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2008年10月

2008年10月31日 (金)

劇評「まほろば」

Mahoroba久しぶりに大いに笑った。いや、当事者にしてみれば深刻な問題なのだから、不謹慎といわれそうで声に出すのは我慢した。
四十才をすぎたばかりのキャリアウーマン、ミドリ(秋山奈津子)が休暇で帰郷して母親ヒロコ(三田和代)にいうことには、自分は生理がないから早めの閉経期を迎えたらしい。母親はびっくり仰天。土地の旧家、藤木家の嫁として、娘二人のうちどちらでもいいから婿をとって跡継ぎを生んでもらわねば家は途絶える。そんなことになってはご先祖様に申し訳が立たない、死んでも死にきれない。下の娘、二女のキョウコ(魏涼子)は十代で相手のはっきりしない女の子ユリア(前田亜希)を生んだが、その子もとうに二十歳、世間を狭くしてまともな結婚など望めそうもない。一人ミドリに賭けていたが、それがなんと、子種はともかく畑が枯れた?!万事休すか?

シリーズ『同時代』の第三弾は、蓬莱竜太の書き下ろしを栗山民也が演出。むろん僕としては、蓬莱竜太についての知見は何もなかった。76年生まれの三十二才というから若い。若いに似合わずキャリアは長いようだ。こういう骨格がしっかりしていて、ディテールまで行き届いたおもしろいものを書ける才能を高く評価したい。

全編長崎弁で通す、女性だけ六人の芝居。長崎のどこかにある田舎町、そこの旧家の座敷が舞台。障子が開け放たれ、縁側の向こうには植栽の緑が濃い庭が見える。縁先に大きな祭り提灯が下がって、遠くから太鼓や笛の音がかすかに聞こえてくるところを見るとどうやら町は祭礼の日らしい。
舞台には、十二三才くらいの女の子と老婦人。女の子は漫画でも読んでいるのか腹這いになって足をあげてぶらぶらさせている。老婦人はこの家の隠居タマエ(中村たつ)。縁先を眺めていると、遠くから祭りの喧噪が伝わってくるのに、女の子がタマエに「この村の神輿はなんで女が担いだらだめなの」と聞く。この辺は大事な伏線になっているのだが、その答えが返ってくる前にヒロコが現れて、「あんた、誰?」。なんと、この家の家族ではなかったのだ。
女の子は本吉マオ(黒沢ともよ)。どうやら二女のキョウコがつれてきたらしい。マオは父親とキョウコが一緒になるというのだが、キョウコは家族の前では懸命にそれを否定する。十代で私生児を産みさんざん迷惑をかけたうえに、いままた分けのわからない相手と関係しているというのは肯定しにくい。
二日酔いで頭痛がすると言って、髪を振り乱したミドリがだるそうな態度で現れる。夕べ飛行機の中でさんざん飲んだあげく、空港でタクシーに乗ったのはいいが、家の玄関をがたがた踏みつけたこと以外どうやって帰ったのかまったく覚えていない。四十すぎて酒に弱くなった。近頃では会社の連中と飲んでも記憶がすっかり抜け落ちていることがある、と母親に愚痴をこぼす。これもまた重要な伏線になっている。
ミドリは会社でも当てにされている存在らしく、仕事の電話がかかってきたり休暇と言っても忙しい。母親は、つきあっている清水とはいつ結婚するのかと迫るのだが、ミドリはあっさりと別れたという。それは冗談だろうとすがるように復縁を願うのだが、相手は外国へ行ってしまうらしい。長過ぎた春だったのだ。
祭りの日には藤木家で親類縁者の男衆をもてなす習わしになっていたが、家にヒロコしかいなくなって、今では親類のものが料理の面倒を見ている。ヒロコとしては、ミドリが婿を連れて帰ってくれたら、そして子供を産んでくれたら藤木家も本家らしい体裁が整って、そんないいことはないと思っているのに、別れたとはがっかりである。Mahoroba1
ミドリは母親の勝手な言い分に腹を立て、思わず「それに私、もう子供生めない。生理がなくなったの、閉経期なのよ!」と宣言してしまう。それは何かの間違いで妊娠しているのではないか、お腹の中に清水の子がいるに違いないというと、ミドリは「それは絶対にない!」と断言する。自信満々な態度に、そんなことならばもう跡継ぎが生まれる可能性がなくなる。男を生まなかった自分の責任ではないかと半信半疑ながら呆然の態である。
キョウコも早すぎるのではないかというと、ミドリは若いときから勝手なことばかりやって、あんたこそ男の子を産むべきではないかと逆襲。しかしそれは、世間体があってヒロコが承知しない。とにかく私に期待してももう無理、ミドリは証拠といって手帳を取り出して見せる。ドクロのマークが規則正しくあったらしい。確かに最近途切れている。あれはドクロなのか。ヒロコは「家庭の医学」を持ち出して『閉経期』の項を読み上げる。
そこへ玄関に人の気配。前触れもなく、キョウコの娘ユリアが帰ってきたのであった。母親を嫌ったユリアは十八才になるとさっさと家を出て、東京で就職してしまった。折り合いの悪かった娘の突然の帰郷に、本吉のこともあってキョウコはうろたえる。ユリアはブランドものの洋服を身に着けてすっかりあか抜けた様子であった。あっさりと祭りを見たくなったというが、他に何か事情がありそうにも見える。
こうして登場人物全員が出そろうことになった。親子四代に渡る女同士の会話は、歯に衣着せぬ本音トークのバトルが続いてその真剣さが実におかしい。
タマエだけは、隠居の身で出しゃばることもないと我関せずの態度なのだが、家族のことはよく見ていて、 時々口を挟むとぼけた味わいが面白い。孫が生まれるときには「ここはあれが近かったから心配した」と被爆のことをさりげなく会話に挟む。藤木家の跡継ぎにしても恬淡としたもので、何とかなるものだと思っているらしい。自分も祭りの夜に有無を言わさず連れ込まれてそのまま居着いたようなものと、しゃかりきになっている嫁の態度をやんわりと批判、思った通りに生きるのが一番と達観しているようだ。
『閉経期』の記述に多少の疑問を抱いたミドリは、最近そういうことをやった記憶はないが、ひょっとしたら自分が覚えていないだけかもと動揺し始めた。 そういえば、酔っぱらって正体を失い上司の新田に家まで送ってもらったことがあった。あのとき新田とのあいだにそういうことがあったのか?あの新田と?よりによってあの……。 妊娠検査薬で確かめたらわかるではないかというキョウコに、本音のところでは知りたくないのか、それなら買ってきてほしいと頼む。
一方、着替えてきたユリアが祖母のヒロコに、しばらくこの家においてくれという。問いただすと、実は自分はいま妊娠しているというのだ。一同びっくり仰天。さすがはキョウコの娘だ、と思っている。ユリアによると、最初は今時らしく『出会い系』で相手と知り合った。付き合ううちに金を受け取ったり、洋服やらなにやら色々買ってもらったらしい。それでは援助交際ではないかというと、ユリアによれば互いに好きになったのだから援交とは違うらしい。それなら子供を産んでも問題ないではないか。相手は子供ができたことを知っているのだろうと聞くと、黙って帰ってきたという。相手には妻子がいて、ユリアには向こうの家庭を壊す気はない。一同はそれなら一も二もなく堕すべきだと説得にかかる。ユリアは、どうすべきか迷っている。だから、故郷の家に戻ってしばらく産もうかどうか考えたいというのであった。この騒ぎを遠巻きに聞いていたタマエがふらふら出てきて、縁側の方へ向かう通りすがりにさりげなく「産んだらいいじゃない」とつぶやいていく。
キョウコが妊娠検査薬を素性がばれない店を探してようやく買ってきた。なんだかんだいいながらミドリは検査などしたくない。しかし、もう四ヶ月も生理がないのだからと言われてやむなく試薬を使いに消える。
戻ってきたミドリの体から力が抜けている。どうやら陽性反応が出たらしい。こんな一本八百円位のもので人生が判定されるなんて信じたくない、というが事実は「閉経」ではなくどうやら「妊娠」のようである。ミドリにしてみれば青天の霹靂、人生を左右する重大事が突然目の前に現れたのである。キャリアウーマン、最後のチャンス、高年出産、相手とのやりとり、それらのことが渦巻いて苦悶するミドリ。ちょうどそのとき、神輿が近づいて男たちのかけ声が聞こえる。男って、なんて気楽なものなんだろうとみどり。
ヒロコは、ミドリの妊娠でひとまずホッとしたようだ。藤木の家が絶えずにすむかもしれないからだ。それをタマエがからかって、さっきはそれで大騒ぎをしたあげく藤木の家が途絶えようと仕方がないと覚悟したくせに、いや、たとえそうなったからと言って誰もヒロコを責めないよという。この家はヒロコがやかましく仕切っているのだと思っていたが、ここに来て本当の家刀自はタマエだったと気づかされた。
神輿の音が近づいてくるのを聞いて、ユリアがタマエに何故この土地の神輿は男しか担いじゃだめなのかと訊ねる。タマエが言うには、この土地は昔から肥えた土地で、水がよくて子供がたくさん産める、女が生きやすい土地だった。この土地の神様は女で、だからここでは男だけが神輿を担いで神様を喜ばせるのだという。
その祭りの日に、妊婦が二人もやってきたのは神様の思し召しとヒロコ。キョウコが妊娠検査薬を箱を持って「私も妊娠してないかな」というのでヒロコがあわてる。「冗談、冗談」というキョウコに「あんたが言うと冗談にならないのよ」とヒロコ。「なによ、それ!」とキョウコがふくれる。
再び大音響とともに神輿が近づいて、その音がまるで家を包み込むようにしばらく続いたあげくやがて急速に遠ざかっていく。
トイレに行っていたマオが戻ってきて「あのー」と言い出しにくそうにしている。「あのー、生理用品貸してくれないかな?」
二人の妊婦がやってきたその日、一人の少女が初潮を迎えた。一同戸惑いながら「おめでとう」の声とともに溶暗。

