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2017年1月22日 (日)

「ボトルウォーターの輸出が疲弊経済を救う」( 2011年1月 )より

 

6年前、僕は地方再生の切り札として『水』の輸出事業を提案する本を電子出版した。具体的には、白神山地の水(年間降水量4,000㍉)を能代港(百万トン級岸壁)から世界に輸出する構想だったが、学生仲間の新年会で10部ほど売りつけた他は、ほぼ誰も読んでくれなかった。それは仕方ないことで気にもしていないが、最近、その中に書かれていることで、再確認の必要があると思ったことがある。

それは『マーケティング』という限定的枠組みの中で、『国家』と『資本主義』をどう考えたらいいか、それについて自分がどう考えてきたか、というテーマである。ブログ”呉智英「吉本隆明という『共同幻想』」”の内容にもかかわるので、ここで掲げておくことは、多少は意味のあることに違いない。『国家』と『資本主義』とは大きく出たなと思うかもしれないが、あくまでも『マーケティング』の世界限定である。しかし、我々の世代の一部、あるいはリベラルと言われる人々には多少耳障りの悪いことになるかも知れない。

「ボトルウォーターの輸出が疲弊経済を救う」( 2011年1月 )より

 はじめに 3

地場産業の再構築に挑む 5

水を売る話 7

「まちづくり」会社で商品開発はできない 11

マーケティング発想ということ 13

 一、「まちづくり」が「まち」に閉塞感をもたらす戦略なき政策 15

 二、加工食品のアイディア開発と事業構想 24

 三、現状はどうなっているのか地方都市の様相 32

 四、どういう「まち」になるのか再生の戦略目標 35

 五、活用できる資産は何かー資産の棚卸し 36

 六、市場をどこに求めるかー環日本海構想について 40

 七、なにを売るかー商品開発と事業開発 43

 七の一、「寿司桶」の輸出フィージビリティスタディということ 44

 七の二、「ミネラルウォーター」の輸出地方から世界へ 49

世界の水事情 50

ねらわれる日本の水源林 60

世界のボトルウォーター市場 68

「水」の輸出構想 71

八、「いま」とはどういう時代かーわれわれはどこへ行こうとしているか? 82

マーケティングの主題と言うこと 83

わたしはどう考えてきたか 86

NAMのことー国家とはどういうものか 95

資本主義のいま 1052

九、地方再生の戦略ーなにからはじめるか 111

八、「いま」とはどういう時代かーわれわれはどこへ行こうとしているか?

市場を概観するということは、その市場を取り巻く社会を概観することでなければならない。市場は社会の中にあるからだ。そして、消費者はその社会の中を生きているのである。

マーケティングは、消費者志向で現場主義だと言った。だから本当は中国(テストマーケットを上海にしたのだからこの場合上海市に限定してもよい)の社会の今を知る必要があった。もし実際にやるとなったらそのような社会分析は欠かせない。それはその商品を取り巻く消費者意識を知ることであり、もう少し広げるとその意識の形成された過去と現在を知ることである。商品の未来を予測するにはそれしかない。

しかし、世界はまだその外に広がっている。たとえば、グーグルアースのマイナスポイントを押し続けるようにして次第に視点を外へ外へと移していくとやがて地球が現れる。

一体、この地球の上で水を売るとはどういうことなのだろう。

あの東京財団の提言が言うように、世界の人々は「一日に玄米四合と味噌と少しの野菜を食べ」魚にタンパク質を求め、自然と調和して生きていかねばならないと思うだろうか。ボトルに入った水を買うのは贅沢だと考えはしないだろうか。

世界の人々は今何を考えているのか。世界はどうなっているのか。

そのようにして、マーケティングが「商品」の未来を創造する仕事である以上、「今」とはどういう時代なのかという認識が必要なのだ。

 マーケティングの主題と言うこと

何年も前になるが、メルセデスベンツがばらばらに分解した車の部品を公開してその素材を再利用可能な組み合わせに変えると発表した。廃車になったあとの部品をリサイクルし、わずかなダストしか残さないとするために設計思想を変えたのだった。

数年前、AGFはインスタントコーヒーの詰め替え用パック入りを発売した。ガラスのジャー入りを買ったあとは詰め替え用にしようとよびかけたのだ。袋なら軽量でゴミの量は劇的に少なくなる。パッケージのシェイプは商品のアイデンティティそのものだが、あえてそれを後退させた。

電気製品を作っているメーカーは、プラスティックの樹脂素材を用途別に十数種類組み合わせてつくっていたが、それでは再利用ができないのでコストを度外視して変更することにした。

設計思想を変えるとは、コストよりも廃棄物を出さないという考え方である。また、AGFはブランドのアイデンティティよりもゴミの量を減らすという考え方を優先させたことになる。

これは一つの事例であるが、こういうことは今日、様々なところで行われている。消費者が購買する商品のほとんどにはゴミの分別を考えて、その素材を示すマークが描かれているのも,実際に役に立っているかいないかはともかく、こうした考えに基づいている。

車に欠陥や不具合が見つかった時にメーカーの責任で修理や部品の交換を行う制度があるにもかかわらず、その事実を秘匿して見つかったメーカーがある。翌日から売上は三分の一に激減した。消費者を欺いて、企業の利益を優先させるのは社会正義に反する。

株式のインサイダー取引が、頻繁に告発されるようになった。取引の監視が自動化されたためにわずかな疑念でも拾うようになったからだ。公平性が担保されないと株取引の信用は失墜する。やがてはシステム全体の崩壊につながる重大事である。

ザッと、こんな風に並べてみると、現在の企業活動は環境に配慮し遵法精神を掲げ、公平性透明性を要求されているということができる。このような基準を満たさないと国際的にその存在が認められないと言うことである。

中国の企業から代金を受け取るのは大変だという声をよく聞くが、上海万博のあとでもそういうことが頻繁に起こるようであれば、国際社会から排除されるだけのことである。

今とはどういう時代かという設問の、それが答えだと言ってしまえば、その通りである。

環境に配慮するという方向に世界が動いているとすれば、それに沿って、いやそれを先取りするような企業のビヘイビアを考えるのが、マーケティング発想である。多少ごまかしてでも利益を確保しようというのは手痛いしっぺ返しに会う。だからあくまでもコンプライアンスで行こうと言うのが企業の基本戦略であるべきだ。

ということは、自ら何かを考えるのではなく、業界で申し合わせたことや他の企業の動きに同調していこうというのでも間に合いそうだ。それでもかまわない。

しかし、大まかな動きをとらえることはできても,それが何を意味しているのかを理解することは難しいだろう。まして、もしも何万人も従業員がいる会社ならその意味を共有せずに会社全体の将来に関わる重大な変更などできるものではない。

メルセデスがそれをやった時のことは想像するしかないが、少なくとも思いつきでできることではなかったはずだ。設計者の集団、原材料の調達、製造ライン、マーケティング、財務などの社内の各組織はいうにおよばず、販売店や株主に対してもそれを説得しなければならないのである。経営の根幹に関わることで、他社がやっているから我が社も、といって通る話ではない。

それまで培ってきた企業文化というものがある。さらに、業界や世界市場の現在と未来の認識を示さねばならない。それには、世界はどういう局面にあるかという認識がなければならない。そして変更の理由と見通しを語り何万人という人々の理解と共感を得なければならい。そして、企業の伝統と文化に新しいページを付け加えるという覚悟で誇りを持って消費者の前に発表したのだ。

AGFもまた、おそらく多くの反対の中をあのような驚くべき戦略に打って出たのである。それまで築いてきたブランドイメージを壊して、一気にシェアを失うのではないか。何しろ過去にプレミアム商品をメインストリームととらえ直して戦略転換したことで大失態を演じている。そういう心配は必ずでたはずである。消費者が理解してくれると説得するためには、やはり、時代認識から始めなければならない。それも出発点は、企業が培ってきたそれまでの歴史であり文化である。なぜなら、共通の時代認識は取りあえず「われわれはこれまでこのようにやってきた」という「リアル」しかないからである。戦略を変更するとはその上になされるほかないのだ。工場の設備を整える投資を行うとすれば、経営陣と生産部門を説得し、営業部門の納得を得なければならない。流通に対しても、売上については心配ないことを理解して貰う必要がある。

企業として、かくのごとくやってきたが、私たちは今このような時代になったことを認識しており、それに基づいて戦略変更することにした。それは時代の変化に沿ってよりいっそう発展する方向だと確信しているので,是非理解して欲しい。そのようなメッセージがなければ、関係者の納得はとうてい得られない。

したがって、単に他社に追随することですまされるなど事実上不可能である。

メルセデスもAGFも自社の企業文化から出発して、結果として「環境」という同じ時代認識に到達したと言える。 

では、いまなぜ企業活動は環境に配慮し、さらにまた遵法精神を掲げ、公平性透明性を要求されているのだろうか?

