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2008年8月

2008年8月16日 (土)

劇評「父と暮らせば」

Titito08
初演は94年、すまけい・梅沢昌代であった。これは見ていない。
その後、98年に前田吟・春風ひとみ、99年に沖恂一郎・斉藤とも子、04年には辻萬長・西尾まり、で見た。(劇評)今回が四度目になる。この間、黒木和雄がとった映画(04年)も見ている。
既に何回か劇評を書いたと思っていたが、前回04年(平成十六年)のが最初で最後だった。ずいぶんいろいろなことを考えたと思っていたから、探してみたが他にはない。三回分の集大成のつもりで書いたものだったと思う。
今度は、構成がすっかり頭にはいっているので、この場面の次はあれが出て、次はどうなってと筋を追う余裕があった。
最初見たときは、三年前に原爆でなくなった父親竹造(辻萬長)が何故いま現れたのかすぐにはわからなかった。 それは、娘の美津江が夕立にあって雷の光る中を帰宅すると、そこに「おとったん」がいたことにちっとも驚かなかったからである。 家に入って、ぬれた髪を拭きながら雷に身を縮めていると、押し入れから竹造がこっちに来いと声をかける。開幕の場面である。「おとったん、やっぱあ、居ってですか。」とごく自然に、父がそこにいるのが当たり前のように美津江は振る舞ったのである。
これは、父親が生きているような錯覚を起こさせる井上ひさしの工夫であったが、間もなく種明かしがされる。
父親がそこに出たのは、娘美津江(栗田桃子)に恋心が生まれたことがきっかけだというのである。その人を恋しいと思う心から胴体が生まれ、ため息から手足ができ、そのときめきから心臓ができたのである。父親は娘の心にぽっと暖かい灯がともるのを感じてこの世に現れたのであった。
もしも、図書館の司書として勤める美津江の前に、広島文理科大の若い教師、木下さんが現れなかったら、そして美津江の心に彼に対する好意が生まれ、恋の予感が兆すこともなかったら、竹造はこの世に出てくることもなく、この芝居もなかったわけだ。
それにしても、わざわざ竹造がこの世に現れたのは何をしようとしてなのか?恋の成就の応援のためというのはその通りかもしれない。娘の幸せな結婚を願うのは父親として自然の感情である。しかしそれだけなら世話好きのおばさんとか同じ世代の友人でもことは足りる。知り合いの恋愛に、妙に張り切る連中はいつの世でもいるものだ。
しかし、それが父親でなければならない理由はなにか?竹造が真に望んでいるものは何か?という謎が実はこの劇の牽引車になっている。
美津江は、あの朝出かけようと玄関先を出た。竹造が夏空の高いところをB29が一機飛んでいるのを眺めている。すると飛行機は何か銀色に光るものを落とした。「また、謀略ビラじゃろか」と父親がつぶやく。それに気を取られて、美津江は投函しようと思って手に持っていた親友昭子への手紙を落とした。拾おうと石灯籠の下にしゃがんだとき「世間(しょけん)全体が青白くなる」のを感じた。原爆が炸裂したのである。
親友昭子の消息を西観音町の家に尋ねると、岡山水島に生徒を連れて勤労奉仕をしていた昭子が、運悪く前の日ひょっこり帰ってきていた。母親が探し当てたときは既に赤十字支部の玄関の土間に並べられていたという。防空壕に臥せっていた母親もかなり重い傷を負っていた。よくきてくれたと手を取って喜んでいたと思ったら突然表情が変わって「何でうちの娘だったんだ。なんであんたが生き残って、うちの娘は死んでしまったのか」と嘆いた。間もなくこの母親もなくなったというから、瀕死の状態の中、かなり錯乱していたのだろう。しかし、美津江にとってその言葉は重く心にのしかかった。他にも大勢の同級生が悲惨な姿でなくなっていたのを知るにつけ、美津江は自分だけ助かったことに後ろめたさを感じている。
そこへ木下さんが現れた。お互いに惹かれあっていることは知っている。しかし、自分だけ幸せになっていいものだろうかという疑問が絶えず美津江の心を苛んでいるために、木下の好意に素直に応えることができない。
そこで、亡き父親の登場というわけである。竹造はそれはとんでもない心得違いだという。よりよく生きることが、原爆の死者たちに対する残されたものの責務ではないか。それには木下の求愛を受けるべきだ、それが父親の望みでもある、と説得するのである。
