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2010年12月20日 (月)

御正体山登山(2004年)

2004年
10月11日、
雨の中御正体山登山
かすべの話は一旦休止。
昨年十月の八ケ岳連峰、天狗岳(標高2646m)登山から一年ぶりの山行きであった。毎年初夏から秋にかけて関東周辺の山へ十回以上は出かけていたが、今年はなかなかそんな気分になれないままとうとう秋になった。去年のシーズンオフには今年最初に登るのを甲武信岳(2475m)にしようと決めてルートなどを調べていた。
話はそれるが、東京から最短のアプローチといえば甲州側の雁坂峠である。ところがこのルートは標高差が1000m以上あり行程も長いことから日帰りは無理とふんだ。そこで地図をよくよく眺めると信州側へ回り込み毛木平からのルートを発見した。毛木平からは十文字峠に向かい武神白岩山(2288m)に登り三宝山(標高2483m)を越えて甲武信岳頂上を踏むのが普通のルートらしい。
ところが見ただけでアップダウンが激しく、身体に応えそうな上に少し気になることがあった。躊躇したのは、三宝山の方が標高が高くまわりと比較しても山としては格上に見えたことである。つまりこの山の頂上に至ってさらに標高の低い甲武信に向かうのは順番が逆のように思えたのだ。
深田久弥は甲武信岳について「昔から名山とたたえられた山ではない。頂上に祠もなければ三角点もない。奥秩父には甲武信より高い峰に国師や朝日があり山容からいってもすぐ北にある三宝山の方が堂々としている。」と書いている。にもかかわらず百名山に選んだのは古武士に通じる名前と甲州武州信州を分ける奥秩父のへそのような存在だからというのである。僕は百名山信奉者というわけではないが、三年前この近辺の金峰山に登ったときから次は甲武信と決めていた。そこで、毛木平から十文字峠、三宝山を経由せずに直接甲武信岳の頂上を目指す千曲川源流歩道と言うのをたどることにしていた。これなら、標高差は千メートル以上でも行程は短い。日帰り可能な範囲であった。
Yが独逸出張から帰ってどこか山へ行こうというので、行くなら甲武信岳と決めていた。ところが秋の長雨が続いてなかなか機会が訪れない。十月九日の大嵐のあと台風一過で晴れると期待したがこれが冷たい雨。雨で登れないならわき水を汲んで帰ってこようと覚悟した。谷川岳の湧水が底を尽きかけていたからだ。わき水は近場では道志までいって「道の駅」に湧いているのをいただいてきた。
そういえば、道志山塊の御正体山の登山口にわき水の汲み場があると何かに書いてあったのを思い出した。道志山塊は山梨県の東にあって北東方向に延びる短い山脈である。道志川を挟んで反対側は神奈川県の丹沢山地で、千メートルを越える山々が重畳と連なって先は太平洋におちている。道志山塊は丹沢に引けを取らない高度を保って、やがて山中湖に稜線を下ろしている。御正体山はその最高峰にして盟主、甲武信岳のかわりを務めるにふさわしい風格を備えた山だ。そこで急遽、今年最初(で最後か?)の山行を御正体山に決めたのであった。
水くみ場は都留市と道志村を結ぶ国道沿いにあるらしい。この細川という登山口はもっともポピュラーで神社が集中するいわば表口なのだが、行程が長いうえに標高差が千百メートル程あって少し難儀である。道志側から登るルートは高速道路が通っていないのでアプローチに時間がかかる。地図を眺め回しているうちに鹿留川源流というなつかしい名前が目にとびこんできた。
池の平という登山口は国道135号線の東桂から鹿留川を遡行したところにある。表口の細川とは反対側にあたる。途中ホリディロッジ鹿留があって、ここの管理釣り場には十年以上通った。山登りをするようになって次第に釣りから遠ざかったが、以前は会社に向かうつもりで家を出て気がついたら富士急行に乗っていたと言うほど夢中の時もあった。海釣りもしたが、最近は全く忘れている。
この釣り場がもっとも奥だと思っていたがさらに道は続いていたのである。ここは標高差900mあまり行程は細川より少し短い。ここから登ることに決めた。
朝4時45分、東京を出るときは小雨が降り続いていた。談合坂辺りで止んでいたが都留インターを下りたときはこぬか雨より少し強く降っていた。6時過ぎにいまは「フィッシュオン鹿留」になった管理釣り場の池に到着した。

