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2010年10月25日 (月)

「正義・・・」が92刷りになっちゃった

出かけたついでに近所の紀伊国屋に寄ったら「これからの『正義』の話をしよう」(マイケル・サンデル、2010年5月、早川書房)がなんと92刷りになっていた。おまけに「ハーバード白熱教室講義録+東大特別授業」(上下二巻、早川書房)が平積みされている。東大特別講義は録画しておいたものをみたが、オバマが広島で謝罪すべきかどうか、あるいは日本のアジア侵略に対する謝罪は如何などという通俗的な問題提起でたいしたものではなかった。別に期待などしていなかったからこんなものだと思っている。「東大特別講義」の本の方はぺらぺらめくってみたが、さすが早川書房の編集だけあって、わざわざ読むこともないと思った。商売の邪魔はしたくないので、興味のある人には是非読んでみて欲しい。
上のことと直接関係ないが、ポストモダン批判のことを読んで大いに笑ったことをこのときどういう訳か思い出した。
小谷野敦のブログをたまに読んだりしているが、この間うち、少し本の方も読んだ。おおよそ正論を吐いて世の常識に逆らっているのはたのもしい。

 

「ところで、私がラカンについて書いたことを読んでびっくりした人がいるかも知れないのでいっておくが、いわゆる「フランス現代思想」とか「ポストモダン」とか「ニューアカデミズム」とかでもてはやされた「思想家」というのは、学問的にはほとんどインチキである。その中では文化人類学者のレヴィ・ストロースくらいがまともな学者と言えるくらいだ。
ラカンの他、ジル・ドゥルーズ、クリステヴァなどは、文章を論理的に読むことができない。ソーカルは、これら「思想家」の文章の中から、特に訳が分からない部分を抜き出して批判したが、浅田彰とか東浩紀とか、そういう思想家を持ち上げてきた日本の批評家たちは、この問題について何の総括もしていない。」(「日本文化のインチキ」幻冬舎新書)
などという調子である。

 

ソーカルというのは調べてもらえば分かるが、学問的にでたらめな論文をいかにも意味ありげに書いて送ったら権威ある雑誌がまともに取り上げて、大恥をかいたどころか、そもそもこれまでの論文の内容が疑わしいとなって大騒ぎになった事件の張本人である。
「ドゥルーズなどは、文章を論理的に読むことができない。」というのは、あの「千のプラトー」や「アンチ・オイディプス」を読もうとして挫折したことのある身には、実に溜飲を下げる思いである。

 

しかし、いかんせんどんな正論でも、文体になんだかひがみ根性が大いに混じっているところが惜しいと思う。それが持ち味だと言えば言えるが、せっかくの正論だから、堂々と開陳したらどうでしょうと申し上げておきます。

 

ここで思い出した。
サンデル先生に関連して、読売新聞の「編集手帳」の記事を取り上げたことがあったが、あれは哲学の効用を消極的に擁護しただけだといって、そのままにしてあった。続くと書いた以上いつかは続けないとと思っていて、今日それを書く予定だったのに、さっき飲んだブランディが効いてきて眠くなった。
ということで、取りあえず寝ることにします。明日になったらまた忘れているかも知れません。

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