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2008年12月

2008年12月16日 (火)

劇評「幕末純情伝」

Bakumatu
Motherf×cker、英語圏でよく使われる悪態だ。
劇評としてはこの一言で終わってもいいのだが、それでは身もふたもないから少しその理由を書いておくことにする。

春をひさぐ母親の、その生業(なりわい)の寝床の後ろで、息子の少年が母親の裸の尻を押すのだそうである。つまり息子が母親の商売を手伝っているという光景なのだ。これは登場人物の一人である高杉晋作だったか誰だったか忘れたが(この際誰でもよろしい)、その悲惨な少年時代を長々と涙ながらに語ってみせるせりふに出てくるものである。性交中の母親の尻をどうやって押すことができるのか、その姿勢は実に想像しにくい。とっさに頭の中でやりくりしてみたがとっても難しかった。
想像しにくいということは、その表現に嘘があるのだ。嘘と気付いていたかどうか、ともかくいかに惨めな少年時代だったかを表現したいために、ここは嘘があっても何でも勢いだから過激に語らねばと思ったに違いない。この底には、世界(世間といってもよい)に対する怒りであり「恨み」がある。どうだ、これだけひどい目に遭ってきたのだぞ!といっている。
しかし、ストリップ小屋のコントでもあるまいに、新橋演舞場でこういう話を聞かされると正直なところきわめて恥ずかしい思いがする。僕自身、公序良俗という点では常識よりもはるかに寛容だと思っているが、これは限度いっぱいだった。無論、規制しろなどという気は無い。ただ、不快な思いをしたのは僕だけだと願うばかりだ。

もちろん、これだけでも十分Motherf×ckerにふさわしいのだが、全体としてやっていることが単なる思いつきで支離滅裂、国家論も戦争観も憲法論やデモクラシー、フェミニズムに至るイデオロギーのような議論も錯乱の極み、一切合切男と女の愛情に還元するという乱暴な話では、評価に値するような舞台ではなかった。

観劇記録からどうして落ちたのかわからないが、1989年のパルコ劇場、初演は確かに見ている。沖田総司が実は女だったという想定は、意表をつく思いつきで、まだ二十歳そこそこの平栗あつみが主役の沖田総司に抜擢されて話題になった。やたらに刀を振り回す芝居だという記憶以外あまり覚えていないが、確か労咳の沖田総司は、勝海舟の父親が河原で拾ってきた子を育てたということだった。勝海舟は「兄上」という想定になるわけだ。その勝のもとへ坂本龍馬と岡田以蔵が現れ、海舟と龍馬、それに近藤勇、土方歳三、桂小五郎らが女である沖田総司をめぐって恋の鞘当てならぬ本物のバトルを繰り広げるというものであった。「純情伝」とあるくらいだから構造的にはややひねこびた恋愛物といえるが、宝塚を下品にして裏に返したような奇妙な感覚の芝居だった。

勝海舟と龍馬、岡田以蔵がため口を聞くというのも史実とは大いに違うので甚だしく違和感を持った。おおかたは知っているだろうが、海舟は文政六年(1823)の生まれ、天保六年(1836)生まれの龍馬よりも一廻り以上も年長で、しかも海舟は龍馬の師である。
坂本龍馬は、文久三年(1863)暮れに岡田以蔵とともに開明派の幕閣、勝海舟の屋敷を訪ねている。話し次第では勝を斬ろうと思っていたが、逆に感銘を受け弟子入りしてしまった。この時、自分らのような不心得者がいるに違いないと、用心棒に岡田以蔵を残している。ある時二人が京の街中を歩いていると、いきなり三人の浪人が海舟に斬り掛かってきた。脇にいた以蔵が、素早く一歩進むと居合抜きでこれを斃す。人斬り以蔵、面目躍如といったところだが「そんなに人を斬るものじゃないよ。」とたしなめると以蔵が「俺がやらねば先生が斬られるところだった。」と平然としていた。後にこの思い出を「以蔵の言う通りだった。後にも先にも、あの時ほど肝を冷やしたことはない」(「氷川清話」)と述懐している。

こういう話はすでに周知として、それをわざわざひっくり返して見せる。 それは隠喩やパロディ、あるいは寓話性とか、何かしらの文学的効果を狙ったものではない。そこには何の意味も無い。ここで留意すべきことは、史実にたてつくことで生まれる権威とかエシュタブリッシュメントの否定、異化効果という点である。つまり、つかこうへいにとっては「ひっくり返す」こと自体が重要だったのである。この、世間を敵に回して権威にたてつく、一種「否定」のエネルギーは、つかこうへいの心の非常に深いところに巣くっている「負債」から来ている。これがすなわち、つかの芝居の核心を形成しているものであり、彼の作品が吐き出す毒の正体である。
そのように人は居直ってしまえば、恐れることは何もなくなる。誰と誰がため口を利こうと、品性下劣だろうと時空が飛ぼうとやりたい放題である。それが結果として面白い劇になれば、客は集まるだろう。唐十郎と寺山修司が新劇をぶち壊して整地しかかったあとへやってきたつかこうへいは、彼らよりもちょっぴりだけ政治の匂いがして、そのちょっぴりさ加減が後に続く世代に受けたのである。彼は全共闘世代であり、政治の季節を通過している。
ついでに言えば、その政治の匂いの残滓みたいなものを引き継いだ最後の世代が野田秀樹と鴻上尚史である。彼らにとってさえ、すでに「戦後」は遠い過去(実感のない議論)になっていた。平田オリザに至っては、戦争は遥か遠くから聞こえてくる雷鳴のようなものになってしまう。(「東京ノート」)

