« 呉智英「吉本隆明という『共同幻想』」が面白い(その1) | トップページ | 呉智英「吉本隆明という『共同幻想』」(その3) »

2012年12月20日 (木)

呉智英「吉本隆明という『共同幻想』」(その2)

「マチウ」や「ジェジュ」というあまり意味のない工夫を凝らした上で、「マチウ書試論」のほぼ九割をマタイ伝の成立に、つまりこの論文の90%は「マタイ伝とイエス像の成立についてキリスト教教理の外側で蓄積された当時の主要な研究をまとめたに過ぎな」かった。

このあと最後の三ページあまりでようやく吉本が言いたかった主要なテーマである「関係の絶対性」 について述べられる。このあまりにも「延々と論じられたキリスト教の話は、実はその全体が、「関係の絶対性」を導き出すための、あしびきの山鳥の尾のしだり尾のように長々しい一種の序」だったのである。

「関係の絶対性」もまた奇妙な日本語である。関係というものは一個では成立しないのだからもともと相対的なものである。しかし、あるものとあるものの関係は、様々な条件によって縛られているということは出来る。それは必然的にそうなる関係にあったと言う意味で相対的であるが絶対的でもある。

どうも、それを「関係の絶対性」といったらしい。

具体的にいえば、社会運動に参加するしないで個人の倫理は問えない。個人と社会の関係のあり方がその行動を決定すると考えるべきだ、ということだ。

戦後間もないこの時期の問題意識としては必然性があったとはいえ、なんだか言わずもがなのことである。

こんな結論、「関係の絶対性」とやらをいうために60何ページも使ったなんて、ああ僕は何と幸運だったことか、こんなものに無駄な時間を費やさずにすんだのだ。

大体こんな単純なことを、一読しても分からないような書き方をしなければならないのか?実になぞである。

しかし、この難解さこそ一種の「ありがたさ」を生む主な原因である。

むろん、現象学のように複雑な観念操作を単純に記述できないものもあるにはあるが、「関係の絶対性」などという造語までしてわざわざ分かりづらくしているところが「吉本教」たる由縁なのだろう。

この「分かりづらさーありがた」教の元祖に小林秀雄がいると、ついでにこの本は指摘する。吉本がめずらしく評価しているのが小林秀雄で、ひょっとしたら影響を受けたのかもしれないと、暗に皮肉をいっている。

鹿島茂の「小林秀雄が書いたもので分かったと思った経験は一度もない」という話を引いて、吉本との類似性を指摘しているのだが、この鹿島茂の文章を紹介しているところが面白い。

「鹿島茂は朝日新聞社のPR誌『一冊の本』に『ドーダの文学史』を2008年から連載している。『ドーダ』というのは、自らの優越性を誇示して、さあどうだとまわりを威圧する態度のことだ。つまり、マウンティングの一種と言える。このドーダで文学史を読み解こうというわけである。」

「この『ドーダの文学史』2011年6月号からは、ドーダの真打ち小林秀雄の登場である。語のすべての意味でドーダの人である小林秀雄。これを論ぜずして文学的ドーダを論ずることは出来ないのである。」

呉智英は真打ち小林秀雄について、鹿島茂ののべることから、目を洗われようなことを何度も経験したそうだ。

その一つを紹介すると、僕ら団塊の世代にはなじみのアルチュール・ランボオ『地獄の季節」小林秀雄訳である。

夭折した詩人の破天荒な生き方と相まって、そのタイトルがまた魅力的だった。むろん僕も小型版箱入り宇野亜喜良(?)装幀本をもっていて、一部を暗唱できた。

地獄のような季節、つまりは時代の気分を象徴するような官能的、退廃的フレーズと感じて、手のひらサイズの詩集を持ち歩くことが得意であった。

ところがこれは正確には「地獄における一季節」という言葉で、本物の地獄にいたワンシーズンのことだった。こんなことではぶちこわしのインチキである。小林訳のは誤解や誤訳があると鹿島は指摘、仏文の篠沢秀夫も同じことをもっと詳しく言っているようだ。

鹿島茂と同じ世代の僕も、(鹿島のように)東大は出ていないけど「小林秀雄を分かったと思った経験が一度もない。」(ドーダ!)

高校の教科書に、小林秀雄の「歴史について」という短い文章が載っていた。予習のつもりで読んだが、これがサッパリ分からない。何度も繰り返し読んでいるうちにおぼろげながら、これはどうやら唯物史観とは違うことをいっていると「発見」した。

当時、歴史といえばマルクス―エンゲルスである。

わけしりでやや「ドーダ」気味のある友達に、小林秀雄というのはひょっとしたら右翼ではないか?といったら、バカじゃなかろかという顔で、そんなことも知らないのと、マウンティングされてしまった。

高校の教科書や大学入試というのは、どうせ文章を切り刻んで、課題に合った部品のようなものにしてしまうのだから、小林秀雄は小と林と秀と雄になり、小林が何もので、全体として何を言いたいのかは問わない。

だから、僕が読んでも分からなかったことは、現代国語の成績に何の影響も関係もなかったのは幸いだった。

その後、左翼シンパの姉の本棚に、箱入りやや大型本の「考えるヒント」を見つけて、おかしいと思いながら手に取ったことがあった。あとで、知り合いの男のプレゼントであったことが分かって物好きの男もいるものだと感心した。

ともかく読んでみたが、三行で挫折してしまった。考えるヒントどころか、こんなことでは俺は頭が悪いのではないかと考えるヒントになってしまった。

それからこんなこともあった。

同じ頃、演劇部の一年後輩でG君がいた。Gの家は学校の近くにあって、僕は下校の途中によく誘われて彼の家に行った。部屋にはレコードがたくさんあって、話をするよりは主にクラシックを聴いて過ごした。

このGが、なぜかモーツアルトの交響曲第四十番を十数枚持っているのだ。指揮者が違えば、演奏がどれほど違うものかを聞き比べるのである。

おかげで、四つの楽章すべてをこのとき覚えてしまった。

これは、明らかに小林秀雄「モーツアルト」の影響であった。ある日街を歩いていたら、四十番の旋律が頭の中に聞こえてきたというあのエセーである。

Gが、ベートーベン交響曲第五番を十数枚持っていたのはその発展系であり、小林秀雄はこのような啓発も世に残した証拠として、ここにかいておこう。

Gは、早稲田をでて就職したらしいがその後会ったことは(確か)ない。後藤君、元気か?

何年か前に「モーツアルト」を読もうとしたことがあったが、やはり三ページも進むことが出来なかった。

しかし、この頃になると、わが丸谷才一先生の「啖呵と脅しの小林評」を知っていたから痛くも痒くもなかったけれど。

つづく



| |

« 呉智英「吉本隆明という『共同幻想』」が面白い(その1) | トップページ | 呉智英「吉本隆明という『共同幻想』」(その3) »

呉智英」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 呉智英「吉本隆明という『共同幻想』」が面白い(その1) | トップページ | 呉智英「吉本隆明という『共同幻想』」(その3) »