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2011年1月10日 (月)

増え続ける医療費に歯止めをかけるささやかな抵抗

暮れからのどが痛くて我慢していたら、咳が止まらなくなったので、ついに医者に行ってきた。我慢していたのは、熱があるわけでもないし、診察されると他にもあれこれ悪いところをつつかれるに決まっていると思っていたからだ。
というのも、かなり長い間薬だけもらいに行って診察から逃れていたのである。治療なんざされるととんでもないばかばかしいことになるからだ。
もう数年前になるが、糖が出ているだの、血圧が高いだのいわれて栄養指導やら投薬治療をさんざん受けて、なにひとつ変わらなかったので時間も金もずいぶんな無駄をしたものだった。食いたいものも食えない、飲みたい酒も遠慮しなければならないなんて言うのははなからごめん被るという気持ちでいるから医者の言うようになるわけがない。還暦も過ぎた男に、早死にするから栄養バランスのよい食事をとって、酒も控えめに、なんていったって、聞くわけがないと、医者の方が思わないのは不思議な光景ではないか。そんなに命根性が汚いとでも思っているのだろうか。
あの医者は、四十代でも六十代でも機械的に同じ治療をしようとするに違いない。こー言うデータが出たからこういう治療とコンピュータで出たとおりのことしかやらない。こんなことなら医者など誰でもできる。日本国中がデータで治療する時代だから、おそらく要らぬことを山ほどやってカネをふんだくっているに違いない。
こんども、のどのシロップ(市販されているのと同じ味がした。甘草という漢方薬が入っている。)と、抗生物質に感染予防の薬と解熱剤の四つが処方されたが、役に立ちそうなのは抗生物質一つで、後はどうでもいいものである。熱がないのに解熱剤をくれるのは明らかにおかしい。文句を言っても、三割分は聞く振りをするが撤回など金輪際しないのだ。七割は保険が払ってくれるからお前の言うことは聞かないという態度である。
何しろデータさえあれば、それが動かぬ証拠となって保険請求も堂々とできるわけである。医療費が年々一兆円づつ増えていくと言って騒いでいるが、一律データで治療したらそうなるに決まっているではないか。そのうち公務員と医者と薬屋だけが残るという時代が来るかも知れない。三者が結託すれば弁護士だって要らなくなるだろう。(米国にやんや言われて増やしてみたが、仕事がなくて悲惨な弁護士も出てきたぞ!そのうち、マッチポンプの法律事務所なんてのがはびこってくるかも。米国の言うことなど聞いたからいまこんな目に遭っているわけで、もっとまともに日本人の頭を使わないとだめではないかと言えば、お前は右翼かなどと近頃あまりはやらねえ批判を浴びそうだが、ともかく他人の言うことを信用したからこんなことになったのだ。自分の流儀を編み出そうとしないのが一番悪い。日本人よ決起しろ!)
人間の体には個性というものがあるし、つまり親から受け継いだ体質というものがそれぞれ違うのだからそこを見なければ判断もつかないはずだ。それに、子供がまだ学校にいる歳なのか、子育ても終わって、ろくでもない趣味にうつつを抜かしているだけなのか、失業中で食うや食わずなのかで、患者に言うことが違って当たり前ではないか。近頃流行の個人情報とやらが邪魔しているとしたら、ろくでもない世の中になってしまったものだ。医者が患者の事情を知らないから医療費が増えると気がついたら、政治家はどうにかしてくれるかも知れない。いや、あてにはならないな。医は仁術とか言っても今更聞く医者などいるものか。医は算術と心得ている輩ばかりだ。
余計なことを言ってしまったが、ともかくこのところは薬だけもらって後は知らん振りを決め込んできた。症状はと言えば、たいしたこともない。頭がふらふらするから降圧剤と足のしびれに効くビタミン剤の二種類を二週間にいっぺん処方してもらってそれでしばらく過ごしてきたのである。
二週間ごとにいちいち処方箋をもらいに行くのも面倒くさくて、四週間分くれと言ったことがあったが、さすがにそのときは気色ばんで断られた。処方箋を書けば、一回いくらの稼ぎになるところを、こっちが一回分得することになるのがいやだったのか。いや、そうに違いない。あのビルの家賃がそう安くはないはずだ。そうであれ、どうであれ医者というのは強欲なものだ。

