呉智英「吉本隆明という『共同幻想』」(その4)
「吉本思想」は、
「『ものの考え方』の≪表現≫水準が、いままでにない独自なものとして、ヘーゲルやマルクスの先に切り開かれている。サルトルやデリダなどの二流の思想とは明らかに隔たった一流の思想である。
私が、一流の思想と評定しているのは、フーコー、ラカン、吉本隆明、そしてそれに比しうるものになっているのが、アルチュセール、プルデューであり、二流がデリダ、ドゥルーズ、ハーバーマスなどであり、それに比するのがガダマー、リクール、廣松涉など、三流が、サルトル、バルト、レヴィ=ストロースであり、あとはポストモダニズムなど有象無象の雑魚である。ただ、研究者の質としてはミシェル・ド・セルトー、ロジェ・シャルチエ、リュック・ポルタンスキー、ジョン・アーリ、スコット、ラッシュ、アルマンド・アッテラール、等々たくさんいる。だがそれは『思想』とは違う。『思想』とは自己表出がなされえていることであって、世界が領有されていることだ。したがって、二流とは言えたいへんなことであって、それなりの評価をした上で、格付けている。思想の格付けは、自らに対してなしていることであるだけではない、他者に対して自分がいかにあるかを表明することでもある。」
僕はこれを読んで、思わず声を上げて笑いそうになった。浪花節を思い出したのである。
先代の広沢虎三「清水次郎長伝」、「石松三十石船」の段。例の「寿司食いねえ。神田の生まれよ」の場面である。
「一番は、槍の使い手、大政よ。二番は、居合抜きの小政。三番は、増川の仙右衛門。四番は大瀬の半五郎。五番は法印大五郎、六番は小松村の七五郎・・・・・・・うるせえな、あとは一山いくらのガリガリ亡者だあ。」
「吉本隆明の思想」(2008年、三交社)序論の冒頭部分にある文章である。この番付表の勧進元ともいうべき御仁は、山本哲士、元信州大学教授で現在、ホスピタリティ環境学専門家である。
僕が三十代半ばの頃、家族のことで深刻な問題を抱えて悩んだとき、つまり男と女の性差について「思想を自己表出」しようとしたとき、「ヴァナキュラーなジェンダー」という概念を一種の補助線にして、山本哲士流の言い方にすると「新たな地平を拓いた」ことがあった。
イヴァン・イリイチが「学校化、病院化」(社会を権力システムに編成すること)に異を唱えていることは、以前から知っていたが、その頃になると「シャドウ・ワーク」を書いて女性というジェンダーに独自の光を当てるフェミニズムの議論を展開していた。
このイヴァン・イリイチに関していろいろ漁っていたときに、当時メキシコにいたイリイチのもとに遊学・研究していたのが山本哲士で、この僕とほぼ同世代のバガボンは、その思想のいい意味での広報マン的役割を果たしていた。
この頃から、彼独特の言葉遣いで読みにくさはあったが、この本でも最初にことわっているようにアカデミズム、すなわち報酬をもらって研究するのはホンモノとは言えないと思っているようで、はなはだ迷惑なことに新語造語を説明もなく乱用するところなど自らの異端性を誇りにしているところが見える。
確かに、思想家や研究者の番付を作るような所業は、アカデミックな立場ではやれないものだ。だから、この冗談めいた仕業もホスピタリティ(おもてなし)の一環としては面白いと思ったが、これで、存外本人は真剣なのである。
「二流とは言え、それなりの評価をした上で、格付けている。」のである。
世の中に格付け会社というものはあると聞いているが、これは金を出して格付け(番付)を買う者がいるから成り立っている。
一体、山本哲士は誰に頼まれて思想を評定などしたのであろうか?
そして、つぎの「 思想の格付けは、自らに対してなしていることであるだけではない、他者に対して自分がいかにあるかを表明することでもある。」
というのも意味がよく分からないながら、自分の立場はこうだ、ドーダ!とやや自慢しているようにもとれる。
すなわち、俺にかかったら、吉本隆明は。ヘーゲルやマルクスの次ぎに来る偉い先生で、それに較べりゃデリダなどは二流、サルトルに至っては三流、ポストモダンの有象無象など番付にも入らない雑魚どもと言うことになるのだぞ!ドーダ!、といっているのである。
つまり、ひとり自慢の番付表。
ここにもやはりドーダの先生がいた。
「吉本隆明の思想は、二十世紀に日本が世界へ向けて表出した最大の、重要な思想であったと二十一世紀には評され、検証され新たな地平で継承されるであろうと1986年の時点において私は記した。」
山本センセは予言者でもあったが、この言い方、吉本をジェジュに変えたらマチウいや間違えたヨハネでも言いそうな言葉と思いませんか?
