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2007年5月 4日 (金)

劇評「恥ずかしながら・・・グッド・バイ」

Hazukasigoodbye

1975年(昭和50年)という時代設定である。
この年の前年、フィリピンのルバング島で発見された旧日本陸軍小野田寛郎少尉が帰還する。また、その二年前、72年にはグアム島から約27年ぶりに横井庄一伍長が帰国、「恥ずかしながら、帰って参りました」との空港での第一声はこの年の流行語になった。
芝居のタイトルはこれをもじったもの。
中島淳彦得意の恋愛ドタバタ劇であるが、何故そういう時代設定にしたのか、それほどの必然性があったのかはよくわからない。
舞台は海の上に浮かぶように立てられたマリンリゾートホテルの一室。高い天井には南国風に扇風機、真ん中の柱にはウクレレ、下手側に開いた窓からはレースのカーテン越しに隣の部屋のテラスが見え、時折涼やかな風がはいってくる。
このホテルはフィリピンのパラワン諸島にあるペオリット島(架空の島)という小さな島に出来たばかりという設定。まだ開業前で、テストランの最中である。
そこに、二人の男が飛び込んでくる。
一人は外務省の役人で鳥塚偉夫(角野卓造)、もう一人の若い男は元海外青年協力隊員で、フィリピンの日本大使館に雇われた臨時の職員、吉野文隆(まいど豊)である。
案内してきたホテルのメイドに一生懸命英語で話しかけるが、実は彼女は埼玉・上尾出身の日本人、竹内智惠子(江原里実)で大笑い。
二人の役人は、旧日本軍の軍人がいるとの情報を得て調査にきたという触れ込みだが、臨時雇いの吉野の方は自分が何をしに来たのかよく分かっていない。
実はこのホテルの支配人、江藤弓子(川田 希)は外務省に勤務していたが、鳥塚偉夫と前任地で不倫関係にあったことが公になり、それをきっかけに役所を辞めて転身をはかったものだった。
鳥塚がこの島にやってきたのは、旧軍人の調査など名ばかりで、外務省の金を使い、弓子とよりを戻そうとして追っかけてきたのが真相である。
鳥塚はどうにか会って、弓子を説得したいとやきもきするが、弓子はすでに別れたものと決心しているから取りあおうとしない。
そこへもう一人の男が現れる。厚生省の役人で鳥塚とは旧知の間柄、石原健一(佐藤B作)、この男は鳥塚と弓子を取りあったライバルである。鳥塚が弓子を訪ねることを察知してこの島へ一歩遅れてやってきたのだ。鳥塚は二度の離婚歴があると石原を責めるが、石原も、妻がある身でこのような所業は許されまいと引く気配はない。
どうにか弓子を再び篭絡しようと二人でドタバタやっているうちに、ひょうたんから駒、現地人ガイドの口から日本の元軍人がこの島で暮らしているという情報がもれる。
アキータ・テラーディア(阿知波悟美)と名乗る怪しげな日本語を話すガイドで、自分の父親も日本人だ、その証拠にテラーディアの姓は寺田に由来するという嘘かまことか話だけはよくできている。
二人の役人が驚いて詳しく聞こうとすると、細切れにした情報で次から次、金を巻き上げられるが、どうやらほんとうらしい。
ホテルの裏の貧しい集落で、現地人の妻と子供たちで暮らしているというその男のところへ案内させると猪原義孝と名乗ったという。役人たちはすぐに厚生省援護局に問い合わせをすると確かに軍籍はあった。岩手県出身の兵隊で逃亡兵扱い、終戦時三十七歳であった。