ところが、美津江は申し訳ないと思っているのは誰あろう「おとったん」に対してだというのである。これは劇もだいぶ進んで終幕近くに現れる場面。
あの朝、美津江は偶然石灯籠の陰に隠れたために助かったが、竹造は銀色に光るものが炸裂するのをまともに見てしまった。真ん中はまぶしい白でまわりが黄色と赤の気味の悪い色だったという。全身が何千度という熱線にさらされ、むき出しの顔は一瞬にして火ぶくれになった。と同時に秒速350メートルの爆風が家をなぎ倒し、親子は崩れてきた梁や柱や屋根の残骸の下敷きになった。美津江はどうにかはい出したが、竹造は木材に挟まれて身動きできない。必死で助け出そうとするが、火の手が勢いをまして迫ってくる。竹造は自分はもう助からない、お前は早く逃げろという。
美津江の心の底には、肉親を、父親を見捨ててしまったことへのわだかまりがあった。自分を許せないと思っていた。その思いが岩のように居座って動かない。それが木下さんの求愛に素直に応える気持ちになれない原因だった。
竹造がこの世に現れたのは、その岩を取り除くためであった。あのとき、自分のことはもう助からないと納得ずくだった。お前には自分の分まで生きてくれと願った。だからお前は「わしによって生かされている」。あんなむごい別れが何万もあったことを覚えてもらうためにお前は「わしによって生かされている」というのである。これが父親でなければならない第一の理由であった。
もう一つの理由は、このあと父親の説得をじっと聞いている美津江に向かって、もしもそれがわからなかったら、誰か他にわかるものを出せと叫ぶところにある。「誰か他に」とは「わしの孫じゃが、ひ孫じゃが。」という意味である。少し唐突に感じられるところだが、竹造の本音がここに現れている。竹造というよりは原爆による死者の魂が叫んでいるといってもよい。
竹造は自分の理不尽な死に対抗するには、子孫の繁栄をもってするしかないといっている。人間を根絶やしにしようとするものに対してはそれ以上に生むことである。焼き払われた森でも必ずどこかで命が芽生え、やがて草木に覆われうっそうとした森によみがえる。竹造の願いは自分たちの死を無駄にしないためにも、焼け焦げた大地に再び種を植え覆い尽くすほどに植物を繁茂させなければならないというものであった。すなわち核兵器によって人間の未来が閉ざされてはならない。それに打ち勝つために美津江は自分の気持ちに素直に従うべきだ。それがよりよく生きるということではないかと竹造はいいたいのである。
井上ひさしは、この劇を書こうと思った動機について、二つあげている。ひとつは、広島の原爆投下に関する昭和天皇の『広島市民に対しては気の毒であるが、やむをえない』という一言(75年10月31日)。もう一つは、中曽根康弘首相(当時)が広島の原爆養護老人ホームで原爆症と闘う方々に『病は気から。根性さえしっかりしていれば病気は逃げていく』と語ったこと(83年8月6日)。これで彼はキレてしまったという。
このうち、昭和天皇がどんな文脈の中で言ったのか明らかではないので論評はしにくいが、これが一般の人の発言なら原爆の被害に遭わなかったものの正直な感想といえるのかもしれない。その一方でこういう意識が被爆者へのいわれなき差別を生む契機になったことは否めないのではないか?もちろん井上ひさしは、この劇でそのことには全く触れていない。
しかし、美津江がこのまま自分の気持ちを偽って、人目を避けながらひっそりと暮らしていかざるを得ないのでは被爆者としては二重の被害を受けることになる。
それに対抗して、自分の血を繋げ、つないで鬱蒼とした森を作るのだ。子を産んで子孫を増やせといえるのは美津江と血のつながった父親しかいなかったのである。
この劇は、既に英語に翻訳されているが、その後中国語、イタリア語、フランス語、ロシア語などに翻訳またはその予定になっているという。原爆の恐ろしさを語り継いでいくための格好の物語として多くの国で上演されることを願うものである。
美津江の栗田桃子は初めて見た。小柄で細いから子供のようだった。そのために少し暗い子がすねているようにも見えた。色気が足りないせいである。女が恋をしているときの情感があまり感じられなかったのは残念だった。ときめきは隠そうと思っても自ずから出てしまうものであり、美津江の場合理性がそれを否定し押し戻す。その起伏をもっと大きく表現すべきであった。
後で知ったが、文学座の女優で、蟹江敬三の娘だそうだ。青年座の蟹江一平とは兄弟で、役者一家である。少し見かけで損をしたが、もっとよくなる役者と見た。