二十年前の観客は、美男で有名な沖田総司が女だったという想定にどこかかき立てられるものがあって、演歌と饒舌と爆発的なエネルギーの消費とも言うべきこの祝祭にやってきたに違いない。(僕の場合はYの趣味につき合っただけ)幕末の世相と明治の維新という「革命」の香りを少々まぶしたやかましくもいじけた、司馬遼太郎風に言えば、やたらに「感情の量が多い」芝居である。
これは、映画化までされるほど評判だった。その内容は上演されるたびに、どこにオリジナルがあるかわからないほどデフォルメされ続けた。

そして今度の上演では、二十年前のものから遥かに飛躍してしまっている。
まず第一に、登場人物が一部入れ替わり、大幅に増えている。第二に、話が幕末から第二次大戦後にまで及ぶ。第三に、政治的な問題意識が比較的はっきりあらわれている。
登場人物では、坂本龍馬が女として描かれるのがもっとも変わったところだろう。高杉晋作、西郷隆盛、徳川慶喜、中村半次郎、島崎藤村らが新たに加わり、岡田以蔵と桂小五郎は消えている。
沖田総司は、賢きあたりのご落胤で労咳のため捨てられたのを近藤勇が拾って育てたということになっている。この沖田総司を石原さとみがやった。制作発表を偶然TVで見たが、このときつかこうへいに「淫乱な顔」とか「好きそうな、卑猥な顔」とか、けしかけられたと語っていた。しかし、どう見ても彼女は典型的美人顔でむしろ「色気」に乏しい。これが乳をもむとかあられもない声を上げるといってもあまり淫らに見えないどころか返って作っているところが痛々しく感じられた。
それはともかく、この近藤が沖田にほれている。西郷隆盛は息子を殺したことがもとでホモセクシャルになり、高杉は母親を米兵にレイプされ、土方歳三は妻と浮気相手の間にできた子を育て、沖田は龍馬にほれている。突然の島崎藤村は「戦陣訓」の作者として呼び出された形。ざっと、このしっちゃかめっちゃかな話が入れ替わり立ち替わり舞台に現れて、叫んで消えては大音響の唄が入るという繰り返しであった。同じようなバイオレンスに満ちたお下劣な話が次から次に現れるので退屈のあまり眠くなったが、音がうるさいから眠れもしない。仕方がないから目をつむっていた。一同が宝塚よろしく踊りに入っていよいよお仕舞だろうと期待したら、暗転からまた始まるという猛烈なサービス精神には閉口だった。若い時なら、ばか野郎!と叫んで出てきたところだが、もう年だからそんな元気もない。
びっくりしたのは、坂本龍馬が船中八策ならぬ憲法第九条を発案したことだ。ついでに女権の確立、普通選挙実現に奔走する。沖縄の自決問題、ベトナム戦争、イラク戦争に言及し、世界平和を論じるという奔放さ。ずいぶんと盛り込んだものである。

それらの議論が必ずしも成功していなかったのは、ターム=用語がすでに古風であり、議論としても手あかにまみれた観念的なものだからである。
ただし、初演はこれほど露骨に政治的ではない。
あれから二十年経った。考えてみれば、初演の89年ごろはバブルの真っ最中、Japan as No.1で皆浮かれていた頃である。思想の世界も構造主義から脱構築、ポストモダンへと思想そのものを消費する浮かれた時代へ。この芝居もそういう世相を背景にかかれているということに心を止めておきたい。
しかし、一方で昭和が終わり、ベルリンの壁が壊れソ連がペレストロイカ、グラスノスチを口にし始めていた。そして、まもなく世界が劇的な変化を遂げるのである。誰も口に出すことはなかったが、あの「革命」とは何だったのか?という一種の深い疲労感を伴うフレーズが僕らの心の中で渦巻いていた。続いて、日本は長期低迷期へ。反対に米国はグローバリゼーションという世界制覇に走り出し、それも9.11で終焉を迎えることになる。

二十年という歳月の経過を盛り込まずにおれなかった、という気持ちはわかる。幕末と現在が似ているという議論があるのも周知であろう。たとえば「自民党長期政権は幕末期の徳川政権に等しい」という見方である。この時代の転換期に何か発言すべきである。これはちょうどいい機会だと思ったに違いない。
ところがいっていることは二十年前の議論とほとんど変わらなかった。扱っている問題が「戦後」という議論に集約されることばかりなのである。まるで、時間の経過はなかったことのようである。ここに、左翼の限界がある。いや、つかこうへいが左翼というのでは少し違うかもしれない。言い直せば、左翼的議論の範疇でしかものを語っていないということである。そんなものがなんの役に立つものか。日本は「侵略しなかった」いや「侵略した」という議論と同じくらいばかばかしくも意味がないことである。
つかこうへいは、口をとがらして不平不満、ついでに卑猥な言葉を吐き出すが、頭の中身の進歩発展てえものはないらしい。

そんなことで僕は、つかと同じ世代の笠井潔とその子供=団塊ジュニアというのか?くらいの世代に属する東浩紀との公開往復書簡を読んだときのことを思い出した。(「動物化する世界の中で」集英社新書)
笠井潔は全共闘時代、あるセクトの幹部だったらしい。僕は読んだことはないが、探偵が事件を解決するミステリーが専門で、現象学だの実存主義だのなんだかんだ哲学用語を駆使して小難しい小説を書くのが特徴ということだ。当然その頭の中にはマルクスもレーニンも詰まっている。これが、流行した構造主義からポストモダンあたりの思想家を山ほど勉強して学位を取った「オタク」の専門家とも言うべき東浩紀と手紙をやり取りした。東浩紀には主としてコジェーヴおよびシジェクに寄り添って書いた「動物化するポストモダン」(講談社現代新書)がある。「オタク」以降の若者を見て「動物化」ではないかというのである。動物より人間は少しましなだけだが、それでは困る。資本主義も終焉に近づくと避けられないことだと言っても、しかし、それで嘆いている風でもない。
この二人の、何がかみ合わないかといえば、まず笠井潔には「ポストモダン」が何であったのかわかっていなかった。「ポストモダン」というのは一言で言ってしまえばどうやってマルクスおよびマルクス主義を乗り越えようかとさまざまな思想家が七転八倒した有り様のことである。笠井潔の頭には、まだ唯物史観がのこっている。唯物史観だって賞味期限は来るのにそうは思っていない。つまりは、ポストモダンを取り込む手前で思考停止してしまっているのに本人が気付いていないのだ。
これではかみ合うはずがない。終いに笠井は元全共闘の活動家幹部らしくキれてしまった。幹部はよくキれたのである。このガキが何を言う、というわけだ。
僕が思うに、つかこうへいはこの笠井潔と同じではないか?二十年の間に何が起きたのかちっとも気付いていないのである。