 

(次はいよいよ登ります。)
管理釣り場は午前6時から始まる。冬場はまだ暗いうちに受付をすまして開始の時刻を待った。休日は混雑するので池の上流に向かい、渓流をいくつかせき止めた川でフライを飛ばした。十年近く来ていなかったが、この日は休日にも関わらず駐車場に空きが目立った。ここを設計した人は英国式のフライフィッシングエリアを初めて日本に紹介したことで有名になった。そのせいで、我々が盛んに訪れていたころは、デザイナーやカメラマンなどいわゆるカタカナ商売の連中が多く、車のナンバーも東京や神奈川が多かった。久しぶりに来てみると、地元ナンバーがほとんどで、池のそばにあった売店と食堂を兼ねた建物は閉鎖されており、朝早くから大勢いた若い従業員の姿も全く見ることがなかった。「失われた十年」のダメージがこんなかたちで現れているのかと心が痛んだ。感慨にふけっているのもつかの間、再び鹿留川をさかのぼる林道に戻り、水かさを増した川を右にみて砂利道を走る。やがて前方に木製のアーチ型の橋が見えた。川の両端に石垣を積み、半円形に作った二枚の木の端を渡して、それで橋げたを吊って支える構造である。脇に立て看板があって丁寧に自画自賛した説明があった。しかし何故こんな山奥におもちゃのような橋を造ったかについては言及していない。川幅十メートルくらいの地形から言ってそんなものを作る必然性があるとも思えないからひょっとしたら役人か誰かの思いつきだったのか。アーチと言っても牛車の車を半分に切って逆さに置いたような造形でその幼児性は建築物というより悪い冗談のように見える。
そこが池の平だった。車が一台止まっていたので、挨拶したらあいまいな返事をしてすぐに立ち去ってしまった。単にドライブだったのかもしれない。橋の手前から左に上る舗装道路があるが、鉄パイプと馬で組んだ車止めが厳重に阻んでいた。橋を渡ってそのまま進めば忍野村、あの富士の湧水忍野八海で有名なところに出るというのだが、にわかには信じがたい。さっきの松本ナンバーはそちらに向かったようだ。さてどこに登山口があるのか。車止めの向こう、道路とは逆の方に平らな広場が見える。雨はこぬか雨程度に収まっていたから、いけるところまで行こうと覚悟を決めて、この広場を探ると果たして登山道の石碑はすぐに見つかった。車は橋のたもとに置き、身支度を整えて出発する。どこの山へ行っても車の二三台は停まっているものだが、さすがに今日は雨である。我々だけとは淋しいが、たまにはいいだろう。午前七時、池の平登山口を出発。

 

ごうごうとすさまじい音を立てて流れる川を右に緩やかな傾斜の道をたどる。ところどころコンクリートが打ってあって、泥濘みには轍のあとが残っている。車はどこから入ってきたのだろうか?一年ぶりに登る山道がとりあえず整備された林道でゆっくりと歩けるのはありがたい。身体は登りに次第に慣れていくもので、そのウォーミングアップができる山は少ない。会津駒ヶ岳(2,132m)谷川岳(1,977m)などはいきなりの急登で相当にこたえた。雨は相変わらずだが空が少し明るくなった。これならどうにかいけそうだと思い始める。
川には土砂を止める堰がいくつか作ってあり、かなりの水量が滝となって落ちている。その音が我々の声をかき消したが、会話をする余裕はまだあった。あまり負担を感じることもなく軽く汗をかきながら二十分ほど歩くと鉄板を敷いた橋で川を渡る。こんどは左に川を見て登るが、傾斜が少しきつくなったような気がする。道は次第に本流から離れた。川音が遠ざかったところで、突然空が開け、林道は行き止まりになった。車四五台は停められそうな広場になっている。ここまで標高差二百メートルを登ったことになるが、全くそんな気がしない。いよいよ登山道である。ここで雨がひどくなってきたのでリュックにカバーをかける。いくつかの沢が流れる間を縫うようにごつごつした岩道を上る。クラミ沢というところらしい。この沢から離れるころからきつい登りが始まった。プラスティックの部品を使った土留めは初めて見たが、この階段では一年の空白を思い知らされた。
突然下から人声がするので追い越してもらう。背中に竹かごを背負った中年男性と少し若い人だが、いでたちからいって、山登りではないらしい。「下の車はあんた達?早いねえ。」品川ナンバーをみてそう思ったに違いない。彼らは息も上がっておらず軽々と登っていった。こちらは休み休みゆっくり登るうちすっかりYに後れを取ってしまった。途中地蔵が二体あって信仰の山なのがうかがえる。
やがて傾斜が少し緩くなり小さな沢音が聞こえてくる。細く緩い流れを何度か徒渉して再び登りにさしかかる手前に水場があった。流れから一段高くなった土の真ん中に小さなパイプが突きでていてそこからち水が落ちている。沢の水かそれとも土から湧いているのか定かではないが、小さなひしゃくが置いてあるところを見ると間違いなく飲み水である。真夏ならば多いにありがたいところだがあいにく汗はそれほどでもない。口に含むと味はないがぬるかった。ペットボトルに少し足して出発。

