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2007年4月26日 (木)

劇評なるものを巡ってⅠ 「きれいな肌」劇評序論

この劇の隠された欠陥について最初に言及するからといって、現に起きている戦争、階層や貧困、人種や宗教の対立を正面から捉え、僅かな手がかりから人々の和解、人間の未来につなげようとするこの劇の同時代性と、周知であったはずの母親と息子、それに異教徒の姿で舞い戻った姉の三人の家族の過去が、別の相貌をもって次第に明らかになっていくという謎めいた物語の展開、荒涼とした英国北部の風景に塗りこめられた若いものたちの絶望と憤怒、暴力の予感、
それらが間然するところなく公営の貧しくて殺風景なアパートの一室でくりひろげられ観客の目を惹きつけてやまなかったという事実をいささかでも傷つけるものではないという事は、幕が下りて腕時計をのぞいた時に、すでに二時間の余もたっていた事を確認して、はて、そんなに時を過ごしたかといぶかしく思ったことがはっきりと示しており、
さすがはシャン・カーン、前評判通りの感心する才能だわいと思う一方、「えっ、ここで終わっちゃうの?もうおしまい?」という駄々をこねたくなるような、いやここで幕を引くのが正しいと言うアンビバレンツ(両義的でもいい)な感情が渦巻いて、帰宅の足がのろくなっていた間に、
やはり、劇評の最初にいうべき事は表面をみていただけでは見えないかもしれない、しかし気付いている人には自明の、あの僅かな瑕疵についてであろうと思ったのではあったが、物語を説明しなければ劇を観ていない人にはわけが分からないに違いないし、それもままならないなあと思いが千々に乱れているうちに、吉田健一みたいな文章になってしまったねこ、いや、のであった。
しかし、最初にこういえば、この男には劇について何か欠陥というか納得のいかなかったところがあったらしい事だけは伝わるだろうと思いつつ、では手始めにどんな話だったのかを説明しようとして、制作者が用意したいわゆる<ストーリー>などをそのまま引用しても、読者にして見れば「ああ、そうかい。」てなもので、<ストーリー>なるものが、書いている当人の目の前で起きた事とは到底思えないところが劇評における物語の要約の実に難しいところで、
「講釈師見てきたような嘘をいい。」の「嘘」はいけませんが、講釈師のように語れたら、つまり例えば「・・・・・・いやいや、こんな話でね。・・・と思っていたら現れ出でたのが、とんだところで北村大膳ならぬ妙ちきりんの大男、そいつを素手でもって苦もなく倒すのが主人公の○○だ。○○の立ち姿がよくてね。あの役者はいいね、いやあ、ほれぼれしたよ。」などといわれたら「へえ、そんなにいいのかい。俺も明日いってこよ。」と結果としてはIT産業に比べて随分見劣りのする演劇業界に若干の貢献をする事になるし、
いや、それが「あの芝居の足りないところはこういうところだ」などと否定的な批評だって話しようで魅力的になる事があるし、聞かされた方もいい気分になるに違いないと、常々心がけていたところ、
出合い頭に会ったある劇評、これが分からない、いくら読んでも分からないから、「分からない、変だ」といったら「分からない、変だ」など生意気だ、勉強してから言え、分からないのはお前がバカで、頭が悪いせいだと言われたので、もっともな話だと思いながら、
先代の文楽みたく「勉強して参ります」と頭を下げてこのまま引退するわけにもいかず、おろおろして「俺に大学の先生が使うような難しい言葉とレトリックを授けてくれ。知識は手遅れだろうけど」と神様に祈る日々を送っていたら、どういう加減からか文章を終れなくなってしまう奇病にとりつかれたねこ、いや、のであった。(註:この際、ねこは無断で借用した詞で、しゃっくりのようなものである。)
普段は、一緒に芝居を見るYを読者に想定して書いていて、他にどんな読者がいるかなど調べようもなかったから、大して気を遣う事もなく書き流して、クライアントであるYが「うむ、いいでしょう。」というものをアップしていたのだが、ひょんなことから読者、その一部がつまびらかになったので、こんな文章を読まされるお客様、いや読者は大迷惑に違いないと思い早いところ奇病を治して、最初に思わせぶりに言った「隠された欠陥」などということにたどりつかねばならないと焦っていたところ、
どうもしらふで書くとこういう事になるらしいと検討がついて一安心したのはいいが、吉田健一の通夜の席で、河上徹太郎が「奥さん、健ちゃんはね。あんな句読点のない長い文を書いたから早死にしたんですよ。」という意味の発言をした事を思い出して、まだ死にたくないというわけでもないが、そろそろケリをつけようと、最近すっかりご無沙汰のジャック・ダニエルをとり出して、いまグラスに注いだところ、あれ?何を語らねばならなかったのかすっかり忘れているのに驚いたねこ、いや、のであった。
というわけで、「隠された欠陥」については他に掲載されるであろうところの正式の劇評でお読み下さい。そちらはしらふで書いています。えっ?
読みにくい文を一生懸命読んでいただいてありがとうございました。

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