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2011年1月15日 (土)

「現代文学論争」(小谷野敦)を読んで考えたこと 第一

 

 

本屋で「現代文学論争」(小谷野敦、筑摩選書)というのを見つけて立ち読みしていたら立っていられなくなったので、まじめに読むことにした。
これは、75年に同じ筑摩書房から叢書として刊行された臼井吉見の『近代文学論争』の後を受ける形で、70年代から今日までの約四十年のあいだかわされた主要な文学論争をとりあげて、経緯を説明のうえ論評を加えるという内容の本である。
イデオロギーの対立が厳しく激しかった時代は、保守派と革新派、革新派の間でも党派性の対立などがあって文学者の間でも論争が絶えなかった。メディアもよく取り上げていたし、僕らとしては、はらはらしながら実はそれを楽しんだ。
論争というのは、よく考え抜かれた議論の闘いもあったが、たいていは売り言葉に買い言葉、時には人間性丸出しの闘争になることもあった。複数の参加者が入り乱れ意外な方向に展開すると言うことでは論争だけで十分に小説的であった。『火事とけんかは江戸の華』と言われるように人のけんかを見物することほど楽しいことはない。僕はあの頃から実は論争を見物するのが大好きだったのである。
70年代はじめに就職したのでこの本で取り上げられている年代には、文学に関心はあったが論争になるような文壇事情を知るほどのかかわりを持てなかった。高度成長からバブルがはじける頃まで忙しく会社勤めをしていたからそれどころではなかったのだ。
だから、目次を見て明らかに内容まで知っているものは、二三項目に過ぎなかったが、僕自身の空白の時間に何があったか興味津々であった。

 

目次を紹介すると以下の項目である。
1.江藤淳の論争 1960-86
2.「内向の時代」論争 1970-74
3.フォニイ論争 1973-74
4.「堺事件」論争 1975ー2002
5.方法論(三好‐谷沢)論争 1977
6.『事故のてんまつ』事件 1977
7.『死の灰詩集』論争から「反核」論争へ 1983-85
8.筒井康隆の戦い 1984-94
9.「たけくらべ」論争 1986-2005
10.「君と世界の戦いでは、世界に支援せよ」論争 1985ー2005
11.『こゝろ』論争 1986-88
12.『春琴抄』論争 1989-93
13.永山則夫文芸家協会入会論争 1990
14.湾岸戦争から『敗戦後論』論争 1991ー99
15.宮沢賢治論争 1996-99
16.『純文学」論争ー笙野頼子論争 1998ー
17.柳美里裁判とその周辺 1994-2003

 

このうち、6.『事故のてんまつ』事件 1977 というのは大分後になって(90年代初め頃)岳父から臼井吉見の『事故のてんまつ』一冊をもらったことで知った。
その本には新聞記事の切り抜きが何枚か挟んであったので、これが川端康成の遺族から死者の名誉を毀損すると訴えられて絶版になったことがわかった。川端が72年に突然自死した時はなぜなのかサッパリ理解できなかったが、これで何となく真相が分かったような気になった。

8.筒井康隆の戦い 1984-94 は教科書に取り上げられた作品のことだったので、大々的に報道され、作者が断筆宣言をするという騒ぎになった。断筆宣言がどうして作家の抵抗になるのか理解しがたいと思ったが、筒井の小説は三ページと読み進められなかったこともあって、その後の展開については興味を失った。最初に、筒井康隆を教科書で取り上げなければならないとした編集者の見識はどうかと思ったが、ともかく発端となった作品が差別かどうかで論争になったことはいまも記憶に残っている。

 

13.永山則夫文芸家協会入会論争 1990 これは、報道されたので、記憶にある。どうせ殺人者だからという議論だろうが、監獄に入っていようといまいと、文芸家に代わりはないはずだ。すんなり入会させない文芸家協会というのはどういう団体かと思った。論争の内容までは記憶になかった。

 

14.湾岸戦争から『敗戦後論』論争 1991ー99 については、少し複雑である。
ここで取り上げられているのは、『湾岸戦争』が始まろうとしている時に日本の文学者有志数名によって出された反戦「声明」についての論争とそれを受けた形で提出された加藤典洋の『敗戦後論』をめぐる議論である。
湾岸戦争の『声明』についてははっきり記憶している。ある朝新聞を開いたら全五段のメッセージ広告が載っていたので『やれやれ勘違いな連中がいる』と思った。まず、これは前の世代(の文学者たち)がベトナム戦争に反対した行動に対するコンプレックスがなせる技だと感じたのだ。戦争になって、存在感を示すチャンス到来と思ったのだろう。
これについては以前『必読書150の時代錯誤』に次のように書いたことがある。
「今ごろこんなこと(「必読書150」の出版)をやるとは、現在がどのような時代であるかの認識が、全くない事の証左である。さすが、1991年の湾岸戦争が始まろうとしているときに、押っ取り刀でやってきて「戦争反対!」と叫んだ連中だけの事はある。何故反対かといえば、よく聞こえない声で、平和憲法があるからだとのたまったのである。古今東西の古典で頭が充満している日本の知識人のレベルとはこんなものだ。まあ、古典を勉強するよりは中東の歴史を勉強したほうがいいのではないか、とその時はあきれてしまったが・・・。」
これは論争になると直感的に思ったが、あまりのばかばかしさにすっかり興味を失っていた。
それから、2000年代に入ってまもなくだったと思うが、あるとき神田の古書市を漁っている時、加藤典洋が「戦後」論を書いて論争になったことを知った。加藤は同世代であったがはじめて目にする評論家で、そのときの評判ではこれまでの「戦後論」とはひと味違う視点で戦後を議論していて、右翼からも左翼からも批判を浴びているというものだった。遅ればせながら読んでみようとしたが、古本屋街では見つからなかったのでアマゾンに二三冊注文して読んだ。