Motherf×ckerと一言で済まそうとしたが語りすぎた。これでお仕舞にしよう。
新橋演舞場で、気分よく観劇しようとやってきたご婦人たちには実に気の毒なことをした。

題名: 幕末純情伝
観劇日: 2008/08/23
劇場: 新橋演舞場
主催: 松竹
期間: 2008年8月13日~8月27日
作: つかこうへい
演出: つかこうへい
美術: 中村知子
照明: 林順之
衣装: 宮本宣子
音楽・音響: 内藤勝博
出演者: 石原 さとみ 真琴 つばさ 吉沢 悠 舘形 比呂一 宇津宮 雅代 橘 大五郎 矢部 太郎 武田 義晴 赤塚 篤紀 岩崎 雄一 とめ 貴志 小川 岳男 トロイ 若林 ケン 早坂 実 山崎 銀之丞 清家 利一 古賀 豊 川畑 博稔 小川 智之 杉山 圭一 松本 有樹純 北田 理道 遠藤 広太 尋由帆 高野 愛

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2008年12月10日 (水)

劇評「女教師は二度抱かれた」

Zyokyo劇団「大人計画」松尾スズキの名は知っていたが芝居を見るのは初めてだ。62年生まれの四十六歳、キャリアは長い。シアターコクーンが扱うくらいだからすでにメジャーなのだろう。なんていってると「このおっさん何なの?」といわれそうだが、若い者の芝居は面白いものが少ないからあまり見ない。
がっはっはと笑って劇場から出たとたんに忘れるというのも悪くはないが、そのために大枚払う必要があるか。所詮コント芸に毛の生えたような芝居に染五郎や大竹しのぶを抱き合わせて高く売りつける百貨店商売はいかにもあざとい。
それというのも市川染五郎が、この連中となぜ一緒にやっているのかという戸惑いの表情をしばしばみせて、その芝居のテンションのあまりの落差に見ているこっちがつらくなった。

「ギャー、ビビビ!」と叫んでいるところに「女教師は二度抱かれた」と言うおだやかでない吹き出しがあるポスターは漫画でできている。内容が漫画みたいなものだから、そうしたのだろう。
松尾スズキのサービス精神は実に旺盛なもので、枝葉のギャグがたっぷりと仕込まれていてうるさいくらいだ。中には恐ろしくアナーキーでぶっ飛んだものや時事ネタもあってなかなか笑わせるが、筋を追うには邪魔になるだけだ。もっともこの劇団は、その莫迦ばかしい笑いが受けているのだろうから、そんなことをいうのも大人げないか。

小劇場出身の新進気鋭の作家・演出家である天久六郎(市川染五郎)が、これも売り出し中の人気歌舞伎役者滝川栗乃介(阿部サダヲ)にたのまれて歌舞伎の演出をすることになる。天久は小劇場専門の劇団ビリーバーズの演出家で、歌舞伎などやったことがないからどうにも自信がない。しかし、この取り合わせは劇場が渋谷ということもあって話題になっていた。
小劇場と歌舞伎の出会いがうけるというので、発泡酒のCMを二人でやることになる。その打ち合わせだの撮影だのと、天久の劇団のマネージャー白石泉(市川実和子)は調整に大忙しである。何しろこのCMのギャラが一千万円。その金で劇団の稽古場を借りることができるから失敗は許されない。
白石泉が登場するたびに顔のあざが増えているのは、同棲しているミュージシャンの元気(星野源)から日常的に受けている家庭内暴力のせいらしい。ただし、本筋にはなんの関係もない。
渋谷の稽古場に向かう途中、滝川栗乃介の車が人を撥ねる。これが表ざたになるとまずいと思った付き人の弁慶(荒川良々)がひそかに病院に運んでこれを隠してしまう。ところがその被害者が病院を抜け出して、滝川のところにやってくると、女優の山岸涼子(大竹しのぶ)を使って欲しいと妙なことを言う。被害者の男は鉱物圭一(浅野和之)、山岸涼子のマネージャーと称していた。
山岸涼子は、天久六郎の高校時代の演劇部の顧問であった。山岸自身がかつては女優を目指していたが、挫折した経験を持っている。東京の大学を卒業すると小さな新劇の劇団に入ったが「チケットのノルマがきつくて」女優の道を断念、高校教師として故郷に戻っていた。
そのころ、高校生の天久六郎も演劇の道に進もうと思っていた。明治大学文学部演劇学科を目指す天久を山岸涼子が応援しているうちに恋心が生まれ、互いに惹かれあっていることがわかる。ところが、山岸には土地の大金持ちの息子で鉱物圭一という婚約者がいた。天久は自分が東京に出て成功し、その後に山岸を呼ぶという約束をする。
鉱物家が所有する動物園で会っているうちに、二人が管理室で情交に及ぶと偶然園内放送のスイッチが入り、その模様が天下の知れるところとなって二人は窮地に追い込まれる。
天久は大学に合格して故郷を去り、山岸との約束を果たすこともなく劇団の維持に汲々として今日までやってきた。ただこのところ、劇団の看板女優江川昭子(池津祥子)とともにこの高校時代の思い出の事件を描いた「女教師は抱かれた」の台本を用意し、近く公演しようと準備していた。
そこへ、女優として山岸涼子が現れたのである。この芝居の主役である女教師は山岸こそふさわしい。なぜなら本人だからである。ところが山岸は自分の顔が無くなったといって、アイデンティティが崩壊している様子。
マネージャーとしてついてきた鉱物圭一によると、あのあと自分はすぐに婚約を破棄したが、山岸涼子は精神に異常を来し精神病院に入ったらしい。不憫に思った鉱物は、病院ごと買収して、治療をしてきたという。このところ薬で安定しているときには自らを女優と思っている。なんと、この男はあの直後から今日まで、狂った山岸涼子に寄り添って、とことん面倒を見てきたというのであった。
天久は、自分がいかに不実であったかに気付いてがく然とする。こうなっては何もかも引き受けて罪を償い出直すしかないと決心した天久は、いろいろないきさつから自分が関与した死体遺棄事件の犯人として自首することになる。天久逮捕によってCMはオンエア中止、一千万円のギャラもキャンセルになって稽古場から追い出されることになった。ところが、まもなく事件は天久の勘違いであったことが判明して放免される。(このあたりは新聞の切り抜きを大写しにして説明するだけ)一千万円は天久個人の借金になり、劇団も拠点を失ってバラバラである。
最後の場面、閉鎖される稽古場にやってきた天久が、掃除をする白石泉と話している。そこへ鉱物が山岸涼子を伴って現れる。この地下室は自分が買ったという。今まで通り稽古場として使っても構わないといって、山岸涼子をその場に置くと、どこかへ消えてしまう。今度こそ一緒に芝居をやってくれということなのだろう。