それを知るには、どのようにして「われわれ」はここまでやってきたのかを確認するしかない。マーケティングにとって、その筋道は「自社の企業文化:から出発する」という「リアル」しかない。グーグルアースの地球を逆にプラスポイントを押し続けてもどっていけばその中に再び現れるのは、その企業なり商品であるはずだ。マーケティングの守備範囲はその二つの点の間である。

そこを逸脱するのは一般論になってしまう。それは社会学なり歴史学なりが一般的な時代認識として議論し定義すべきものである。

もし、わたしが具体的な事例、メルセデスやAGFのような戦略についてその出発点から語れるものを持っていたらそれをもって説明することができる。しかし、あいにくわたしはその世界の研究者ではないし、実例も持ち合わせていない。

すると、いまこのことを確認するにはわたし自身「リアルな出発点」を持たずに、なぜ「環境か?」という結論にたどり着く曲芸のようなことをしなければならない。それはできない相談だからあとは勝手に考えてくれい、とばかりに参考書を紹介してここでおしまいにしてもいいが、それでは看板だけ大げさだったと言われそうだ。

そこで、迷った末に「リアルな出発点」にわたし自身を代入したらどうか?と考えた。当面わたしが持ち合わせているのはわたし自身の「リアル」しかない。わたしの「リアル」から出発する。そうすると「環境」という結論に到達するかどうかはわからなくなるが、少なくともマーケティングという守備範囲を逸脱しないで、現在にたどり着くことはできる。しかも社会学者や歴史学者のような専門性を問われない。無責任と言うことではなく、非専門家の見方と受け止めてもらえるだろう、あくまでもマーケティング発想というものの内側にとどまって,こう考えたらどうかというものをお示ししたいということである。(ここまで読んで、随分逡巡したものだとお気づきだと思うが、恥を忍んでマーケティングのために、清水の舞台から飛び降りるつもりで決心した。)

わたしはどう考えてきたか

永井愛 作「僕の東京日記」の一場面から。

    井出、須藤の背後からつぶやく

井出 ・・・ブルジョアジー諸君、君たちにベトナムの仲間を殺す権利があるなら、

   われわれにも君たちの家を爆破する権利がある。君たちに沖縄の同志を銃剣で 

   突き刺す権利があるなら、われわれにも君たちを銃剣で突き刺す権利がある・・・

須藤 俺、わからなくもない。日本政府がベトナム戦争に荷担してんのに平気なつら

   してる奴らだとか、沖縄が見殺しにされようってのにチャラチャラ着飾ってい

   る奴らを見ると、俺もぶっ殺したくなるよ。

須藤 (突然激し)どう巻き込む? ビラ配ったって読みやしねえ。テレビで北爆見    

  ながら飯食ってんだ奴らは。

井出 ・・・・・・

須藤 まあ・・・ゆっくり考えろよ。俺はやる。

    須藤去る

大学生の主人公、原田の友人で左翼運動のまっただ中にいる須藤が、大衆運動の限界を感じてより過激な闘争に入ると宣言し、地下に潜る場面である。もう二〇年も前に見た芝居だが、ここにさしかかったときデジャブと思った。演出家は須藤の最後の台詞にあきらかな狂気をはらませた。

連合赤軍事件の報道が始まった時、僕はまだ学生だった。ある朝、朝刊を開くと事件が載っていた。思わず吐きそうになった。直接間接の知人がいたこともあったが、むしろあの須藤のように自分の信じているものを突き詰めていった結果それに押しつぶされてしまったものの無残な群像であった。まじめに、まじめすぎるほどまじめに頑固に他所に視線を向けることをしなかった結果に違いない。二十歳やそこらで何がわかるものか!と、そのとき思ったものか,あとで感じたものか今となっては定かでない。

わたしにはそういう考えはない。しかし、まじめに突き詰めたものがいるということが妙に気になった。うまく説明できないが何かがとげのように刺さって、それ以降、学生時代のことを封印し、政治むきのことには一切関わらないと決心した。それから四〇才過ぎるまで政党批判や政策談義はおろか選挙の投票にもいったことはない。

徒党を組まない、非社交的、協調性はないという自分の性格に、実存主義は最も近いと思っていたから「プロテスト」と「アンガージュマン」を運動に参加する根拠と考えていた。とはいえ、マルクスが言うように国家はいずれ止揚され、資本主義は新しい形の仕組みに取って代わられ終焉するだろうと漠然と考えていた。また、すでにマルクスの時代の「労働者」は消えつつあり、階級闘争の様相は対立自体が見えにくくなっていると思っていた。つまり、資本主義の矛盾は暴力的革命によってではなくて、それ自身が、もはやたち行かなくなってまるで熟した果物が木の枝から落ちるようにして終わるのだとイメージしていた。いつかやってくるその日を何となく漠然と待望していた。

二十才台は、非常に忙しかった。営業で飛び回っていた三年間は、一年に東京のタクシーが走るのと同じだけの距離を走った。五万キロである。ステーションワゴンは一年で交換した。マーケティング本部へ来てからは、残業が毎月一五〇時間以上、ほとんどホテル泊まりで残業代が基本給の一、五倍あった。

三十歳代になると、突然「記号論マーケティング」なるものが流行しだした。まるでこれを知らなければマーケティングは語れないという勢いであった。セミナーがいくつもあって、数十万円も払って聞きに行けと言われ何度か通ったが、いっこうに面白くなかった。

何故かと言えば、例のレビットの議論の域を超えでるものは何もなかったからだ。いまや「もの」を買っているものなど一人もいない、ものについている記号を買っているというのは、別に教えて貰う必要もないほど自明である。フランス人が編み出した考えだからと言って、ありがたがっていてもしようがない。マーケティングの立場では、学者ではないのだから、実践に役に立つ理論を直感的に峻別しなければならない。

こういう議論の代表格、ジャン・ボードリアールがいう「シミュレーション」と「シミュラークル」が戯れる「ハイパーリアル」な世界という概念は、示唆に富んでいた。なるほど「資本」は消費のための消費を限りなく生み出し、いまや「生産」という契機、オリジナルなどはどこかに飛んでしまったというのは実感であった。マルクスは、「生産」の過剰が矛盾を生むと言ったはずだが、今やここでは逆転している。

消費という行為の構造を子細に分析して、結果としては消費が消費を呼んで永遠に終わらない,まるで回転車のハツカネズミのように回り続けるしかないというものだった。これでは、資本主義はなかなか終わらない。

饒舌だが、結論をぼかすシニカルな態度が気に障って読むのに非常に疲れた記憶がある。会社で「象徴交換と死」(筑摩書房、一九八二年)を読んでいたら、上司がボードリヤールは自分の友人だという。ちょっと変わった人だったからきっといい友達なんだろうと思った。とにかく読後感は、「そうか、俺たちは死ぬまで要らないものを買い続けなければならないのか」というものだった。この頃、ふと「毎月振り込まれる給料は働いている代価ではなくて、何かを消費するために資本が俺たちに配っている使用限度額で、会社に出ようと出まいと変わらぬものではないのか」と思ったことがあった。ボードリヤールがいつの間にか心に入り込んでいたと見える。試しに何日か続けて、朝まっすぐ浅草に遊びに行ったことがあったが、有給休暇の消化分とされて、実験にもなにもならなかった。