閉経だと思っていたら妊娠だったというドタバタは端で見ている限りおかしくて大いに笑った。しかし、ミドリにしてみれば仕事のことやら相手とのこと、丸高出産の心配やらなにやらが怒濤のように押し寄せてきて問題はむしろこれからである。しかも、その因となった行為に記憶がない。ユリアにしても妊娠を相手に告げないということは、一人で産み育てようか考えているのである。
故郷とはいいものだ。どんな問題に遭遇しようと悩みを抱えようとそこに戻ってくれば何とかなる。相談に乗ってくれるものがいる。タマエも大らかに産めばいいとつぶやいた。キョウコが誰の子かわからないユリアを産んでもこの家が一人前に育ててくれたではないか。すでに先駆者がいるのだ。非嫡出子なんて後ろ指さされてもそれがどうしたとばかりに守ってくれる。まさにこの場所こそ「まほろば」というべきだろう。

ということなのだが、ここでなんだか奇妙なことに気づくのである。どうも、ここでは一貫して男の影が薄いのだ。ミドリの上司、あの新田は呼び捨て、恋愛の対象どころか普段から男として認められているのかどうかもあやしい。ユリアの相手は妻子持ちのくせに携帯サイトで援交するような脳みそも尻も軽い男のようである。それにユリアの父親と来たら、この村の男のうちの誰であってもおかしくないというから逆に言えば、男なんて十束一絡げなのである。
この際、男の人格はあまり問われない、どころか尊敬されもしなければ当てにもされていないのである。一体男とは何だ!と怒ってみてもしょうがない。タマエによると、この土地は肥えていて女がたくさん子が産めるから女がえらい。だから神様も女なのだ。そこで男どもは女の神様を喜ばすために神輿に担いで練り歩くというのである。
うーむ。そういう土地があるかもしれないが、よゐこには、神輿の話にかこつけてそのような説明はどうかしら?歴史的な根拠が希薄で、行き過ぎたフェミニズムのような気がする。 蓬莱竜太がそう思っているのなら仕方がないか?
日本の神道は「道」と言って、さも体系的であるかのような印象なのだが、その割には実にアバウトで、ご神体は天照から菅原道真、山や大木単なる洞窟とかいろんな動物、新しいところで東郷平八郎、乃木希典というのもある。基準などないところはたいへん結構だと思っているところだが、ご婦人がご神体というのは江ノ島の弁天様ぐらいしか思い出せない。あれはまた別の欲が働いているものだから違うね。ただし、神話よりももっと前(というのも変か?)の古代では豊穣の神といえば女性だったのだから、この長崎のどこか田舎ではそれが残っていたかあるいはどっかで本卦還りになったかしているのだろう。(しかし、ちょっと曲学?阿世の気配がするなあ)

四代に渡る女性たちが血の道の話をしている最中に何度か男どもの神輿が家に近づき、しかし姿を見せることなく立ち去っていく。あれは勇壮な荒ぶる男の性を表現したつもりだろうが、「ちょっと君たちには関係のないことで取り込み中」と追い払われたような恰好である。僕である男としては、そんなひどい仕打ちにあってどうした弾みか、一つの卵子に向かって競争しながら泳いでいる無数の精子のイメージがわいて、なんだか惨めな思いに駆られたのであった。
そういえば、今度のシリーズ『同時代』の三つの芝居は皆若い作家の作品であったが、どれも男の存在感が全く希薄であった。『鳥瞰図』(早船聡)は東京近郊の下町を舞台にした変わりゆく自然と人情の物語だったが、ひとりの女の生き方とその孫娘の関係が軸になっていた。男の人生は言わば添え物である。『混じりあうこと、消えること』(前田司郎)では、「父親という存在」であるかどうかも疑わしい男が女の体の中で混じりあい、なんと消されてしまう(僕の勝手な解釈)のだ。そして、シリーズ最後を飾るこの芝居には、とうとう男は一人も登場しない。それどころか「男の人格を否定するような動きがあった」というか、早い話が男は精子の一しずくに還元されてしまったのである。
お立ち会いの諸君に申し上げますが、これが『同時代』つまり僕らが生きている時代なのだと若者たちは言っておるのです。
四十年前、中ピ連が猛威を振るい、男もスカートをはけと怒鳴られ、酔った女三人に男だからという理由だけで脳天を思いっきり殴られて以来、いつかはこんな日が来るに違いないと思っていたが、なんと生きているうちに来てしまった。
僕としては、どうしてこうなったのかと考えざるを得ない。そしてこの『同時代』がどこへ向かおうとしているのか、僕らとしてはどう対処したらいいのだろうかと思案しなければならない、のではないかと思っている。

そんなことで、この間図書館で借りた本の中に参考になりそうなことが書いてあったので、芝居の感想ついでに、それについて少しだけ考えてみようと思う。
あまり偉そうなことを言える立場ではないから控えめにするが、日本の人文系論壇というのは十本の指で足りるくらい大変狭い。早い話がマーケットが小さいからだ。その中でも最近売り出し中の仲正昌樹という先生がいる。63年生まれ、金沢大学教授。東大の地域文化研究専攻博士課程修了の学術博士(こういう博士があるとは知らなかった)である。日本近現代思想史を講じたりポストモダンに関係するものを書いているが、どちらかと言えば最近「はやらない」哲学よりも分かりやすい社会学寄りの立場にいるのだろうと思われる。というのも社会学というのは分析はよくするが判断はしないという傾向があって、仲正先生を見ているとなるほどと思える節があるからだ。
演劇ファンに分かりやすく言うと、山崎哲は実際に起こった事件の社会的背景について考えて作品を書き、ワイドショーなどで発言してきた。しかし、今はこれがいけないということになって、山崎あるいはその種の発言をしそうなコメンテーターはTVから閉め出されてしまっている。話を単純にすると、事件を通じて社会批判をするのは、かえって犯人を擁護しているように聞こえるのでまずい。TVとしても具合が悪いから控えようという空気が蔓延しているのである。「アキバの加藤」の事件は、非正規雇用や日雇い派遣の問題が背景にあると誰かが言い出すと、殺されたものの身になってみろ、それで加藤は免罪されるのかという声が大きくなって、いつの間にか『社会の問題』は単なる『個人的な事情』になってしまうのだ。その結果、第二第三の加藤が出現するに違いないという確信だけが、ただ不気味にその辺にただようことになっている。
それとよく似た論理で、社会分析をしても批判や行動規範を追求するのは、逆に自分が批判にさらされる立場になる危険があるからやめておこうというのが(僕にいわせれば)社会学者的立場なのである。そのくせ、山崎などの社会批判派を、ついでに全共闘派?もひっくるめて「左」などとレッテルを貼り敬遠する。「左」があるから「右」もあるようで、かくいう自分はニュートラルという勝手に作った安全な場所にとどまるのである。まあ、学者なんてそんなものだ。
ついでにいうと、近頃鳴りを潜めているが、宮台慎司もブルセラのフィールドワークを盛んにしていた時期があった。その分析と構築された論理には舌を巻いたが、それがどうしたというと、売春している少女をぶん殴るわけでも賞賛するわけでもない、ただそれだけという態度で、実に見事な社会学者ぶりであった。
前置きが長くなった。「前略仲正先生ご相談があります」(2007年イプシロン出版企画、『ダ・カーポ』に連載された記事をまとめたもの)という軽い読み物を発見してぱらぱらやっていたら、面白い記述に出会った。この本は、仲正先生は何でもよくご存知ということで、世の中の事件、出来事をとりあげてライターが一問一答する形式で書かれている。
ある事件についての回答の中から引用。
「…の事件で直感的に感じたのは、エディプス三角形の話。資本主義の解体はエディプス三角形の崩壊から始まっているということ。
精神分析でよく出てくる話なんですが、母親と子供の間に父親が文化・社会の代表者として入ってきて、母親と子が密室的に結びつくのを禁じる。そして、密室から外に出された子供に対して、父親は自分のようにならなきゃいけないとモデルとして振る舞うという…
このエディプス三角形は、資本主義が核家族を中心として成り立っているという話とうまく結びつくんですね。つまり、核家族は労働力を再生産する場であると。勤め人男が結婚して子供を作って、その子供がまた新しい労働力になっていく。で、これはドゥルーズ=ガタリがいってたことですが、エディプス三角形が”再生産・生殖”という目標を達成し、資本主義がある一定の段階に進むと、自己崩壊を起こしていくんです。
高度成長期には、まず父親が追いつき追い越せだったし、子供も父親にならって追いつけ追い越せでやっていけた。でも、高度成長が終わったら、そういう追いつけ追い越せは当然止まるはずなんですね。後期資本主義になったら、それ以上の富の拡大は起こらないし、人間がもっと楽になっていくこともあり得ない。
高度成長期には、父親より息子の方が豊かになるのもあり得たけれど、もう天井に達してしまったし、金持ちっていっても、そんなにたいしたことがないのが見えてしまう。目指すモデルがなくなると、エディプス三角形の再生産は基本的には崩れていくんです。」

なるほど「アンチオイディップス」。あれは一夜漬けの重しにはいいが、枕にするには低すぎた。おおよそそんなことが書いてあったのだね、仲正先生。しかし、そんなことならわざわざあんなにまでして紙数を費やすこともなかった。何しろフランス人は数字の読みが長くて複雑だから計算に弱いなどと東京都知事にからかわれたことがあるくらいだから、考えることも複雑なのだろう。それにしても、ずいぶんと長いおしゃべりをしたものだ。ただ、だからどうしようと言うところまで彼らは考えたはずだが、仲正先生としてはそこまで言うのは学者の領域を越えると思っているのだろう。
いや、きりがないからこの辺で終わりにしようと思うが、この芝居との関連でいうと、父親つまり男は、後期資本主義の現代においてはその役目を終えて……終えて……果たしてどこへ行くのだろう?再生産もままならず、ひょっとしたら女になるか。
おそらく、このシリーズを書いた三人の若者は、仲正先生に習わなくても直感的にこの時代の空気を読んだのだろう。芸術家とはそうでなければならない。
それにしても、どこの劇場にいってもそうだが、ご婦人のトイレの長蛇の列を眺めるとエディプス三角形の崩壊というのはあながち迷信とも思えなくなるなあ。