とにもかくにも異様とも言えるテンションの高さである。阿部サダヲの歌舞伎役者ぶりは、時々完全にアッチへいってしまっていた。荒川良々の弁慶も目つきがおかしかった。他の男優陣のせりふもしぐさも甲高く激しい。その高揚した状態のまま話が目まぐるしく展開するので、一瞬でも油断するとおいていかれそうになる。この過剰なまでのギャグを交えたスピード感が、おそらく松尾スズキのスタイルなのだろう。彼自身、自分の気持ちを最高潮に盛り上げて、そのハイテンションの勢いを保ったまま書き進められたものという感じがある。したがって、あまり計算されていない思いつきのシーンも挿入されているが、これもまた松尾のサービス精神がなせる技で、若い観客が支持するところなのであろう。

タイトルを見たとき、映画「郵便配達は二度ベルを鳴らす」と関係があるのかと思ったら、発想のもとはテネシー・ウイリアムズであった。「欲望という名の電車」のブランチが妹のステラとスタンリー夫妻のもとに身を寄せる前、故郷で教師をしていたことにヒントを得たとどこかに書いていた。
本によっては少しぼかしてあるが、ブランチが十七歳の教え子と関係したことが大スキャンダルになって、生まれ故郷にいたたまれなくなった、とスタンリーがバラしてしまうところがある。この劇では、その少年が演劇部員で、女教師は顧問という関係であったとしたら・・・・・・、ということだったようだ。ただし、ブランチが精神病院に入ること以外、他の要素は取り込まれていない。面白い発想であったが、それだけで終わってしまったのは、ちと惜しい気もしている。
たとえばこの劇では、高校生天久六郎も女教師山岸涼子も純然たる恋愛関係というにはあまりに互いを利用しようとしすぎている。天久は自分の若さを年上の女にぶつけて自分の道を行こうとしていた。一方、いったんはあきらめた女優の道にふたたび戻ろうと若い教え子の存在をきっかけにしようとする山岸涼子。こうした一種のボタンの掛け違い疑似恋愛と、彼らが目指す「演劇」とは何かという本来の主題(おそらく松尾スズキの問題意識)にフォーカスして描いて見せる手はあった。
ブランチが精神を病んだ理由は切実に迫ってくるが、山岸涼子のそれは、動物園の園内放送で恥をかいたという漫画のような出来事だけで、なぜ狂ったか多くは語られていない。肝心のこの二人の関係がきちんと描かれていなくて、笑いをとろうと枝葉末節にこだわった松尾スズキの限界だったのか。

それにしても、このキャラクターの不気味さは尋常でないことがよくわかった。山岸涼子が新劇の女優だったときに出会うフランス人演出家のルクルーゼ役の時は、鼻を高くしてもじゃもじゃのかつらをかぶった。しゃべる言葉はでたらめだがフランス語のように聞こえる。タモリの芸に似ていた。しかし松尾の方が迫ってくるという点で迫力が違った。
ダンサーとして登場する松尾の動きは、体をくねくねさせて素早く移動しながら踊るものだが、その姿はダンサーというよりも見たこともない動物のふるまいであった。
また、屍体処理の専門家、いわゆる掃除屋として登場するキャラクターは、長髪にヘアバンド、サングラスで表情をかくしている。これが、プロ中のプロという触れ込みだが何を言っているのかズルズル声を発しているだけで言葉が聞き取れない。専門の通訳を介してようやくわかるのだが、この言葉のズルズル加減が絶妙の芸になっていて、腹を抱えて笑った。
そして、頭に日の丸の旗を一本立てた、漫画の「ハタ坊」。子供のキャラクターだが親父ムキだしである。これもぬめっとした肌触りの妙な存在感があってひきつけられる。
照れ隠しのような表情を浮かべて見せる独特の個人芸で、久しぶりに「怪優」という言葉がふさわしい奇妙な個性に出会った。

