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2010年12月24日 (金)

「あの日、欲望の大地で」(The Burning Plain)を見た。映画の新しい楽しみ方

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シャーリーズ・セロンとキム・ベイジンガーの共演と聞けば見逃す手はない。しかも、演出はあの「バベル」と「21グラム」のシナリオを書いたギジェルモ・アリアガだというから損はないはずと思ってみた。

 

前の二作とも、全く関係のないいくつかのエピソードが交互に現れて、やがてそれが次第に縒り合わされ最後に人間の本質を突くような重い主題があらわになるという構成である。

 

わずか二時間あまりの映画の中で、複数のエピソードが関連性も時制も分からぬまま半分以上進行したら、観客の頭は疑問符だらけになって混乱してしまう。ところが、それらのシーンの中にはさりげなく伏線が張られていて、見ているものは、その小さな手がかりを頼りに少しづつ謎を解いていこうとするのである。まるで大きなジグソーパズルのあちこちの部分がまだらに浮かび、つながっていくような気分である。終盤になってそのスピードは加速されていく。複数のエピソードはいまや一つにつながり、ああ、そういうことだったのかと物語の全容が見えてくる。そして、それが完成する最後のピースが嵌めこまれると同時に見ているものに深い感動が訪れるのである。

 

こういう映画の文法は別に新しいものではないが、アリアガは一つ一つのシーンをこれ以上ないまでに鋭く削ってモティーフを際立たせ、その映像合理性と言ったものが映画全体に緊張感を醸しだして、知的な印象をつくり出す。よけいな修辞法は加えず、観客に伝えるべきひとつのこと、もちろんそれを受け止めた観客の心に起こるさざ波も十分計算に入れながら、それを描いていくのである。随所に小気味のいい編集の技がしかけられており、担当したグレイグ・ウッドの才能の高さを感じさせる。

 

Newmexicoplain

 

映画はタイトルもなくいきなり始まる。北米大陸西南部の砂漠地帯、数百メートルの高さに連なる山の麓の荒野で、青空の下、燃え上がっているものがある。次のカットで、カメラが寄ると、四十フィートのコンテナ大のトレーラーハウスが炎をまとっている。このたった二つのカットからいきなり、場面は曇天の朝の薄暗い部屋に変わる。

たとえばこの文法は、シルビア(シャーリーズ・セロン)という女が自分のアパートで男と寝た薄ら寒いその朝、全裸でベッドから抜け出て窓を開けるシーンで表現される。その後ろ姿は、もはや若くもなく中年の体型が始まりつつある女の肉体である。それが薄青い色調の影を帯びて映し出されている。このシーンを、たぶん女性が書いたものと思うが「彼女は顔は美人だが、脱ぐとそれほどでもない」と評したブログがあった。

 

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ベッドで眠りこけている男に、早く出て行ってと感情のない声で言い、窓から大きな橋梁を眺めている。学校へ向かう数人の親子連れが、河畔につけた細い道を通りかかると、そのうちのひとりが乳房もあらわに道を見下ろしている女の姿に気づいて立ち止まろうとする。低層のモダンな設計だが安普請と見えるアパートの様子がその一瞬に分かる。子供の視線を追いかけてそこに見えたものに顔をしかめた女親がそそくさと一同をせき立てて通り過ぎていく。

どうやら、他に帰るべきところがある男と愛のない関係を結んでいて、自分の裸をさらしても全く感情が動かないという女であることが、この数カットで分かるようになっている。Anohi1

 

ここでは、女の全裸に性的な魅力があってはいけないし、官能的に見えても困るのである。エロティシズムとは対極にある肉体を表現しなくてなならない。ここにいる女は、おそらく性に対して喜びとは正反対のもの、性的行為とは一種の罰であるという認識にとらわれていることを暗示しているようだ。だから「脱ぐとそれほどでもない」というが、「それほどでもない」ように撮影する必要があった。