俳優のアンサンブルは上出来。それには栗山民也の演出の絶妙の力加減が効いていた。ああいうものを喜劇に持っていける巧みの技、蜷川幸雄にはできないだろうな。

題名: まほろば
観劇日: 2008/07/18
劇場: 新国立劇場
主催: 新国立劇場
期間: 2008年7月14日(月)~21日(月・祝)
作: 蓬莱竜太
演出: 栗山民也
美術: 松井るみ
照明: 服部 基
衣装: 宇野善子
音楽・音響: 秦 大介
出演者: 秋山菜津子 中村たつ 魏 涼子 前田亜季 黒沢ともよ 三田和代

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2008年10月22日 (水)

劇評「ローゼ・ベルント」

Rose京王線仙川の駅から五分ほどのところに新しく建った公共の小劇場の招待公演。調布市もなかなかやるものだ。安藤忠雄の建築は、相変わらずコンクリート打ちっぱなしの愛想なしだが、とりあえず周りの住宅街に馴染んでいるところはよしとしよう。芸術監督はドイツ人のペーター・ゲスナー、桐朋芸術学園短期大学准教授、劇団『うずめ劇場』主宰だそうである。こけら落としは永井愛の『時の物置』だったというから、外国人芸術監督だからといってなにほどのことがあろう。実に順当な採用で、いうこともない。
偶然だろうが安藤の建築とドイツや欧州北部の気候はよく合っている。安藤の独創はわかるが、肌合いはむしろ向こうのものだろう。それにしてもどうして日本の建築家はこうも西洋かぶれが多いのか?いや、嘆いている場合ではなかった。坂手洋二の芝居である。
これは百年前にドイツで上演されたノーベル賞作家、ゲアルト・ハウプトマンの原作を坂手が翻案台本を書いたもの。二年前の五月に見たイプセンの『民衆の敵』(坂手が翻案)も正統社会派の古典作品だったから、ドイツ自然主義の傑作と称されるこの作品も同じ発想のもとにとりあげたのであろう。坂手の感覚の鈍さは、残念ながらこういう勘違いなテーマの選択によく現れている。
『民衆の敵』も原作の主題とストーリーの上に現代の社会問題を重ねて、実は我々の時代が抱えている問題の下から百年前の同じような課題が透けて見えてくるではないかという効果をねらったものに相違ない。物事を単純にしてしまえばその結果、現代の問題の根は百年前と同じところにあって、それを解決するためにはそこまで遡行しなければならないという主張につながる。感度の鈍さと言っているのは、百年前と現在が、歴史の同じ位相の上にあると思っていることだ。もしもそうであるならば、現在の日本人がこれほどまでに途方に暮れているのが、実に不思議な光景だと言わざるを得ない。
結論を先に言ってしまって面白みがなくなってしまったから、大急ぎで物語を追いかけてみよう。
先の『民衆の敵』では主人公を女性にするなどの工夫を見せたが、この芝居では農場を精肉会社に変えたぐらいでさしたる変更をしていない。この精肉会社こそミートホープに代表される昨今の食品偽装事件を意識したものである。社会派、坂手洋二としてはこれによって時代を現代ということにしたつもりなのだろうが、中で展開される物語の背景には明らかに現在とは思えないおよそ古風な宗教的倫理が存在していて、いかにも『ノラ』の時代の虐げられた女性の姿が見えるのである。これでは、せっかく思いついた精肉会社も「時代」を「偽装」した道具立てにすぎなくなった。
何故精肉偽装は行われたのか、そうした商業倫理の崩壊の原因は奈辺にあるのか、時代が抱えている病巣とは、などという問題に多少なりとも触れるのかと思ったのだが、いっこうにそうはならなかった。早い話が古色蒼然たるドイツ自然主義をそのまま見せられて、途中からなんでいまさらこんなものをと主人公が自暴自棄になる前にこっちが憂鬱な気分になってしまった。自然主義文学なんて我が国のものもどこの国のものも大して面白いものなどない。

主人公ローゼ・ベルント(占部房子)は精肉会社で働いているが、社長のクリストフ・フラム(大高明良)と恋愛関係にある。フラムは九年前から車いす生活の妻(西山水木)とは別れる気はない。早い話が不倫の関係である。ローゼには教会の息子で孤児院出のアウクスト・カイル(大西孝洋)と言う許嫁がおり、 父親(鴨川てんし)は一日も早く結婚してほしいと願っているが、娘にその気はなさそうだ。カイルもまたローゼとの結婚を望んでいるが、愛のない結婚はすべきではないと、ローゼの気持ちが自分に向いてくれるのを待っている。しかしローゼとしては、カイルは人柄のよさにかけては申し分ないが、恋愛の対象とは思っていない。
一方ローゼに言い寄るものもいた。工場の技師、アルトゥル・シュトレックマン(猪熊恒和)は、たびたびローゼに近づき誘惑しようとするが、ローゼは冷たくはねつける。このシュトレックにローゼは社長との関係を知られてしまい、それをネタに脅迫される。やむなく、ローゼは技師と関係するが、このままではいけないと良心の呵責に思い悩み、牧師との結婚もやむを得ないと考えはじめる。ところが、ちょうどその頃妊娠していることがわかって、追いつめられたローゼは堕胎という最悪の選択をしてしまう。
一方、精肉工場では精肉加工の偽装が明るみに出て、シュトレックマンが会社ぐるみであったことをバラしたついでに、ローゼの不倫も公表する。
世間の目が冷たく自分にむけられるのに、ローゼは、自分はただ自分らしく、よりよく生きようとしただけなのにと社会の閉鎖性や偏見、性差別などにたいして抗議する。この場面のローゼ=占部の長い独白は、伊藤雅子が用意した舞台中央の五本の細い柱が教会のような効果を発揮したことも手伝って、髪振り乱しのたうち回り、嘆き叫ぶといった憑依の迫力であった。占部も、のほほんとした顔の割にはやるもんじゃないかと、その意外性に感じ入ったものも多かったのではないかと思われる。ただし、途中から理性に欠ける芝居で台詞の意味をきちんと伝えきれていなかったところはまだ力不足。それはともかく、虐げられたもの、抑圧された性と階級、そうしたもののプロテストの気持ちを代弁していると坂手は言いたいのかもしれない。
ところが、客席を埋める九十%以上がご婦人であって見れば、なんだかやっていることが滑稽に思えてくる。「なあに、それって馬鹿みたい」という声が聞こえてきそうである。いっそ、ローゼを男にした方が現代ではリアリティがあったのではないか?坂手さん。

題名: ローゼ・ベルント Rose Bernd
観劇日: 2008/07/05
劇場: 調布市せんがわ劇場
主催: 燐光群+グッドフェローズ
期間: 08年6月30日~7月13日
原作: ゲアハルト・ハウプトマン[底本 番匠谷英一訳 角川文庫『枯葉』]
台本: 坂手洋二
演出: 坂手洋二
美術: 伊藤雅子
照明: 竹林功
衣装: 伊藤雅子
音楽・音響: 島猛
出演者: 占部房子 西山水木 大鷹明良 猪熊恒和 大西孝洋 鴨川てんし 嚴樫佑介 樋尾麻衣子 安仁屋美峰 川中健次郎 中山マリ


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2008年10月20日 (月)

両神山(1,723m)2008年秋

一昨年(2006年)の夏、両神山にいったが、頂上まであと一時間半という清滝小屋(1,300m)で引き返してきた。このときは七時頃から登り始めて清滝小屋についたのが十時、 かなりばててはいたがそれほど遅いペースではない。ただ、この日はいつもより体が登りに慣れてくれなくて、たまに吐き気がするなど体調が悪かった。
小屋まではあと少しだろうという地点で休憩していると、中年の男性がひとり追いついてきた。年格好は僕と同じくらいだろう。彼も立ち止まって汗を拭きながら話しかけてくる。自分は両神山が好きで、もう百回くらいは登っているという。小屋の管理人ともなじみで、今日は野菜のみやげを持ってきたといってリュックの中身を見せてくれる。ずいぶんな話し好きで、なかなかやめてくれそうもない。黙って聞いていると、僕らがぐずぐずして立ち上がらないのは、かなり体調が悪いからではないかと思い出したようだ。間もなく彼は先に行ってしまった。
僕らが清滝小屋に到着したときには、彼は小屋の外から管理人となにやら親しげに声を掛け合っていた。とりあえずベンチに座り込んだ。Yが何かの用事で小屋に入って帰ると、ここで引き返したらどうかという。この先はこれまでよりも急登になる。頂上まで二時間以上はかかるだろう。 体調が悪いのに耐えられるか? 登った場合、午後一時に頂上を出発するとして、登山口まで四時間、いや五時間くらいか?すると下山が午後六時、それから帰宅するのではあまりに遅くなるではないか、そういう理由であった。
実は、先に小屋についたあの男が、あとから登ってくる夫婦のうち亭主の方がかなりばてていて顔色も悪い、ここは一つ下山させた方がいいのではないかと小屋の管理人に話していたらしい。僕としては、ゆっくり登れば多分いけるという見通しはあったが、時間が気になった。「ゆっくり」だと結局子供らの夕飯が遅くなる。そこで、やむなく引き返すことにしたのである。
こういうことはままあることで、残念ではあるが、いつかもう一度という思いもあるからあまり後を引くこともない。思い出すと、友人と甲斐駒に行ったとき、雨にふられて双児山(2,649m)の途中から引き返したこと、Yと行った会津駒ヶ岳(2,132)で頂上直前の湿原でギブアップしたこと(後日再訪して達成)、単独で行った谷川岳(1,977m)、秩父の武甲山(1,304m)など何度も経験している。

今年は、八月に北岳に登ることができたので、俄然やる気が起きてきた。実は北岳の帰りに、やり残している両神山を再訪しようと密かに決心したのである。Yは、こういうところは案外恬淡としていて両神山などにはこだわっていなかった。北岳に対する執着に比べればあっさりしたものである。九月の連休を一日それにあててつきあうということになった。