題名: 父と暮らせば
観劇日: 2008/06/14
劇場: 紀伊国屋サザンシアター
主催: こまつ座
期間: 2008年6月13日~6月22日
作: 井上ひさし
演出: 鵜山仁
美術: 石井強司
照明: 服部基
衣装:
音楽・音響: 宇野誠一郎
出演者: 辻萬長 栗田桃子


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2008年8月 5日 (火)

劇評「オットーと呼ばれる日本人」

Otto初演は62年、劇団民芸(宇野重吉演出)による。以来何度も再演され民芸の十八番になっている芝居を何故いま新国立劇場が取り上げるのか?
というのも、何を今更の感がない訳ではないからだ。パンフレットの扉に誰が書いた文章か知らないが「抵抗者の遺産を46年経ったいま、検証する。」とある。そのまま読めば、抵抗者とは尾崎秀実のことだろうから尾崎の死後18年経って書き上げられた彼の行動の遺産ともいうべきこの戯曲をそれから半世紀ほど立ったいま、検証してみようという意味に取れる。従って、検証されるのは尾崎秀実ではなくて戯曲であり、芝居に登場する男(オットーと呼ばれる日本人)のことだろう。
演出の鵜山仁は、芸術監督として冒頭の「あれか、これか」と題した挨拶の中でそれを示唆するようなことを言っている。
「これは近頃あまりはやらないデンマークの哲学者、キルケゴールの著書のタイトル。あれか、これかと思い悩むこと、そしてそのどちらかを手に入れるために、もう片方を捨てること、これこそが生きることの、いわば生死を越えてすら生き尽くすことの醍醐味ではないか。「オットーと呼ばれる日本人」は、今、「あれもこれも」の時代を生きる我々が、もしかしたら忘れてしまったかもしれない「変革」のエネルギーを思い出させてくれる。……」
ここでいう変革は政治的変革だけをいうのではなく、世界を再構成、再創造するというほどの意味だと注釈を入れ、世界に働きかけ、世界を変えようとする飽くなき欲望は人間だけに備わった能力だと強調する。「オットーと呼ばれる日本人」の生き方から現代における「変革への意志」を学ぶことができるかもしれないというのが上演の意図だということらしい。
かなり強引な論ではあるが、あまり茶々を入れても話が進まないから、一応そのように理解しておこう。
劇は三幕、休憩を入れて三時間四十五分という長丁場であったが、木下順二の言葉といい構成といいどれ一つわずかな齟齬があっても崩れるような揺るぎない緊張感を保っているために、ちっとも血湧き肉踊るスパイ話の面白さはなかったが、反面昭和史の裏面が透けてきて間然するところがなかった。
ただし、外国人との会話を原作では使わなかった英語(一部ドイツ語)にしたのはどうかと思った。原作はかなり意識して生硬な翻訳調の日本語で書いてある。つまり英語で会話していることを前提に、それを直接日本語に翻訳したせりふになっている。そのレベルときたら、日本人の登場人物たちが使う英語はひどいとしばしば台詞にあらわれるほどで、中学生並みの稚拙さをそのまま日本語にしてある。そこが文化の違いあるいは会話のもどかしさを表現しようとした作家の工夫であって、木下順二が生きていればおそらく英語にするのは認めなかっただろう。この芝居では英語にしたことで、かえって人物が後退し存在感が薄くなった嫌いがあったと思う。
第一幕は、満州事変直後から男(吉田栄作)が上海を去る数ヶ月あまりの間、上海のフランス租界にある米国人の宋夫人( ジュリー・ドレフュス)の豪華なアパートを中心に展開する。
ドイツの新聞の特派員ジョンスン(グレッグ・ デール)が組織する諜報機関の会合がこのアパートで行われている。彼らの関心は、目下のところ日本が引き起こした満州における侵略行為がどこまで発展するか、とりわけ関東軍はソ満国境を越えてシベリアに侵入するつもりがあるのかどうかということである。これに探りを入れるには現地で情報を集める以外に方法はない。しかも外国人では自ずから限界がある。そこで信頼できる日本人はいるか?というジョンスンの問いに宋夫人は一人いると答える。
オットーと呼ばれる日本人についてはジョンスンも知っていた。しかし彼は我々の組織の人間ではないと言って宋夫人の見解を求める。ただ、彼の見識、すぐれた情報分析能力はジョンスンも認めるところであった。宋夫人が、しかし彼は受けるかどうかわからないというと、意外にもジョンスンは既にオットーに会ったことを打ち明ける。
この仕事を頼むことは男を引き返すことのできない道に誘い込むことになると、宋夫人はいう。ジョンスンによると、さすがに男は一晩考えさせてくれといったらしい。その返事は新聞社の特派員の身分で、長期間上海を空けるわけにいかない。ついては代理を立てることにしたというものであった。
男はかねてから親交のあった中国人で密かに抗日共産主義運動を続ける鄭(吉田敬一)に適当な日本人を紹介してほしいと依頼すると、現れたのは林(永島敏行)と名乗る男であった。上海日報の嘱託だったが、仕事が何を意味するか万事心得ていた。林を含めて四人が中華料理店で落ち会い、詳細を打ち合わせる。宋夫人とジョンスンが去った後、林は彼らはコミンテルンかもしれない、いずれにしても非常に大きな組織を感じると男に同意を求めると、それはお互いに知らない方がいいと男は答えるのであった。
その夜おそく、共同租界の日本人地区にあるアパートに男が帰ると、妻(紺野美沙子)がまだ起きていた。この妻は、元々男の兄嫁だった。「私立大学をでて、つまらない会社勤めを毎日黙ってやっていた」夫を捨てて、その弟と結婚した。父親は地方の裁判所を転々とした判事で、娘の行動には困惑した。男は岳父をうまく説得していまは波風が立つようなこともない。
酔いにまかせて男は、自分は新聞記者で終わりたくないと告白する。大新聞の一流記者と言ってもやっていることは事件の分析、報道にすぎない。しかし、自分には国家の命運に生涯を託す、もっといえば、日本という国の歴史を決定する事業に参画する人間の一人になりたいという押さえきれない欲望があるというのである。妻は夫が危険を顧みない行動にでるかも知れないと感じる。どんなことがあっても私はあなたについていくつもり、それはあんな無理な結婚をした時から覚悟していることだと夫の腕の中で応える。妻は夫と一緒にウイスキーを口にし、既に酔っている。