客演の浅野和之も面白いところを見せてくれた。新宿二丁目のバーで披露した一発芸「鉄砲で撃たれ、倒れる鹿」である。浅野はこの形態模写をスローモーションでやって見せる。さすがに芸域が広い。それがどうした!ということではあるが、見事なものであった。
こういう瑣末な部分が記憶に残るのは、劇の大半がギャグやお笑いでできているせいかも知れない。それに異様なまでの執念を燃やし、ばかばかしいことに蕩尽とも言うべき 金もかけている。「笑い」の消費という点では現在のTV業界とほぼ一致しており、おそらく観客はこういう「笑い」を要求している若い層なのだろう。
同じような劇団を探そうとするなら佐藤B作らの「東京ヴォードヴィルショウ」から出た「WAHAHA本舗」あたりが思い浮かぶが、彼らよりは一世代若い。こういう系譜が受け継がれていくのかどうか、僕にはさっぱりわからない。

最近読んだ本の中から気になったところを引用して、お仕舞にしたい。
「中庸は望んでも求められないとすれば、狂か狷がよい」という孔子の言葉の解説である。
「孔子はなぜ『狂』に惹かれたか。「狂者は進みて取る」(狂者進取)からである。進取、すなわち、旧弊に囚われず積極的に前進するがゆえに、それが『疾』(=ビョーキ)であろうとも、孔子は『狂』を認めたのだ。
私はここで、芸術のジャンルでよく見られる前衛的・実験的・反抗的な試みを想起する。それは、体制的になり硬直した既成の芸術への物狂おしいまでの挑戦である。意余って力足らずのことがあっても、確かに、その意欲が新しい芸術を作ってきたのだ。しかし、いつのころからか、前衛的・実験的・反抗的な『狂』は、ただの『蕩=でたらめ』になってしまった。裁断され仕立てられて美しい着物になるわけではなく、ぼろ布となってどこかに消えていく。」(呉智英「現代人の論語」第十八講、狂簡と堕落より)


題名: 女教師は二度抱かれた
観劇日: 2008/08/08
劇場: シアターコクーン
主催: シアターコクーン
期間: 2008年8月4日~8月27日
作: 松尾スズキ
演出: 松尾スズキ
美術: 二村周作
照明: 大島祐夫
衣装: 戸田京子
音楽・音響: 星野源
出演者: 市川染五郎 大竹しのぶ 阿部サダヲ 市川実和子 荒川良々 池津祥子 皆川猿時 村杉蝉之介 宍戸美和公 平岩紙 星野源 少路勇介 菅原永二 ノゾエ征爾 浅野和之 松尾スズキ

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2008年12月 3日 (水)

劇評「闇に咲く花」

Yaminisaku前回見たのは七年も前、2001年八月だった。名古屋章がまだ存命で、神主牛木公麿役は押しが強くてとぼけた味がぴったりのはまり役だと思った。(初演は松熊信義)息子健太郎を千葉哲也、神田警察の鈴木巡査が小市慢太郎、GHQ職員諏訪三郎がたかお鷹、にぎやかな戦争未亡人の五人組は、増子倭文枝(青年座)、梅沢昌代(文学座)、那須佐代子(青年座)、日下由美(文学座)、島田桃子(文学座)の芸達者であった。
実は、その前1999年十一月にも見ている。名古屋章、小市慢太郎、たかお鷹、増子倭文枝、梅沢昌代、那須佐代子は同じ、健太郎を益岡徹、その親友稲垣善治を近藤芳正がやった。初演から出ずっぱりなのがギターの加藤さん役水村直也である。
1989年四月の再演、河原崎建三の健太郎役を見たような気もするが、何しろかなり前のことなので記憶が定かではない。
このように何度も見ている芝居なのに、なぜ「闇に咲く花」なのかちっともピンと来ていなかった。戦争から帰ってきた一人息子が理不尽な戦犯容疑で南方に連れ戻され裁かれるというなんとも痛ましくやるせない話である。この印象があまり強いために、「愛敬稲荷神社物語」というサブタイトルの方が僕の中では少し霞んでしまっていたのかもしれない。これは、神社とは何か、特に戦争の時代の神社とは何だったかというテーマが一貫して流れているところに、唐突な印象を否めないC級戦犯という、これはこれで別の深刻な問題を重ねてある、その二つの構造の関係をきれいにすっきりとは得心していなかったせいにちがいない。

終戦から二年たった昭和二十二年の夏、神田は駿河台猿楽町の愛敬稲荷神社。境内の建物は焼夷弾にやられてほとんど焼失、舞台中央にあるのは唯一焼け残った神楽堂である。洗濯物が干してあったり畳んだせんべい布団が隅にあるなど所帯じみたところもあるが、 そのくせ正面には壁代がかかり梁には鈴が下がっていて、にわか仕立ての本堂といったしつらえである。焦げた立ち木がちらほら見える。下手にはバラックの屋根の下に長い作業台とベンチ、その上に数本の縄を渡してひょっとこやおかめのお面がつるしてある。