「ランチェスターの法則と戦略」というのもあった。

これは、もともとは第一次大戦時代の英国における戦争の戦術理論なのだが、それをマーケティングに応用しようとしたものである。兵員の数と戦闘力、武器の性能と戦場の条件などを変数にして数式で表してあるので、市場で敵と戦うというマーケティングのフィールドに当てはめてみるというのはそれほど無謀な試みではなかった。マーケティングの考え方そのものは戦前から存在していたが、日本に入ってきたのは一九五〇年代のことで、この頃の米国における主な担い手が戦争帰りだったために、ヘッドクォーター(司令部)、キャンペーン(作戦)、ロジスティックス(兵站),ブリーフィング(状況説明)など戦争用語が多い。ランチェスターの法則も同じ頃に輸入された。したがって、なじみがよかったのだ。

専門の研究者も何人かいて、それぞれ独自の戦略を考え出して発表していた。おそらく参考にした経営者は多かったと思うが、そのまま使えたかどうかはわからない。なにしろ、戦争の現場とマーケティングの現場をつきあわせてどれとどれが対応するか考えるだけでも面倒になる。何か法則性があると考えたい気持ちはよくわかるが、絵に描いたような成功譚が見つからないところを見ると、有効性はいまひとつだったのではないだろうか。というのも、私たちがそれを知った時は流行もかなり下火になっていてすでに古典になっていたからである。マーケティングの現場は、一つの理論で割り切れるような単純なものではない。データか何かを手がかりにして「仮説」をたててみる。それを検討する。調査をする。それが正しいかどうか判断する。という地道な努力がマーケティングである。その手がかりの一つとしてはランチェスターであってもいいが、それがすべてだと思ったら間違いである。

三十才代の後半は、バブル景気である。

友人の関係する会社が、まだ鉄骨を組んでいる最中の高層ビルの二〇階部分を二〇億円で購入した。一八ヶ月後に完成して受け取ったときに、一〇〇億円になっていた。それを担保に、ベンチャーキャピタルからまた金を借りて、メキシコとスペインと南太平洋でリゾート開発にのりだした。その話を聞いた時は嘘、ほら話だろうと思ったが,気づいた時は本気でやり始めていた。すでに借金は一〇〇〇億円を超えていた。また、この連中は、カリフォルニアで買収した「スパ」なるものを日本に導入しようと、連日のようにヘリコプターをチャーターしてあちこちの上空を飛び回って土地を物色していた。お金の使い方が実に荒っぽい。事業計画は、お金を借りやすいものにつくっていたからいわば、フィクションである。

会社は三年後に破綻して、社長は雲隠れしてしまった。

はじめの頃は、このように証券会社や銀行やその他の金融機関が直接間接に金を貸しまくった。大手のベンチャーにあらかた貸し終わると、小さなベンチャー、そしてとうとう地方の商店主にも魔の手は及んだ。このときの借金がシャッター街の遠因になったとさえ言われている。

わたしはこの頃、M&Aの仕事をしていた。だから「魔の手」はわたしにも及んだ。

あるとき、地方の飲料メーカーを訪問することになった。大手銀行の課長と駅で落ち合って先方の会社に到着する。工場はできたてのように新しい。社長が一通り設備を説明してくれたがあまり元気がない。要するに、この飲料メーカーは、大手銀行からお金を借りて工場をつくったのだが、創業そうそう経営がうまくいかなくなっていた。借金を返せない。大手銀行の課長は、今なら売り飛ばして貸した金を回収できると考え、どこか適当なところに押しつけようとしていた。つまり、わたしをだまして、経営不振の会社を高値で売りつけようとしていたのである。

このような話は至る所で耳にした。特に悪辣な銀行があったが、そこは後に頭取が告発されている。

この頃は証券会社や銀行の給料が高いのは常識で、女性新入社員のボーナスが二〇〇万円だと聞いても驚かなかった。しかし、そんな景気のいい話は金融業界だけで、庶民にはまるで縁がなかったというのも実はほんとうだ。バブルとはよく言ったもので、ちょうどコップに注いだビールの泡のようなもので、ほんの上部だけが沸き立っていると言った状態に過ぎなかった。

ところが、このときは気がつかなかったが、バブルは財政にも大きな影響を及ぼしていた。国民の監視の目が甘かったせいと、政治家が欲に走って官僚と結託した結果、国家予算もまたバブルになっていた。

バブル崩壊とともに民間企業は引き締めに掛かったが、財政を元に戻すことは政権を放棄するのと同じことである。今の財政赤字はこのときのつけが積み重なったものである。

この時の経験は、人間観察にはもってこいだった。人は金のことになると目の色を変える。大金を手に入れるとじっくりと事業をする気にはならなかった。その金が、自分のものではないことに気づいていないからである。成功したものとして次から次新しいことに手を出していく。いつか破綻するとは思わないものが人間である。

鉄のカーテンの向こうに変化の兆しが見え始めた。

ゴルバチョフは、「ペレストロイカ」(改革)と「グラスノスチ」(情報公開)を掲げて登場、八五年には米国大統領レーガンと会談、四〇年にわたる冷戦を終結させた。その後、改革に取りかかったが、九一年、守旧派のクーデターに会ったことがきっかけとなって、ソ連は崩壊する。

一方、東ドイツは、ゴルバチョフの登場によって起きた東欧諸国に対する改革の影響を受けて、八九年ベルリンの壁が崩壊、東西ドイツ統合を受け入れることになった。やがて、欧州に社会主義を標榜する国は一つもなくなった。生きているうちにこれが見られるとは思わなかった。

ということは、社会主義という体制が、何かその中にそのままでは立ち居かなくなる原因を持っていたことになる。それは何だったのか?言うまでもなく経済的に破綻したことに崩壊の原因があった。資本主義の方が正しかったことに安堵すると同時にもう邪魔する者はいない、自由に何でもやれるという気分があふれた。これで喜んだことが、後に米国の一人勝ちとも言える「グローバル経済」の背景になった。しかし、何故かという問題について原理的に正しいと思われる答えをまだ誰も用意していなかった。

九〇年代に入って、会社を辞めて独立した。

ちょうどそのころ、湾岸戦争が勃発した。サダム・フセインがいきなりクエートに攻め入ったのだ。久しぶりの本格的戦争だったので、誰か何か言わないのかと思っていたら、田中康夫、中沢新一、浅田彰、柄谷公人ら文化人がマスコミを通じて戦争に反対する態度表明をした。反対と言っても誰に向かっていっているのか判然としなかったのであまり迫力がなかった。今となっては本気だったのかどうかわからない。

あるスポーツ関係の業界団体から頼まれてイベントや制作の仕事を手伝っていた時の話である。この団体は、社団法人になることが悲願で、当時の通産省にそれを申請していたのだが、幸いほぼ認可されるだろうという見通しになった。そこで、担当課長をイベントに呼んで記念講演を頼むことになった。このとき会場に車が着いて課長が降り立つと、二、三〇人が取り囲んでその人の輪が、二階にあるホールの入り口までぞろぞろと続いていくのを目にして驚いた。本省の課長というのはえらいものだなとはじめて実感した。

講演は,こっちは主催者側だから他にやることがあって聞けなかったが、再び人の輪がぞろぞろ玄関に移動するのを見届けたあと、配られたレジュメを見て驚いた。そこにはメモとして「ニュートンのプリンキピア」「相対性原理」「ボーア」「不確定性原理」「ハイゼンベルク」「大きな物語の終焉」「オブザーブとオブザーブされるもの」などの文字がある。「プリンキピア」は「自然哲学の数学的諸原理」といって、「万有引力」はじめいわゆるニュートンの古典力学といわれるものをあらわした本でありその総称でもある。「相対性原理」以下は、言うまでもなく、二〇世紀初頭にうちたてられた原子核物理学の原理とそれを担った科学者の名前で、また「大きな物語の終焉」とは、ジャン・フランソワ・リオタールの「ポストモダンの条件」で比較的知られた言葉である。

官僚、恐るべし、である。一体これでスポーツ関係の業界団体の人たちに何を言おうとしたものなのか。

「プリンキピア」は近代科学の幕を開けた普遍的な原理である。一方は、それを「古典力学」に後退させた素粒子論であり相対性理論である。また、リオタールの主張は、現代を「モダン=近代」のあとにやってきたものとして(「ポストモダン」)近代が確立したものが相対化され根拠を失っているのが現代であるというものである。一言で言えば、マルクス主義のような一種のユートピア思想を人々が共有できた時代はすでに終わったということだ。

