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2007年7月19日 (木)

吉本隆明

僕は吉本隆明のいい読み手ではない。少年時代「言語にとって美とはなにか」を読もうとしたが歯が立たなかった。その後学生時代だったか「共同幻想論」の連載を読んで(なにか雑誌に載っていたと思う)彼が何を考えているか分かった、ような気がした。その後、「心的現象論」を書いたが僕は読んでいるうちにどうでもよくなって途中で投げ出した。いくつか論争をしているものを読んで、歯切れのよさと胸がすくような啖呵は、清水幾太郎と双璧だと思った。僕は「荒地」派の詩人たちの中でも吉本の生硬な言葉遣いはあまり好きになれなかった。むしろ、鮎川信夫、田村隆一の詩に親しんだ。熱狂的なファンが多いことは知っている。
後年ある時、ビール会社の広告に関わっていて、起用タレントの候補を提案するように言われたことがある。すでに、業界では百人を超えるタレント・著名人が出ていてかなりユニークなキャラクターでなければ目立たない。僕は吉本隆明がいいだろうと提案した。その時の広告代理店の部長の顔が忘れられない。一瞬後ずさりして顔の前に手をかざしそれを左右に振って「それは勘弁」といったのだ。どういう意味かは俄には判然としなかったが、余程嫌がられているのかと改めて思った。僕が担当者なら居酒屋で若い者を相手にジョッキをかざしてうまそうに飲んでいる姿を出してやるのにと思った。それで、吉本ファンは雪崩を打ってブランドスイッチだ。と思ったのだがそう甘くはない。まともな世間が吉本隆明をどう思っているか、思い知らされたわけである。ついでに広告屋としての僕の感覚も疑われるはめになって、まもなくビールの仕事を失ってしまった。
その後も本屋に行くたびに彼の新刊本が並んでいて随分旺盛なものだと感心していたが、立ち読みしてすぐにやめた。テーマが面白くない、いっていることが難解、この時代においてどうでもよいことを難しく言っているだけという印象だった。それでもあれだけ書く時間があり、それを読む読者も継続的に存在するというのは驚異ではある。
彼が戦後思想の評論家として活躍したのはせいぜい70年代までで、その後どんな影響力があったか、僕は知らない。この稿を書く気になったのは、呉智英先生が「吉本隆明は老残をさらしている」と書いているのが目に入ったからだ。本当は吉本が老残をさらしていることは十年くらい前から感じていたから、今さらどうでもよかったが、それを老残とはしないで、持ち上げている者たちが周辺にいることが奇異に思えてどういう連中かこれもさらしておいた方がいいだろうと思ったのだ。以下は、呉智英の文「『吉本の幻像』の罪」(産経新聞05年4月)。
「週刊朝日」の書評欄で高橋源一郎が絶賛しているので、吉本隆明の新刊「中学生のための社会科」を読んで見た。年寄り笑うないく道じゃと古諺には言うものの、老残もここまできたかとあきれた。
劈頭、詩の話である。宮沢賢治、伊東静雄らの詩が引用される。おや社会科のはずだったのにと思うが、まあよしとしよう。さてその解説だ。例えば伊東静雄の詩について「アジア内陸語と似ても似つかぬ大洋州の島々の言葉をクレオール化している日本語の特徴」とある。これ、中学生にわかるか。大学生だってこの一節を理解させるのに一時間の講義が必要だ。その一方で伊東静雄がどういう詩人なのかについては全然説明がない。
第二章が老齢の話。糖尿病だの、前立腺肥大だの、自分の体験が語られているが、これらの病気について何の解説もない。第三章でやっと国家と社会だが、例によって「ロシア革命の理念哲学はレーニンの『唯物論と経験批判論』だ」てな調子だ。ロシア革命が何年にどういう経緯で起きたということから書かなきゃ中学生に分からんだろう。
丁度十年前オウム真理教事件が日本中を震撼させた時、吉本隆明は本紙産経新聞で麻原彰晃を高く評価すると発言し、その現実感覚の欠如を露呈させた。同時に吉本思想の中核たる「大衆の原像』が「大衆の幻像』にすぎないことも明白になったのだが、「中学生の原像』まで「中学生の幻像』だったわけだ。
この本の帯では加藤典洋、長谷川宏がまた絶賛。こういう取り巻きたちの振りまく「吉本の幻像』が思想界の退廃に拍車をかけているのだ。ここまで呉智英の文。
出てくる取り巻き(持ち上げている連中)は長谷川宏、加藤典洋、高橋源一郎である。このうち加藤と高橋は団塊の世代、全共闘世代である。吉本なら何でもオーケーという信奉者が多いのはこの世代である。つまらないものは始めから読まない主義だから「中学生のための社会科』など読む気にもならないが、呉智英の怒りは非常によく理解出来る。僕が読んだら同じように感じただろう。それを持ち上げる連中のファン意識はどうだ。少しは頭を使え。

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コメント

その通りだ。彼ではなく、30年ほど前の論客の日本文について批判的に書いたことがあるが、翻訳者が言葉を咀嚼することなく、たまたま辞書に見つかった言葉を繋いでいったような奇妙な文章がはやった。その残党だな。

吉本は、その当時(大昔とだけ言っておく)どこに住んでいたのかは知らないが、本郷の大学に近い団子坂の、どこにでもあるような本屋に自転車に乗ってしばしば出没した。突然の出現に驚いた若者たち(大昔の若者だ)はヒソヒソと「あれは確かに吉本だよね」。そんな時代の総括(←なんとなく70年代の左翼的用語)を中村さんにしてもらいたいものだ。

Mark W. Waterman, Ph.D.

投稿: Dr. Waterman | 2007年7月20日 (金) 00時41分

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