あるとき、Yが降圧剤を飲み続けると十年後にボケが来る、と言う(耳寄りな)話をどこからか仕入れてきて、薬を入れてある缶を覗くとどれだと問い詰めるので、いきなり言われても俄に同意するわけにいかず、昔もらって放っておいた薬を「これだが」と指した。するとそこから選って胃腸薬か何か自分でもなんだか分からないものをごっそり捨ててしまった。こっちはまだふらふらが収まっていなかったので、降圧剤がなくなると困ると思ったから、ごまかしたのだが、ふらふらどきどきがなくなったら、薬など一日も早くやめたかった。ぼけの話を聞いてからは、なんだか毒を飲んでいるような気がして、いつかは止めなければと思っていた。
Yには、いつ何時頭の血管がいかれるかも知れないと脅したが、半身不随で長生きされるのも困るけど、惚けられる方がもっと始末が悪いと言って平気である。どっちにしろ自分で自分の面倒が見られなくなる話だから、抵抗してもリアリティがない。(ここで、そういう境遇になった方がいたらこんな話をするのをあらかじめ謝っておきます。)

そうこうしているうちに、だんだん酒がまずくなって、あるときとうとう臨界点を超えたらしくて、いくら飲んでも酔わなくなった。と思ったとたんに足がゴムまりのように腫れだして立ち上がれなくなると同時に熱が出た。最初は風邪かと思ったが、熱が下がらず足の腫れも引かず、一週間もはいつくばっていたがいっこうに治る気配がない。食欲もないからどんどん肉が落ちて太ももなんざ骨川筋衛門の有様になってしまった。階段を下りられないから二階に引きこもったままだ。荒木村重に幽閉された黒田官兵衛みたく杖を使って起き上がれるようになったのは二週間以上たったころで、それでも体調はもとへ戻らなかった。髪も伸びて、これで月代でも剃っていたらいよいよ漸ばら髪の落ち武者然としていたかも知れない。
医者へ行けとさんざん言われたが、これは奇病である。こんな奇妙な病気をあの藪医者に治せるものかと思った。こっちは原因は何か知っているが治療法を知らないだけだ。しかし、原因が何であるかを説明してもあの医者のデータからは絶対に検索できないはずだ。第一、足が腫れたのはこれがはじめてではない。腫れて感覚が麻痺するようになった。
数年前、毎年渋谷区が費用を負担してくれる健康診断のとき、この医者についでに足の感覚がないと言ったら、足を見せろと言う。感覚がないと言っているのに足を見てどうする気だと思った。足にきいたら、足が「何も感じない」とでもいうと思ったのか。
案の定、ぐるぐる上から下から見て回ったあげく水虫があるからそいつを治療しようと言うことになって、妙なところへ一件落着と相成った。そのとき、足のしびれに効くビタミン剤があるが、処方しようとさも自信なさそうに言うので、それだよ、僕の欲しい薬はそれだったんだと思った。ところが医者はしびれが改善するとは言わなかった。実際に使ったことはなかったのだろう。
このとき、足の腫れと内科的病因の関連についてデータが何もなかったことは確認済みなのだ。ついでにいえば、内科的病因は精神的要因と深く関わっているという視点もいまの医者どもにはない。たいていの病気は精神的ストレスに原因があるのだが、そこを直すのは精神科だ、俺の領域ではないと決めている。その「精神」ではないというのにわかっていない。医学部で哲学を教えないからこういうことになる。身体は精神と別のものと言ったのはデカルトだが、死んだ身体を解剖でもしているならそのとおりである。ところがデカルトだってバカじゃない。生きていればどこかでつながっているという実感がある以上、それは別のものの振りをしながら一体なのだと言うことに気がつくわけだ。デカルトはその連絡器官がどこなのかを突き止めようとして、それは松下腺体に違いないと確信している。人間機械論と言って、上っ面をなでるだけではだめなんだと言うことである。
母親の晩年の足とそっくりだと説明しようと思ったが、やめた。あの医者の想像力ではとうてい間に合わないだろう。あたりまえである。僕の母親がどんなか知るよしもない。その母親の母親も同じような体質だったと聞いていたから、これは確実に遺伝である。遺伝というものは自然の法則みたいなものだから逆らっても無駄である。悪い方へいかないように願うしかない。こんなことをわざわざ医者に言いに行くバカはいない。医者の方も聞きやしない。そんな戯言につきあっているよりは素直な婆にせっせと要らぬ薬を配った方が儲かるからだ。僕としては、訳の分からない見立てをして無駄な保険料を使わせては、我が国民に申し訳がない。だから、ジッとして自然に治るのを待っていたのである。
ジッと待っていたと言ったのは少し嘘である。ときどき、さすがに腹が減って食糧をあさった。また、自動車の運転だけは、運転席に潜り込むまでやたらに時間が掛かったが、どうにかできるようになるとYの用事でこき使われた。たまに熱も出た。ボッーとして何も考えないように過ごした。このまま好色な瘋癲老人になったらどんなものかと考えたがどう転んでもそんな高級なものにはなりそうもなかった。世の中には少女愛好家の老人がいると聞くが、あいにくそのような趣味の持ち合わせもなかった。(昔読んだ臼井吉見の「事故のてんまつ」を思い出して書いているのだが、小谷野敦が書いた「現代文学論争」で取り上げられているのでそのうち川端康成の薄気味悪さについて書こうかと思っている。)
遺伝と言えば、父親の両親は八十六、七まで長生きした。風邪を引いたと思ったらころっと逝ってしまったから往生際はよかった。ところがその子供である僕の父親とその姉妹(と書くのは、男が一人だけだから)は七十才を過ぎてすべてきれいにそろいもそろってガンになった。それでも父は七十八だったから寿命である。母親の両親は、二人とも脳溢血で一年くらいの間に相次いでなくなった。六十六と七才だったと思う。その三人の子供は大病も患わず、僕の母なんぞは、空に白い雲が悠然として流れているとか何とか言って八十四でなくなった。
こうしてみると、あるものは確実に受け継いでいるという実感があるのに、実際遺伝というのも随分と当てにならないものだと思われる。だから両親がガンだからと言って自分もガンになるとは限らないというところが、何というか自然の妙で、不思議なところである。