近代の始まりを「プリンキピア」で説明し、その終わりを原子物理学であらわし、「大きな物語の終焉」で現代の姿を説明したのではないかと思った。

ポストモダンの定義としてリオタールは著作の冒頭で述べている。

「極度の単純化を懼れずに言えば、〈ポストモダン〉とはまず何よりも、こうしたメタ物語に対する不信感だと言えるだろう。」(「ポストモダンの条件」小林康夫訳、書肆風の薔薇)

「こうしたメタ物語」とは、

「何らかの大きな物語――《精神》の弁証法、意味の解釈学、理性的人間あるいは労働者としての主体の解放、富の発展――などに依拠している物語」である。これらは二つの物語にまとめることができる。一つはマルクス主義のような政治的実践的な局面における人間の自由な主体性、人間の解放という物語である。もう一つは哲学的思弁的な精神の弁証法、そうした知の体系の物語である。

それが「メタ物語」である。

そうしたものへの信頼をうしなってしまったのがポストモダンだというのである。

「この不信感は、おそらく、科学の進歩の結果である。だが、同時に、科学の進歩もまたそうした不信感を前提としているのである。このような正当化のメタ物語機構の衰退には、とりわけ形而上学としての哲学の危機、そしてそれに依存していた大学制度の危機が対応している。物語機能は、真なる物語を構成する関係の諸要素――すなわち偉大な主人公、重大な危機、華々しい巡歴、崇高な目標――を失いつつある。それは今や物語ばかりではなく、表示、規制、記述と言った様々な言語要素の雲の中に散乱しているのであり、それらはそれぞれの要素に特有の言語行為的原子価を伴って動き回っているのである。われわれの誰もが、このような多くの言語的行為の原子価の交差点に立っている。われわれは必ずしも安定した言語の組み合わせを形成してはいないし、われわれが形成する言語の組み合わせの特性は必ずしも疎通可能なものであるわけではない。」(「ポストモダンの条件」)

科学の進歩や民主主義の発展によって、もはや大きな物語を語ることができなくなった。かつては様々な要素がそれぞれ自律しつつ緊密に関係し合って最終的に雄大な一つの物語、つまり、壮大な体系が、様々な言説に根拠と正当性を与えてきた。しかし現代においては、物語を構成する最小単位の言語まで互いに了解不能に陥っており、それがもし何かをつくり出すことができても、それはごく狭い限られた範囲でしか通用しないものになった。

「言語要素の雲の中に散乱している」や「言語行為的原子価」のような原子の構造モデルを意識した言葉で、巧みに量子論の「不確定性原理」を現代の状況の隠喩として表している。「オブザーブとオブザーブされるもの」とは素粒子の位置を観察する時の関係性について言っている。素粒子を観察するには波長の短い光が必要だが、短いほどエネルギーが高いため対象はその影響を受けてしまう。反射を見た瞬間には対象はどこかに移動してしまっていて、その存在はある確率で表すことしかできない。「神はサイコロを振らない」とアインシュタインが批判したところである。講演ではこのようなことも話したに違いない。

リオタールは言う。

人間の自由な主体性、人間の解放=自由そのものに疑問が投げかけられ、どんな言説にも根拠がない状態、それがポストモダン=現代なのだ

通産省の課長は、このポストモダンの時代、つまり、「いまとはどういう時代か」というテーマで講演していたのであった。

スポーツ業界の人たちにどんな反響があったか聞いていないが,理解できなくても、官僚というものはさすがに我が国の指導者として、実によく考えているという印象だけは残ったのではないかと思った。

しかし、わたしには、現代をそのように見ているのには不満があった。

もしも主体性や言説の根拠について、そのような認識であれば、実際に何かを判断したり、何かを実行することは困難になる。自分が判断したことは、ただ単に自分が思い込んでいるだけで、誰かの影響を受けたものだ。人間の主体性や自由など幻想に過ぎない。また、どんな議論にも正しいと言える根拠はないとしたら、考えること自体が空虚になる。ポストモダンとは、確実なものは何もないという言説であった。

このような考え方をしたのはリオタールだけではなかった。

社会主義の国々が資本主義の矛盾を乗り越えようとして現れたにもかかわらず、結局全体主義の覇権主義的な権力国家に終わったのは「大きな物語」、つまり絶対正義に基づく理想理念を追求するイデオロギーにその原因があった。そのような批判は、この時期の様々な言説に現れている。それを人間的価値の多様性と差異性によって相対化したのは一つの見識であったが、それは、その中から何か普遍的な対抗原理を生み出そうとするものではなかった。(少なくともわたしは期待していた。)人間の主体性を疑い、あらゆるものの根拠を相対化した。「ポストモダン」というイロニーで彩られた饒舌の季節は,少なくとも十年むなしく続いた。

一つの仮説であるが、バブル崩壊のあと続いたいわゆる「失われた十年」というのは、官僚がこの出口のないポストモダン思想に絡め取られて、判断停止に陥りなにも有効な施策を打てなかったせいではないか。通産省の課長は、役所の打つべき政策をはたして自信を持って考えられたのだろうか。もちろん、長期低迷期すべてが官僚のせいではない。政府の経済政策が停滞したことが原因なのだが、少なくとも社会主義国が存在していた時期は、官僚の国家経営戦略ははっきりしていた。しかし今度は戦略目標を見失って、戦略を考えることにすら意味を見いだせなくなった。それが、おそらく「大きな物語の終焉」によってできてしまった「失われた十年」だったのだ。

わたしには、相変わらず「国家はいずれ止揚され、資本主義は新しい形の仕組みに取って代わられ終焉するだろう」というテーマが残された。あの芝居に登場した須藤が「俺たちが目指したものは、あんなものじゃなかった。しかし、社会主義の国が消えたことを、(実際には中国やキューバがあるが)総括しないでいいのか」といっているようだ。「一体俺たちの時代の、あの騒ぎは何だったのだ」須藤がつぶやいている。

ソ連が崩壊すると、米国は市場原理主義および新自由主義を掲げて世界市場を席巻した。弱肉強食の戦いである。これを「グローバル経済」といったが、実質は米国一国に世界経済が牛耳られる状態であった。複雑な金融工学の理論で運用されるヘッジファンドは巨額の利益をもたらす反面、世界経済を混乱に招く元凶にもなった。多国籍企業は安い労働力を探して世界中を動き回り、使い捨てとも言える雇用によって社会問題を引き起こした。

資本主義は猛威をふるっていたのである。

市場原理主義も新自由主義も政府は口を出すべきではない、ルールが守られているかどうか監視していればそれでいいという。しかし、誰もその根拠を示すことはできなかった。つまり、資本主義をコントロールすることは経済活動を停滞させることになり、利潤追求のためには資本はあくまでも自由であるべきだ、という主張に反論するのはなかなか難しかった。

しかし、本当にそれでいいのか。資本主義がどんなに人を不幸に陥れても何も手出しはできないのか。それこそマルクスが資本主義の矛盾と指摘したことだったのではないか。それを止揚することはできないのか?