以下少々苦痛かも分かりませんが、引用。
「フーコーのディスクール論は、『すでに語られてあること」のエノンセの集積体を明らかにするものであったが、吉本の幻想論・表出論・心的疎外論は。表出、生成の初源を探り当てていくもので、語られていく以前、書かれていく以前、イメージされる以前、等、が解説される、人間・歴史の初源を明かすものだ。フーコーがディスクール的プラチックの域を切り開いたことに対応する位置を、吉本は、<言理>として切り拓いたというように概念をあてたい。言説でも言述でもなく、この、言理の理論を吉本思想の基本としたい。吉本の言理は、幻想をめぐる幻想理と、言語表出をめぐる表出理と、心的疎外からなっている、『理』のディスクールである。この<理>のディスク―ルとは、実存主義・構造主義・マルクス主義をこえ。内へ向けた『論理』、外へ向けた『理論』となっているのも『主体と構造』の対比をこえているためである。・・・・・・・」
大体全編がこの調子で続く、全500ページの吉本思想解説礼賛本である。
けなしているわけではない証拠に、目次くらいは付け加えておこう。
はじめに
序論 吉本思想の全貌
0 思想の基準
Ⅰ 吉本思想の三つの本質論
Ⅱ 「ハイ・イメージ」論
Ⅲ <アジア的ということ>の位置
Ⅳ ナショナリズム論と天皇制論
Ⅴ 吉本隆明とフーコー
Ⅵ 文学と詩への境位
終章
最初に言い切っているように、山本哲士は、吉本隆明を、ヘーゲル、マルクスに続く偉大な思想家だということを渾身の力を込めていいたいのである。
しかし、山本が思想家番付の勧進元だと自ら任じても、一体誰にそれを認めさせようとしているのか?
少なくとも英語くらいには翻訳しないとせっかく作った番付もあまり役には立たないのはないか。
もちろんその前に、吉本隆明そのものが翻訳されてないと話にならない。
誰かが、吉本本人にそのことをいったら「俺のは、そういうんじゃないから・・・・・・」といったとか・・・・・・。
(それを聞いて僕は、吉本隆明という謎が解けたかのような気がした。それは、後で触れる橋爪大三郎の小篇にして名著「永遠の吉本隆明」によって触発されたことであったが・・・・・・。)
ともかく、この世代の書くものは、他人が読んで理解出来るかどうかなどお構いなしに、勝手に書きなぐって、いい気になっている場合が多い。おおかたは学生運動のアジビラの延長でいいと思っているふしがある。
ザッと、見ただけだが、山本の学問が進んだせいか、イヴァン・イリイチの頃よりは症状が一段と進んでいるようにお見受けした。
関心のある方は、3800円出して是非読んでいただきたい。
次ぎに手にとったのは、やはり2008年に出た絓秀美著「吉本隆明の時代」(作品社)であった。「思想」と「時代」がワンセットになってちょうどよかろうと思ったが、こちらは必ずしも吉本礼賛本というわけではなかった。
序 章 「普遍的」知識人の誕生
第一章 一九五〇年代のヘゲモニー
第二章 ドレフェス事件としての六〇年安保
第三章 六〇年安保後の知識人界
第四章 市民社会と大学の解体
終 章 「六八年」へ
と、目次を見たら、吉本隆明を中心に据えて、戦後左翼論壇史を概観したような趣である。
絓の経歴(元日本読書新聞編集長で、関西大学教授)を見たら、この程度の内容なら手持ちの古い在庫をはき出した在庫一掃セールのようなもので、吉本教信者には不満かもしれない。
そもそも吉本信者でもない絓がこの本を書いた理由は、最近亡くなった学生運動の頃からの友人が吉本ファンだったせいだというのである。吉本に傾倒していたこの友人が残した蔵書を形見としてゆずり受けたことがきっかけで、いまはなき彼(ら)との討論のためのレジュメのつもりで書いたのがこの本だというのである。(「あとがき」より)
なあんだ。だから古証文を引っ張り出したみたいなことになったのか・・・
ところがこのあとが面白い。
さらに、絓はためらいながら、亡くなった友人が、70年代に難病を患い故郷に帰還せざるをえなくなった際に、昭和天皇と吉本隆明に手紙(葉書)を出したことを差し出した。手紙が届いたものかどうかはわからないが、この本を書いているうちに、友人がそんなことをした理由が分かるような気になったというのだ。
つまり、吉本隆明とは、この友人がそのような状態になったときに何か手紙(葉書)を出したくなるような存在ではないかと思ったらしい。(この本のきっかけになった出来事だから、ここは重要ですよ、皆さん!)