大の字に寝ていた神社の宮司牛木公麿(辻萬長)がむっくり起きだして、舞台下手へ移動するところへおなかの大きな婦人が次々に五人(増子倭文江、山本道子、藤本喜久子、井上薫、高島玲)現れる。妊娠なのかと思っていると五人は腹から大きな袋をとり出して牛木に渡しふうふういっている。
この時期、東京の食糧事情は最も悪いころである。五人は神社の焼け残った絹の壁代や道具類をもって成田まで米の買い出しに出かけたのであった。闇米を取り締まる経済警察が要所要所で待機しているのに出くわすと、大きなお腹を指して生まれそうだと騒ぐ。その手でうまく摘発をかわしてたどり着いたというわけである。
五人は、いずれも近所のアパートに暮らす戦争未亡人。夫を戦地に送り出すときにこの神社でお祓いを受け、宮司の激励を聞いたものばかりである。その縁で、今は神社の境内につくった工房に集まり、お面をつくって細々と暮らしている。
神事に使うものを米に換えるなど罰が当たるのではないかという彼女らの心配に、宮司は「神様はお留守のようだ。戦時中も神風を吹かしめたまえと祈ったが、そよとも吹かなかったではないか。」と今も神は不在だといって安心させる。神主がこんなことをいうのは何だかご都合主義のようである。
そこへ猿楽町二丁目交番勤務になったという警官、鈴木巡査(小林隆)が挨拶にやって来る。愛敬稲荷神社の愛敬とは珍しいと思ったが、なにか?などと如才ない。役者に芸者に幇間、料亭に小料理屋など愛敬を売る客商売が生業の人たちの信仰を集める、いたって庶民的な神社なのだという。鈴木は闇米のことに気付いている様子である。
巡査と入れ替わりに稲垣善治(浅野雅博)が現れる。稲垣は牛木健太郎(石母田史朗)の親友であった。金華小学校、神田中等学校時代、野球部で剛腕投手だった健太郎とバッテリーを組んでいた。健太郎は職業野球団イーグルスに入団したが、稲垣は自分の才能に見切りをつけて家業である医者の道を目指した。軍医として応召し、つい最近南方からようやく帰還したばかりであった。健太郎が昭和十九年にグアム島からマニラに転戦の途中、戦死したことをすでに知っていた。昔話の中で、健太郎が捨て子だったことが明かされる。
稲垣が健太郎との思い出を語っていると、いつの間にか見知らぬ男(石田圭祐)が現れて、話の中に入り込んでくる。球は速いがコントロールが今一つ、という健太郎の欠点が職業野球団に入ってからも悩みの種だった。グアム島守備隊に配属されるとそれを克服しようと現地の青年相手によくピッチングの練習をしていた。ある時練習中に速い球を取り損ねた青年がボールを額で受けて脳震盪を起こしてしまう。病院に担ぎ込まれるが全治一ヶ月、命に別状あるわけではなかった。不思議なことにそれをきっかけにして制球力が身に付いたというのである。見知らぬ男がなぜそこまで知っているのか?唖然としている稲垣と神主に、「グアム島時代の牛木健太郎に特別の関心を抱いているもの」という奇妙な言葉を残して男はその場を去っていく。

愛敬稲荷神社が神社本庁の傘下に入らないからといって何かと目をつけられていたが、牛木公麿が呼び出されて「闇をやっちゃいかん。地道にお御籤や御守りを売って生計を立てるように。」といわれる。神社本庁は伊勢神宮を中心とする全国八万の神社のほとんどを束ねている団体で力がある。本殿も拝殿も跡継ぎもない身ではこれに加わっても仕方がない。それよりも何よりも食うことで精いっぱい、ということだったのだ。
それで、ようやく印刷を頼んでいたお御籤が上がってきたので、未亡人グループのひとりが運試しにと引いてみることになった。大吉だったから、まあ良かったと喜んでいると、息子が大金を拾って交番に届けたら謝礼をもらったという知らせが飛び込む。それを聞いて次から次にお御籤を引くのだが、すべて大吉、しかもそれぞれ思いもかけない幸運が舞い込むというおめでたいこと続き。そうした騒ぎが前兆となって、ついにおめでたの最高潮がおとずれる。
突然、健太郎(石母田史朗)が「父さん、ただいま」と現れたのだ。この芝居は伏線のはり方が実にうまい。得体のしれない男が訪ねてくるのもそうだが、「大吉」の連続なんてあり得ないなどと思わせる暇も無く、戦死したはずの健太郎が生きて帰ってくるのである。
マニラに移動する船が魚雷にやられて漂流しているところを米軍に救助され、ハワイで治療を受けた後にカリフォルニアの収容所に送られて、そこで終戦を迎えたという。帰国が遅れたのは、海に投げ出されたときに頭を打って記憶をなくしたせいであった。収容所で野球をしているうちボールが頭あたったことがきっかけで、記憶が戻ってきたのである。

健太郎は、境内の片づけや掃除に汗を流しながら、職業野球団のテストを受けて見事合格した。これで一安心と、公麿は神社本庁に出向いて仲間入りをすることに決める。ところが、それに健太郎は不満である。
公麿はいう。神道には創始者もいなければ教典もない。いわば日本民族の歴史とともに自然に成立したもので、そこにあるのはただ一つ浄く明るい心だけである。それは日本民族という皮でできたゴムまりのようなものだ。中には浄く明るい心がいっぱい詰まっている。外からおされればおとなしく凹んでいるが、その力がなくなればまたもとの真ん丸な形に戻ってよく弾むようになる。神道は古来ほかの宗教にも寛容で、その態度は実に融通無碍なのである。
健太郎の不満は、この神社がなぜ、いちいち上に何かを戴いてないと気が済まないのか?というものであった。戦争中、神道が国家と手を結んだときには、国のために命を捧げよう、靖国で会おうなどとつらいことを神社がいわなくてはならなかった。 今またたった一つの組織をつくって、なんだかんだ指図をしようとするのはまるで役所のようではないか。 もともと神社は通りすがりの人が、人並みの幸せをちょっと祈るところ、できるだけ正直に生きようと決心するところ、いわば庶民の心のよりどころではないか。この神社も、近所の人がここに来れば何だか慰められ励まされ自分の人生や世の中と仲直りできる、そんなところであって欲しいと健太郎はいう。
聞いていた未亡人たちが口々に、そういえばうちの亭主が出征するとき神主さんは「骨は国が拾ってやるから安心していきなさい」などと、国のために死ねという意味のことをいっていたと話し始める。聞いていた公麿が、腹立ち紛れに健太郎は外で寝ろ!お面の工房も閉鎖だ!と当たり散らす。公麿には健太郎の気持ちが理解できないようだ。