家をでたのは午前三時過ぎ。小雨が降っている。秩父地方は曇りの予報となっていたが、行ってみなければわからない。大降りならやめようと思っていた。
前回も雲が厚くこの山の全容を見ることはできなかった。
武甲山は秩父盆地のどこからも見える。南の端にいきなり1,300mの高さで立ち上がっているからだ。この山の北側半分は石灰岩でできているために明治期からセメントの材料として掘られてきた。削り取られて灰色になった頂上は無惨ともいえるが、秩父の盟主といわれるだけの偉容は未だ保っている。
一方、両神山は奥秩父といっても群馬県境に近い最深奥部に位置し、麓から見るのは容易ではないらしい。実は何度か秩父へ行っているが一度も目にしたことがない。 地元で二三人にどの辺りに行けば見えるか聞いてみたこともあった。遠くを指差してあのあたりまで?などといわれるが、大概要領が得なかった。それほど山が深いからなのだろう。あるいは武甲山ほどの親しみを持っていないということかもしれない。いずれにしても、いろいろな角度から撮った写真や立体地図を見ても、一体全体がどんな風に見えるのか見当がつけにくい山である。
深田久弥の「日本百名山」によると、
「それは秩父の前山のうしろに岩乗な岩の砦のさまで立っている。おおよその山は、三角形であったり屋根型であったりしても、左右に稜線を引いて山の体裁を作っているものだが、両神山は異風である。それはギザギザした頂稜の一線を引いているが、左右はブッ切れている。あたかも巨大な四角い岩のブロックが空中に突き立っているような、一種怪異なさまを呈している。古くから名山として尊崇されているのも、この威圧的な山容からであろう。それはどんな山岳重畳の中にあっても、一目ですぐそれと分かる強烈な個性を持っている。」
手持ちの写真で見る限り、確かに峨々たる稜線に違いないが「左右はブッ切れている」ようには見えない。一度「巨大な四角い岩のブロックが空中に突き立っている」という様子を確かめたいと思うけれど、そばの山にでも登って、天気に恵まれなければかなわないだろう。これから登るあるいは登った山をこの目で見ることができなかったのは両神山をおいて他にない。奇妙なことではあるが、この山を選んだのは秩父という東京からの近さと修験者の山らしい適当な厳しさがあるという理由で、山の形にまで気はいかなかった。(あとで調べてみると、何のことはない、秩父市街の高いところから望むとそのように見えるらしいとわかった。)
深田久弥は、「秩父の町から納宮までバス、そこから楢尾沢峠を越えて、日向大谷にある両神山の社務所に泊まった。」と書いている。交通の便が悪くてなかなか登る機会がなかったが、バスが通って東京から一泊で行けるようになったのででかけたということであった。その納宮というのは秩父盆地を東西に貫く国道299号線沿いにある。国道はそのまま西に向かい、志賀坂峠をトンネルで越えて群馬県に入る。現在ではこの国道の南、尾根を一つ隔てた薄川に沿って県道ができ、直接日向大谷に入れるようになった。地図を見ると、確かに納宮から徐々に高くなり、峠から急坂を日向大谷に向かって下りる山道が通っている。深田久弥が登ったときはこの道しかなかったのであろう。

秩父の町を通過する地点で白々と夜が明けた。こぬか雨が霧にかわり、盆地の北、小鹿野の町から登山口に向かう県道279号線に入る頃には、前を覆っていた霧が、そこかしこで白い水蒸気の塊に変わり空中に消えていく気配になった。空はまだどんよりと低い。
県道は小さな集落を縫うようにして長々と続いていた。その道も高度を上げると同時に次第に狭くなり、やがて車一台がやっと通れるほどの山道になって、退避スペースが次々に現れる。右側から山が迫り、木の葉が道の上を覆って暗い。しばらく行くと不意に空が開けて道が広くなる。左は大きく張り出した駐車場、右はコンクリートで固めた高い土止めが続く。その上方三十メートルくらいのところに建物の屋根が見えている。道は駐車場の向こうで右に折れて登り返し、建物の前で行き止まりとなる。この建物、民宿両神山荘は登山者しか泊まらないから山小屋といってもいい。深田久弥は「両神山の社務所に泊まった」と書いているが、地図で確認すると民宿の奥に神社があり、その手前が社務所になっている。とすれば、深田がここに来た頃はこの山小屋はまだない。無人の社務所を宿にする他なかったのだ。
山小屋の前の駐車場は泊まり客用なので、いったん荷物を降ろして車は下の駐車場におくことにした。僕らの他は一台もない。小屋の前のトイレのベンチに座って二日前に買ったばかりの登山靴に足を入れる。堅い感触だが地面をしっかりとつかんでいるような気がする。Yの靴も北岳から帰って点検するとソールがはげそうだったので、この際トレッキング用から本格的なスリーシーズン用に変えた。 身支度を整えて、出発。体調もいい。気分も上々。

登山道は、山小屋のうしろに迫ってくる山塊の斜面にへばりつくように左の森の中に向かっている。入り口に登山届けのポストがあるので、そこに書類を投入して暗い木立の中に入る。 午前六時、雨は上がったが曇っている。
二年前より少し早い時刻か。あのときは小屋の主人ともう一人登山客が連れ立って僕らと一緒に出発した。彼らは清滝小屋に用があると言って少し先を行く。白い中型犬が足下にまとわりついていた。どこまで行くのかと見ていると、時々僕らの方に戻ってきて一緒に歩いたりする。しばらくの間そうして行ったり来たりしながら結局は清滝小屋までついていくようであった。つい先日の読売新聞第二社会面に「『登山案内犬』ポチ、日本百名山の両神山で大活躍」という記事が載っているのを見て驚いた。あれは主人についていったのではなくて、むしろ僕らを案内していたのである。少し変わった犬だと思ったが、気に入った登山客だと頂上まで案内するというから、僕の場合は敬遠されたのかもしれない。

この日は、人の気配はない。針葉樹の林に入ると靴底を濡らす程度の流れを横切り、すぐ右に小振りの鳥居が現れ、奥に小さな祠が見える。そこから先は山の中腹に作られた幅三尺ほどの登山道を行く。右から杉山が迫り、左は鋭く落ちて底が見えない。その木立の遥か下方からは水量の多そうな沢音が登ってくる。足を踏み外せばむろん転がり落ちてただではすまない高さである。
日向大谷は標高が約650m、1.8km先の会所という分岐まで高度がほとんど変わらない。最初はむしろ下っているのではないかと思うくらいである。アップダウンの繰り返しで、攀じ登る岩が現れたり木の根が複雑に露出して歩きにくいところもあるが、おおむねよくある遊歩道のおもむきである。
「……さすがに古くから信仰登山の山だけあって、途中には碑や石像などがいくつも立っており、由緒ある名前が随所についていた。」と深田久弥が書いている通り、時々足下にかなり風化した石碑や道標らしきものも現れる。
三十分ほどで会所に着いたが、これは標準の時間。とりあえず順調である。会所は頂上に至るいくつもの尾根筋の一つである産泰尾根の付け根にあたる。日向大谷から進んできた登山道はこの尾根に突き当たって、まっすぐには進まず谷筋を選んで二手に分かれる。会所から右にいけば七滝沢という渓流を逆登り、やがて産泰尾根の上に出る。薄川沿いに登るルートは清滝小屋の上方で尾根に登りその道と合流する。一昨年のときは、七滝沢は荒れているという情報を得ていたから当然避けた。ところがあのとき僕らに追いついた十人ばかりの中高年パーティが、迷うこともなくその道を行ったので、あえてつらい思いをするのかと感心した。
会所からいったん急坂を下るとすぐに渓流が見える。その沢と合流する地点まで下りきったところで左に振り返ると、川岸に張り出すように整地された場所がありテーブルとベンチがおかれている。ここで休憩。濡れたベンチが乾き始めている。いったん休むとつい時間を忘れてしまう。