そうやって、しばらくごろごろして過ごしているうち、気がついたら頭のふらつきがなくなっていた。何週間も酒を一滴も飲まなかったから、血圧が下がったのだろうと、内心しめしめと思っていた。そうして、まだ少し余っていた降圧剤を飲むのを止めたのである。
しびれに効くというビタミン剤(効いているんだかどうか効果のほどはさっぱり分からない代物だが)だけは、なぜか在庫があったので数ヶ月は薬をもらいに行かなかった。そろそろ、しびれビタミン剤の在庫も底をつこうという状態になって、暮れを迎えた頃から咳がひどくなって、年が明けたら治っているだろうと高をくくっていたがいっこうに治る気配がない。仕方なく、半分はのどの治療、半分はしびれビタミンほしさに医者のところへ出かけたのである。
と言うところでようやく最初に戻った。

のどの治療としびれビタミン剤を処方してもらって帰ろうとしたが、そうは問屋が卸さなかった。まず、血圧を調べられた。少し高め(降圧剤を飲んでも飲まなくてもそのくらいの数値である)だという。しばらく血糖値を調べていないからと言って血を採られた。低くなっているわけがない。
次に、高血圧の治験というものがあるが・・・といわれた。つまり、発売前の薬の試験につきあってくれと言うのである。ただで人体実験を受けると言うことだが別に断る理由もないから引き受けることにした。その治験担当という新しい女の医者が別の部屋にいたので、あなたは薬屋の回し者かと聞いたら、医院所属というので、薬屋もずいぶんな出費をするものだと思った。患者から金を取らないのだからこの医者の給料はいわば薬屋が払う勘定だ。どのみちめぐりめぐってこの金はいずれ患者が払うことになる。
カルテを見て、僕にその資格があるかどうか点検しているようだったが、糖尿病というので、僕は憤慨した。確かに血糖値が高いと言われたことはあるが、糖尿病と言われたことはない。第一、その治療を受けたこともないし薬も処方されたこともない。なのに病気と言われる筋合いはないとかみついた。思わぬ襲撃にたじろいだ女医者は、苦笑してもう結構という態度で終わった。
降圧剤はもうやめたといったのを隣で聞いていた医者が、こっちにお入りくださいと言って僕を呼んだ。
何で止めたのかというので、うちのものがあれは惚けるといったからというと、どういう根拠があるのかときく。そんなことは僕には答えられない。すると、私は惚けるとは思わないという。そんなことは知っている、惚けると知っていて処方するはずはない。とにかく十年後に惚けるというので止めたと言ってもそんなことはないと言い張るので、分かった今回は二つある薬の弱い方だけもらって帰ると言ったら、それで妥協した。
妥協したのも変な話だが、ともかくそれ以上話を続けてもしようがないのでおしまいにした。医者が薬を出すというのに患者がそれは要らないと言っている。お前の出す薬はあやしいと言っているわけでどうも奇妙な風景である。

次に行ったらまたなんだかんだ言いながら山ほど薬を出すことだろう。人はこうして年をとり、病気になっていくのである。長生きするのは薬のせいなのか、寿命なのかわけがわからん世の中である。十年たったら惚けるかも知れないがその前に死ぬかも知れないし、死んだとしてもそれで不幸であるどうかなどだれにもわからんことである。

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コメント

はじめまして。

癌と医療費、透析もですが、日本は何とかしなければなりませんね!

投稿: てつ | 2011年1月10日 (月) 23時20分

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