 

飴をなめたのは正解だった。ブドウ糖が脳に供給されて頭がはっきりする。筋肉の疲労も多少は解消されるような気がするものだ。
沢道の脇にはところどこに白菊に似た可憐な花やリンドウよりは小振りの青紫色した花が咲いていたが、高度が上がるにつれて次第に見えなくなった。花も木も植物の名前はにわか勉強でちっとも身に付かないのが残念だ。覚えたら二倍楽しめるのにと思っている。
傾斜はところどころきつかったが三十分も登らないうちに上人堂跡に着いた。そこは二十メートル四方もあるだろうか、山を平坦に切り開いた場所で草の間に平らな石が転々とあるのは柱を支えたものであろう。雨が篠つく程になったのでうっそうとした木々の葉陰に腰を下ろし、しばし休憩することにした。妙心上人は江戸末期の人。諸国行脚の末に鹿留を修業の地と定めここを開山、御堂にこもり座禅断食の上即神仏となった。明治になって排仏毀釈の嵐はこの山奥にまでおよび御堂は取り壊され御仏は上人の故郷岐阜の寺へ移送安置されたという。ぽっかりと開いた空間が、人間のイデオロギーというか=想念の過酷さを物語っていて現代の「寛容」ということについて考えさせられた。
雨具を着るほどでもないと判断して、出発することにした。ところがここから稜線に向かう斜面が行程中もっともきつい登りだったことに気づいていなかった。例のプラスティックの階段が続き足場は悪くないが身体を持ち上げるのに息が切れる。ハアハアいって呼吸を調えるが一年のブランクで膝を覆う筋肉が完全に衰えているので足のほうが上がらない。上を覗いてもだいぶ引き離されたみたいでYの姿はもう見えない。膝がきしみ、大した荷物も入っていないリュックが肩に食い込み首が痛い。ここまで来れば戻る訳に行かないと歯を食いしばる。振り返るといま登った急斜面が足下に見えよくやったという気になるものだ。停まっては振り向き息を整えた。汗が飛びボトルのお茶の消費も早い。
いつの間にか雨が上がり木の間から雲が上がっていくのが見える。苦しさは相変わらずだ。四五十分ほど登ったろうか、上の方からYの声がする。木の間がわれてようやく稜線に飛び出した。白木で作ったベンチに何事もなかったかのようにYが鎮座していた。左の稜線を下りると表玄関とも言うべき細野に至る。
雲はあったがまばらになった木の間から少し遠景が見えるようになっていて意外な高さ(1588m)にいることが分かった。標高差八百メートを登ったことになる。地図に峰宮跡とあった。
小休止してようやく緩い登りの稜線をたどる。少しいくと木を払った狭い空間がありほんの小さな石造りのお社があった。峰宮とはどういう関係なのか?と思ったがあとで実はそれが新しい峰神社だとわかった。
そこから少し下りになった。どんどん下る気がしたのでYが文句を言った。折角登ったのにもったいないというわけである。にもかかわらず痩せ尾根を下り続けやがて大きな岩に行く手を阻まれた。抱きつき岩と呼ばれるところだ。道は岩を回り込んで固定ロープを伝いさらに下って両側に切れ落ちたところからこんどは登り返す。
やがて尾根は終わり、黄色に色づいたブナの木立ちの中を笹を払いながらゆるゆると登っていく。頂上は近いはずだがなかなかたどり着かない。やがて林の中に低い潅木で囲んで作ったような空間が見えてきた。見回すとそこより高いところはない。頂上だ。真ん中にニスで塗った白木のテーブルとベンチがある。そばの草むらに三角点の石標があった。雲が北東方向に流れ時々陽が射した。ベンチの雨のなごりをぬぐってとりあえず腰を下ろす。午前十一時半に近かった。