この男の家の「場」は、やや唐突に挿入された感がある。ここで男の私生活を示しておく必要性はあまりないと思うからだ。
とはいえ、戦後(昭和22年)夫尾崎秀実との獄中往復書簡集「愛情はふる星のごとく」を出版した尾崎英子の存在にはいずれ触れないわけにいかないだろう。しかも、この劇の核心ともいうべき男の真情、男の心の中に密かに燃えているあの欲望を無防備のまま告白する相手としては妻しかいない。 妻との結婚のいきさつや愛情関係についてスケッチした上で、「君を抱きたい」などとやや高揚した気分の中でそれは現れる。この「場」は、男が何故、何をしようとしているのか、男の行動の本質部分を明快に示したのである。一見、違和感を感じさせながら、そこでなければならない必然性を持っている。木下順二の考え抜かれた構成の妙といえる。
それから二ヶ月後、林が満州から帰ってきた。再び宋夫人のアパートにジョンスン、男の四人が集まっている。林の報告書を男が八時間かけて英語に翻訳した。満州は南京政府とはいっさい関係なく新たに帝王制の国家として建国されること、その最初の皇帝には清朝の廃帝傅儀が就任すると思われること、傀儡政権と防衛する軍の陣容について、また熱河省における白系ロシア人の反乱の兆しの有無については確認できないことなど報告は詳細を極めた。
間もなく男は新聞社の本社に転勤を命じられるとその報告に宋夫人のもとを訪れる。この宋夫人はいったい何者なのか?独身の米国人でジャーナリストにして作家、左翼のシンパサイザーということだが、何故ミセスなのか?昔インド人と結婚したことがあったという噂はほんとうだろうか?謎の多い人物である。この別れの場面は、男と互いに恋愛感情があったことを示唆している。故国と世界の行く末についてそれぞれが持っている信念の違いによって、これは成就されない恋愛なのだということらしい。
第二幕は、上海から帰って二三年後、1930年代半ば、男の家から始まる。
学生時代の友人瀬川(石田圭祐)とその妻(那須佐代子)それに小学生ぐらいの子供がふたり訪れて、男の家族とともににぎやかな午後である。瀬川は、左翼の資金カンパに応じたことがもとで逮捕され、拷問を受けた上に転向手記を書かされて解放されたが、勤めていた大学を追われ私大の講座も失ってしまっていた。
この頃男は論文を発表し、本も何冊か書いている。瀬川にいわせると、男が体制内でぬくぬくと「うまく偽装してある」論文など書いているのが気に入らない。それに対して男は「党の公式的で観念的、不必要に戦闘的だと思えるやり方では日本は救えない」と既存の左翼を批判し、自分はあくまでも体制内にいて改革をすすめる立場だという。瀬川はそんなことがいまの日本でできるのかと疑問を呈するが、男はそれが自分の信念だというのである。
この日、珍しく林が訪ねてくる。大陸から帰ったばかりだという。何かの連絡のようだが、表向きは就職先の斡旋を願い出るというものであった。
一方ジョンスンは、男が帰国したあと、上海を引き払っていったんドイツに戻ったが、重要性を増しつつある日本での諜報活動を推進するために、この頃日本にやってきていた。ジョンスンが組織した活動家には、米国の共産党から派遣された日本人がいた。南田のおばちゃん(田中利花)は移民として米国に渡り、いまは党籍は抜けたがシンパである。日本に帰って、米国で知り合いだったジョー(松田洋治)と電車でばったり会うことになった。ジョーは少年時代に移民として沖縄から米国へ渡った。ひょんなことから画家になり、そして党員になった。
ジョンスンは、上海のときと同じくドイツの新聞の特派員として振る舞った。ドイツ大使の信頼も厚い。ゾフィー(原千晶)という日本人の女が身の回りの世話をした。ジョンスンは、この時期日本が南進を決定してソ連との戦争は回避されたこととナチスドイツが条約に違反して東欧からソ連へ侵攻する意思があることを打電して多大な成果を上げた。これには男からもたらされる情報が大いに役立った。ジョンスンは、世界が変わらなければ日本も変わらないといって、あくまでも日本の改革にこだわる男の考えを国粋主義などという極論を交えて翻意させようとする。世界共産主義とその中心であるソ連のためにともに働こうという誘いである。男の応えは、自分は日本人である、オットーと呼ばれる日本人であるというものだった。つまり日本をよりよく変えることは自分にしかできない、それがひいては世界を変えることになると男は主張する。これこそは木下順二が何度もくりかえして描く、オットーと呼ばれる日本人がジョンスンというコミンテルらしい男に協力した立場と動機である。
1941年秋。日本は、終わりの見えない支那との戦いを続け、南方は仏印からマレー半島に至る占領を終えていた。この状況により、いまはむしろ日米が開戦の危機を迎え、当分の間ソ連との戦争はあり得ないという見通しになった。ジョンスンの日本における諜報活動も終わりを迎えたのである。
ジョンスンはそれとなくゾフィーに別れを告げ、ジョーたちの労をねぎらった。ジョーは、北欧の中立国にでもいってのんびりしたいという。しかし、オットーの周囲にはこれまでと違う監視の目が集まっていると感じるようになる。そんな中、職場に現れた林との会話から、宋夫人が中国共産党を追って遥か西の延安に向かったらしいということがわかる。
エピローグで、ひとりの検事が男の手記(上申書?)について言及している。共産主義者としての信念が実に見事に論理的に構築してあって感心したが、君の行動は少し違うような気がする。論理的整合性にこだわるあまり本音がでていない。本当の気持ちを書いてみないかと誘うが男は無言である。また、弁護士が現れ、君のやっとことは愛国的行為ととれるが、そういう手記を書くべきだとすすめる。やはり男は応えない。
やがて男は、これだけのことはいえると重い口を開く。自分はオットーという外国人の名前を持つ正真正銘の日本人だった。そしてそのようなものとして行動してきたことが決して間違っていなかった、ということだ。