世紀が変わるころ、だったと思うが、ある日新聞で知人が書いているエッセーの中に「後期資本主義」という言葉を発見して驚いた。資本主義もやはりもう後期なのだ。もうすぐ終わりか、と思わず興奮した。何故後期で、それはどんなものに取って代わられるのか読み進めていったが、それは長い間続いた長期のうちの後期であった。後期が終わりそうだとはどこにも書いていなかった。

NAMのことー国家とはどういうものか

そんなある日、どういうきっかけだったか忘れたが、柄谷行人が面白いことをやろうとしていることに気がついた。

NAM(New Associationist Movement)という運動である。その全貌を要約することは難しいし、ここでやるべきものでもない。幸い、この運動の「原理」をまとめたものがあるので、そこからどんなものか感じ取っていただきたいと思う。但しわたしは、あくまでもマーケティングの立場でこれを見ているので、何も賛意を示すつもりはない。

「・・・実は、「NAMの原理」はまだ完成していないし、完成するものでもない。それは絶え間ない生成過程にあり、今後の実践の中で書き換え書き加えられていくだろう。とはいえ、これは、過去二〇〇年の社会主義運動を総括し、今後に、唯一、積極的で可能的な方向を与えるものだ、とわたしは思っている。少なくとも、それは、わたし自身にとって「希望の原理」である。・・・」(「原理」柄谷公人編、太田出版、2000年,その序文から) 

「資本と国家を揚棄する」ことを課題として具体的な運動を始めようというのがNAMである。

資本と国家は,本来別々の原理、資本は交換の、国家は奪取と再分配の原理に根ざしている。だから、われわれは資本と国家への対抗を同時に考えておかねばならない。マルクス主義者は資本主義を克服するために国家権力をもってしたが、国家固有の「力」に鈍感だったためにそれ自身が国家権力に転化してしまった。アナーキストは、国家さえなくなれば民衆のアソシエーション=協同的社会は形成できると考えたが、資本制の経済の「力」に鈍感だった。国家に依拠せず資本に対抗することが可能かという問いにアナーキストは答えを用意できなかった。

「われわれのいうアソシエーショニズムは、根本的にユートピアニズムとアナーキズムに由来するものである」からアナーキストが何故無力だったか、その批判が不可欠である。

現在、支配的になっているのは社会民主主義だが、それは資本主義経済をそのままにして、それがもたらす不平等や矛盾を、代議制民主主義を通して国家的な規制と再分配によって解決していこうとする考えである。それは第一次世界大戦が示したように結果としては資本と国家を延命することになるだけである。

第一次世界大戦が示したこととは、この戦争勃発に当たって、ドイツ社会民主党が反戦の旗を降ろしたのをはじめとして、各国社会民主党はそれぞれの政府を支持して戦争協力に踏み切り,民主主義=国家主義であることを露呈破産したと註に書いてある。

随分と昔の事例を引き合いに出したものだと感心した。一〇〇年前に延命させたなら、百年ももってしまったことになる。そっちの方が問題ではないかと思うが、それはともかく、現代が社会民主主義だという認識なら社民が何故いけないかという事例を現代の事象をもって指摘してくれたらわかりやすかった。

さしずめ、あの須藤なら「修正主義ではいつまでたっても革命は成就しないんだ」と怒鳴っていたかもしれない。どうも書生っぽいことを考えているなという印象である。ここで思い出したが、田原総一郎は口癖のように「それは社民ではないか」と批難する。それには「社民では何故いけないんですか?」と聞いた者がいないから、どういう答えが返ってくるかわからない。もしも、「資本と国家を延命するだけではないか」と彼が言ったら,明日からテレビで彼の顔を見ることはないような気がする。

また、NPOや地域通貨、教育制度の自由化などが国家の手で進められるのは、そうした負担を民間にゆだねようとしているに過ぎない。そんな非資本制経済が拡大して資本主義的経済体制に取って代わるというのは幻想である。

とはいえ、このような志向は国家と資本への対抗として活用することはできる。資本のグロバリゼーションに対してナショナルなあるいは地域的な経済や文化を保護しようという運動が起きていて、それは、反資本主義的な動機を持っているが、閉鎖的な共同体へ回帰しようとするのは誤りである。真のアソシエーションは、一度伝統的な共同体の紐帯から切れた個人によってしか形成されない。

この部分は、わたしがやろうと企てていることに近いが、なぜ伝統的な共同体から離れた個人でなければいけないのかは理解できなかった。当節「閉鎖的な」共同体などどこに存在するのだろう。「閉鎖的」ではなく「閉塞的」な共同体ならほとんど我が国はそういうものだらけである。

こうしていよいよあらためて資本と国家に対抗する論理を根本的に考え直さなければならない。一九六八年(パリの「五月革命」や米国の「ステューデントパワー」はじめ各国で起こったプロテスト運動)以後、前衛党と労働者が率いる革命運動に、学生や市民、女性、消費者などの非組織の反システム運動がとってかわった。これはアナーキズムの再生であるが、同時にそれが持っていた弱点を備えている。それは離散的で断片的でしかあり得なかったために国家と資本の対抗にはならない。そのような市民運動の課題が実現されても、それはブルジョワ革命の理念(人権)にふくまれているのだから、結局社会民主主義の枠内にとどまって、資本制経済がもたらす生産関係はそのまま残るのである。

今重要なのは、資本と国家の揚棄に対していかに明瞭な見通しを持つか、そうした多様で分散的な運動をいかに統合するかと言うことである。

須藤が再び登場して、

「おまえらがぐずぐずしていやがるから、俺は一足先に行くぜ。」と言っているような気がした。

「NAMは一九世紀以来の社会主義的運動総体の歴史的経験の検証に基づいている。そのプログラムは、きわめて簡単で、次の五条に要約される。これらに関して合意があれば、それ以後の活動はすべて、各個人の創意工夫に負う。」

(一) NAMは、倫理的―経済的な運動である。カントの言葉をもじっていえば、倫理なき経済はブラインドであり、経済なき倫理は空虚であるがゆえに。

(二) NAMは、資本と国家への対抗運動を組織する。それはトランスナショナルな「消費者としての労働者」の運動である。それは資本制経済の内側と外側でなされる。もちろん、資本制経済の外部に立つことはできない。ゆえに、外側とは、非資本制的な生産と消費のアソシエーションを組織すると言うこと、内側とは、資本への対抗の場を、流通(消費)過程.におくと言うことを意味する。

(三) NAMは「非暴力的」である。それはいわゆる暴力革命を否定するだけでなく、議会による国家権力の獲得とその行使を志向しないという意味である。なぜならNAMが目指すのは、国家権力によっては廃棄することができないような、資本制貨幣経済の廃棄であり、国家そのものの廃棄であるから。

(四) NAMは、その組織形態自体において、この運動が実現すべきものを体現する。すなわちそれは、選挙のみならず、くじ引きを導入することによって、代表制の官僚的固定化を阻み、参加的民主主義を保証する。

(五) NAMは、現実の矛盾を止揚する現実的な運動であり、それは、現実的な諸前提から生まれる。いいかえれば、それは、情報資本主義的段階への移行がもたらす社会的諸矛盾を、他方でそれがもたらした社会的諸能力によって越えることである。したがって、この運動には、歴史的な経験の吟味と同時に、未知のものへの創造的な挑戦が不可欠である。

柄谷行人には、この運動を始める前からカントに関する著述が多く見られるようになった。ここで「倫理的」と言っているのは、他律的な道徳ではなくて、カントの言う他者の自由も認める自由な主体の相互関係を前提にした倫理のことを言っている。資本主義は,他者を手段としてしか認めないし、マルクス主義者にはそれが失われている。ゆえに、NAMは、倫理的―経済的運動なのだ。この他者は過去と未来に渡っている。他者を単に手段としか認めないとすれば、人間に未来はない。

資本と国家への対抗運動というのは概念としてはこうだ。

資本制経済の無限の運動を止めるには、二つの方法があって、まず一つは資本が剰余価値を獲得する契機つまり労働力商品を購入することと生産物を売ることにおいて失敗することである。つまり、労働者=消費者は資本制経済の下では働くなと言うことであり「買わない」と言うことである。そのためには一方で、そのことを可能にする受け皿が用意されていなければならない。それがもう一つの方法である生産―消費協同組合である。この生産―消費協同組合や地域通貨経済の形成は資本制経済における内在的な闘争にとって不可欠であり、逆に不買運動という闘争は資本制企業を非資本制企業に組み替えていくことを促進する。NAMはこの二つの闘争を同時的に組織する。

これについてはわたしも少し考えたことがあるが、生産―消費協同組合が実際にどのように組織されるのか具体的なイメージが湧かなかった。このプログラムの段階でそういうものはまだ形成されていない。

また「暴力的」でない、資本主義体制の中の議会には参加しないというのは主旨から言って当然のことである。

次のくじ引きの論理はこの原理の中でもっともユニークで面白い方法である。

柄谷行人は、「日本精神分析」(文藝春秋社、二〇〇二年)の中で「入れ札とくじ引き」という一章をもうけて書いている。

それは、菊池寛の「入れ札」という短編小説をとりあげて、彼が何故それを書いたか、その背景について説明するところから始まっている。この小説は、国定忠治が幕吏に追われて赤城の山から会津へ落ちのびる時のことが書かれている。例の、「赤城の山も今宵限り、かわいい子分のてめえたちとも別れ別れになる門出だ。」の名場面である。ここで菊池寛は忠治が子分を三人連れて行くという話にした。ところが「天保水滸伝」ではこのとき忠治は一人で山を下りたことになっている。何故三人にしたかというと、菊池寛には書きたいことがあったのだ。彼の小説はテーマ小説と言われるくらいでそのために話を作ると言うことがあった。

