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2016年1月13日 (水)

映画「ブリッジ オブ スパイ」映画館でのマナーに一言

T01a_168276 久しぶりに映画館に行った。いわゆるシネマコンプレックスというやつでずいぶん便利になったが、映像は明らかにデジタル、でっかいテレビを大音響で見ているようなもので、味気ないことこの上ない。

それは今さら言っても仕方のないことだが、この間は我慢のならないことがあった。

「ブリッジ オブ スパイ」という映画で、ネット予約するときはすんなりいい席が取れてTVCMを流している割には混んでいないのが意外だった。ところが休日だったせいか予告編がはじまる頃には前6列ほどを残して一杯になった。

映画がはじまるまで、CM、予告編その他を延々と見せられる。

そのうち真後ろの席の男が、本人はつぶやいているつもりなのだろうが、よく聞こえる声で映画のストーリーと解説を隣の連れ合いらしき女に話し始めたのである。

僕はTVCMは見ていたが、スパイ映画は英国ものに限るという偏見の持ち主だから、スピルバーグとトム・ハンクスのならいずれDVDで見ればいいやと思っていたので、家人に誘われなければ出かける気はなかったのであった。

いわゆる「ネタバレ」というやつは何はともあれ、映画を見る楽しみを奪う最も悪辣な行為である。これを直前に頭の後ろでやられるので、直ちにやめて欲しいと思ったが、なかなかやめない。一度振り返って意思表示をしたつもりだったが、効果無し。まだ続けるので、完全に振り返って「ウルサイ!」と言ってやった。

しかし、ときすでに遅し。

おかげで僕の頭の中にはこれから見る映画の話の骨格はほぼできあがっていた。何がはじまるのかわくわく感が全くなくなったのである。

「あの野郎、ドタマかち割ってやろか!」

映画館でやる「映画泥棒」禁止のCMに「ネタばらし」禁止を付け加えることを提案する。

いや、「よけいな私語を慎む」ように注意喚起をした方がいいかもしれない。

というのも、「ネタばらし」夫婦の隣の夫婦もまたよけいなことをべらべらしゃべっているので、これにもむかむかきてしまったからだ。

前の席6列ほどあいていたと言ったが、実はなぜか一人だけぽつんと坐っていたのだ。前の席が見やすいやつだっているに違いない。隣近所に人がいなけりゃそんな気分のいいことはないだろう。

それを見つけたバカ夫婦は「あれは、映画関係者に違いない。なぜなら映画関係者はどんなときでも必ず前の席に座るものだ。」「ああ、そう。なぜ?」「だって、映画関係者は・・・・・・。」ばかばかしくて聞いていられないことでも、聞かなきゃならないつらさ。映画館には「何もしゃべるな」と言う注意書きを掲示して欲しい。

もう一つついでに言うが、あのポップコーンはやめて欲しい。もの食う音を聞きながら映画を見るのはごめんだ。

米国流がいいと思ってのことだろうが、あんなことは世界の田舎者がやることと心得よ、だ。

腹が立つことおびただしい。それもこれも、混み合っている映画を見に行くからだと思えば、CMなんかやってる映画には行かない方がいいということか。

で、肝心の映画の方はどうだったのか?

「スパイ映画ではなかった」と言うのが感想である。

あとで、コーエン兄弟の脚本だったと知って意外だった。史実を追いかけるのに必死でスピルバーグの映画らしく映画としてはちっとも面白くなかったからである。

導入部で保険屋の弁護士が、「五人の被害者がいても、保険は一つの事故を対象に支払われる」と主張するのが伏線になっているのだが、これを聞いてなるほどと思った。これが正しいかどうかではない。保険の学問的定義はどうなっているのかと考えさせられたからだ。

例えば日航ジャンボ機事故は、一件だが、500人がなくなった。500人の補償は損害保険でカバーし切れたのだろうか?保険会社は500人だろうが50人だろうが5人だろうが一件である、したがって一件いくらだからそれを山分けしろとでも主張したのか、そんなことが気になった。

それはともかく、一人のスパイとふたりの米国人を交換するのにソ連と東独、東独と西側という二つの関係をうまく利用して対象者三人を一件と見立てることに成功したというコンセプトであった。まるで米国流保険屋の論理が世界政治にも通じる正義なのだという考え方で、スピルバーグの頭がいかに単細胞かを示しているような映画といえる。

こういう単細胞が、中東を思い通りに出来ると考えたのだが、トランプのような「反知性主義」者があれだけ人気を得たことを考えれば、米国人は「世界」も「人間」ももう少し複雑に出来ている事を学ぶべきだ。

スパイ映画は英国ものに限るというのは、このあたりの機微に通じている英国人は、ずるがしこくてデリケートな手つきで「こと」を扱うことが得意だからだ。しかし彼らも残念なことに、もはや歴史の表舞台からは後退してしまった。米国も単細胞ゆえに後退しつつある。中国とロシアはどうか?彼らが覇権を握ることがあるとすれば、独裁が継続するという条件なしにはあり得ない。いずれにせよしばらくは混沌が続き・・・・・地球温暖化が進行し・・・・・・博士の異常な愛情がたかまり・・・・・・どっかで水爆が破裂し・・・・・・・

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