いうまでもなくゾルゲ事件をもとにした劇である。男は尾崎秀実であり、ジョンスンがゾルゲ、宋夫人はアグネス・スメドレーがモデル、林に南田のおばさんやジョー、それにゾフィーにも実在のモデルはいる。しかし、木下順二はあくまでもこれをフィクションとして書いた。あの当時において、「正真正銘の日本人」が「オットーという外国人の名前」を持つことで、なおかつ正常な精神を保つことができた、あの時代にそのような立場がこの男によってのみ成立したということを描きたかったのだろう。従って、この劇は木下順二の尾崎秀実批評ともいうべきものである。
その意味は、自分が帰属している世界に在りながら、そこを出てもう一つ別の次元からその世界を客観的に眺めてみる、そういうことができるかどうかということである。共産主義者ならコミンテルンの利益に奉仕するのは当然のことで、ジョンスン=ゾルゲはドイツ国籍を持ちながら何の疑いも躊躇もなく国際共産主義のために、すなわち正しいと信ずる「観念」のために働いた。むしろ自分はその「観念」にこそ帰属していることに自覚的であった。ここはこの劇でも強調されていることである。
男、オットーと呼ばれるこの男は日本人であることをやめようとしなかった。ジョンスンがモスクワに誘ったが苦笑して終わった。共産主義について十分すぎるほどの理解を示しながらジョンスンが帰属している「観念」の側に行こうとはしなかったのだ。そのくせ、十分すぎるほどの協力をするということは自分の帰属している世界すなわち祖国を裏切ることになる。裏切りではないという自信はどこからくるのか?つまりは自分はそこには「いない」と考えている。では何を正当化の根拠にこの男は行動していたのか?どこに帰属しているという自覚を持って、精神のバランスを保つことができたのか?
それは、おそらく日本の未来である。オットーとはその未来における男の名だった。男は、自分がいま帰属している世界にではなく、その世界の「未来」にこそ帰属していたのである。男にはこう在ってほしいという日本の未来が見えていた。そこへ着実に近づいていると思った矢先に歴史という大河に飲み込まれたのである。