すわっ、日本兵発見か!外務省の鳥塚は色めき立つ。調査にきた自分の手柄に出来るからだ。ところが厚生省の石原は諸般の事情を考慮して慎重である。
アキータによると、猪原はフィリピンの戦場となった他の島で傷を負い、現地の農家に助けられ、そのままかくまわれた。ある時農家の畠に盗みに入った日本の若い兵隊を撃ったために終戦に至ってもますます名乗りづらくなり、一方農家は敵兵を助けたことから孤立し、暮らしてきた土地を離れざるを得なくなった。いつしか猪原義隆は農家の娘と一緒になり、この島に流れ着いたというのである。
こうした騒ぎの中、突然鳥塚の妻文恵(大西多摩恵)が現れる。夫が弓子の後を追っかけていったことを知ってやってきたのだ。鳥塚は逃げ惑い、まともに相手をしようとしない。文絵は、外交官の妻として夫に協力してきたのにひどい仕打ちではないかと嘆く。何故か同情した弓子が一緒に酒を飲もうと誘うと二人でぐでんぐでんに酔ってしまい、どういう間違いからか、その夜鳥塚と文絵は同じベッドで寝るはめに。
翌朝は一同が引き上げる日である。鳥塚が久し振りに妻も悪くないわいと思っている矢先、文絵は離婚届に判を押せと言い捨ててさっさと桟橋に向かう。
猪原義孝(すまけい)がホテルを訪ねてきて、白い布で包んだ38式歩兵銃と畠で撃たれた若い兵隊の骨だといって鳥塚に小さな袋を渡し、銃は陛下に返してくれと依頼する。
鳥塚は、思うところがあったのか一度は判をついた離婚届を懐からとり出すと、ゴミ箱に捨てて部屋を後にする。
船の汽笛が去っていくのに、猪原義孝は直立不動の姿勢で敬礼しながらつぶやく。
「恥ずかしながら・・・・・・グッド・バイ」
若い吉野とメイドの埼玉・上尾の恋愛模様などがおまけに入って、たっぷり二時間のドタバタ喜劇であった。
浮気相手の弓子を追いかける二人のバカ役人、その夫を懲らしめようとやって来る妻文絵、この構図だけならよくあるパターンである。この芝居は元日本兵がたどった「帰りたくとも帰れない」数奇な運命を脇において陰影をつけたところがみそである。
プロローグに猪原=すまけいが童謡「故郷」を口ずさむところを入れて、望郷の思いを描いて見せ、最後に「恥ずかしながら・・・・・・グッドバイ」ともってくるあたりは構成の妙といえるが、この日本兵のエピソードと本筋の恋愛ドタバタが全く交差しないまま終ってしまったのでは、この「陰影」、必ずしも成功していなかった。
変なたとえで恐縮だが、あんこをせんべいで挟んだようなおやつで、別々に食ったほうがうまかったのではないか。
何故そうなったかといえば、作者中島淳彦の残留日本兵という存在に対する思いが定まっていなかったからである。
この猪原義孝は、フィリピンの一般社会の中で戦後三十年を過ごした。横井さんや小野田さんは社会から孤絶して、あるいは敵対して精神的には戦前の日本人として生きた。この二つの生き方はおのずから違うのである。
むしろ、猪原のように終戦を迎えても様々な理由で現地社会に溶け込んで、そのまま帰らなかった旧日本兵の事例は多い。インタビューも多数残っている。そういう人々の心情をくんで、日本国への批判あるいは外務省や厚生省の存在の本質をつくとか、二つのエピソードに何らかの絡みをつくりだすことは出来た筈だ。
 そうすることによって、現在の「天下り役人」「裏金づくり」「税金の無駄遣い」のようなもっともホットな話題との関連も示唆出来たはずで、「現在」という客席に座っている観客としては、1975年という客席よりも数段居心地が良くなったはずである。そのために外務省と厚生省という設定にしたのではなかったのか?