ここから清滝小屋までは約2.5kmとコース上距離が最も長い。薄川沿いに標高差600mを登ることになる。ベンチで十分ほど休んで再び歩き出す。沢沿いに進むと、ほどなく鬱蒼とした森に阻まれ、細い流れにかかった三メートルほどの木の橋を渡る。二本の丸太の間に板を張った白木の立派な橋だが、濡れて少し傾いでいるから慎重になる。渡りきると右手から迫る山の斜面を一気に登っていく。
このとき渡った沢は薄川だったと思い込んでいた。それまでは左の遥か下に薄川の沢音を聞きながら歩いてきた。その沢がもし薄川だったら対岸に渡ったのだから、今度は薄川を右に見て山は左手から迫ってくるはずだった。ところが、道は右手の斜面を駆け上がっていく。登っていくときにはこの矛盾に全く気がついていなかった。つまり、渡った沢は薄川とばかり思っていたのだが、そうではなかったのだ。どの沢を渡ったかなどは、普段なら何の問題にもならない些末なことなのだが、この勘違いがあとでパニックを呼ぶことになる。
道は、山の斜面を緩やかに上がっていく。沢音は左の遥か下に聞こえる。やがて100mほど高度を稼いだと思われるところで薄川に出会い、大きな岩にペンキで赤く書かれた矢印に従って対岸へ徒渉する。滑らないように岩を選んで、しかも買ったばかりの靴を濡らさないように慎重に渡る。ここから100mくらい進むごとにあと三回徒渉を繰り返して、川の右側に渡ると、今度は林の中の急登が始まる。このあたりが、清滝小屋への中間地点か?既に標準の時間に三十分ほど遅れている。
沢をうしろに林の中をジグザグに登っていくと登山道の脇に「八海山」と書かれた立派な柱が現れる。標柱の足下には小さな石像が祀ってあるけれど、そっちの教養はまるでないから何かはわからない。前に来たときにはここで休憩したような気もするが、由来についてはそれほど気にならなかった。「八海山」と言えば越後三山の一つとしてよく知られた山(最高峰の入道岳1,778m)で、僕も関越道を通るたびに見とれてハンドルを誤りそうになる山だが、それは関係ありそうもない。ここは修験道の山だから密教呪術に由来するものか、あるいは極楽浄土の中心、須弥山を取り巻く八山八海に関係するものか?あたりを見ても日向大谷から3.1km、頂上まで2.6kmと書かれた標識だけで、他に手がかりになるようなものは何もない。山の中に「山」とは不思議な光景である。標識には清滝小屋まで0.8kmともあって、少し元気になった。
やや緩やかになった斜面を登っていくと再び沢の音が聞こえ出した。雑木の林が右から迫り、左は沢に切れ落ちている。広葉樹の葉が黄色くなりかかって、標高千メートルを越えるここでは秋が深まりつつあった。その道がそこだけ少し濡れている場所がある。脇に「弘法之井戸」と書かれた小さな標柱があった。その柱のこじんまりとした風情に似合う細い樋から清水が流れ出している。しゃがんで手袋を取り、片手ですくって口に含む。甘露。
デジャブである。前に来たときもこうしてしゃがんだような気がする。少し違うのは、あのときは体調が悪かったせいで、かなりくたびれていた。だから顔に冷たい水をかけて気を取り直そうとしたと思う。しかし、今はもうすぐに小屋だとわかっているからすぐに立ち上がった。白藤の滝へという矢印のある道標を見送り、整備された道を登っていくと上方に屋根が見える。清滝小屋に到着した。午前十時、奇しくも一昨年と同じ時刻である。
小屋は二階建てログハウスのようなしゃれた建物で、左が宿泊施設、右が管理棟である。真ん中の出入り口に張り紙があって、この日は休みと書いていた。宿泊の棟の方は非難小屋として使ってもかまわないとあった。前庭に屋根のかかったテーブルと椅子のセットをおいた場所があり、とりあえずそこに腰掛けた。向かいのテーブルを四五人の学生が囲んで食事の準備をしていた。僕らは昼までに頂上に着いて、そこで食事にしようと思っていたから、水を補給しただけで、そそくさと小屋をあとにした。
小屋のうしろから急登が始まる。頂上まで1.8km、標高差約400mを登るのである。体が慣れてきたせいか、苦しいが順調な登りである。急斜面とはいえ、黒土で岩が少なく歩きやすい。ほどなく七滝沢から来る道と合流し、産泰尾根の上に出た。ここで、晴れていれば木立の向こうに樹木に隠れた頂上が見えるはずだった。
尾根道は次第に痩せてくる。ごつごつした岩の上を歩くことが多くなった。そしてとうとう鎖場に出会う。ここは痩せ尾根にむき出しになった大岩の上を攀じ登って越えていくという道なのだ。いかにも行者の荒行をそのまま残したという風情で、両脇は樹木で見えないが、切れ落ちていることは地形を見ればわかる。一歩目はどうにか岩に取り付いたが、それから先は手がかりも足がかりもない。身の丈の三倍はありそうな高さの大岩である。張り付くようにしてわずかな手がかりを探し足をかけ、左手でつかんだ鎖をたぐり体を持ち上げる。これまでも鎖場はずいぶん経験した。垂直に近い岩場も登ったことがある。しかし、これほど難儀な鎖場は初めてである。鎖と両手両足のうちの二つを固定する三点確保の原則を守ろうと思ってもこれが思うように行かず、両手で鎖にぶら下がるような有様である。それでも若ければ体を支えられるだろうが、横に振られて落ちそうになる。Yがうまく登れるか心配だったが、今はそれどころではない。普段使ったことのない筋肉を総動員してどうにか乗り越えられた。幸いなことに続いてYも登ってくる。
モノの本には、鎖場がいくつか現れるとあるだけで、これほどとは想像していなかった。明らかに他の山と比べても格段に困難と思った。この山の登山ルートはどれ一つとっても頂上付近にさしかかると鎖場があるらしい。特に、ちょうど反対側の八丁尾根を登ってくる道は、西岳東岳の二つの急峻な岩峰を乗り越えるあたりから頂上まで鎖場の連続だという。埼玉県でも滑落事故が最も多い山として知られているのは宜なるかなである。
さて最初の鎖場を通過すると、まもなく同じような大岩が現れ、これも修験者のごとき態でとりつき、どうにか攀じ登る。そうして、しばらく岩がゴロゴロしたやせ尾根を登っていくと、やがて大きな鳥居が現れる。その向こうに木造の建物、神社なのだが雨戸で四方を囲って拝殿も何も見えない。一対の狛犬の間を通り境内に入ると樹齢400年くらいの檜の大木が生えている。道は大木と神社を右に見て奥に進むが、すぐ隣にもう一つ小振りの建物が建っている。これもまた神社らしい。何故、二つ並んでいるのかはわからない。
僕らは、とりあえず大木と道を挟んで反対側にしつらえてあるテーブルと椅子で休憩を取った。午前11時半であった。この先時間がかかったとしても四五十分で頂上だ。ちょうどお昼、食事をどうしようかと思った。頂上は狭いと聞いていたからだ。そこで、ここまで戻ってから昼食にしようと決め、リュックの中のペットボトル三本を檜の根元に隠して出発した。
神社からは、暗い樹木の中をいったん下りるようにして進む。足下の土が崩れて歩きにくい。かなり下りたと思ったところで登り返すと、下りてきたものが「あと一息」と声をかけてくれる。道は尾根筋のすぐ下を巻くようにしてついているが、ところどころロープが張ってあり尾根には出られないようになっている。ところが間もなくその尾根のてっぺんを立派な歩きやすい比較的平坦な道が通っていることに気がついた。してみると今僕らが登っているのは、俄に思いついたような、計画性もなければ整備もされていないガタガタの道だ。どうやらこの道は、後からつけたものらしい。元々存在する立派な道をわざわざ通行止めにしている。理不尽なことだが、山の道のことだから文句のいいようもない。