加藤ちかの装置は、中劇場を持て余し気味だった。この芝居を中劇場の広さでやるのは無理があるとはいえ、少し考えに甘さがあった。抽象的に描くのはかまわないが、ところどころ絵の具が塗ってないキャンバスを見ているようで、重厚な台詞劇が軽くなってしまった。ひらひらした布で作るよりはもっと硬質の素材でどっしりと見せた方が劇の内容には合っている。宋夫人のアパート、男の上海のアパート、会合に使った中華料理店などはいかにもにわか作りで話の内容までリアリティが薄くなったような気がする。さらにいえば、上海の租界ついては露骨に何の知識もないのが現れていた。猥雑さやけばけばしさ、異国情緒などに加えて抗日運動や左翼運動の騒々しさが表現されていなければ、諜報活動の背景としていまひとつ面白みに欠けるというものだ。資料などたくさんあるはずだから見たらいい。さぼったことが如実に出た。
装置もあまり感心しなかったが、全体に存在感の希薄な舞台であった。
原因の一つは、キャスティングにある。もうひとつは演出の平板さ、鵜山仁の段取り仕事が悪い面に出てしまった。
キャスティングの失敗は、まず第一に吉田栄作にある。膨大な台詞と格闘したのはわかるが、果たして内容と向き合ったのか疑問のところがある。観念でわかってもそれが体で表現できるとは限らない。しばしば見せるアイドル的ヒーローぶりは新聞記者、いわばブンヤってこんなに格好よかったっけと思わせた。格好つけてもいいが、一高東大出の知性とはどんなものか考慮してそれを身につけないと情勢分析の話になってももどうにもならない。この役をやる前に「吉田栄作」をどこかに捨ててこさせなければいけなかった。篠田正浩の映画で、アイドルの本木雅弘がやったことに影響を受けたかもしれないが、こんなことで客を集めようという魂胆が見え透いていて不愉快である。もっと納得のいく芝居ができる俳優を起用すべきだった。
次にジョンスンのグレッグ・デール。これほど影の薄い諜報機関の巨魁もないものだ。柄が小さいのはがまんするが、すごみがない。声も小さく存在感がない。ゾフィーの少し太ってしまった原千晶が近づくと押し倒されるようであった。もっとそれらしい役者はいたはずである。この役がしっかりしていたら、吉田はともかく芝居としてもう少し評価できたのだが。
そして宋夫人。ジュリー・ドレフュスは長い間日本で活躍したモデル、タレントであり、女優である。いまはどこかに拠点を移したはずだが、日本語は達者だから起用したのだろう。ただし、美しい「女優」であるが残念ながら華がない。女優と言ってももとはモデルで、母親ほど本格的な役者ではない。男を手玉に取って世界を飛び回る奔放なイメージのジャーナリスト役はどう考えても彼女ではないだろう。
脇にとびきりうまい役者を配置したかといえば、石田圭祐ぐらいのもので、鈴木瑞穂、清水明彦、吉田敬一、那須佐代子ら達者な俳優は皆ちょい役にすぎなかった。キャスティングに責任あるプロデューサーの大失敗といわざるを得ない。
演出の段取り仕事とは、次から次に「場」をこなしていく流れ作業のことである。鵜山仁は手に余るとこういうことをやる。どんな芝居でも否どんな芸術でも人に何ものかを伝えようと思ったら、強調するべきところはそれなりにメリハリを付けて表現しようとするだろう。その結果心地よいリズムができて、よりよく伝わるというものだが、段取り仕事とはそのリズムが単調なことを意味する。
それに、後で記録された動画を見れば明らかなように、登場人物が皆大声で叫んでいる。中劇場の広さを意識したかもしれないが、これではせっかくの台詞劇が台無しではないか。何度も言うが、木下順二の台詞は推敲に推敲を重ねて完璧に磨き上げてある。時に冗長ではあるが込められた意味は深い。叫ぶような粗野な口調で発語すべきものではないのだ。
というわけで「変革への意思」について言及する元気も失せてしまうほどの出来栄だったのでこれでやめにするが、最後に、二三言っておきたいことがある。

それは、スパイ話なのにちっとも面白くない、ということだ。 尾崎は国を裏切ったわけではないということの証明に終始するような芝居だから一向にスパイ事件にはならない。
映画の話で恐縮だが、篠田正浩がそんな歳でもないのに、これを作ったら映画から足を洗うとまで言ったことがあった。映画「スパイ・ゾルゲ」(2003年)である。生真面目に作ってはいるが映画としてちっとも面白くない。せめてスパイ映画にしろといったら、007じゃないんだからと言われそうだが、いっそのことこういう話は英国人に渡してシナリオにしてもらうのがよさそうではないか。
あの連中なら、特高警部が日本共産党員伊藤律の転向を迫っているうち、ひょんなことから「米国帰りのおばさん」の自白を得て、そこから米国帰りの画家、宮城与徳にたどりつき・・・正体不明の電波が東京某所から発信されているのを発見、とうとう国際スパイ団の存在に気がつくなどと追う側からもスリル満点に描いて、いざ逮捕というときになって国家間の関係が絡んで渋滞しスパイ側に国外逃亡のチャンスが生まれるが寸でのところであえなく逮捕などというおまけまで付けてくれるのではないか?
映画は尾崎ではなくゾルゲが主人公だが、この「オットーと呼ばれる日本人」に多分に影響を受けている。木下順二は最初から尾崎を愛国者に描こうとしているから、篠田もつい同じ目線で尾崎を見てしまった。もとの話が面白くないから仕方がなかった。