 

加藤の主張は、押しつけられた憲法ならもう一度あらためて選び直すべきだということと、侵略戦争で死んだ兵士は犬死にだったが、それだからこそアジアの戦争の死者たちよりも先に弔うべきだというものであった。
これだけでは何か唐突のような感じもしたが、当時はまあそういう視点があってもいいかと思った。実は期待していた議論ではまったくなかったので半分はがっかりした。その後別のところで戦前の左翼は戦略的ではなかったと書いて、はじめて新しいことを言ったという印象を受けたのだが、一体どこに問題意識があるのか未だによく分からない。
ところが、一連の「敗戦後論」論争のきっかけになったのが、湾岸戦争の時の『声明』だったことをこの本ではじめて知った。(追記:「はじめて知った」というのはが96年初出(「群像」六月号)なので、91年当時から時間が空きすぎていると思ったからだが、『敗戦後論」では確かに『声明』を書き出しに使っていた。したがって、きっかけといっても即反応したわけではなく、かなり時間をかけて考えをまとめたものであった。)

 

この『声明』を受けて、六年もたってから、加藤が声明に署名した連中に対して『そうかそうか。では平和憲法がなかったら反対しないわけか。』と書いたことが、物議を醸したということらしい。しかし、内容は『声明』自身を離れて、まさにユニークな『敗戦後論』であったから、そのことで論争になるのはもっともだと思った。
この「声明」と『敗戦後論』のことを書きたかったので、この稿を起こしたのだが、それはあとにして、目次の残りの項目のことを書いておく。

 

17.柳美里裁判とその周辺 1994-2003 については、何か騒いでいるなという認識はあったが、何かは知らなかった。柳美里という作家は、在日と言うことをはっきり言っていたこともあってデビューした当時から何かと話題になっていた。しかし、僕としては小説を読めなくなっていたので作品については何も知らない。
この騒ぎは、小説のモデルになった実在の人物から内容の改訂を申し入れられ、一部は受け入れたものの、言うことが二転三転して仕舞いには出版差し止めを主張されたと言うことらしい。
このモデルの奇妙な態度をじっくりと眺めながら、裏にある事情について小谷野が推理しているが、ここがこの本のハイライトであり、小谷野敦の面目躍如たるところになっている。

 

15.宮沢賢治論争 1996-99 は、全く気がつかなかった。
しかし、いつかは出てくる議論だろうと言う予感はあった。宮沢賢治は聖人扱いされてそれが過熱気味であったからだ。冷静にきちんと評価される必要があった。ところが、この論争を確認した限り、本質的な文学論争とは到底いえないような誹謗中傷まがいが横行していることにはがっかりした。国柱会の熱心な信者であったことで、ただの国粋主義者と断じるものもいるとは驚きである。

 

16.『純文学」論争ー笙野頼子論争 1998ー は、全く気がつかなかったが、読むとすさまじい罵詈雑言の応酬で、女のヒステリーを相手にすると消耗することこの上ない、俺だったらさっさとしっぽを巻いて退散するだろうなと思った。とりわけ「純文学」なんて議論してもなにか生産的な結論が期待できるわけでもないのだから、暇つぶしにはいいが、大の大人がやることではない。
演劇の世界でも、商業演劇と小劇場でやる芝居の内容は違うと言ってよい。どっちがよくてどっちが悪いと言うことでもなく、どっちも観客が存在する限り、やり続けられるのである。『純文学』だって、観客という意味では、風前の灯火かも知れないが読む者がいる限り書く者がいて、書く者がいる限り読むものは出てて来るものである。文字で書く芸術とはどういうものであるべきかなんて難しいことを追求する人がいて、それを読む人と一緒に『純文学』という世界をつくるのであれば、何ら余人の邪魔するところではない。
とにかく女とけんかする男はとてつもなく勇気があるか、さもなくば単なるバカである。

 

長くなったので、湾岸戦争文学者の『声明』と『戦後論』については、次回にしよう。

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