何があったかというと、三〇人の作家を集めた「現代小説選集」を出すことにして人選を始めると二〇人くらいはすぐに決まったがあと一〇人ほどを選ぶのに困った。そこで、無記名投票で決めようと提案して、結局そうなったのだが、菊池寛としては誰が誰に入れるかそれぞれ心理的葛藤があったのではないかと思った。つまり、選ばれる作家の中には自分自身に一票を入れる者がいるかもしれないと考えたのだ。それが、この短編を書くきっかけになったというのである。

柄谷がこれを引用したのは、入れ札つまり選挙というシステムによって何が起こるのかという問題を議論したかったのだが、それが、この「原理」のなかでは、分業によって官僚制が発生するのはやむを得ないが、その固定化を避けるためにくじ引きと組み合わせするという方法になって現れている。最終のところでくじ引きなら、世襲制などと言うことを考える者は誰もいなくなるだろう。

最後のテーゼは、情報化社会に移行した今日、インターネットがもたらす流通チャネルの変革や情報ネットワークの充実がこの運動をもっとやりやすい環境にしていくことは確実で、これをさらに活用することを考えなければならない、ということである。

さて、具体的に、たとえば「生産―消費協同組合」はどうやって作ればいいのだろうか? まだ、この段階ではそれは示されていなかった。

参加するものは当面学生に限りたいという話だったので、それでは遠くから見守っていようと言うことにした。

それにしても、長く続いたポストモダンの不毛な時代に、なんだか頼りないが、一つの風穴があいた。うまく育ってくれと祈るような気持ちだった。

だが、それから二年ばかりたったある日、学生時代の友人と会って、この話をしたら、それは今はやめているのではないかといわれた。

どうしてやめたのかは何となくわかるような気がしたが、深く追求しなかった。

竹田青嗣の「人間的自由の条件―ヘーゲルとポストモダン思想」(二〇〇四年、講談社)は、冒頭の論文「第一章、資本主義・国家・倫理――「トランスポリティークのアポリア」で、この「原理」のもとになった柄谷行人の「トランスクリティークーカントとマルクス」(「批評空間」,二〇〇一年)を俎上にあげて批判を提出している。

この批評の内容は、正直に言うとわたしの考えをほとんど一八〇度転換させてしまった。わたしは、漠然と国家も資本主義もいつかは止揚されると考えていた。だから、柄谷行人のNAMもなんだか実践的でもないし今風の議論ではないなと思いつつこういう考え方があってもいいかと思っていた。しかし、あの日同じ場所から出発した若者が、問題を徹底的に解体し再び構築し直して四十年を経たいま柄谷とは別の場所に飛び出していたのである。

竹田は、「アソシエーション」の考え方をつぶさに確認したあと、次のような感想を述べている。

「わたしに大きな誤解がなければ、「アソシエーション」という概念で柄谷が提出している資本主義に対する対抗原理は、このようなものだ。そしてこれは、おそらくは、先進国における良心的知識人、善意ある人間、アナーキー的心情を持つ人々が、反資本主義的心意を表現する上での実践的な「受け皿」を提供する運動として可能なのかもしれない。しかし、それは、ちょうど、たとえば理念的な共産主義的共同社会が資本主義的自由社会の内側で可能であるのと同じ原理においてのみ、可能なものと言わなくてはならない。」

わたしには言葉もない。(ヤマギシ会のことを思い出したが・・・)

この柄谷が提案した資本主義克服の原理について竹田はその欠陥を三つあげている。

一つは、近代国家の本質を「権力の中心化」とみていること。これは、国家の政治原理についてきわめて古典的な見解である。

そして、貨幣から貨幣の本質性格である不等価交換原理を抜き取る、つまり市場経済から資本主義的性格だけを抜き取ればそれは克服されると考えたこと。これは剰余価値そのものを生み出すシステム=不等価交換原理こそ経済活動の動因であることをみていない。

さらに、国家および資本主義克服の原理を主体的、道徳的な「倫理要請的」な実践運動として着想したこと。これは、「善」と「悪」のような二項対立に陥り再び全体主義への道を開く可能性がある。

以上であるが、ここでは一番目の柄谷の国家=政治観が古典的だと指摘していることについてだけ見てみようと思う。国家とはどういうものか、竹田が他のところで述べていることも参照しながらその考え方をスケッチすることで十分だと思うからである。

「ひとたび人民の多数者自身が、自分の抑圧者を抑圧することになると、抑圧のための「特殊な力」はもはや不必要となる。つまり「国家権力の諸機能の遂行そのものが全人民的なものになればなるほど、ますます国家権力の必要度は少なくなり、したがって「国家は死滅し始める」(P七九)これはレーニンの「国家と革命」からの引用だが、柄谷が「国家」の本質は「権力の中心化」と考えたのは、こうした古典的な国家観があると見ている。

「確かに国家権力は原理としてミニマムでなければならない。しかし、国家権力が不必要となり得るといった展望は全くの背理である。近代社会における自由の解放が人間の自己決定を多様化し、その相互調整のためだけでも一定の強力な権力機構が必要となることをレーニンは全く理解していない。」(「人間的自由の条件」)

「いつか国家権力はなくなる」などと言うことは「背理」=論理に合わないことだと言っている。つまり、一定の強力な権力機構としてとりあえず国家は「必要」なものなのだ。

竹田によれば、近代国家を基礎づける政治原理は、ルソーの「社会契約」およびその中の「一般意志」とホッブスの「万人による万人の闘争」=普遍闘争の二つしかない。この考えは、「社会契約」は現実には存在しないとか「一般意志」は決して理想的には実現されないなど様々な批判にさらされてきたが、現在、これを覆すにたる本源的な批判は見あたらないという。

「『社会契約』および『一般意志』というルソーの概念は基礎的な政治原理として未だこれを越える原理をみない本質的なものである。近代国家では、『政治権力』は人民の『一般意志』を代表する限りにおいてのみ『正当化』される。これが第一原理。

またこの原理は、ホッブスが先鞭をつけたもう一つの原理で支えられている。自由の相互承認は『他を尊重せよ』といった内的モラルにおいては実現され得ない。そこには原理がない。ただ、各人の自然権を、一挙に一般意志を代表する政治権力へ委譲することによってのみそれは可能となる。またこの『原始契約』の想定だけが、実力を伴う政治権限、つまり政治権力の『正当性』を根拠づける。」(P七九)

したがって、NAMの「原理」第一条は、希望的なものとして理解できるが、国家の中に求めてもないものである。

しかし、各人の自然権を、一挙に一般意志を代表する政治権力へ委譲したはずなのにその政治権力である国家は何故「人民を抑圧する」のか?