シャーリーズ・セロンには、ゴージャスなドレスと宝石を身につけて城のような邸にご帰還すると、身につけたものを一個づつ脱ぎ捨てていくというCFがある。長身で細身、元モデルだけあってその歩き方や仕草は性的魅力であふれている。また、まるで針のように細く高いヒールを履いたパンツルックを地面すれすれから撮ったCFもある。足の長さが際立っており長身で顔とのバランスが人並みを外れている。その強調された体型の細さをイメージしていると、あのシーンでの落差には驚くに違いない。

その同じ朝、通勤のために同僚の女性の車に乗り込もうとすると、道の向い側に見知らぬ若い男がいてこちらの様子をうかがっている。

 

 

Naitoroadm

 

道には通勤の人々はいるがそれほど多くはない。NY、LA、シカゴなどの大都市のどこかという感じはない。高速道路の高架が縦横に走っていて、道の反対側にある駐車場の向こうではコンテナを連ねた貨車が低速で動いている。一体ここは何という街なのか。川には、千トンはあろうと思われる貨物船が停泊していて、交通の要衝といった趣なのだ。しかし、米国の中のどこなのかまるで見当もつかない。

 

Photo
やがて、車は海岸の道路沿いにあるレストランに着いた。崖の上に立ついわゆるオーシャン・ビューが売りの瀟洒な店である。パーキングから見渡す海は、切れ落ちた高い崖が複雑に入れ込んで続いていて、冬の風に沖まで白波だって荒れている。

この海は一体どこか?高い崖の上のレストランと言えば、真っ先に思い浮かぶのは東海岸のどこか、ボストンからメイン州にかけての海岸だが、冬の曇天とはいえ光の具合がおかしい。どうしても西に向いている感じがするのだ。長年日本海を見ていて、太平洋の日の明るさに驚いたものの直感である。しかし、西海岸の崖の上とは聞いたことがない。ロスからサンディエゴにかけての海岸を知っているが、ほとんど砂浜である。一体ここはどこなのか?

女は、このレストランのマネージャーであった。そして、朝ベッドにいた男はその料理人の一人であるとわかる。

休憩のために外に出た女が、岩場の先に腰掛けている。石のかけらをもてあそんでいるようだったが、やおらスカートをたくし上げて太ももをあらわにすると、それを内側に強くこすりつけて傷を付けた。自傷行為と分かる。次に、海に突き出した崖の上に女が立っている。激しく打ち付けられた波が高いしぶきを上げている。女は何度も危うくのぞき込んで、いまにもそのまま崖の下に消えてしまいそうに見えた。

 

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戻ってくると、店先で帰ろうとしている客に誘われる。それを断るが、次のシーンでは、アパートの駐車場にその客と一緒に現れるのであった。自殺願望と性依存症という傾向が見られるこの女は、なにか絶望的な苦悩を抱えて生きているのである。その一部始終を、若い男が朝から車で追いかけ遠巻きに観察している。

場面は唐突に、最初の砂漠地帯に切り替わって、強い日差しとほこりっぽさを強調するように明るい黄色を基調とするトーンにかわる。焼け落ちたトレーラーハウスの残骸が映し出され、そこへ三人の少年が現れる。ひとりが「ここで、親父は女と死んだ。」とヘッドボードだけそれとわかるベッドの痕跡を見つめていう。火の回りが早くそこで抱き合ったまま焼け死んだのだ。三人のうち二人は兄弟、一人はその友達だと言うことだが、帰り道で弟、サンティアゴが友達を連れてきた兄に「親父は見せ物ではない」と腹を立てている。

父親がなくなったのに母親はその妹らと家でカードをやっている。葬儀にも出ようとしない。埋葬を終えて墓地から引き上げようとすると、なくなった女の家族が待ち構えている。その夫と、下は五六歳の女の子、少し上の男の子が二人に十五六歳の女の子と四人兄弟である。夫は、悪態をついただけで帰るが、そのときサンティアゴが最後に引き上げる年長の女の子が気に掛かって見つめていると、向こうもこちらに気がついた。