もうひとつ。昭和十三年の初頭に近衛文麿が突然「爾後國民政府ヲ對手トセズ」という声明を出して内外をびっくりさせた。これは僕にとっても長い間納得のいかないことだった。蒋介石を南京から追い出したのはいいが、和平交渉は一切しないと宣言したのである。軍の中には石原莞爾のように和平工作をすすめようとするものがいたがこれも完全に阻止する。和平工作をするにも建前上は相手がいないのだからにやみくもに突き進む以外にない。日本が泥沼の戦争にはいっていくきっかけになった。
この唐突な方針転換は、近衛の周辺にいた尾崎らの提案だったという説が根強くある。日本が蒋介石と休戦協定を結べば、蒋介石はかろうじて保たれていた国共合作をかなぐり捨てて中国共産党攻撃を始めるに違いない。その延長にソ連攻撃もありうる。ゾルゲにしてもそれは回避しなければならない事態であった。
その結果、大陸における戦争は長引き、和平が成立していれば(そうすべきだったことは明らかである)失うこともなかった多くの命が犠牲になった。これで尾崎秀実は果たして木下順二がいうように愛国者といえるのだろうか?
もし仮に尾崎がコミンテルンに忠実なスパイだったとして、望むように日本が国際共産主義の国家になっていたら、いったいどうなっていただろう?それを考えると「変革への意思」ということもよほど慎重に考えないといけないと思う。
最も問題なのは、尾崎にしても近衛にしてもインテリの知識人であったことだ。昔サルトルが「知識人の責務」という言葉を使うので、何か特権的なエリート意識に鼻持ちならないと思ったが、あの時代は知識人に大衆を導く責任があった。だから、一国の歴史を動かす人物の一人になりたいという意識はエリートなら当然持って不思議ではない。
いまは、幸か不幸か世界は狭くなって一国が勝手なことをしようにもできなくなった。知識人に自分たちの未来を託そうなどという羊の群れのような大衆もいなくなった。あの時代とは全く異次元にきてしまった状況の中で、あらためて「変革への意思」というのは考えなければならないのである。鵜山仁の提案はあまりにもいいかげんで無責任というものだ。
最初に書いた「何を今更」と思ったのはそういうことであった。

題名:オットーと呼ばれる日本人
観劇日:2008/05/30
劇場:新国立劇場
主催:新国立劇場
期間:2008年5月27日~6月8日
作:木下順二
翻訳:
演出:鵜山仁
美術:加藤ちか
照明:服部 基
衣装:前田文子
音楽・音響:上田好生
出演者:吉田栄作 紺野美沙子 グレッグ・ デール ジュリー・ドレフュス 石田圭祐 松田洋治 清水明彦 原千晶 田中利花 那須佐代子 吉田敬一 古河耕史 石橋徹郎 北川響 マイケル・ネイシュタット 鈴木瑞穂 永島敏行


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2008年8月 4日 (月)