それには、国家間の激烈な競争があった。つまり、「原始契約」の想定の下に形成された政治権力の正当性=国家は、ひとたび外に出れば、ホッブスが想定した世界、「万人の万人による闘争」の世界に突入する。

「近代に成立した市民国家は、例外なく、国家間の激しい競合関係の中で国民国家形成を強いられた。この事情が「国家権力」と人民の「自由の権限」を絶えざる対立関係においたのであって、本来、市民国家の原理は、それが各人の「自由」と政治権限を確保するための政治権力であるという点にあった。

この不幸な転倒が生じた事情は次のようである。

国民国家が、排他的な利益共同体としての存在性格を強めれば強めるほど、国民の一般意志は、利益共同体として対他的競争に勝ち抜き、繁栄せねばならない、という共同体原理を強め、各人の個別的な「自由」が特殊性のままに一般的に確保されるための市民国家、という側面は後退するのである。」(P八〇)

市民国家の原理とは、どういうものか。最初にルソーが考えたのは、個々人の自由な欲求と幸福の自由な追求を確保し、保障するという点にある。ヘーゲルはそれをさらに「個人の特殊性」の「国家の普遍性」への統合、という場所へ推し進めようとする。

「その理由は、もしもルソー的規定のままでゆけば、市民国家は、「自由=我欲」の放埒な体系としての「市民社会」(すなわち資本主義的システム)が生み出す矛盾を決して超えられない,とヘーゲルも考えたからである。

近代国家の本質は、第一に、各人の欲望と幸福の特殊性を確保するという点にあるが、しかし同時に、国家が「欲望の自由な体系」としての市民社会性を克服するような「人倫的原理」(普遍性)として構想されなければ、その第一義さえ確保され得ない。」

しかし、そのような普遍的な人倫的原理を想定することはもはや不可能である。近代国家の本質的な矛盾は、「欲望の自由な体系としての市民社会」が、たとえば富の配分の不公正さを必然化するなどと言うことを指摘することでは解決できないからだ。そのことならば、まだ国家の内部で解決の可能性はある。むしろ、本質的な矛盾は国家間の関係的本質から現れている。

「近代国家の本質的なアポリアは、民主主義や、代議制や、自由と対等といった原理的建前が、絶えず欺瞞的な仕方で階級支配の道具に転化するといった点にあるのではないし、・・・その本質は、むしろ各人の多様で自由な幸福追求のルールゲームを確保する社会としての「近代国家の本質」が、国家間の緊張と対立という要因によって絶えず「共同体原理」の方へ引き戻されるという点にこそある。

・・・市民社会の“内部”では国家権力は、各人の対等かつ自由な政治権限の一般意志の表現として「自由の相互承認」を保障し、実現している。しかし、諸国家の間には「自然状態」(ヘーゲル)しかなく、相互の自由を調停する「普遍意志」(=一般意志)は存在しない。それゆえ国家間の争いは、それぞれの国家の特殊的意思が合意を見いださない限り、ただ戦争によってのみ解決(「法の哲学」)されるほかない、ということになる。」 

柄谷の国家観の批判として、竹田は、次のように結論づける。

近代国家の持つ最大のアンチノミーは国家権力の解体と言うことでは解決できない。国家は最低でも人間の自由の相互調整をする権力機構として機能している。問題は別のところにあって、それは諸国家が身を置いている特殊意思同士の対立という状態からいかに「普遍意思(=一般意志)を作り出すかという問題である。それは「近代国家」から、「共同性原理」を抜き取って「近代国家の本質」の発現を可能にするものである。

わたしは、国家は資本のためにあるとイメージしてきた。

国家は一つの幻想であって、資本が「労働者」を支配する装置だという単純な図式で考えていた。したがって、資本主義が木から落ちる頃には国境というものは取り払われているものだと思ってきた。

しかし、近代国家が生まれたのにはそれなりの理由がある。

ここでは、人間の「自由」を保障する装置としての国家の機能が、最低でも存在意義としてあるといっている。ということは、近代国家とは、人間が獲得した自由を守る必要から生まれたと言っても過言ではない。

竹田青嗣は、別のところで、こう書いている。

「ヘーゲルによれば、近代社会の本質は、人間の「自由」がその本性を展開する基礎条件をつかみ、ついに自らを現実化する時代にあるという点にある。ヘーゲルでは、「自由」は自らの運動の本性によって、「所有」↓「契約」↓「法」↓「市民社会」という形で自分自身を“現実化”(つまり社会化)してゆく。普通このような“形而上学的”ニュアンスに人はつまずくのだが、近代社会の展開の背後には、自分自身を解放しようとする人々の「自由」への強い欲望が常に働いていた,と考えれば、その内実はさほど奇矯ではない。」(「人間の未来」、筑摩書房)

ヘーゲルの読みにくさについていっているが,ここの意味は、人間がどのようにして自由を獲得していったかを論じたものである。

「ヘーゲルにおいて、「宗教」は、支配されるもの「奴」の自分の隷属的現実についての幻想的な自己解釈を意味する。彼らは「主」への隷属を神への帰依と従属として解釈してきた。したがって、人間の歴史とは、人間の隷属状態の歴史、つまり「奴」の自己理解としての宗教の歴史であった。

だが、「奴」が自由を自覚して、幻想から目覚めるや、これまでの幻想的権威は崩壊し、「人民主権」を原則とする近代国家が不可避となる。ナポレオンの国家は教会権力の国家をはじめて打ち倒した「世俗国家」だが、それは「奴」が自らの自由を「主」から奪い返し、「主と奴の相克の弁証法」としての人間の「歴史」を終焉に向かわせるものであるとされる。」(同書)

このような言い方によって人々がどんな風に自由を希求し、それを獲得した瞬間に、死にものぐるいでそれを守ろうとしたかがニュアンスとして伝わってくる。ヘーゲルに従えば、近代国家とは、主と奴の相克の中からうまれた、人間の歴史を終焉に向かわせる究極の装置だったのだ。

資本主義のいま

「国家」については、一応このようなイメージができあがったが、資本主義はどうなのだろう。竹田青嗣に沿って見ていこうと思ったが、哲学の世界ではマーケティングにすこし遠い議論になってしまう。そこで、彼の著作から示唆をうけたのだが、社会学の領域に入って、資本主義の現在について見ていきたい。

需要を上回る供給がやがて恐慌を生むというのが資本主義の典型的な矛盾とされてきた。事実、約十年周期で現れる恐慌は長い間克服できない資本制システムの基本的な問題だった。しかし、これを資本制システムの中で需要を自ら生み出すという方法によって解決したのが現代の情報化・消費化社会である。

「〈情報化・消費化社会〉は、はじめて自己を完成した資本制システムである。自己の運動の自由を保障する空間としての市場自体を、自ら創出する資本主義。人間たちの欲望を作り出す資本のシステム。資本制システムはここにはじめて、人間たちの自然の必要と共同体たちの文化の欲望の有限性という、システムにとって外部の前提への依存から脱出し、前提を自ら創出する〈自己準拠的〉なシステム、自律するシステムとして完成する。

〈情報化・消費化社会は、誤解されているように、〈純粋な資本主義〉からの逸脱とか変容ではなく、〈情報化・消費化社会〉こそが初めての純粋な資本主義である。

マルクスは、この純粋な資本主義、資本制システムの自立と完成の形式を見ないで死んだ。そして、資本主義の形成途上の形態、労働の抽象化された自由の形式のみを前提し、欲望の抽象化された自由の形式をまだ前提することのできない資本主義の形態を、このシステムの純粋な完成態と見て、その理論のモデルを作った。」(「現代社会の理論」見田宗介、岩波書店)

資本主義の最大の矛盾は、資本が自ら需要を創造することによって、無限に供給を続けられるシステムに変容してしまった。というよりも、それこそが資本主義の完成形であった。

これは驚くべき見解である。あの、ジャン・ボードリヤールの「シミュレーション」と「シミュラークル」が戯れる「ハイパーリアル」な世界は、そのまま「リアル」として現出してしまったようである。マーケティングにとってこのような指摘は重大である。どのような商品にも可能性は無限大に広がったのだ。「ニーズ」を探そうというよりも、「ニーズ」そのものを創造すると考えたらどんなことでも思いつくではないか。逆に考えたらどんな「禁忌」もなくなったわけである。情報化・消費化社会とは、情報を通してどんな欲望も作り出すことができるということなのだ・・・。

「けれどもこのことは本当は、消費社会の抽象的な可能性の条件を示すにすぎない。確かに「容量」は無限だとしても、実際に考えてみるなら、どんな商品も、すぐさまそれに見合った「欲望」を消費者のうちに形成できるわけではない。新しい商品は、すでにある欲望に対応する必要はなく、新しい欲望をつくり出すものであってもよいのだが、この「新しい欲望」は少なくともその時代の消費者の(小さすぎない部分)にとって、魅力的であると感覚される商品によってしか触発されない。消費社会の、――「表面的」であれ何であれ、――固有の「楽しさ」「華やかさ」「魅力性」は、欲望が「全く自由に」作り出されるという形式だけによっては、かえって説明されることがない。そこには「魅力的」であることをめぐる熾烈な戦いがある。必要を根拠とすることのできないものはより美しくなければならない。効用を根拠とすることのできないものは寄り魅力的でなければならない。