さて、どうやら頂上は近いらしい。いよいよ尾根は狭くなり岩場の登りが続くと思っていたら、再び鎖場が現れる。一枚岩の大きな岩盤に取り付いて悪戦苦闘しながら攀じ登ると、次から次に同じような鎖場が登場する。ようやくその難所を乗り越えると上方から話し声が聞こえてくる。岩場を登りきると両側が切れ落ちた狭いところにテーブルとベンチがあり、若い者が二人休んでいた。そこから大きな岩が折り重なっているところを登っていくと、あっけないような幕切れであった。頂上に着いた。岩を積み上げてあるような狭い頂上である。真ん中に祠があって、それを囲むように三角点や展望を示す方向盤、標柱などがおかれている。二十人ばかりの老若男女がいた。展望はない。とりあえず、両神山の標柱を挟んで写真を撮ってもらう。十二時三十分であった。
そばにいた中年の男性が、こっちに下りて行こうか迷っているといって八丁尾根の方をさした。すると隣の若者が地図を取り出して、このルートだと示している。僕は、八丁尾根はかなりきついと聞いているといった。するともう一つルートがあったはずという。どうやらこの人はどうしても別の道を下りたいらしい。若者がそれなら白井差に下りる道だろうと指差した。ただし、その道は通れないのではないかというと中年単独行氏はウームと困った顔をしていた。僕らはそこまで聞いて、十二時四十分、頂上に別れを告げた。
白井差というのは産泰尾根の薄川を挟んで反対側の大きな尾根を下りた谷筋にある登山口である。日向大谷は両神神社の里宮があってそこを起点とするこのルートは昔からの表参道だが、白井差から登るのは距離がやや短く、昇竜の滝などの景勝地もあって、古くから人気の登山道だったという。ところが詳細はよく知らないが、この道は廃道になったらしい。というのも驚いたことに、両神山は頂上を含むこの登山道一帯が私有地だったのだ。それが昭和25年、国立公園(大幅な制限を受ける)に組み込まれることになって、地主が相続税免除を条件に承諾したのだが、どうも国が約束を破ったらしい。また、いつどんな事故があったのか知らないが訴訟にまでなったことがあったらしく、それならというので地主が道を閉ざしてしまった。私有地につき立ち入り無用というわけだ。
これらはすべてWebで得た情報だが、すでにトラブルはすべて解決したらしい。今は登山口に住む地主が新たに自力で登山道をつくったので登れるようになっている。ただし、予約届け出制で頂上往復、ストック禁止、犬禁止、危険行為禁止などの条件を課せられ、無事に帰還すると一人千円の協力金を払うことになっている。このうち『ストック禁止』さえなければ、僕らも白井差に向かっていたのに、と思わないでもない。どんなルートか二万五千分の一の地図で見ようとしてもでていない。あくまでも私道というということなのだろうが、道はあるのだから表記方法はともかく記載すべきではないか?
それにしても、さすが秩父困民党の土地柄である。政府だの県庁の役人を敵に回して一人で奮戦し、山登りのことで訴えられると受けて立つ。明治の自由民権運動を戦った気骨が今に残ると感心する。とはいえ、なんだかややこしい話である。
その込み入った事情が、頂上付近の立派な旧道とひどい新道が交差する姿に表れていると推測されるのだが、ロープで行く手を阻み倒木で邪魔をするというのはどうにも不自然で、理不尽である。人間の最も俗なところがこんなところに持ち込まれている。これも、元はと言えば木っ端役人の権力志向のなせるところかと思えば腹が立つ。というわけで、僕はロープを跨いでどんどん歩きやすい旧道に入った。Yは律儀に新道を歩いている。何とその姿は、常に僕の横を平行して移動しているのである。このばかばかしさは一体なんだ。役人に見せてやりたいが、どうせ「法」というのはそんなものだと言われるのが落ちか?
もう一つ腹が立ったのは、帰りの鎖場だった。登りの岩場では無我夢中で鎖場を攀じ登ったが、むしろ下りは取りつく島もないと言った態で時間ばかりかかった。Yは手がかりがないと言って滑り台に乗るような前向きの体勢で下りようとする。危険きわまりない。なんとかやめさせたが、途中岩に指を打ってけがをした。翌日紫色に腫上がったのであわてて病院に行ったら指の骨が欠けてどこかに飛んでいってしまったらしい、といっても指の中だろうが。ともかくこの程度ですんだからよかったものの、あの有様ではどんなけがをしても不思議ではない。
他の山ではこういう場所では、普通梯子がかかっている。ここはかけられないような地形でもない。ほんの三メートルほどの梯子で難なく越えられる岩だ。例えば北岳の八本歯のコルではもっと長い梯子が連続して出てくる。それに大概の山の鎖場は、手足だけで攀じ登ろうと思えばできなくはない。鎖はあくまでも補助的なものにすぎないのである。ここでは鎖しか頼るものがない。
修験道の山だからそれなりの厳しさを保っているなどというのならとんでもない勘違いである。この山は百名山のひとつである。初心者から経験者、若年も中高年もやってくるきわめてポピュラーな山だ。梯子を四五本かけるだけで、けがの危険を大幅に減じられるのにやろうともしない。管轄する行政機関に強く要請する。直ちに梯子をかけろ!道路特定財源で自分らの遊び道具を買うくらいなら、こっちに金を使ってもらいたい。
こうして大いに時間がかかったが、再び神社に戻ってきた。早速、隠していたペットボトルを取り出し、お湯を沸かして食事にした。 恒例の果物にパンとスープにコーヒー。その間にも頂上から何組も下りてきて目の前を通過していく。こっちは不思議に急ごうという気にならなかった。頂上まで行けたことで気分がうきうきしていたこともあった。 神社の建物の裏に回ってみたり、狛犬が妙な形だと思って写真に収めたりした。妙だというのは、顔が狐みたいに長くて、尖って犬らしくないことだ。あとで調べたら、これは狼なのだそうだ。込み入った由来があるらしい。
ぐずぐずしているうちに午後二時になった。神社を出発してまもなく鎖場を通過する。これにも手間取った。林の急斜面を下りていくが清滝小屋の屋根はなかなか見えてこない。結局、小屋まで小一時間かかってしまった。前庭に数人みえたがすぐに小屋をあとにする。弘法之井戸を通過するときにはわずかに日が射していた。
日向大谷までおよそ4km、ひたすら下りるしかない。 八海山の標識を横目で見ながらほとんど休憩なしに、とりあえず最初の徒渉個所に向かう。沢音が近づいてきた。そして道は河原に続き、大きな岩に矢印が見える。対岸に渡り沢を高く巻いて砂と岩まじりの道をしばらく行くと再び沢まで下りて徒渉する。もう一度対岸に渡る頃には日が陰ってきて、矢印が見えにくくなっていた。さらに渡り返すときには矢印を見失ってしまった。気のせいか急速に暗くなったような気がする。しかし、見上げるとまだ四時半頃の空だ。おそらく、目が悪くなったせいだろう。この春に仕事でパソコンばかり見てきたから、目の感度ががくんと衰えた。少し歩き回ってようやく矢印が見つかった。これが最後の徒渉で、この先薄川を右に見てしばらく行けば会所に着くはずだと思ってやや安堵した。沢音は右手遥か下から上がってくる。
しばらくその産泰尾根の中腹に刻まれた道を緩やかに下る。ここは同じような景色が会所まで1kmほどだらだらと続く。いずれベンチの場所に出るだろう。しかし、林の中に差し込む明かりが弱くなり、次第に日暮れの時間が近づいていた。
そろそろベンチかと思われる頃、突然道がなくなった。足下の岩の先で道がこつ然と消えている。おかしい。どこで間違えたのか。頭の中で逆にルートをたどってみたが、思い当たるところはない。果たして徒渉場所を間違えたか?俄に不安が怒濤のように襲ってきた。
Yがあそこじゃない?と下の方を指した。三十メートルほど下に白木の橋がかかっている。しかし、橋はまるで梯子のように異常に傾いていた。あんな向こうに攀じ登るような橋は見た覚えがない。しかも、もう一度沢を渡ると薄川の向こう側に出てしまう。帰るには薄川を右に見るルートでなければならない。頭がパニックになった。
Yが後ろで、あった!という。岩の上で探していた僕のうしろを指差している。振り返るとV字型に折り返して沢に下る道がついている。とりあえず半信半疑で下りていった。すると、橋は水平に近い角度でかかっている。なんのことはない、高いところから見た目の錯覚だった。しかし、既に周りの景色が見えなくなるほど暗くなっていて、見覚えのある風景かどうか確信できなくてまだ納得したわけではかった。
実は、ここで渡った沢は薄川ではなかった。薄川は僕らが最後に徒渉したあと登山道から右の方に次第に離れていった。そして、道がここにやってくる遥か以前に、ずっと右の方に流れ下っていったのである。では、この沢はなにか?
産泰尾根の向こう側の沢沿いに登るルートを七滝沢コースといって、僕らが選んだ道とは会所で別れるといったが、この最後に徒渉した沢は、その滝沢(七滝沢)だったのである。滝沢はここから少し流れ下って薄川に合流する。僕らはここでその滝沢を渡り、さらにしばらくいって右からやってくる薄川の沢音をはるか下に聞きながら下ることになるのである。
そのことにはまだ気づいていない。沢から少し登って、ようやく見たことのある道だと確信し、胸を撫で下ろした。ほどなくベンチが現れた。
ここまで緩やかな下りといっても、ブレーキをかけながらの歩行だからかなり膝に負担がかかっている。崖を落ちるような下りならとっくに膝が笑っているが、ここは傾斜が緩いから助かった。休みなく下りてきて、緊張から解かれたばかりだったのでベンチで休憩することにした。肌着は汗を発散するタイプだが、北岳で破けた上着の代わりに着た木綿のシャツは触るとぐっしょり濡れて冷たい。気温がそれほど低くなかったからよかった。喉がからからだった。水を飲むのも忘れるくらい急いで下りてきたのに気がついた。時間が気になる。五時半を少し回ったところだ。小屋から二時間半もかかってしまった。薄暗くなってきた。日が暮れるまでと登山口に着くまでと両方ともに、あと三十分だ。
まだ夕暮れの明かりは残っていたが、出発前にヘッドライトをつけることにした。僕のはLEDランプで比較的明るいが、Yのは電球式で光が赤い。僕が前を行くことにした。午後五時四十分、ベンチの場所から一気に駆け上がると会所の分岐である。標識に日向大谷まで1.8kmとあった。反対側に『山道』とあるのは多分七滝沢の方を指しているのか?わかってはいたが、そんなにあるのかとやや落胆の思いであった。ここからはアップダウンが続く。登りになるとかえってスピードが出るくらいだ。ストック二本は下り用に長くしてある。それを駕篭かきのように左右に振り出してエイホーとかけ声をかけながら歩いた。会所からいくらも行かないうちに、日が暮れてしまった。真っ暗な中をヘッドライトが照らし出す道をいく。林の影だけが目の前にボゥっと浮かんでその下に灰色の道がある。右は切れ落ちて漆黒の闇だ。月明かりもない真っ暗な夜である。
ヘッドライトは意外なほど明るい。Yのライトはなんだか弱々しかったので、僕が前を歩いて、道を照らした。ところどころ木の根が複雑に段差を作っていたり、岩が突き出しているところなどが現れると、僕のライトで照らし出して慎重に足を運んだ。そうして、おおむね順調に距離を稼いでいく。登山地図によると、この間の下りの所要時間は25分である。(登りは30分)六時過ぎには着くはずだ。
ほぼ半分くらいまで来たと思われるところで足が止まった。左側が岩壁、右の崖下から太い幹の木がのびている。足下の岩から下がすっぱりと切れ落ちている。下は真っ暗で何も見えない、えっ!こんな場所があったっけ?一瞬、道を間違えていたのかと思って戦慄した。引き返すか?いや、どこにいるのかわからないまま動いたらかえって危険だ。では野営か?と悲嘆と絶望、無力感が頭を駆け巡った。(若い頃はこういうときこそやる気が出たものだったが、俺も衰えたものだ、とは後からの言い分)
Yに道がなくなった、というと「そんなばかな」という。僕の脇から大木の横のあたりに回り込んできて、岩の下を照らしている。こっちは、こんなところで滑落事故でも起こしたらどうしようと思案しているのに、落ち着いたものだ。しゃがんで岩の下の方を覗き込んでいたYが「あった!」という。何が?「こんなところに鎖があるじゃない」えっ、今朝の登りで、この鎖場を越えたという記憶は完全に抜け落ちていた。
あらためてライトを当ててみると、確かに鎖とロープが一本下がっていた。しかし、鎖があるくらいだから岩の下はかなり落ちているはずだ。それが確認できない。それにしても、そこから続く先の道が何故見えないのか?冷静になって前方にライトを当ててみると、見えないのも道理だった。道はこの岩の下で10mばかり、ガクっと下がるとその先で左に曲がり一旦見えなくなる。次に見えるのは、もっと下の方だった。左に行った道が下りながら右に折り返し、ずっと向こうのかなり下に見えていた。道は思ったよりもはるか下方に下っていたのだ。
ともかく鎖場を下りなければならない。ようやく足がかりを見つけてそろそろと下りる。かなりの高さである。しかも岩はむきだしのまま崖下に切れ込んでいる。足を滑らせながらもなんとか下りた。次にライトで照らしてYが下りてくるのを待つ。記憶がないのはどうしたことだ、などと思いながらもとりあえずホッとした。
人は一つの対象に意識を向けたときは多分鮮明に覚えているのだが、そうでないときは全体の印象、形象を記憶しているものだ。だから、この場合のように部分だけ切り離して取り出しても記憶の全体が構成されないのだろう。やむを得ず夜になってしまったが、実に危険な体験だった。今でも思い出すと身震いする思いだ。
この後は駈けるようにして進んだ。植林したと思われる針葉樹の斜面を横切っていく。いよいよ真っ暗になった。ライトにあたる木々だけが闇に浮かぶ。いけどもいけどもこの行程はなかなか終わってくれない。 息がはずんで自然に喉から声が出るのは魔除けのつもり。やがて、周囲の植生の感じが少し変化したような気がした。林の中に広葉樹あるいは灌木のようなものが混じりだしたと思ったのだ。近い!闇がいっそう黒々としだした。ほどなく下の方に何やら小さな明かりが見えてきた。どうやら着いたらしい。鳥居と祠がどこからかもれてくる明かりに照らされてボゥっと浮かんで見える。細い水の流れを渡った。そして、暗い森の中から日向大谷の街灯の中に飛び出した。
小雨が降っていた。ほんの少し顔にかかるほどの雨だった。
午後六時二十分、約12km累計高低差2,200mを十二時間かけてとうとう踏破した。朝身支度を整えたベンチに腰掛けてしばし呆然としていた。