ドミノゲームのテーブルがカットインするので、一瞬サンティアゴの家に戻ったのかと思うと、そこは飛行機の格納庫であった。農場の仕事を受けて空中散布する飛行機のたまり場である。電話が鳴って仕事の依頼が入ると、二人の男が飛行機に向かう。一人は、あのシルビアをつけ回していた若い男カルロスである。そばで数人の子供たちが遊んでいたが、中のマリアに一緒に来るように声をかけると十二三歳の女の子が飛び出してくる。カルロスと一緒に飛ぼうとしている男の娘であった。娘は、ナビゲーターとして一人前の仕事を期待されているのだ。

 

 

トウモロコシ畑の作業小屋で食事の準備をしながら、父親が飛んでいるのをマリアが見ている。

次のカットは、その畑の真ん中を通る道かと思ったら、また違う場所であった。この意外性でプロットを繫いでいく映画文法もアリアガらしいところである。The_burning_plainposter

 

中年の男ニック(ヨアキム・デ・アルメイダ)がトラックを止めて待っているところへジーナ(キム・ベイジンガー)が車でやってくる。ニックが、いとこからトレーラーハウスを借りることができたといって、例の場所へ案内する。二人は、互いに家族がありながら、目下のところ恋愛中であった。

ここまで来てようやく主要な登場人物が出そろうことになるのだが、どうやら、二人の中年の男女が不倫の末、トレーラーハウスで焼死した事件が発端になっているらしいと分かる程度である。それぞれのプロットが現在のものなのか過去あるいはさらにその過去の出来事なのか、関連性も分からないままである。映画は、そのようにして行きつ戻りつしながら進行するのであるが、その構成は、実によく計算されていて観客の心を引きつける。それを順番に追っていくとややこしいことになるので、大急ぎであらすじを紹介することにしよう。何しろこの映画は、筋立て、映像表現の魅力は言うまでもないのだが、そのことはともかく、僕の心に浮かんだ「なぞ」を解く楽しみの方を説明したいからだ。

 

 

あの海岸のレストランはおそらく実在する。あの映像の叙情性に惹かれてどうしてもその場所を知りたいと思った。そして、ブルートーンで撮影されたあの街のしっとりとして落ち着いた様子に魅了されて、そこがどこなのかも知りたいと思った。その話は後回しにして、ともかくあらすじである。

ジーナの夫は大型トラックのドライバーのようで留守勝ちだが、夫婦仲は悪いとは思えない。手術を受け乳がんを克服したばかりというから微妙に心がすれ違ったのかも知れない。からだの弱い母親に、ハイスクールに通う長女のマリアーナ(ジェニファー・ローレンス)が家事を手伝い、まだ幼い兄弟の面倒もみている。

ジーナとニックがどこでどのようにして知り合ったのかは全く省略されているが、ともかく彼らは一刻も離れていたくないほどに愛し合っている。

 

 

ジーナは、家事の合間を縫ってトレーラーハウスに出かけ、ニックとのわずかな逢瀬を楽しんでいた。やがて、母親の異変に気がついたマリアーナは、ある日学校をサボって母親の後を付け、トレーラーハウスを発見する。

ジーナは次第にぎくしゃくしてくる家族との関係を修復しようと、ニックとの道ならぬ恋に終止符を打つと決心する。それでもニックは、毎日正午にはトレーラーハウスで待っていると告げて翻意を促した。ジーナは毎日昼になると落ち着かなかったが、思いとどまっていた。

そんなある日、とうとう渇きに耐えかねたように、ジーナはトレーラーハウスに向かってしまう。マリアーナがそれに気づいて自転車で後を追う。ハウスの寝室を覗くと、そこでは母親が全裸で男と交わっていた。マリアーナは母親の姿に衝撃を受ける。そして、彼女は二人を脅そうと思って、かねて仕掛けておいたことを実行しようと決心する。

 

 

サンティアゴは、葬儀の日に見かけた同じ年頃の女の子が気になっていた。母親が不倫の末なくなってしまった娘はひょっとしたら自分と同じ気持ちなのだろうか? その母親はどんな人だったのか? 話してみたいという欲求が抑えがたく、近所に出かけて出会うチャンスをうかがっていた。

 

