするために、「三目並べ」と言うゲームをコンピュータがその内部でどのようにゲームに仕立て上げているのか、を見てみよう。

「三目並べ」は、縦横三個、合計9個のマス目に白黒交互に一目ずつ置いていき、縦横斜めどちらの方向でも先に三個並べた方が勝ち、と言うゲームである。

一手目から九手目までのすべての進行局面を記憶させておけば、対戦相手がどんな手を打っても、その局面を呼び出し、予想されるその後の進行と照らして勝てそうな次の一手を選択することができる。

つまり、「ゲームのあらゆる局面をあらかじめ覚えておく」ことこそが必勝(あるいは最低でも引き分け)方法なのだ。

第一手目は、九つのマス目の内何処に打ってもかまわない。だから局面は九個現れる。二手目は、残り八個のうちのどこかに打つことになるから、局面は合計9×8=72個になるはずだ。三手目は残り七個のうちどこかに打つことになる。ここまでで出てくる局面は合計9×8×7=504個、これを単純に9手目まで計算すると9×8×7×6×5×4×3×2×1=362,880と、なんとゲームの局面の数は全部で36万個も現れることになる。

どんなゲームでも一手目、二手目と進むにつれて、展開する可能な局面の数は増えていく。この一手目から二手三手四手と順番に下りていくたびに出てくる局面が増えていくのを逆に見ると「木」の枝が伸びていくように見えることからこれを「ゲームのツリー」と呼んでいる。チェスも将棋も囲碁も基本的には、この「ゲームのツリー」をコンピュータが記憶して、「木の探索」といって、現局面から進行するはずの手順を予想し、勝てそうな次の一手を呼び出すという作業をやっていることになる。

「三目並べ」の場合は、36万個といっても、中には相似形もあるから出てくる局面の数は3の9乗=19,683個が計算値である。さらに、「三目並べ」のルールに従って合法的な局面だけを選び出すと、ゲームが途中で終わることも多く、対称性も考慮すると異なる局面の数は765個、最終局面に至るまでの数は138個だそうである。ツリーの深さは9段階なのに、これだけの局面を記憶する必要がある。それも、一旦データ化してしまえばゲームの最終局面までの変化を読むことができるということだ。

この程度なら「三目並べ」の「ゲームツリー」を記憶することはコンピュータにとってむずかしいことではない。

では、「三目並べ」が「四目」「五目」と増えていくとどうなるか?

つまり「ツリーの深さ」が増えていくと、局面の数は幾何級数的に増えていくのである。

その「ゲーム木」の大きさの理論値は、チェスで10の125乗、将棋で10の226乗、囲碁で10の350乗である。

そのうち合法的な盤面の数はチェスが10の47乗、将棋が10の75乗、囲碁が10の170乗ということだが、ふーん、そんなものだろうと言っても実はその数値はとんでもない数なのだ。

例えば、囲碁の10の350乗という数値だが、日本が誇るスーパーコンピュータ「京」もってしても、各局面の処理には一秒以上はかかると思われるが、そこを一秒、一局面を一回だけ訪れるものとして計算すると10の36乗秒かかることになる。

宇宙の年齢は136億年くらいだが、これを秒に換算するとおよそ10の18乗秒である。「京」一台を136億年動かし続けたとしても10の33乗局面をなめる程度で、全体には到底追いつかない数値なのだ。

宇宙の大きさも136億光年四方と分かっていて、その体積は3×10の80乗m³である。この空間に水素原子を一杯に詰め込むと10の123乗個になるのだが、それでも囲碁の10の350乗あるいは170乗個という局面の数には遠く及ばないのである。

とはいえ、「石の上にも三年」で、すでに解かれたゲームが存在する。

「チェッカー」が最終的に先手必勝か後手必勝かそれとも引き分けかを見極めようとしてゲームツリーを完成させた研究である。このゲームの局面は、「オセロ」よりやや少ない10の20乗くらいだが、このために、彼らは18年間にわたって50台ものコンピュータを動かし続けたという。このゲームは互いに最善を尽くせば結局「引き分け」に終わることが分かった、らしい。