ちょうどその騒ぎの最中に、鈴木巡査が先日やってきた見知らぬ男を伴って現れる。男は、占領軍総司令部法務部雇の諏訪三郎と名乗って、牛木健太郎がC級戦犯容疑で召喚されていると告げる。グアム島におけるキャッチボールの一件が、非人道的行為と見なされたのだ。現地の青年に悪気はなかった。ただ覚えている日本兵の名をいえといわれ、「うしき」=「ウイスキー」のニックネームで人気者だった健太郎の名を上げたのである。
それを聞いた健太郎が、にわかに頭を抱え奇妙な声を上げる。自分が誰かわからなくなっているらしい。捨て子だった幼い自分に変えっている。神経科医である稲垣が、これはショック性の全生涯にわたる全健忘症であると一同に向かって宣言する。
稲垣は治療をしようとするが、記憶が戻ったら健太郎=健坊はつれていかれる。とはいえ、このままでは健太郎は生きていけない。思案の揚げ句、健坊が直ったら秩父の田舎に隠してしまおうと密かに決心する。

こうして、お御籤の大吉に始まる幸福の絶頂も長くは続かなかった。闇商売は、再度挑戦した妊婦作戦が見破られて大失敗。さらに、これが最後と大きな賭けに出たイワシの商売も儲けどころか、かえって罰金をとられるという最悪の事態に終わった。
一方、稲垣の熱心な治療が功を奏して健太郎の記憶は徐々に戻りつつあった。手がかりはやはり野球のボール。中学時代の仲間の顔が浮かぶ。そこから一気に健太郎の頭の中に過去の出来事が蘇ってきたようだ。
「しかし、父さん。」と意外な言葉がその口から漏れる。この境内が焼けた屍体置き場になったときからここは神社でなくなったのだね、というのだ。神道の基本は、浄く明るい心を大切にする、それに尽きると、何度も聞かされた。そして、死は穢れているものだから神社で葬式はやらない、死は神社にふさわしくないのだ、と父さんは教えてくれた。ところが、戦争中ここからいったい何人の出征兵士を送り出したのか?ここが火葬場と化したその時から、神社も神道も滅んでしまったのだ。「お国のために死んでこい」といったときから、神社は死への入り口になってしまった。
健太郎は、ついこの間起きたことを忘れてはいけないという。そのことに詫びなければ神社や神道こそ全健忘症ではないか。過去の失敗を記憶していない人間の未来は暗い、と戦時中の態度にほおかむりしている神社や神道関係者を告発するのである。
神社は、人々の暮らしにそっと寄り添って、そのささやかな幸せを祈る場所、 道端に咲く名も無い小さな花だと健太郎はいう。
それを聞いた稲垣は、これで健坊は完全に直ったと宣言。さあ、秩父へというと、公麿もここを畳んで一緒に行く決心だという。
ところが、そこへ鈴木巡査が諏訪三郎を伴って現れる。稲垣が健太郎は重症で直らないというと、諏訪が一抱えもある大きな箱を持ってきて、いや、牛木健太郎の記憶は正常に戻ったと自信あり気である。
箱は開発されたばかりの磁気録音機であった。諏訪がスイッチを入れると健太郎がさっき話した言葉が再現される。確信に満ちた声だ。健太郎は死の恐怖が迫ってくるのを感じる。しかし、その機械から流れる自分の声に耳を澄まし、続けて「神社は花だ。・・・花は黙って咲いている。・・・花と向かい合っていると心が和む。これからの神社はそうならなくちゃね。」とつぶやく。健太郎にある覚悟ができたようだ。

エピローグで、裁判は三日で終わったことがわかる。公麿は境内に捨てられていた子と鈴木巡査が靖国神社で拾ってきた子供の二人を育てている。鈴木巡査は、公麿たちが仕組んだイワシの闇に加担して活躍、大成功させた後バレる寸前に警察をやめて、今は神社の副宮司に収まっている。諏訪が現れてGHQの仕事をやめたといい、健太郎が最後まで握っていたボール一個を手渡して行くところで幕が下りる。

帰還した青年がC級戦犯で現地に送還され処刑されるという痛ましい話なのに、心地よい清涼感が残るのはなんといっても栗山民也の演出によるところが大きい。闇商売における官憲との攻防、戦中の神社・神道批判、C級戦犯という重い問題。井上ひさしの構成の妙ということもあるが、緩急自在にユーモアを絶やさず日本人が健忘症にかかっているという主題を追求して間然するところがなかった。
戦中、神社は死への入り口になった。神道は死という穢れを受け入れて道を誤った。健太郎は話しているうちに自分の果たすべき役割を理解した。その罪と罰を自分が一身に背負っていくしかない。残された父さんたち=戦後を生きる人々に、過去のあやまちから学んで未来をつくっていくために僕を忘れないで欲しいと願いつつ・・・。
健太郎は帰ってこなければ良かったのだ。いや、健坊はすでに南の海に投げだされたとき死んでいたのかもしれない・・・。帰ってきたのは健坊の亡霊だったのだ。だとすれば、僕を忘れないで欲しいという思いは、戦争の死者たち全員の声と重なるのではないか?