ジーナの葬儀の日、マリアーナが一人でコンビニにやってくるのを見て、サンティアゴはその店の中で声をかける。マリアーナは覚えていた。それをきっかけに二人はつきあうようになる。互いの家に行き、どんな家族だったのかを知った。マリアーナは大胆にもサンティアゴが留守の時に訪ねて、母親と談笑している。学校の友達だとだけ紹介した。夜の沙漠に出かけ、火をたいて二人で過ごした。

やがて、サンティアゴの兄がそれを知り、母親には家を出ていけと言われる。さらにマリアーナの父親の知るところとなり、怒りに震える父親がサンティアゴを襲おうとするが、すれ違いにマリアーナを家から連れ出して二人で逃げる。その明け方、トラックで目覚めると、マリアーナが妊娠を告げる。サンティアゴは、国境の向こうを指して、メキシコにいって三人で暮らそうという。

さて、トウモロコシ畑の作業小屋で食事を作っていたマリアが、飛行機の不調なエンジン音を聞いて外を見ると、異常な低さで飛んできた父親の飛行機がそのまま畑に突っ込んで、土煙を上げる。病院に運ばれた父親の片方の足はシーツにくるまれていた。病室にカルロスだけ呼ばれると、マリアには父親がカルロスの耳元でなにやらささやくのが見えた。

 

 

翌日、カルロスがいやがるマリアをせき立てて飛行機に乗せる。二人が降り立った空港は、あのシルビアが住む街であった。モーテルに腰を据えて、どうやらマリアの母親を捜すつもりらしい。

ここで、ようやくカルロスがこの街にいるいきさつが分かるのであった。

カルロスが、客と例のコックのもめごとに巻き込まれているシルビアを助けて、アパートまで送るとシルビアは彼まで誘惑しようとする。カルロスは、シルビアがマリアーナであることに確信を持てなかったことと、何よりも英語ができなかったために、街に来たわけを言い出せず逃げるように帰る。

そして翌日、街でシルビアをつかまえて、サンティアゴと娘が待っているというと「何のことだ、自分に娘はいない、もうつきまとうのをやめて欲しい」といって、追い払うのであった。

 

Steelbridge
追い詰められたと思ったシルビアは、街を逃げだそうとしてコックを誘うが、彼は妻子持ちで当然躊躇する。<

その日、シルビアがマリアーナだと確信したカルロスはマリアを連れてシルビアの帰りを待っていた。その姿を見つけると、シルビアは、逃げ出す。しかし、はじめてマリアを目にしたシルビアは動揺する。

 

Apartwithmaria

 

あの日、サンティアゴとメキシコに逃げて、その後女の子を産んだが、自分と母親の血が流れていることを思えば、子供を不幸にするだけだ、自分はそばにいない方がいいと考えて、生んで二日目にサンティアゴと娘の前から姿を消したのであった。マリアーナ十七歳の頃である。それから十四年がたった。

 

シルビアの心の病の原因はそこにあった。そのことに気づいているシルビアは翻意する。サンティアゴが呼んでいる。そう思って娘に会おうと決心し、街を立ち去ろうとしているカルロスたちを追いかける。探し回って、ようやく宿を見つけたが、カルロスも娘もドアを閉ざしたまま会おうとしない。シルビアは、彼らの部屋のドアが開くのを待とうと自分も同じモーテルに部屋を取る。

 

Palmsmotel

 

やがて、カルロスが荷物を車に積み込むために階下に降りるのを見て部屋に飛び込み、マリアと対面する。ぎこちなく名乗りを上げわびを言うが、マリアにとっては見知らぬ他人であった。マリアを連れ去るつもりではないかと、カルロスが慌てて戻ってドアが閉まる。

 

そして、ブルーから明るいイエローの色調に変わり、三人がメキシコの街の空港に現れた。病院では、サンティアゴが片足を切断するかどうか瀬戸際のうえに、感染症にかかって重篤なまま昏睡状態にあった。サンティアゴは怪我を負った時に、自分が死ぬ場合のことを考え、マリアを母親に託そうとその行方を捜しメキシコに連れて帰ることをカルロスに依頼したのだった。

 