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2008年10月10日 (金)

劇評「混じりあうこと、消えること」

Maziri若手作家、書き下ろしシリーズ「同時代」の第二弾は「五反田団」の前田司郎、白井晃が演出した。
前田については、二つのことしか知らない。一つは平田オリザの「青年団」にいたらしいこと。もう一つは、平田の「御前会議」に登場する佐藤さんと称する実は人形が、前田のアイディアだったということ、である。(あっ、もうひとつ忘れていた。最近ドーナツ屋のコマーシャルに顔を出しているのを見つけたばかりだった。)
というわけで、作品どころか劇団のことも作風も何も知らないで、初めて前田司郎を体験することになる。

遊具のある児童公園が舞台。中央上手よりに、貝殻を伏せた小山のように見えるオブジェがある。ところどころ穴が開いているのは、内部にちょっとした迷路があるからで、子供が中にくぐって出たり入ったり遊べるようになっている。上手奥にはジャングルジム、手前には砂場。そこにはプラスティック製のおもちゃが散らばっている。下手にはブランコがあって、手前にベンチがおかれている。
街灯がともり、薄暮のどこにでもあるリアルな公園の風景である。
そこへ喪服姿の男(國村隼)が現れベンチを見つけて腰をかける。葬式帰りに暫時休憩という風情である。男は足下にロープがあるのに気づいて、これをつま先でいじっている。それが舞台袖までのびて消えているのに興味を持ったのか両手で引っ張ると、ある程度まではひけるが、突然強く抵抗されるので、訝しげにロープを捨てる。これは後で起きることの伏線になっている。
男がそうしているところに、小山のようなオブジェの穴から少年=俊夫(端爪遼)が顔を覗かせ、穴に向かって母さん=カナ(南果歩)を呼ぶ。男と顔を合わせた母親は、少年にこれはお前の父さんだという。男は母さんを知っていたようだが、本当に知っているのか、また、その応対がどこまで本気なのかは曖昧である。何か無理矢理「父さんにさせられた」のではないかという気もするが、とりあえず男は小山の横のわずかなスペース、そこが「家」と想定される場所に招き入れられる。靴を履いたままだったので、それをとがめられるところなど、ままごと遊びのような「家族ごっこ」がはじまる様相である。Maziri1
少年=俊夫は、父親とは初めて出会ったらしい。本当の父親かどうか疑っている。母親は「ちゃんとした父さんにしていきましょう」などと妙なことをいう。しかし、男に比べると母親が不釣り合いに若いことを指摘されると、お前の父親は再婚したのだとか、前の相手は死に別れ、いや生き別れのほうがいいかなどと勝手に過去を作っていく。男は、戸惑いながら女の作る話にただ相づちを打つばかりである。
男はコンサルタントの仕事を持っているが、今日はリフレッシュ休暇といい、少年も出かける気配はない。男は普通、家族は一緒にいないものだと思っている。しかし、母親も少年も家族はそろっている方がいいという。それで何をするのかと男が問えば「団らん」だという。この家族の「団らん」という言葉はこの劇にとってしばしば登場する重要なモチーフになっている。しかし三人は、団らんとはどんなことか忘れてしまったようにぎこちなく座ったままである。
そのうちに男がそばにあったロープの端をいじり、引っ張ったりしはじめる。それを見とがめた女があわててロープを奪い、危険な行為だという。この紐の先には怪物がいるというのである。怪物とはピラニアのことである。女は、そのピラニアは私の娘、私がピラニアと交わって生まれた娘なのだというのである。
そんな馬鹿な、ピラニアなどその辺にいるものかと抵抗すると、それがいるというのである。なぜなら、ここは水の底にある水底町なのだから。その証拠に、上に見えるあのうすぼんやりした光は月なのだという。たしかに天井には不透明の幕のようなものが張ってあり、それを通して月なのか太陽なのか一つの明かりがにじんで見える。
女のいうには、最初はピラニアしかいなかった。男は、それなら東京はどうなったと聞く。もちろん沈んでしまったと女。そして、自分が世界で一番最初の人間だったという。それから男が、次に少年ができたというのである。はじめ男はピラニアだったと女が語る。ピラニアだった男が女の腹の一部を噛みとって、それで人間になったというのである。今でも女の腹にはそこが傷になって残っている。いまや噛みとられて男の一部となった女の腹の一部は、もとのところへ帰りたがっているはずだなどと女はいう。(遠く旧約聖書を思い出させる挿話である。)
不意に女は団らんでもしませんかと呼びかける。しかし、男はどうするのかわからない。女は団らんといえば食事ではないかといって、砂場に散らばったおもちゃの食器を運んで、食事のまねごとをしようとするが、男は団らんならば、娘も一緒の方がいいといいだす。すると、女も少年も呼ばない方がいいという態度である。娘は凶暴なのだという。何しろピラニアとの子だから、歯を見せると喉笛に噛み付かれるというのである。近頃ではよほど人間らしくなったが、まだ危険だから、決して歯を見せないようにと言い含めて、女は決心する。いよいよ紐を引き始める。はじめは何の抵抗もなくするする引き寄せられるが、やがて何かに引っかかったように紐はピンと張る。どうやらすぐそこまで来たようだ。えい、と力を入れると人間が飛び込んできた、と思ったらロープの先には人形がくくりつけられている。
娘は、この世界つまり水底の町を出て行きたがっていたから、すでにここにはいないのかもしれないと女。とはいえ、まだ人間ですらないピラニアの子がひとりで何かできるはずもない。そこで少年が自ら言い出し、探しにいくことになる。母親は、ついでに弁当を買ってくるように言いつける。
少年が一人小山のオブジェの穴に向かって、弁当を注文している。海鮮御膳にしようかどうか迷っている。応対しているのは女の声である。ところがお金を受け取ろうと穴から出てきたのは鶏の手。思わず化け物!と叫ぶと自分は俊夫とは旧知のチーコだと名乗る。俊夫が無理矢理「混ざりあおう」としたので、自分は殺されたのだという。では何故死んでるのに会えるのか?と問えば、おそらくここが水底だからだろうという答え。「そうか、普通死んだら消えるもんね。」と俊夫。では「消えてしまうというのは混ざりあうことと同じこと?」と鶏が訊ねる。これではほとんど禅問答だ。
実は鶏の声を演じていたのは、探していた少女(初音映莉子)で、いつの間にかジャングルジムの上にいたのだ。少女がこの問答を引き取って、「なんだか混ざりたいんだよ」という少年の言葉に「消えてしまうかもしれないのに?」と聞く。答えを躊躇している少年に、少女は「ご飯を食べるのと同じことではないか」という。それは「ご飯を食べて体の一部にする」ようなことなのではないかと少女はいっているのである。
混じりあうとは、通常人間と人間の関係性についてのことであろうと思っていた僕らにとって、これは虚を突かれたような視点である。対象を口からとって体内に入れて「混じりあい」消化、分解することによって「消し」、体の一部にするというのは、もはや普通の関係性を突き抜けている。人と人はそれぞれ独立した人格をもって対峙している。我は我であり、相手もまたしかりである。しかしここで関係を結ぶということは、対象を飲み込み、混じりあい一体になってついには相手を消すことである。それが人間の性、あるいは生理なのだといいたいらしい。いうまでもなく人間が他の生物の命を奪って生きているという自覚を促しているわけでも、またその事実を指摘しているのでもない。関係性ということを突き詰めていけば、最終的にどちらかが対象を飲み込み、体内で混じりあい一体化する事態に至るのではないかということである。
かつて、サルトルは他者のまなざしが我を無化(モノ化=即自)するといったが、ここでは、無化どころではなく消滅させられるのである。すなわち他者は自分を消滅させうるものとしてたち現れる。こうして他者との関係ははじめから挫折しているのであり、どちらが主導権を握るにしても飲み込んで残るのは一方の主体だけということになる。究極の主観主義ともいえる考え方であるが、前田司郎にとってはそれが今という時代を生きる現実感覚なのだろう。

母親によると、俊夫は父親の何倍もエロティックなのだという。小学生の頃、学校で飼っていた鶏の飼育係になったが、しばらくして博愛主義からか鶏と交わることが発覚して問題になった。これが先のチーコの話である。鶏だけではなかった。同級生の女の子とも手当たり次第そういう関係になっていたことがわかった。あるとき鯉がかかる病気になって鯉とも混じりあっていたことが、いや他にも近所の犬や猫、マンホールとも関係を結んでいたというのである。まるでフェティシズムを示す行動だが、上のような観点から見ればあらかじめ挫折している関係性を回復しようというきまじめで虚しい努力のようにも見える。

さて、ジャングルジムの上にいる少女が少年に弁当を食べさせろというので、交換条件として首に紐をかけることを要求する。そのうえで、少年は家族のもとへ帰ろうとさそうが、少女は家族に心当たりがない。それは本物かと訊ねる始末。あきれた少年はその場を去り、少女もまた首に紐をつけたままいなくなる。
少年が再び親の元へ戻ると、さっそく少女を呼ぼうということになる。女は男にくれぐれも歯を見せないように注意し、そろそろと紐をひきはじめる。次第に早くなる。もうすぐですよと女。登場した少女は口に何かくわえている。どうやら生きた鳩だ。これがピラニア時代の男と最初の人間であった女との間にできた子だといわれるが、もとより男には覚えがない。まあそんなものだろうという態度である。少女は母親を認めたものの父さんの方は疑っている。本当の父親なのか?
せっかく家族が集まったのだから「団らん」を始めようと母親が提案する。ところが、誰も団らんがどういうものか知らない。いや、漠然とは知っているが、具体的にどうすることが団らんなのか?寝っ転がってくつろいでみる。こんな退屈なものではない、もっと愉快なものではないか?そうだ、ご飯を食べるというのでは?とここで弁当を買ってきたことに気づく。
皆で弁当を食べていると、男の態度に不信感を抱いた少年と少女は「この人、本当に父さん?」とあからさまに非難を始める。男は、そういわれたから俺はお前たちの父さんだと、自分が父親と名乗ったわけではない、責任はむしろお前たちにあると開き直る口ぶり。母親が割って入って「父さんの体の中には母さんの一部が混じりあっている」のだからと、父親をかばうと、少年がならばその証拠を見せろという。そのとき思わず男がにやにやすると、その歯を見た少女がいきなり喉に噛み付いた。あわてて止めに入る女。あれは敵じゃないと少女に言い含め、その場を収めるが、少女はなおも団らんとはこんなものじゃないと言い張る。
ゲームでもするかという言葉もむなしく宙に浮かぶ。団らんの具体的なイメージを求めて一同はあれこれと考え始める。今日あった出来事を話すというのはどうだろうか?と言い出した男に、今日は何があったの?と女。葬式があったと男。しかし、誰の葬式だったか忘れてしまったという男に、それが思い出せないなら団らんにならないといって、一緒に探しにいこうと提案する。そして勝手に小山のオブジェの穴の中に頭から入り込んでいく。あわてて男も後を追いかける。
残された少年と少女は、あれは一体家族だったのかなどと話している。そのうちに少年が砂をすくっては穴の中に入れ始める。両親は死んだのだから埋めているのだという。この遊具は実はお墓なのだ。やがて二人は死んだ母さんと父さんを捜しにいこうと穴に潜り込んでいく。
男が小山のオビジェのてっぺんから顔をのぞかせる。二人とも戻ってきたのだ。俊夫も少女もいない。死んだのか?あるいはあのぼんやりと光っている月を目指してここを、水底町を出て行ったのか?
そこへ再び少年と少女が現れ「母さん、探しましたよ」という。「四人で暮らしていけるんでしょう」という母親に、自分たちはここを出て行くことにしたと告げる。それなら、朝ご飯を食べていきなさいと母親。一同はその場に座り込んでおもちゃの食器に砂を盛り、食べ始める。「今日はいつ頃戻るの?」と訊ねる母親に、少年が「さあ、何年かかるかな?」という返事。「…いまお前、なんかつまんだろ」「ええ、オシンコ…」などという会話が続く中、溶暗。