劇評「ピアノの話」

Piano
中西和久が自分で本を書いた一人芝居。(ただしもとになった話がある。いきさつは後でわかった。)一人で演じるが途中ピアノの演奏が入る。ピアノ曲を聞かせることが重要なテーマになっているので、コンサート付きのドラマといっているようだ。だから舞台の下手半分は、ピアノと演奏者の佐々木洋子で占められている。上手奥に古びた跳び箱が一組と何かボールがおかれているだけの簡素な舞台である。
中西和久が自身として登場、とりあえず前口上では普段使いの言葉で世間話めいたことをはじめる。この日は芝居の後で師匠の小沢昭一とのアフタートークが予定されているので観客はそちらの方を期待しているかもしれないなどと冗談をいいながらもなかなか芝居に入らない。(実際小沢昭一の話が聞きたいのでチケットを取った人は大勢いた。)
タイトル通り、ピアノという楽器の生誕から変遷を説明するという文字通りピアノに関する蘊蓄が続く。なるほど「ピアノの話」だわい。そのうちに、昔ドイツにフッペルというピアノのメーカーがあったという展開になった。
昭和五年、佐賀県鳥栖の小学校に日本でまだ二台目のフッペルというピアノがやってきた。児童の母親たちがお金を集めて寄贈したものだった。せめて音楽だけでも贅沢をさせてやりたいとの思いで、オルガンが当たり前だった小学校、しかも九州の片田舎の小学校にドイツの名門フッペル社製のグランドピアノを導入したのである。
ここで中西は舞台袖に入り、すぐに燕尾服に白髪のかつらで登場すると、自分はこのピアノであるという。小学校の講堂の片隅で、運動具と一緒に埃にまみれて打ち捨てられているいまは年老いたピアノである。このピアノが見てきたある出来事を語って聞かそうというのがこの物語なのである。
昭和二十年の五月といえば既に日本各地が空襲にあって、戦況は著しく悪化、あと三ヶ月で終戦を迎えるという時期である。鳥栖の小学校に赴任してきた音楽の担当は「おなご先生」と呼ばれていた。まだ、学校出たての若い教師である。朝学校に出てくると日課のように必ずピアノを磨いていた。この頃になると空襲の恐れもあって学校はほとんどお寺やお宮で分散授業の状態であった。しかし、おなご先生はまるでピアノを守るようにいつも学校にやってきた。空襲警報が鳴るとバケツに水を汲んでいくつもピアノの廻りに置いて火事に備えた。
そうしたある日のこと、その日はたまたま全校登校日で生徒の声が学校にあふれていたのだが、校庭に二人の飛行服に身を包んだ若い将校が現れた。自分たちは上野の音楽学校の学生だったが、明日沖縄に出撃することになって、せめて最後のピアノを思いっきり弾きたいと思って三田川からやってきたというのである。三田川の小学校にはピアノがなかった。鳥栖にはあると聞いて三里ほどの道のりを長崎本線の線路伝いに歩いてきた。取り次がれたおなご先生は、まだ少年の顔が残っている二人の少尉をピアノのところへ案内した。
ここで弾いたのがベートーベンのピアノソナタ「月光」であった。佐々木洋子のピアノ演奏が入る。明日は沖縄の海に散ろうというときに、激しいこころの動きを月の光が優しく包み込んで、鎮めていく。この曲を選んだ二人の心情がメロディからしみ出てくるような演奏である。
たった一人の聴衆であったおなご先生は惜しみない拍手をおくった。そこへ男子生徒がやってきて二人にはなむけとして「海征かば」を歌い捧げる。(ピアノ演奏が入る)
帰り際には、兄が既に戦死しているという同僚の女の先生が両手いっぱいに白百合を摘んできて、二人に渡した。校内を流れる番所川の土手に上り、帰っていく二人にいつまでも手を振って見送った。二人も百合の花束を掲げて別れを告げていたという。
翌朝は真っ青に晴れ渡った。校庭の上に二機の戦闘機が現れると翼を左右に振りながら旋回しやがて南の空に飛び去っていった。
ここで舞台中央奥にスクリーンが現れ、特攻隊の戦闘機が米国艦隊に襲いかかる映像が映し出される。そして水盃で出撃する隊員。見送る兵士たち。ニュース映像が流れる中を中西が巻紙を取り出して読み始める。特攻隊員が残していった遺書である。哀切きわまりない言葉が続く。ひとしきり読み上げ、終わるとピアノである自分に戻ってこういうのである。「この六十年近く、私の知る限り、私の第二の故郷(ドイツからやってきた)日本、皆さんの国は一人の戦死者も出さず、一人の敵も殺してはいません。」そして続いて日本国憲法第九条が読み上げられる。
中西和久は自分は戦争を知らない世代だが、父親は大陸で終戦を迎え、その後五年もシベリアに抑留されていたと明かした。父はあまりそのことを言いたがらなかったが、自分たちは父の体験を通じて身近に戦争を感じることができた。いまは果たしてどうなのか?こうして誰かが語り継いでいくことが大切だと考えていると締めくくった。
この芝居は初演が茨城県の小学校講堂だったらしい。元々小学校に「しのだづま考」の公演をと頼まれていたが、この芝居は小学生には少し難しい。そこで中西はこの芝居を書いたものだった。学校の講堂に忘れられ放置されたピアノの話、誠にふさわしい場所で演ったものだ。つまりはじめから小学生にわかるような説話に仕上げられた芝居なのだ。しかも、生のピアノの演奏がたっぷり聞けるのである。そして当時の映像が流れ、特攻隊員の心情が読み上げられて、最後は憲法九条、それを年老いたピアノが語るというのも非常に説得力がある。よくできた芝居だと思った。
元になった話があると最初に書いたが、これは実話だった。
おなご先生とは上野歌子先生といって実在の人物である。この先生の体験を取材し構成したラジオドキュメンタリーがあって、その放送をきっかけに物語は広く知られるようになった。「ピアノは知っているーあの遠い夏の日ー」(九州朝日放送、1990年5月)が放送された日はタクシーが皆動かなくなってしまったそうだ。運転手がラジオに聞きいってしまったのだ。大きな反響があり、上野先生には講演の依頼が殺到した。そしてついには映画「月光の夏」が制作される。
中西はこのラジオ放送を聞いていた。そこでいつか舞台にあげようと思って、このドキュメンタリーを作った構成作家毛利恒之に台本を依頼した。しかし、毛利には舞台化、映画化の話が相次いで多忙だったために、一人芝居にするならむしろ中西自ら書いてはどうかと提案したという。そうして出来上がったのがこの芝居だったのである。
その後、上野歌子先生は92年に講演先のホテルで倒れそのまま帰らぬ人となってしまった。また、二人の特攻兵については消息がつかめたそうだ。出撃待機のまま終戦を迎えていた。一人は母校の教師に、一人は米国に渡ってジャズピアニストになったというのである。
僕にとっては少し重すぎてつらい芝居であったが、小学生の柔らかい頭には平和の大切さということがストレートにしみていく話になっていると思う。中西和久の誠実さが非常によく現れた佳作になっている。

題名: ピアノの話
観劇日: 2008/05/27
劇場: 新国立劇場
主催: 京楽座
期間: 2008年5月27日~28日
作: 中西和久
演出: 毛利恒之
美術: 長谷川洋
照明: 坂本良美
衣装: 鈴木茂
音楽・音響:
出演者: 中西和久 佐々木洋子(ピアノ)

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