 

食欲はなかったが、とりあえず柿と梨の剥いたのを食べた。果物を頂上でいただくというのは数年前からの習慣である。水分と甘みの補給、それに気分も晴れるような気がする。コンロをとりだしてお湯を沸かす。Yはカップ麺をとりだすが気圧の関係でぱんぱんに膨らんでいる。僕はコーヒーにした。頂上でレギュラーコーヒーを飲むのも決まりごとである。サンドイッチをすすめられたがこれはのどを通った。
陽が射していくぶん紫外線が強くなった気がする。食事の後は頂上の様子を見て回った。大菩薩嶺と同じように大きな広い頂上である。ただしあちらは針葉樹の林だ。そろそろ下山しようと準備していると我々が登った方向とは反対側から男性が一人現れた。山伏峠から登ったという。山伏峠は道志から山中湖に抜ける国道を右に入り山塊の稜線をたどる。道志側からの主ルートである。話したくない様子だったので早々に退散することにした。抱きつき岩までは緩やかな下りである。それから登り返して小さな社に到達するとそこからは稜線との分岐、峰宮跡まで下る。
分岐の手前で話し声が聞こえてきた。ベンチのあるところだ。すっかり雲が晴れてまばらな木々の間から桂川を挟んで御坂山塊の山々が見えた。手前の三つ峠山(1,786m)が高く大きい。数年前裏側から登ったときは全体が見えずにこんなに高くは感じなかった。しかし、今見ると富士をのぞむ展望台の名に恥じない雄大な立ち姿である。この景色を見ながら二人の若者がコンロに鍋をかけて食事していた。これから頂上ですか?と声を掛けると、いや下りるところだという。えっ?我々とは会わなかったではないか?その表情を見て、岩があったでしょう、あそこから引き返してきましたという。彼らは仕事で登ったのだ。してみると、赤と白交互に塗った棒を持っている。測量でもしに来たのか?三ツ峠山をバックに写真のシャッターを押してもらった。
さてここから上人堂跡まではきつい下りになる。既に膝に来ていた。ブレーキをかけながら下りるのは登りとは違う筋肉を使うが、鍛えてないとこちらの方が早くばてる。膝をかばいながらストックの助けを借りて一歩一歩下りる。そのうちに大腿部の筋肉が痛みだした。登りと違って息が切れるわけではないからあまり休むわけにもいかない。痛みに耐えていると首まで動かなくなった。とにかく上人堂跡まで行ったら休めると思って拷問のような下りを続ける。
痛みに顔をしかめながら少しづつ下りていくと右手のはるか下の方に水音が聞こえてきた。どうやら上人堂跡は近い。きつい傾斜の道が蛇行しだした。大きな岩が見えてくる。岩の向こうが平坦になっているのがわかる。もうすぐだ。気は焦るが痛みのために歩は進まない。やっとの思いで上人堂跡へ下りてきた。
リュックもストックもかなぐり捨てて石の上に腰を下ろし足を伸ばした。不思議なもので痛みとか疲れとかは感じない。とにかく何かから開放された気分である。しばらくして立ち上がってみた。少し痛むが普通に歩ける。つまり一定の筋肉だけが使われた結果そこが硬くなってしまったのだ。太ももをマッサージすると痛い事は痛いが元気が戻ってきた。ここから先は途中に少しきつい下りがあるだけでたぶん順調に下りられるだろう。
十分ほど休憩しただろうか、僕らは沢音が一段と高くなった道を再び下り始めた。傾斜は比較的緩やかに感じた。水場を通りすぎるあたりからきつくなった。うしろから声と足音が聞こえ、あっという間にさっきの二人が現れ、飛ぶようにして追い越していった。それから林道の終点までは蛇行して下りるので痛みも大したことはない。
しかし、林道に戻ってくると傾斜はそれほどでもないが一定の角度で延々と下りが続く。これが案外こたえるのだ。僕らは時々ジグザグに歩いたりした。そろそろ橋のたもとに近づいたと思ったあたりで前を歩いていたYが突然大きな声を上げた。見るとYの足下一メートルほど前を長い蛇が横切っているではないか。蛇も急いでいるらしい。僕らは草むらに逃げていく蛇を見送った。たぶんヤマカガシだったろう。マムシなら大きくないし向かってくることもある。Yは山で蛇にあったのは初めてで、少し興奮していた。それからしばらく黙々と歩いて、橋の見える広場についた。御正体山登山は終わった。