ただ、劇の興奮が去ってみると、なぜ神社なのか?という思いは残る。確かに神道であれ仏教であれ、戦時中の宗教が程度の差こそあっても戦争に協力したことは事実であろう。しかし、それをいうなら演劇や、文学もあらゆるところで大政翼賛的合従連衡はあった。なぜとりわけ神社が責めを受けなければならないのか?という理由を探すとすれば、明治になって神道が国家と結びついたという一点であろう。(仏教はそれ以前に徳川体制に組み込まれている)ならば、「浄く明るく=清明」という神道の中核にある思想(イデオロギーのようなものではないかもしれないが)あるいは古来からの伝統の何が変質したというのか、国家神道とは何んであったかという本質論がこの劇には足りなかった。つまり、舞台が神社である必然性が今一つ弱いと思うのだ。
一歩譲って、神社であることに重要な意味はないとして、この芝居は戦時中の庶民が、戦争に加担して兵士を戦場に駆り立てたことを、戦後になって、まるでなかったことのようにふるまうのを告発していることは明白である。反省がないというわけだ。確かに昨日までの正義を今日になって手のひらを返すように変えるというのは、卑怯であり、無責任である。
しかし、それをこのように攻め立てるのでは、おそらく「戦争に勝つことが目標だった」「時代がそうだった」「ほかに選択肢があったか?」という答えが返ってくるような気がしてならない。それでは不毛である。過去に学んで未来をつくることにはつながらない。むしろ、なぜ社会全体があれだけ一つの考え方にまとまってしまったのか?それがこの場合の問いのたて方だろう。
対支那戦略で不拡大を唱える軍人もいた。少なくとも日米開戦時において彼我の戦力比較では勝ち目がないことを知っていたものは一人や二人ではない。しかし、戦時中の社会は、かなり大胆にいってしまえば、客観的根拠も確かな戦略もなく、ただ情緒に流れて勢いが止まらなくなったようにみえる。ほんとうは、その流れの中にいた庶民(牛木公麿もそのひとり)を責めても酷である。なぜなら、そういうものが「庶民」だからだ。
僕はむしろ多様な意見が許される社会が健全なのだということにつなげなければ、反省がないとか卑怯千万といってもあまり意味がないと思っている。その点では「一億総懺悔」というのもかなり薄気味の悪いものだ。あちらでなければ今度はこちらという単純な振り子運動をくりかえすのではあまり生産的でない。もっと成熟した議論が必要なところなのに井上ひさしにそれを望むのは、それこそ酷かもしれない。
成熟した議論とは、第一次世界大戦(あたり)以降の日本の近・現代史を世界史の中において見直す、もっとはっきり言えば、なぜ日本は戦争に負けたのかという総括のことである。我が国はこの総括を左翼(いまとなってはサヨク)が一手に引き受けたために一元的な(勧善懲悪あるいは悪者探し)観点からしか見てこなかった。それが無効になった以上、今こそ「なぜ負けたのか」を多面的にとらえ、そのうえで我々の社会がどこへ向かうべきか総括すべきときである。

ついでにいえば、最近話題の「我が国が侵略国であったというのは濡れ衣である」という趣旨のエッセーを読んで上に述べたことを再確認した。侵略か大東亜共栄圏かという俗流とも言える議論はもともとあったのだが、この「濡れ衣」騒ぎは、外国から非難されるたびに平身低頭恭順の姿勢を貫く政府の態度を自虐史観と批判するむきには、いい鬱憤晴らしであった。しかし、これを今更ぶり返しても役に立つことは何もない。その中には、日本は謀略にあって、無理やり戦争に引きずり込まれたとか、ほかの先進国が侵略をしたのに日本だけが非難される筋合いはないといった妙な議論が含まれている。これでは論にもなっていない。あの戦争が侵略か否かはどうでもよろしい。むしろ軍人には、あの戦争に「なぜ負けたのか?」ということを真剣に考えていただきたい。
終戦の年に二十歳だった人はすでに83歳になった。もう二度と悲惨な体験はごめんだという人たちが、まもなく絶えてしまう。体験は伝わりにくいものである。せめて劇の世界ががんばるしかないが、それでもいずれ近いうちに、我が国も外交は軍事力を背景に!という時代が来るだろう。その時のためにも、やり残している「総括」が必要なのである。

とんだ脱線をしてしまった。劇に話を戻すと、今度のキャスティングの中で、少しぎくしゃくしている若者が何人かいると感じていたが、新人であった。戦争未亡人の中の最も若い小山民子役の高島玲、子守の少女役眞中幸子それに鈴木巡査の後任として最後に登場する吉田巡査の北側響である。この三人に共通しているのはいずれも新国立劇場演劇研修所第一期生であるということを後になって知った。所長は栗山民也だから教え子三人の起用である。いまひとつ溶け込んでいなかったのは仕方がないが、すぐになれるだろう。がんばって欲しいし、期待している。
辻萬長の牛木公麿は初めてだったが、そんな気がしなかった。適役であった。石母田史朗は僕が好きな役者の一人で、満足だった。初演から同じ役をやり通している増子倭文江、それに文学座の山本道子、無名塾出身の藤本喜久子、いずれも経験豊富な芸達者である。安心して見ていられるのはもちろんのことだが、今になって、この劇の主役はむしろ彼女たち五人の戦争未亡人なのではないかという気がしている。

というのも、最初にいった、これがなぜ「闇に咲く花」なのかピンと来ないという話にようやく戻るのだが。神社は「道端に咲く小さな名も無い花」と健太郎はいった。とりあえず「咲く花」が神社なのは間違いないところだろう。「闇に」というのは暗闇のことだから、咲いているかどうか見えないはずである。「闇でもそこだけは輝いている」ととるのは道端の地味な花といっているのにそぐわない。それに英語ならダーク、ダークサイドといえば邪悪な世界、これでは邪悪と神社の並列でいい意味にはならない。
いろいろ考えているうちに「闇」が暗闇で「咲く花」を神社と決めつけたらうまくいかないと思った。そこでようやく見えてきた。この芝居は、米の闇商売に成功するところからはじまり、同じ手口でしくじると今度はイワシの闇で失敗、その後大成功と都合四回も「闇」が出てくる。つまり「闇」とは暗闇ではなくて、統制に抵抗して庶民が生きていくための知恵だったのだ。となれば、後は簡単である。「咲く花」とはあの底抜けに明るい戦争未亡人たち、だったのである。権力をものともせず闇商売に精を出す若い未亡人の群れ。またしても主役は女たちであった。こんな仕掛けになっていたとは、俺も頭が悪いよなあ。でも、これですっきりした・・・。
しかし、待てよ。これも珍解釈かも、と一抹の不安を残しながら終ることにします。

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