離陸ははたしても引力づけられた空間のうちにとどまる他のない、ある中間の気圏の内部に繰り広げられる、この美しさと魅力性とをめぐる熾烈な競争が、「情報化・消費化社会」の固有の「楽しさ」「華やかさ」「魅力性」を増殖し展開し続ける、積極的な動因である。」(同前掲書)

このわれわれが獲得した情報化・消費化社会の楽しさは,もはや何物にも代え難い。これは、資本の増殖過程の一環ではないかと言われようとどんな批難があろうともこの楽しさが、「自由」というものである。この「生きることの喜び」は、もはや止めようのない運動なのだ。

ここへきて、ようやく資本主義はその負の部分だけでなく丸ごと見られるようになった。資本主義には光り輝いている部分もあれば、陰の部分もある。それをあるがままに見ること。「欲望の抽象化された自由の形式」が実現した資本主義の時代をわれわれは生きているのである。

わたしはここで、今を生きていることの一種のコンプレックスが消えていくのを覚える。

「現代の情報化・消費化社会へのどんな批判も、この社会固有の「楽しさ」と「魅力性」という経験の現象と、それがこのシステムの存立の機制自体の不可欠の契機であることを押さえておくのでなければ、このわれわれの社会の形式のリアリティの核のところを外した認識となるほかはないだろう。」(前掲書)

竹田青嗣は、資本主義の現在をどう見ているか、柄谷の批判の中に出てくる見解を引いてみる。必ずしも「離陸した」とはいっていないが、近代国家が人々の「自由」の根拠であるのと同じように資本主義もまた人々に「自由」を約束する経済システムであり続けている。

「「近代国家の本質」と同じく、資本主義もまた、世界史的には、まだ各人の社会的・政治的「自由」を解放し、確保するための可能性の条件であり続けている。問題は、このシステムから、誰もがばかばかしいと考えざるを得ない奇っ怪な不合理や配分の不平等をいかに取り払うか、と言うことでなくてはならない。おそらくここでも問題の中心は、ちょうど国家間にその特殊意思を調停する「普遍意思」を設定できない限り、「近代国家の本質」が十分に発現しないように、資本主義システムに、そこから生じる富の配分を統御する「普遍意思」がまだ十分に設定されておらず、そのためフェアなルールゲームとしての本質が発現されないという点にある。」(「人間的自由の条件」)

「われわれの社会の形式のリアリティの核のところ」を押さえながら、その富の配分における「普遍意思」を構築しようとすれば、資本制システム全体を見渡してその「限界」に立ち現れる問題系を視野に入れなければならない。

「第一に言うまでもなく、自然との臨界面において、「環境」、「公害」、「資源」「エネルギー」問題として語られている問題系。「消費社会」システムの解き放つ欲望の無限空間と、その実在の前提である惑星と気圏の条件の有限性との、矛盾の様々な現れとしてみることのできるものである。」(「現代社会の理論」)

産業革命以来、大量生産と大量消費を続けてきた結果、自然との関わりの中で様々な問題が生じているが、これは起こるべくして起こった問題である。なぜなら、大量生産の前には自然からの大量採取があり、大量消費のあとには自然への大量廃棄があったにもかかわらず、そこはないものとして見ないできたからだ。つまり、その両端は、豊かな社会の外部が引き受けさせられていたものである。しかし、もはや見て見ぬふりはできない。

「第二には、このシステムと外部社会との臨界面において、「南北」問題、「第三世界」問題という不適切な呼び名によってしかまだその全体を語られていない問題系である。地理的には「先進産業諸国」の域内に「内部化」されている同様の貧困と解体も、「豊かな社会」の幸福なループのシステムの外部に排除され、しかもこの当のシステム自体によって形成され規定づけられた不幸であるものとして、「南北問題」等々と同型の構造を持つだけでなく、現実にも相互に移行し転形し合っているものである。(域外プラント、流入労働力、エスニシティ/マイノリティ問題、等々)情報化・消費化社会の繁栄が「必要」の地を離陸した、欲望の自由な形式の無限空間を開いたという場合、この離陸された「必要」の地の側はどうなるのかという問題としても提起される。」(前掲書)

これらは、直接的にはたとえば「貧困問題」である。それも、一日一ドル以下の暮らしを強いられている絶対貧困と、豊かな国の内部にある貧困である。

また、「飢餓」の問題であり、「人口問題」である。

これらの問題は、人類共通の課題として解決していかなければならないものだ。

この二つのうち、マーケティングが当面関われるのは、第一の問題である。「公害」問題では、尊い人命の犠牲のもとにそれを解決する技術を開発し、結果としては新しい需要を喚起した。「環境技術立国」という言葉もあるくらい、裾野の広い産業に成長した。世界は、温暖化防止という共通の目標を掲げて、その方向に舵を切った。マーケティングが戦略参謀として活躍できる場は多い。

第二の問題に関して言えば、実は実相がよく見えていないために、マーケティングが関われる手がかりを見つけられないだけなのかもしれない。その原因がわかれば、資源やエネルギー問題の解決がどうやら緒につけたように、解決の糸口が見つかるかもしれない。もちろん様々の要因が複雑に絡み合って容易にはできないと思うが、この問題を放置しておけばやがては、情報化・消費化社会が獲得した果実を失うことになるからだ。

実は、「人口問題」について、この本の中にあったある記述に蒙を啓かされた。

「人口問題が、貧困の原因である以上に結果であること、少なくともそれが、悪循環的に相互に増幅する連関の一つの輪として、それ自体ある社会的な構造の一契機であり、歴史的にある過渡期的なものであることをこの比較分析(人口調整に成功/不成功した国々の統計)は示唆しているように思うが、なお具体的に彼らは何故子供をたくさん作るのかと言うことをインドの現地で徹底調査を行ったマムダニ報告(「人口コントロールの神話」)に即して」見てみると、「インドの貧しい農民や失業者、半失業者がたくさん子供を持とうとする最大の理由は、土地もなく財産もない彼らにとって、現実の中で最良のー―ほとんど唯一のー―「社会保障」と「老齢年金」は、子供を持つことしかないと言うことである。」(同前掲書)

マーケティングがいつかはこのような課題に取り組まざるを得ない日が来るかもしれない。

とりあえず、第一の問題である。

その関わり方の構造は、その解決をビジネスに転化する方法を開発して行うというものだ。つまり、「環境」、「公害」、「資源」「エネルギー」問題を新たな消費=需要と考え、事業を通して解決していこうとすれば、それは資本主義のシステムの中で、人類共通の課題を解決することになる。もちろん、公的な機関は率先してやるだろうが、ビジネスを通して実現していくのがもっとも効率的になるはずだ。

われわれがやろうとしているボトルウォーターのビジネスも世界の水資源が枯渇の危機を迎えているという現実に出会っている。ここでは、危機をあおり立てるのではなく、冷静に決めたルールを守って、再生可能な資源の有効利用を図るという考え方で進めることである。あるいは、われわれが積極的にルール作りに関わっていくことである。

われわれが獲得した情報化・消費化社会の楽しさは,もはや何物にも代え難い。これを享受し続けようと思えば、マーケティングが目指すところは時代が解決を要請している課題に寄り添ってその戦略を組み立てる以外にない。

「二〇世紀の経験は、人間の〈自由〉を原理とする社会でない限り、たとえどのような理想と情熱から出発した社会であっても必ず新しい抑圧のシステムに転化するほかのないことを示した。われわれの社会がその外部と内部に、どのような困難を生み出すものであってもそれらの困難を乗り越えることは、〈自由〉を手放すことを通してではなく、本当に〈自由な社会〉の実現にとって必要な条件と課題とは何かという仕方でのみ提起されるべきものである。」(同前掲書)

かくて、わたしは、自分のマーケティングテーマとして「人間の自由」のためにという目的を手に入れた。「環境は」そのための具体的な手段である。これは〈いまとはどういう時代か〉と言うことを考えて到達した一応の結論である。

そのことが、メルセデスやAGFが,選択したマーケティング戦略の背景にある〈企業文化〉であるかどうかはわからない。しかし、わたしと同じように、彼らの態度はわたしたちの時代が抱えている問題を解決しようとする方向に向かっているように見えるのだけは確からしい。

ここまできて、あの須藤の、どこかへ立ち去ろうとしている後ろ姿が一瞬見えたような気がした。

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