シルビアは二人きりになった病室で意識のないサンティアゴを前に話しかける。ここではじめてあのトレーラーハウスの事故の全貌がカットインされ、明らかになる。シルビアはその事故の原因をつくった自分を許せなかった。誰にも話せないで自分一人を責めて苦しんだ。「サンティアゴ死なないで。マリアにはあなたが必要なの・・・そして私にも。」

 

マリアの家に泊まることになって、サンティアゴの部屋に入ると、あの十六歳のころに手渡したマリアーナの写真が飾ってあった。

 

この終幕近いところに、これまでのいきさつをなぞるようにいくつかの回想シーンが短く現れ、その中にさりげなくマリアーナが子供を置いて家を出る場面や、若い二人がメキシコに行こうと話してる場面が折り込まれる。アコースティックギターの音だけで小気味よく繫がれていく映像はこれこそ映画だという具合に見事だ。ジグソーパズルの完成は近い。

 

翌朝、病院の廊下で待っていると、医者がやってきて「どうやら乗り越えた。足の切断も必要がない」と告げる。意識も戻ったと言われて、病室に駆け込もうとするマリアが振り返ってシルビアを誘う。それに頷いて、ほんの少しほほえむと廊下を歩いて行く後ろ姿を追って二人が病室に消えると一瞬、間があって溶暗。

 

十代のマリアーナとサンティアゴの二人と現在の彼らは、それぞれ異なった俳優が演じているために、話がややこしく見えるのだが、それもアリアガの工夫であった。少年と少女から大人へと十四年の歳月が流れたのである。青春の過ちに苦しみ、それを浄化するに十分な時間ではないかといいたいようだ。

 

シルビアの頬にほんの少し笑みがさすという終わり方も、アメリカ映画らしいと言えばいえるが、再生への希望が見えて好ましい。

 

Anohi4

 

この映画を見終わって、どうしても確かめたいことができたといった。

 

それはまず、あの海岸にたつレストランがどこかということであった。日の傾きから西海岸のようであるが、カリフォルニアではなさそうだ。

 

というわけで、いろいろ調べた結果、まず、主なロケ地はポートランドだと言うことが分かった。ポートランドはメイン州にもあるが、ここはオレゴン州である。

 

このオレゴン州の海岸線で崖になっているところをグーグルでたどっていけばあるのではないかと思ってやってみたが、とてつもなく広いし、ストリートビューに出てくる景色は沙漠の砂が飛んでいるような赤茶けた色で情緒も何もない。効率が悪いので、映画の情報を徹底的に集めることにしたらどうやら特定することができた。

 

それは、Depoe Bay というところらしい。海岸線に沿って南北に走る国道101号線に面している。日本の国道101号線も秋田県能代市から風光明媚で有名な五能線沿いを北に向かっている。単なる偶然だが、光の具合がどこか似ている。それらしいところを狙って、拡大してみるが、何しろ映画とは似ても似つかない普通の田舎の国道だからなかなか見つからない。ごちゃごちゃやっているうちに、The Tigal Reves Seafood Restaurant という写真が見つかった。このあたりではよく知られたレストンらしい。道に大きな看板がでている。およそ百メートルくらい行きつ戻りつしながらやっているうちにとうとう見つかった。夏の海なので印象は大分違ったが、ロケ地である。

 

Thetigalrevesseafoodrestaurant

 

今度はポートランドについて調べようと思った。

 

アパートはセット撮影と言うこともあるので、実在しないかも知れないが、いろいろの橋が背景に出てくるのでその場所は特定できそうだ。

 

ポートランドのことであるが、てっきり海岸近くにあると思っていたら、百キロも内陸にあった。カナディアンロッキーから流れ下るコロンビア川の支流の一つ、ウイラメット川(Willamette River)の河畔に開けた街で、人口54万人、周辺の都市圏を合わせると約二百二十万人というオレゴン州最大の経済都市で、今なお発展を続けている。16キロ北で本流に合流した大河はオレゴン州アストリアまで流れて太平洋に注ぐ。河口は、シーフードレストランのある Depoe Bay から北に約百六十キロである。

 

1800年代半ば、街をつくった時の有力者が、メイン州ポートランド出身だったために同じ名前にしたと言うが、なんと安易な命名だったろうか。元々が英国の地名だから世界には三つのポートランドが存在するややこしいことになった。