つまり、囲碁のゲームツリーを完成させることは、ほぼ不可能といってよい。

ではどうしたかといえば、実際のゲーム、プロ同士およびアマ高段者の対局を30万局集めてコンピュータに記憶させ、これを分析して、いわば部分的「ゲームツリー」を作りあげた。

これにどのぐらいの期間と資金(マシンだけでも30~60億円くらい?)を投じたか不明だが、グーグルには囲碁だけではないAI全体に対する応用戦略があった。ロスアラモスで「マンハッタン計画」をやり遂げたことを思えば、この程度の物量作戦は米国人の常識の範囲内なのだろう。(これを日本人がやろうともしないのは貧乏性のせいか?なんなのか?)

ともかく勝敗が分かっている対局のビッグデータを元に「ゲーム木の探索」をすれば、有効な(勝ちに繋がる)「次の一手」を発見することが出来る。

と、いってもたった一局面を判断するのでも、人間なら一目で分かるところを、例えば、石の死活の判断やシチョウの読み、地の計算など囲碁のルールに基づいた検証事項をいちいち確かめなければならない。これには一局面を48ものレイヤーに分けて別々に計算するらしいが、この厖大な情報処理に時間がかかりすぎて強いソフトなど望むべくもなかった。

そこで、ディープラーニングなどのプログラミング手法をあみ出してこれを徹底的に改良したソフトと世界最強の囲碁棋士が対局となったのだ。

このとき使ったマシンパワーがすごい。

中央演算装置(CPU)に換算して3000、つまりコンピュータ3000台分をつないだビッグマシンだったという。人間がかなわないわけだ。

さて、AI囲碁は確かに人間に勝ったが、それはコンピュータが人間と同じように思考して人間の認知能力を上回ったのかと言えば、まったくそんなことはない。

コンピュータがやったことは、厖大な実践データから勝てそうな一手を選び出すという作業である。なぜそこに打ったのか、という思考回路を追跡しようにも、そのように「思考」しているわけではないから答えようがないのである。

ここで思い出すのは、東浩紀が「なぜそのように翻訳したのかコンピュータには答えられない」と書いていたことだ。

翻訳ソフトもまた、実際に存在する厖大な翻訳データをマシンに取り込んで、対訳としてもっとも頻度の高い言葉を選択しているに過ぎず、人間が判断しているように認知し、翻訳しているわけではない、ということだ。

自動車の自動運転が、明日にでも実現できそうだと世間ではいっているが、僕は頗る怪しいとにらんでいる。

これも、自動車に組み込まれたコンピュータが、人間が状況判断するように、運転しているようなイメージで考えていたらとんでもない。位置情報把握や対象識別の機能がかなり高度になっている感じはあるが、しかし何しろ動いているものである。変数は囲碁どころの騒ぎではないはずだ。これが一旦暴走をはじめると人間の命に関わるのである。

あんなものに楽観的になってるなんておかしな連中だと思っていたら、ついこの間、実験中の自動運転車が人をひき殺してしまった。

おかげで、自動車メーカーは若干引き始めているが、「完全自動運転」など誰も望んでいないことをやる必要もない、ということにようやく気づいてきたらしい。

くれぐれも言っておくが、囲碁のプロが負けたのはAI(人工知能)に、ではない。大量のデータを処理する化け物のような計算能力の器械を、うまく動かすコンピュータソフトを開発したプログラマーの能力が勝った結果である。

というわけで、2045年になると、AIが人間の知能を超えて、人をあごで使い出すかも知れないという「シンギュラリティ」など、信じるに値しないものだと言うことが分かると思う。

そんなことをいわずに、AIというものはIAつまりIntelligence Amplifier=人間の知能を増幅する器械と考えれば、本当の姿に最も近いし、どう発展しようともう少し気が楽につきあえるのではないかと思う。

僕がシンギュラリティまで生きる可能性は皆無だが、もしそこにいて、アンドロイドに出会ったらたぶんこうするはずだ。

奴の電源を探して、それを切ってやる。

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