 しかし、扱いに困った中島は、まるで腫れ物にでも触るように、猪原義孝を神棚に上げてしまった。すまけいは、それによく応えた。自らの運命に耐える、寡黙で荘厳な風情の元軍人、老人になりきって、劇の本筋と関係することを拒絶してしまったのである。
せっかくの思いつきも惜しいところでかみ合わなかった。
それに、ドタバタの本筋の方も中年の恋愛劇としては乙にすましたところがあって、いまひとつ現実味に欠けるところがあった。
丸谷才一があみ出した言葉に「実事」というのがある。例えば、光源氏と女性との情事を描いた場面で「実事」があったかどうか、などと使う。それが批評にとって重要な要素というわけではないが、酒席のつまみ程度には楽しめることがらである。文学ならそれですむが、これが劇では生身の人間が登場するのだから、そこが微妙に表現されていなければ芝居にならない。
では、中年の腹の出たハゲの鳥塚と弓子の間に「実事」はあったのだろうか?それはあったに違いない。その関係が役所にバレて格下げになったほどだからだ。
ところが、ここに登場するのは娘っ子とそれを追いかける、まるで純情中年の姿である。見ている分に矛盾はないが、考えると、この二人に「実事」はあったのだろうかと思うくらいに、そっちの方面(?)ではよそよそしいのである。(なんだか嘘臭い)
さらにいえば、遅れてやってきた「ちょいワル親父」きどりの石原健一と弓子の関係もいまいちよく分からない。この二人にも「実事」はあったのだろうか?あったのだろうなあ、だっていかにも自信あり気に鳥塚と張り合っているのだから。
こうなるといずれにしても、弓子は中年男二人を手玉に取ったバンプということになる。男の純情を踏みにじった弓子はひどい奴だと中高年おじさんの端くれである僕にしても、義憤に耐えない。
しかし、実際の弓子はいかにも身持ちの堅そうな女で不良中年の相手になるような妖婦には見えない。見えないからこの話はどこかぎくしゃくしていると感じるのである。
表情が般若の面のように恐ろしいという妻の文絵がわざわざ南の孤島を訪ねたのは、愛人の前で夫に離婚を宣言してやれば、どんなにか気が晴れるだろうと思ったからだというのはわかる。しかし、すでに冷えきった仲だという触れ込みだったからここまで追いかけることもなかったのではないかと一抹、疑問が頭をかすめるのである。豚は太らしてから・・・のたとえ(もう禿げて太ってるけど)の通り、共済年金をごっそり半分持っていく作戦のほうが、こうなったら賢いではないか。いや、ここまで言ったら話が成立しなくなるなあ、やめよう。
弓子をやった川田希の責任にしてはかわいそうだが、外務省の職員(キャリアかそうでないかは不明だが、キャリアである可能性のほうが高いか?)であり、上司と不倫関係を結び、それをたち切って転身をはかったうえに、追いすがる中年男を諌めて返すという複雑な役柄をこなすにしては、ちと力不足であった。
こうなると、元海外青年協力隊と埼玉・上尾の恋愛が極く自然に見えてくる。青年が退屈しのぎに誘っただけなのに、恋とは縁のなさそうな上尾が応じたために火がついてしまった。浜辺でチューなどしていたが、青年は翌日の船で帰ってしまうのだ。あの夜、実事などあったのだろうか?これもまた、どうにも無分別に思えて、僕などの保守的な常識人の理解に余るところだ。
こういう本の瑕疵が一般の知れるところとなって、客の入りがひどく悪かったのか、それとも切符を売る努力が足りなかったのか、いずれにしても紀伊国屋サザンシアターの後ろ半分ががらがらだったのには驚いた。
角野卓造、佐藤B作、すまけいの三枚看板であれでは大赤字だったろうと心配である。
何といっても、残留日本兵の話をいましなければならないのか?わざわざ観客を1975年まで引き連れていって、この話を思い出させなければいけなかったのか、中嶋淳彦が考えたその必然性を理解させられなかったところに一切の原因がある。
角野=外務省、佐藤=厚生省、すまけい=旧軍人が丁々発止と渡り合うせりふ劇にドタバタ恋愛劇が加わるという話に仕立て直してもう一度捲土重来を期したらどうだろう。

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