 

川に架かる橋は、八本ほどあるがそれぞれ特徴があって、わかりやすい。アパートの窓から見える橋とシルビアがカルロスに呼び止められる河畔の遊歩道の背景にある橋は同一のものである。何度か確認して分かったこの橋は鉄骨で組んであり、真ん中の二つの塔にはさまれた部分が昇降して船を通す構造になっている。Steel Bridge という味も素っ気もない名前らしい。

 

そうなると、アパートから橋が見える角度を追っていくとそこにたどり着くかも知れないと思った。これが頭で考えているのと実際がどうしても合わない。窓は川に向いているように見えるが、どうも正面に橋があるようだ。東だと思っているのが南に向いているらしい。普通、建物は川と平行に建っているものだから橋が見えるはずはないのである。すると、この橋ではないのか。他の橋も当たってみたが、形状を見比べただけではとても特定できない。

 

ところがそのわけが判明した。Steel Bridge のすぐそばに上から見ると複雑な幾何学模様を描く建物群があったのである。せっかくの川と橋が織りなす景色を最大限見せようという目的で設計した結果、モダンで機能的なアパートになったという事例だろう。こういう建物ならどちらに窓があってもおかしくない。シルビアのアパートは南側に窓がある部屋だったのだ。

 

Steelbridge_2

ということは朝、女友達が迎えに来た道路もアパートのそばにあるに違いない。そう思って、近くの通りを探ってみたら、この一群の建物の敷地に入るところに駐車場があって、そこはシルビアがレストランの客を連れ込むシーン、カルロスが様子を探る場面で見覚えがあった。道との境界にスティールの格子の塀がある。それもそのまま同じだ。アパートは実在した。しかも敷地全体を使って撮影している。Sb

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その通りを調べると、映画では、ちょうど車が止まったところに消火栓が見える。ストリートビューで探すと、果たしてそれは駐車場の入り口付近で見つかった。そこに視点を移して車がやってきた方向を眺める。映画は望遠レンズを使っているから遠くの景色をグンと手前に引き寄せて絵として濃厚だが、確かに向こうの方に見えるのは同じ高速道路の高架らしい。それを発見した時は感激した。いま、カメラの位置と同じところに立っている、そんな気がした。

 

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Naitoroad
その道には、Naito Parkway という名が付けられているのに気がついた。日本人のナイトウさんかもしれないと思って、調べてみると、やはりこれは日系人の名前に由来するものだった。サム内藤(1921~)は成功した日系二世である。父親の代にポートランドに移住して、いまも手広く商売を営んでいるようだ。河畔には市に寄贈した土地があり、春になるとさくらが咲きほこる公園になっていて、その前を通る道が Naito Parkwayだったのだ。意外なところで日本に出会うものである。

ポートランドでの主立ったロケ地は、あとカルロスとマリアが宿泊していたパームスホテルがある。これは、グーグルアースに打ち込むと簡単に分かった。アパートから橋を渡って北へ三キロばかり走った通りに面している。シルビアは車を持っていないから、レストランの仕事仲間である女友達に足代わりを頼んでいる。その女友達がフロントと交渉している入り口も通りから確認できた。

マリアたちの部屋のドアから撮った場面の奥にこの看板が小さく確認できる。

Palmsmotelgoogl

他に挿入されるカットで印象に残った建物があった。オレゴンコンベンションセンターである。アパートから撮ったものと思うが、下の写真は少し位置がずれている。

Oregonconventioncenter

Photo_5

 

こうして、ポートランドのロケ地を確認すると、こんどはマリアーナとサンティアゴが暮らした中西部の街はどこか探してみようと思った。向こうはメキシコだ、とサンティアゴが言っていたから国境が近い。最初はエル・パソ近郊かと思って調べたらどうもロケ地は、それより七,八十キロ北に行ったラス・クルーセスという街らしい。

 

彼らの家のある周辺は、ランドマークになるようなものは全くなかったので、探しようがなかった。この街は人口が七、八万人、沙漠のど真ん中である。西側を流れるリオ・グランデ川の水を灌漑用水にして、農業が盛んである。周辺には岩山があちこちにみえるが、ここ自体が標高千メートルを超す台地なので、山々の高さは二千メートル達するものがありそうだ。