 

登山記念に山名の入ったバッジを購入するのが恒例だった。大概は山小屋で手に入る。むろん御正体山はアプローチに困ることはないから山小屋はない。帰りにホリディロッジ鹿留に寄って確かめたが売っていなかった。フロントでフライやルアーを並べているお嬢さんが「なんのこと?」という不思議な顔をしていたので、裏手にある高い山に関心がないことがわかった。登山口と言う発想がないのだ。この山のいまひとつ不人気なのは頂上に眺望がないことだと思う。しかし、登りがいのあるいい山なのは確かだ。もう一つの観光資源として考えてもよさそうなものだ。
しばらく朝見た池のそばでフライを飛ばす釣り人の様子を見て、午後三時過ぎに水くみに向かった。国道から道志山塊を抜ける峠道への分岐はすぐにわかると思って走ったが、これが見当たらない。都留市は古い町で道が入り組んでいる上にトンネルでバイパスをつないでいるややこしさだ。迷いに迷ったあげく何人かに聞いてようやくそれが細野というところにあることがわかった。いくつかの道を通るうちだんだんと一つにまとまって峠へ向かう一本道になった。そこからほどなく御正体山登山道の看板が見えた。写真で見た水くみ場は神社の大きな石碑のそばにステンレスの台があって、いくつかの蛇口からちょろちょろわき水が出ているものだった。しかし、どうも様子が違う。そこには地中から生えたような直径5センチはあるU字型に曲がった太いパイプが一本あって、その先から下の堰に向かって恐ろしい勢いで水がほとばしりでている。それだけだ。変な廃水でも汲まされたらかなわんと思って、山道を上に向かってその蛇口ちょろちょろを探すことにした。うっそうとした杉木立の中を登っていくと人家の多いところに来たので、家の外で作業をしている人に聞いてみた。するとあののパイプのことをさして「日本一うまい水だ」とのたまうのである。たぶん改装したのだろう。やれやれ、と思って引き返した。20lのタンクは数秒で一杯になった。こんな水量に出会ったのは初めてである。車をそばに置けるのもありがたい。あっという間に作業を終えて今日の最終目的である温泉に向かうことにした。もう陽は傾いている。温泉は、あらかじめ調べてあった。法能温泉。バイパスにあると書いてあったがうっかり通り過ぎてしまいUターンした。沸かし湯だが何か石を通してあり、それなりの効用があるらしい。何よりもしびれた足先を伸ばして体を湯に浮かせるのがいい。幸い風呂には僕一人だった。体が自分のものと感じられないほど疲れていたのでいつもよりはるかに長風呂した。しばらくロビーのソファに座ってYが出てくるのを待っていたら、宴会の客で忙しくしていたおかみさんがあめ玉を持ってきてくれた。御正体山に登ったといったら多少は感心してくれると思ったが、疲れたねえといったきりだったので内心がっかりであった。山登りには関心が薄いのだろう。外にでると雨がぱらついていた。暮れかかった甲斐路を走って家に向かう。
こうして、一年ぶりの山行きは終わった。体の上に乗っかっていた重しがとれた様な気がして久しぶりに爽快な気分になることが出来た。こんど甲武信岳に行こうと思う。いつになるか?ひょっとしたら雪が降っているかもしれない。






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