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2013年10月18日 (金)

「広告コピーシリーズ」第二弾(道場六三郎さんの店)

昔、書いたコピーを掘り出して載っける「広告コピーシリーズ」、思いついたときにアップするつもりです。何しろ1994年~99年くらいまであって、しかもデジタル原稿で残っていないから、書き起こさなければならない。暇なときでないとあげられないのだ。

「銀座ろくさん亭」

「・・・すると万吉は穏やかな口ぶりで、彼には板前になる素質がないと言った。この仕事は勘のものだ。いくら教えても勘のないものは一人前の職人にはなれない。そいつは諦めた方がいい。」(山本周五郎「つゆのひぬま」より)


料理人の腕が天性のものか、それとも血のにじむような修行の結果であるか、いずれとも断定するわけにいかないが、こちらのご主人ほどその議論から超然として我が道を行くひとはいない。若いころから反逆の料理人といわれてきたが、それには二つの意味合いがあったであろう。戦後の闇市の殺伐とした中に身を置いて生き抜いてきた向こう気の強さ、そして伝統を何よりも大事にする日本料理の世界にあって、いち早く中華風、洋風を取り入れた感覚の新しさである。


例えば写真は、崩し豆富中華風五味八珍というが、木の実や洋菜の間からのぞいている飴色の刺身は、鱠に切って冷水であらった城下鰈であり、季節感を胡麻風味の醤油でいただく感性はやはり和というべきであろう。

昔気質がまだ色濃く残っていた修業時代、何十人もの料理を短時間に、高下駄で頭を張られながら作らされたつらい経験は、いまでは習い性になってしまった。「早く、美しく、旨く」ということを体で覚えさせてくれた。一方で、生来の器用さ勘の良さではじめたことも、これまでいくつかの失敗を生んでいるという。才気煥発といえどもすべて順風満帆とはいかないのが人生なのだ。


しかし、時代感覚は常に鋭く「素材を十分生かして旨いものをつくるなら調理法にはこだわらない」のが流儀で、それをいまの人々が求めていると見ている。


道場六三郎さん、六十三歳。料理の鉄人といえばうなずく人も多いだろう。

開店から二十二年。名前からとったという、ろくさん亭にはその新しい和の世界を慕うファンが夜ごと押しかけている。

Rokusann

ヒゲタ醤油「本膳」

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