これは現代における家族についての物語である。舞台が児童公園であることが象徴的なのだが、現実感の乏しい寓話のような構成になっている。
導入部のつくりかたが面白い。男が公園に現れ、いわば強引に父親にされたあげく実は過去にピラニアだったことが明かされても男はそうだったかもしれないと受け入れる。ここは水の底で、天井のおぼろな明かりが月である。つまりこの場所は水の中なのだ。漠然とした閉塞感と、時間がたゆたっている感覚を表している。この家族は、団らんを求めているが、それが具体的にどんなことなのか納得できる答えを出せないで苛立っている。また、娘がピラニアで、長いロープの先につながれているはずだが、ここに現れても歯を見せてはならない、のど元に噛み付くから、というのである。どこか暴力的で危険なにおいがする。それでも団らんは切実に必要だと思っているらしい。というわけで、この先何が起こるかわからないという期待感を抱かせるに十分である。
しかし、それも中盤の少女が現れるまでで、それからは各プロットにおける話が前後で矛盾したり、意味が取れなかったりして必ずしも完成度が高いとはいえない。そのことは上の物語の説明で、ある程度わかってもらえると思う。
例えば抽象的な詩であっても各パラグラフの言葉やイメージにはまとまりがある。この本においては後半、急にそれがなくなる。いったりきたり、ぎくしゃくしているのだ。ただし、前田はそういうまとまりや秩序のある書き方は不自然ではないかといっている。単刀直入にテーマに切り込んで論理的に進行させる方法もあるが、迷いや逡巡、遡行など感じたプロセスをそのまま書き込むのが自分のやり方だというのである。エチュードを重ねていくやり方でもいいのではないかと。
僕とは見解の相違、といえばそれまでだが、しかし百歩譲って前田のいい分でもかまわないとして、それを観客にわからせる「技」というものがあるはずではないか?そうでもなければ前田の思考回路とシンクロできた観客だけが納得できることになる。むしろそういう内面を表現するのが芸術であり、多くの観客が共感理解できないとすれば、「技」あるいは「芸」において乏しいのだと指摘しておきたい。

さて、それはそれとして僕はこの劇を別の興味を持ってみた。
まず前田の関心が「家族」だったことにはいささか意表をつかれた思いであった。このような視点でまともに「家族」を扱ってみようというのは冒険に違いないと思うからである。「家族」は最も身近でありふれたテーマなのだが、前田の挑戦が独特なのは、その「関係性」に深く分け入って「家族」のイメージを本質において捉え直そうとしたところにある。ここに描き出されたのは、前田の感性を通して見た「家族」の「現在」である。しかもそこに現れた像は、過去の「家族」の有り様からは劇的に変容していた。この指摘はかなり衝撃的である。「家族」の解体は同時に組み替えを要求しているが、その方法も出口も見つからず、途方に暮れているのが僕らの時代の「家族」だというのである。さらに、その変化は「家族」という閉じられた系だけでなく社会全体に及んでいるという予感もあるのだが、そこまでこの劇の射程に入れることはできない。ただ、その意味でもこの劇は十分刺激的であるといえる。
前田の関心が何故ここへ向かったかはわからないが、推量はできる。動機の一つとして、TVドラマなどがまき散らしている「家族」の固定観念に強い違和感を覚えていたからではないかと思うのである。それを端的に表しているのが、この劇に一貫して流れている「一家団らん」へのこだわりである。彼らは家族であることの唯一の証、あるいは家族であることを実感できる唯一の時間、それが「団らん」であると思っている。一緒の食事、くつろいだ時間の共有、皆でするゲーム、今日あった出来事を話しあう・・・。いずれも普通の家庭で営まれているはずの「団らん」風景である。しかしこの劇では、どれも長く続かない。彼らがそれを「団らん」と実感できないのは「団らん」という観念に無理矢理あわせようとしているだけだからである。家族一同がうちそろって食事、その後のくつろいだ時間、そんなものが果たして今日の一般的な家族の風景であろうか?皆でゲームに興じる、とりとめもない話をする、一体どれだけの家族がそんなことを経験しているだろうか?一家「団らん」とはもはや実体のない幻想なのである。
家族というのは一組の夫婦の子や孫、その親など血縁で結ばれたものが通常は一つ屋根の下で暮らしている状態を指すが、そこには家長を頂点とするヒエラルキーが厳然としてあった。それぞれには立場に応じて役割があり、その「分」をわきまえて暮らすことが要求された。その秩序を束ねているものが家長=父親の存在である。戦前の民法はそのような「家」を基本単位としていたが、それが民主的ではないとの理由で戦後、大きく変わった。「家」という概念を解体し「個人」を中心に据えたのだ。それでも昭和三十年代までは戦前の考え方が世間にはそのまま残っていた。
実際に変わっていったのは高度経済成長とともにである。工業化社会の到来とともに農村から都会に人口が移動し、多くは勤め人になった。当然「家族」の様態も暮らし方も変わる。はじめはそれでも「一家団らん」はあったはずだ。しかし、次第に「サザエさん」や「男はつらいよ」などのノスタルジックなイメージにそれを託して、実際の暮らしはそこからかけ離れていったのだ。
この劇では、男は外からやってくる。そして父親だといわれて家の中に招き入れられる。それでも男には自覚がない。「最初の人間である」女に「ピラニアであった」男が噛みついて食べた体の一部と「混じりあった」ことで、男は人間になったのである。そして子供ができた。男はその話をそうかもしれないと思う。否定も肯定もする根拠を持っていないし、とりあえずこの瞬間を過ごすことしかできない。この男には「時間=時制」というものがないのである。
つまりこの「家族」において父親は、家長でもなければ与えられた立場も、期待される役割もあるいは過去も未来も持たないのである。男の過去を紡ぎだすのは女であり、子を産んだというのも女である。それは一対の男女関係を前提にしているはずだが、男は女の体の一部と「混じりあい」女の体の一部は男の体の中にある。この入れ子状態は家族というものの根幹をなす男と女の対なる概念が崩れていることを意味している。いわば内側に向かってメルトダウンしていて、むしろ男の存在は「消されて」いる。
四十年以上も前のことだが「家族帝国主義」という言葉があった。過激な学生運動に参加しようとする子供を、家長である父親を中心とする家族が様々の圧力を加えて阻止しようとするのだが、それを家族の帝国主義的な支配であると非難したのである。家族の権力を代表する父親の存在は「粉砕」の対象であったが、逆に言えば、その頃は自由であるはずの家族の行動を縛り付けようとする強く確かな存在だったのである。

統計によると、現在の一般的な父親は三十代から四十代前半にかけて会社に縛られる。当面の目標である中間管理職になるための熾烈な競争を勝ち抜くためには、家族と過ごす時間を犠牲にしなくてはならないのである。小さい子供は主に母親の手で育てられるが、手がかからない年頃になると、その母親も生活のためにパートにでなければならない。何しろ現代の生活はモノ要りにできている。新機能の電気製品、携帯電話にiPod、ゲームにグルメに旅行、習い事に塾や学校の授業料……。こんなものがなくても生きていけるのに、脅迫的に消費を強いられ、「貨幣」の奴隷と化しているのが僕らの暮らしであり、僕らの時代なのだ。
ようやく父親に余裕ができてくる頃になると、子供の方は親離れが始まっている。しかも自分の将来のことを考えれば安閑としていられない。それが思春期と重なってきわめて不安定な精神状態になる。この劇では半分ピラニア=動物である娘が、凶暴な怪物として登場するが、そのようにして子供もまた孤立している。こうした暮らしのどこに「家族」があって、一家団らんが生じるのか?

この劇は、そのような家族の現実が反映されたものと思うのだが、それ以上に僕が気になったのは、「混じりあう」というイメージである。
東浩紀と大塚英志によると宮﨑勤を含む「おたく」世代とそれ以降の「オタク」とは違うらしいが、もちろん前田はずっと後の世代である。そもそも「おたく」というのは「君」とか「お前」「あなた」とおなじ相手を指す言葉だが、自尊心を傷つけられたくないために相手から自分を防御し、相手にも一定以上踏み込まないという微妙な距離感を体現している。強い自己愛ということもできるが、それでは世間とまともに「混じりあう」ことはできない。この劇を見ながら感じていたことは、その後期の「オタク」のあり方である。若者の心の有り様といってもいい。それは、世間から孤立し壁を作り、その中に立てこもっているうちに「自己」が自分の毒にやられ、自分の中で「自己」の核心あるいは確信が溶解し始めているのではないか?ということであった。自分が自分の中で「消える」というアイデンティティクライシスである。
「家族」を壊し、その中の人間を孤立から溶解へと運んだエネルギーが、境界を越えて社会に噴出しはじめているのではないか、という不安がわきあがってくる。折から、百年に一度の大恐慌が襲ってくると世間は騒いでいる。それでも資本は人間を無化しながら、自己の論理で増殖を続けようとするだろう。

題名: 混じりあうこと、消えること
観劇日: 2008/07/04
劇場: 新国立劇場
主催: 新国立劇場
期間: 2008年6月27日(金)~7月6日(日)
作: 前田司郎
演出: 白井 晃
美術: 松井るみ
照明: 齋藤茂男
衣装: 宮本まさ江
音楽・音響: 井上正弘
出演者: 國村隼 橋爪遼 初音映莉子 南 果歩

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