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2015年7月19日 (日)

仲代劇堂「バリモア」をみた

私の演劇時評  2015年7月20日


Flyerthumbbarrymore七月十七日、台風が日本海に抜けた頃、痛む足を引きづりながら用賀の駅におりた。近いから車で行こうかとも思ったが、帰りに一杯やってくるつもりになったから電車にした。そんなわけで一ヶ月ぶりに家の外に出た。

世田谷区岡本という場所は、用賀の駅から直線距離にして一キロ強のところだが、環状八号線を跨ぐ道が恐ろしく遠回りになるので、倍くらい走らないとたどり着けない。元は、そこここに小川が流れる田園地帯だったに違いない起伏の多い土地柄の上に、後藤東急慶太あたりの手にかかった世田谷の奥の典型的な《もと》新興住宅地である。人口減少の果てはどうなることやら・・・。土地の値段が下がって、かえって住みやすくなるかも知れないが、その頃オレたちは墓の下だから知ったことではない。

タクシーのドライバーは、無名塾を知らなかった。

ごちゃごちゃ走ったあげく、教えてもらって有り難いと感謝されたが、僕だって二度といくかどうかわかったものではない。

さて、「バリモア」であるが、これは米国の舞台俳優であり映画スターでもあったジョン・バリモアの晩年を描いた一人芝居である。作者はウイリアム・ルース。

アルコールでイカれたもとシェイクスピア役者が、最後の舞台と称してプロンプター相手に「リチャード三世」の舞台稽古をしているという芝居である。

「リチャード三世」かと思えば、「マクベス」「オセロ」「ハムレット」「ロメオ・・・」のせりふが混然とし、その中に彼の一生分の華やかだった実人生が語られるというややこしいが、実にわかりいい話であった。

二幕目は、こぶを背負ってマントを翻し、金髪のカツラに王冠を被って「馬をくれ、俺に馬をくれ、かわりに王国をくれてやる」と本格的になる。横顔の貴族的な鼻が自慢だったというバリモアに合わせて、大きな鷲鼻を輪ゴムで耳に引っかけて、鼻と一物の大きさは比例すると大声でわめき散らすのは、過去の栄光とみじめないまとのダブルミーニング。

プロンプターは永年の相棒らしく、往年のスターの言うことをおとなしくきいているが、その勝手放題わがままに次第に、我慢がならなくなって、帰ってしまう。

さあ、バリモア先生、困った。一人残された舞台は愚痴と反省の弁の大洪水。

と、思ったら、さすがに置いてけぼりはできないたちのプロンプター君が戻ったふりをして、再開。

何とか舞台は幕を開けられる・・・のではないかと思わせて幕が下りる。

落ちぶれたスター役者の栄光と転落を舞台にしたものは、例えば「ドレッサー」とかいくつか思い出すものはあるが、(もっとも、酒と薬で人生をだめにするのは音楽関係者のほうが圧倒的に多いのだが・・・)「ああ、これが人生というものか・・・」などと思う殊勝な心根を持ち合わせていないためか、こんなものは鬱々として楽しめない。特に老女優が過去の栄光にこだわるあまり、気が触れるなどと言う話は、プロテスタントの潔癖主義ではないかと大いなる違和感を禁じ得ない。

とはいえ、いっそ、あんな風に酔っ払って薬漬けになってやけのやんぱちのままあの世に行ったら、どんなにかいいだろうと思わないでもないが、そうそう世の中はうまく運ぶものではない。

さて、演出の丹野郁弓には気の毒な話をしなければならない。

若い頃、新劇とはどんなものか必死で勉強した役者が、どうにか手に入れた基本動作がしっかり身についた頃、新劇を取り囲む状況が様変わりをしてしまっていたことに気づかなかった。新劇が世の中によって勝手に旧劇にされていたのである。

しかし、すでに身体の一部と化した「新劇」が彼のからだから出て行くことは、なかった。なぜなら、新劇を洗い流し、赤毛ものだって我がことのように演じる方法をもう一度一から身につけるほど、身体もせりふまわしもつまり存在自体が器用にできあがっていなかった。過去を裏切り、器用に変容するのは人間じゃない、といわんばかりに。「オレはあの時代に生きている」それがオレの美学なんだといわんばかりに。

八十二歳の、昔日本映画で華々しい活躍をした老優が、今目の前でリチャード三世、ならぬ、米国俳優ジョン・バリモアを演じている。

昭和三十年代にタイムスリップしたような赤毛もの古典を見るような気分であった。その気分は、違和感よりはいわば一種の「諦念」であった。

しかし、僕は「諦念」で見たが、丹野郁弓には力尽くでも、修正の努力をして欲しかった。気の毒な話とはそれである。

とはいいながら、あれは、あれでいいのだ。「諦念」でみるのが正しい。とも思う。

あれは晩年になって、男ぶりの衰えたジョン・バリモアに違いないが、つばが飛んでくるほど近くで見ていたらバリモアのメークアップの下から、昭和二、三十年代にインテリであろうとした我々の顔が透けて見えてくるような気がした。

そういうアンビバレンツな気持ちがない交ぜのまま乗った帰りのタクシーは、行きとは違って、回り道もせずあっという間に用賀の駅に着いた。

老優は諦念とともにさりぬ! 老観客もまたしかり・・・・・・というわけじゃないぜ。

タイトル

バリモア

観劇日

2015717

劇場

仲代劇堂

主催

無名塾

期間

7/47/20

ウイリアム・ルース

原作/翻訳

丹野郁弓

演出

丹野郁弓

美術

島次郎

照明

前田照夫

衣装

石川君子

音楽

池辺晋一郎

出演

仲代達矢  (プロンプター・松崎謙二)

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コメント

なら死ねよてめー!!何様のつもりだと思ってんだよ!

投稿: padora | 2017年5月18日 (木) 17時09分

俺か?俺は俺様だ!

投稿: 隆一郎 | 2017年5月21日 (日) 06時28分

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