 

映画では、家々に植栽も多くゆったりした低層住宅が並ぶ普通の街のように見えた。ところがグーグルで見る街は砂嵐でもあったかのように赤茶けてほこりっぽい。映画の方がほんとうなのだろうが、ストリートビューで見る限り、みすぼらしい印象である。</

トレーラーハウスのように見えたものは、実際にはもう一回りぐらい大きいことが分かった。というのも、街の一区画にこのトレーラーハウスと同じものが何軒も同じ方向に並べて建っているところがあって、こういう簡易住宅は、この地方の文化なのだとみてとれる。車を着ければ移動可能なのだろうが、通常のものよりも住宅としての機能が大分充実していそうだ。ジーナが、ニックにお湯が出るようにして欲しいといったのは、もともと街にあったものを運んできたからなのであり、見慣れたものが沙漠の中におかれても誰も不審には思わなかったであろう。

 

ここはジーナの家とニックの住む街との中間地点だという台詞があったが、ジーナの住む街の方は特定できた。ジーナの葬儀の様子を見ていたサンティアゴが、マリアーナの後を付けていくと、いったん家に戻ったマリアーナが買い物に出てくる場面がある。近所のコンビニに向かうマリアーナの後を追う。そのコンビニの名前が「Aguirri’s Mini Mart」で、それは実際に存在した。

Photo_2

ラス・クルーセスでのロケ地追跡は、ここであきらめてしまった。それほどストリートビューが充実している訳でもないし、僕の興味もそこで尽きた。

 

海辺の崖の上に立つレストランが西海岸にあるのか、それとも予想通り東海岸のどこかなのか確かめたいというのがきっかけだった。そして、冬の曇天のもとにあったポートランドの街が魅力的であったために、いや、それとシルビアの謎めいたふるまいがない交ぜになって、一層この少しおしゃれで落ちついた風情の地方都市がどこにあるのか知りたくなった。

 

画面から場所を推理して、グーグルで探った末にストリートビューでその撮影現場を発見することが、無上の喜びになった。暇な奴だと笑っていただいても結構である。それもこれも、映画そのものにそれをさせずにはおれなかった面白さと説得力があったからだといえる。そんな映画には久しぶりに出会った。

 

映画ではジーナ(キム・ベイジンがー)とニックのむつみ合う場面とジーナの家族との絆が揺れ動いている場面がふんだんに出てくるが、それについてはつらいので書くのを省略してしまった。不倫というものがもたらす代償がいかに高くつらいものか、人はそれが罠とわかりかけていながら、甘美な時に誘われおぼれてしまうのである。マリアーナは、十四年もの間苦しんで、ようやく夫と娘の元に帰ることができた。マリアーナが病室に消えたあと1~2秒だけ誰もいない廊下が映って終わる。マリアーナがあちら側にいけたのはほんとうによかったと思う。

 

 

 

 

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コメント

サンフランシスコに住んでいたことがあるので、映画を見てロケ地がどこなのか非常に気になりました。仰っていたように西海岸に違いないようなのですが、どこなのだろうかと。ネットで調べてこのサイトに来ました。本当に良く調べてあって感心しながら拝読しました。納得です。もう一ヶ所の中西部に関しては、案外ロサンゼルス近郊で済ませてしまうことが多いので、本当にニューメキシコだったのには驚きました。
ありがとうございました!

投稿: E.Yamashita | 2011年10月 2日 (日) 23時17分

素晴らしい検索ですね。
ご苦労様です。

最初、映画(DVD)を見始め(途中)複雑化するようだなと思い
これはあらすじを大まかに見てからのほうが良いかな…と思っての検索でした。
結局は映画を見終わってから拝見させて頂きました。
感想として
やはりアメリカ大陸って雄大で謎めいているなあ〜と思いました。
だからアメリカ映画が子供の頃から好きなんだな(苦笑)

投稿: M.SUNAKAWA | 2015年5月 1日 (金) 16時33分

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