そう思うようになったのは、「ガタリ派の精神科医で美術評論家でもある三脇康生からの示唆である。」
どんな示唆を受けたか
「詳述ははぶくが、吉本隆明はラカンのごとき優れた精神分析家だと思われる。それは、吉本の『心的現象論』がラカン理論に近いということではない。存在自体がラカン的なのだ。事実吉本のまわりには、本書でも繰り返し登場する島成郎をはじめ、60年代日本の精神医療を担う医師が蝟集していたし、精神を病んだ活動家が吉本宅を訊ねるということもしばしばあった様子である。・・・
ラカンは、精神分析治療とは分析主体(被分析者)をあれこれ分析することではなく、分析主体の話すことに句読点をつけてやることだといったが、『聞き上手』として知られる吉本も、そのような分析を行うことで来訪者の精神を治癒していたのではないだろうか。」
このあと、「そして、そのようなこと自体が、ラカンにも似て強力にオイディプス化する。・・・・・・本書は精神分析家・吉本に対する『アンチ・オイディプス』として、(この友人)のために書かれている。」と突然訳が分からなくなる。
それは、ドゥルーズ・ガタリを知っているものたちとの共犯関係を強要するようなもので不愉快であるが、ともかく、ここで絓秀美は吉本隆明=精神分析医として神格化するという意味では、立派に吉本信者ということが出来る。
つまり、隠れ吉本教信者。
ここで、山本哲士の作った番付を思い出してもらいたい。
何と、ラカンさんは山本勧進元によれば吉本隆明とともに第一流に上げられている御仁なのである。
ラカンといい、ガタリ派の精神分析医といい、精神に変調を来したものを治癒する行為といえば、米国映画(近頃仏映画でも見るからあれは世界中に蔓延しているのだろう)などでよく目にする光景を思い出す。
長椅子にくつろいだ患者が際限なくしゃべるのを聞いているだけで一回400ドルもふんだくるという医者である。あれは患者の話に句読点をつけてやるだけの行為だというのか。
道理で、占い師よりもたちの悪いペテンだと思っていた。
ガタリもラカンもユングも、元はといえばフロイトだろう。「アンチ・オイディプス」などどうでもいいが、フロイトなら若い頃ずいぶん読んだ。あの陽性の書き方が面白くて当時翻訳されていたものはほとんど読んだような気がする。大半は忘れたが。
フロイトは、それまでなかった学説を一人で作りあげた。しかもその中身はかなり文学的であった。「オイディプス・コンプレクス」など典型的に文の学である。しかし、その原理に据えたリビドーは(あたりまえのことだが)、あくまでも仮説だといった。仮説だってないよりはいい。しかし、その原理に「仮説」を抱えているものが、複雑な論理操作の果てにさも絶対であるかごとく語るのは詐欺である。
こういう詐欺師と吉本隆明をいっしょにするのはひいきの引き倒しというものだろう。
吉本は印税で食えたから暇だった。暇で俠気もあり人の良さそうなおっさんのところへ相談に行けば親切に話を聞いてくれそうな気がした。しかも、ガタリ派の精神科医がどんなペテンを使ったかどうか知らないが、本人ではなく友人がそう思ったに違いないと確信したというのである。ただそれだけのことで教祖に祭り上げる神経はどういうものか?いっぺん精神分析医にかかってみたらどうかと思う。
フロイトがとりだした「自我」とは、毎日肉を食って生きている、しかも生まれたときから唯一絶対の神の存在を感じながら生きてきたものの「自我」である。人間は神によって他の動物とは違う存在として選ばれしものである。したがって、人間はサルから進化したといえば、異端審問を受けそうになる。
しかし、進化論というのは実にキリスト教教理と似ている。神の国へ近づくという時間感覚がすり込まれていると、何か一方向にしか時間が流れないという気になるものだ。「では、なぜただいまサルから人間に進化する現場を目撃できないのか?」という有名な冗談めいたパラドクスに進化論は応えようがない。
これに対して、エコロジー=生態学は進化ではなく遷移だという。遷移とは生物が環境に適応しようとして形態を変化させることだ。
生態学的に言おうとすれば、人間は、ある種のサルが、環境に適応しようとして遷移を繰り返した結果だということが出来る。
それが進化ではないかと言うだろう。
それではもう一つのアナロジーをとりだそう。
原始共産制→(矛盾)封建制→(矛盾)資本主義社会→(矛盾)共産主義社会(完成)
進化論とよく似た過程をたどるのである。ひが目かもしれないが、汎神論的においがぷんぷん漂っている。
これを生態学的に読み替えたら、かなり精神は健康になると僕はひそかに思っている。
フロイトとはまったく別に「自我」の発生学とも言うべきものに果敢に挑戦した事例がある。動物としてのサル=人間の中に「利他」的感情がどのようにして生まれたのかというきわめて困難な課題である。
大沢真幸をして「我が師ながらその手があったか」と感心させた真木悠介「自我の起源」(岩波現代文庫)である。
もちろん、性急に答えを求められる主題ではない。真木悠介(実は見田宗介で、これもあとで言及する)が切り拓こうとした「地平」は、僕の知る限り(といってもたいしたことはないが)、その後誰によっても引き次がれていない。
日本の大学教授もフランス人ばかり有り難がっていないで、こういう我が邦人が提起した困難な課題に挑戦すべきではないのか。
一回400ドルのペテン師に腹が立つのは、それだけではない。
我が邦自殺者は毎年三万人を超えている。そのうちの大半は鬱病だという。鬱病を「治癒」させるのは精神科の仕事だろう。精神科と精神分析は違うとは言わせない。
患者の話に句読点をつけるなど誰も頼んではいやしないから、三万人の内せめて十人でもいいから精神的な地獄から救いだしてやってもらいたい。のんびり美術評論なんぞやってる場合じゃないだろう、ええ、ガタリ派の精神分析医さんよ!
腹が立ってきたから、かく言う僕自身の立場を説明しようとしたが、今日はこの辺でやめる。
またまたつづく。
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