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2007年8月 2日 (木)

「空気と戦争」(猪瀬直樹)の空気

猪瀬直樹の「空気と戦争」(文春新書)を読んだ。本屋で立ち読みしていたら疲れたので買って帰って一気に読んでしまった。東工大の学生を相手にした超満員の講義、というその文句に惹かれた。若者に何を話したのか興味が湧いたのだ。それに「日本の進路決定の陰に、二十代、三十代の若者たちの戦いがあった。」と書いてある。はてそんなことがあったとは聞いたことがない、と思って読む気になったのである。
講義録ではないから、実際にどんな語り口だったのかは分からない。ただ、最初に91年12月に作った長編のTV番組を見せたというから学生は話に入りやすかったであろう。自分が取材して書いたドキュメンタリーをフジテレビがドラマ化したもので、話によると2、3ヶ月に渡って行われた講義の内容そのものであった。ただし、現在の学生にはドラマを見る予備知識がないことを心配していくつか説明をしなければならなかった。
一つは、戦前の話だから当時の世相を理解してもらう必要があると考えた。山本夏彦に「戦前真っ暗史観」と言う言葉がある。猪瀬もこれを引いているが、山本に言わせると戦後の左翼のおかげで、戦前は言論弾圧や物資の統制、軍部の独裁などで一貫して世相は暗かったと宣伝されているが、実際はそうではなかった。確かに戦争末期の昭和十九年に入ると本土が狙われはじめて暮らしは厳しくはなったが、せいぜい終戦までの一年あまりで、それまでは軍部や政権中枢は言うに及ばず庶民にいたってもものもいえないような重苦しい雰囲気はなかった。山本は治安維持法の取り締まり対象になったのは全国で五千人程度、多く見積もってもせいぜい一万人程ではなかったかといっている。この連中には、いつでも逮捕投獄の危険があったから、暗い時代であったことは間違いない。しかし、当時はまだ戦争といっても遠い支那大陸のどこかで行われていることであり、国内経済も世界恐慌の影響から脱してむしろ景気はよくなっていた。昭和十五年ごろに結婚した僕の両親は、宮城県石巻市でおくった新婚時代は牛肉のすき焼きが食卓に上っていたといっている。猪瀬は、まず戦前のイメージが軍国主義一辺倒の暗い時代ではなく、日米開戦前の緊迫した状況下においても客観的なデータに基づく議論が可能であったことを現代の学生に教えたのであった。
次に、解説が必要だと感じたのは、軍隊の階級のことである。自衛隊は軍隊ではないという政権の主張を裏付けるものとして、内部の命令系統の序列を表す呼称を旧日本軍の呼び方とは違うものにした。二曹、一尉、三佐、空将とか言うものがそれであるが、戦後長い間自衛隊内部のことは報道の自主規制があったものと見えて外部に伝えられることは少なかった。それで、二等兵、上等兵、軍曹とか大尉、少佐、中将などという呼称が外国の軍隊では戦前のままに使われているにもかかわらず、その序列がどうなっているのか若い学生には認識がないことを心配したのである。本を読んでいればこれくらいの知識は身につくと思うが、近頃ではそうも行かないらしい。そこで猪瀬は、「裸の大将」山下清を持ち出した。山下は、少し知恵遅れであったが放浪癖のある画家で、物事を軍隊の位で判断することが出来た。少佐は大尉よりも上で少将よりは下ということが分かっていて、何かと「軍隊の位で言えば・・・」といって比較した。猪瀬自身は、「軍旗将棋」で覚えたと書いている。僕らも遊んだことがあるが、兵隊の他にタンクや地雷などの武器もあって、敵陣に踏み込む場所二ヶ所で会いまみえて勝ち負けを決めて前進し、相手の軍旗を手に入れるという将棋に似たゲームであった。軍隊の階級、呼称を教えておかなければ話が理解出来ないとは、厄介な世の中になったものだ。
いよいよ本題にはいる。
猪瀬が三十年ほど前に、神田の古本屋で見つけた「燃料大観」という分厚い本を買ってきてめくっていたら、他とはちょっと違った調子の文章が目にとまった。高橋健夫「陸軍と燃料」。論文のようであり、回顧録あるいはエッセイのようでもある。
(ここで歯が痛くなったので続きはまた明日)

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