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2007年3月13日 (火)

空豆

天に向かって莢(さや)が生えているから空豆なのだそうだ。そんな光景を目にした事はない。それどころか、子供の頃は生の空豆などお目にかかったことがなかった。油で揚げた空豆はいわゆる「乾きもの」の中に交じって時々食べる事があったが、上皮が硬くて食いづらいものだった。ゲツ豆といった。ゲツはケツ=尻のこと。ふくれ具合が尻のように見えたのだろう。あまりいいイメージではない。
空豆は気温が低いと育たないそうだ。寒い地方に住んでいたからどうりで、出会う事もなかったわけだ。ところがあまり熱くてもいけないらしい。デリケートな植物で、生産量も少ない。アフリカの北のほうではゆでて潰した空豆に肉の破片を混ぜて油で揚げたものが食べられていると聞いた。ずんだにひき肉を混ぜて焼いたようなものか?ならば大して食いたいとは思わない。飯の半殺しはあってもいいが豆の半殺しなど口に当たって不愉快なだけだ。
あれは枝豆と一緒で、何といっても生をゆでてそのまま食うのがいい。はじめて食べたのはいつごろか忘れてしまったが、あるとき料理屋でゆで立ての熱々が小鉢に盛られて出てきた。上皮の黒いところに包丁が少し十字に入っている。そこが開いて中の身が見える。指で丁寧にむいて食うのもよし、口に入れて押し出すのもよし、ほくほくとして上品な芋類でも食べているような気がする。このやり方には感心した。莢ごとゆでるとうまいと書いてあるのもあったが、上皮をどうする気だ、と思ってそれには賛成出来ない。
難を言えば、少しばかり高い。ただし、枝豆みたいに馬のように食べようと思っても意外に腹に応えるから限度がすぐに来るものだ。だから冷凍は安くて便利である。近頃の冷凍食品は40%引きだの半額だのしょっちゅうやっているからまともな値段で買うのは躊躇する。安い時に買っておけば年中食えるからいい。これには、ゆで方にコツがある。凍ったままをまな板に乗せて、生のときにやるように、黒いところへ十字に少し包丁を入れる。凍っているから硬いがキレる包丁なら問題ない。小鍋にぐらぐら湯を沸かして、塩を多めに入れ、凍ったままを放り込む。ここからが勝負で、決して火の前を離れたらいけない。空豆を見ていると真ん中がうっすら白くなってくる。熱が中に浸透してきているわけだ。空豆特有のなんかこう発酵臭のような匂いがたってくる。ここからは何度か失敗しながら頃合いを計るしかない。頃合いになったらざるに上げて、余熱で火を通す。アルデンテという気持ちだ。うまくいくと、ふっくらと仕上がって、あれ、この豆生きてやがら、ということになる。粗塩をふって食卓に運び、熱々を頬張ってビールを一杯という寸法だ。
このあいだ、飲み屋でだいぶ飲んでから何故か空豆が食いたくなった。しばらくして小笊にのって出てきたがしわくちゃで黒ずんでいる。上皮を取ろうと爪を立てると中身がぐちゃっとつぶれる始末だ。頬張ると水っぽくてまずい。俺には分かっているぞ。冷凍をチンするとこうなる。
「オイ小僧!」(といったつもり。ほんとうは)「ちょっと、おにいさん。」
「このしわくちゃ婆はなんだ!これは食い物か」(といったつもり。ほんとうは)「これね、この空豆だけどね。どうよ?」
「はあ?」という顔をしているから
「バカ野郎、チンしただけで客に食わそうてえのは太え料簡だてえんだよ」(といったつもり。ほんとうは)「ここんところに切り込みをいれるとうまくゆだるんだけどね」
「はあ?」と酔っ払い相手の薄笑いを浮かべて聞いている。脇から連れが「やめなよ」と盛んにいってるので「調理場のほうに話しておきな」といって返してやった。
「バカだね、この人は。飲み屋でバイトのお運びさん相手に料理の講釈垂れても仕様がないじゃない」
「なんだと。冷凍からあたかも生に蘇生させる、俺の空豆のうで方はすでに芸術の域に達してるんだ。その至芸の技を伝授しようてんだから有り難くうけたまわったらどうなんだよ」(といったつもり。ほんとうは)「ハイ、そうですね。そう、そう・・・ああ、老兵はただ消え去るのみ、かあ・・・お勘定お願いします・・・・・・」
それから何日かして、同じ飲み屋にやって来ると今度は混みあっていたからカウンターに座ることになった。このカウンターは禁煙してないから大概煙が鼻先へやって来る。わざと小難しい単語を並べ立てて聞こえよがしに議論していると、隣り合った客が閉口していなくなるからいつもこの手を使った。鴻上尚史の馬鹿馬鹿しい芝居を見ての帰りで、あまりのバカさ加減に頭に血が上っていた。いつにも増して乱暴な言葉を連発(英語で言えばFu・・・・とか何とか)、鴻上のバカに悪態をついていたが、悪態は言っている事が単純だからいかにも効き目がうすい。「・・・つまり量子論でいう量子というのは粒子であると同時に波動の性質も合わせ持つニュートン力学では考えられなかった・・・・・・ところがシュレジンガーの猫が生きていると同時に死んでいるという謎をどう解けばいいかという問題・・・・・・について君はどう思う?」などという会話が隣から聞こえてきたら、まあ大概酔いが醒めて退散するところだ。しかし、今日の隣の客は時々居眠りなどしながらしぶとく居座っている。実はこの客が食ってる裏メニューらしきものがこっちも食いたくなったが、指をさして「俺にもこれをくれ」ではいくら何でも行儀が悪い。さっさと帰ったらどうなんだという気になっていたわけだ。
そうこうしているうちに夜も更けて酩酊気味になってきた。そうだ!空豆だ。とつぜん空豆が食いたくなった。目が大きいだけでいつもぼおっとして生気のないお姉さんがうろうろしていたから空豆を注文した。そういえば、このあいだ空豆のゆで方に文句を言ったな。言う通りにしてくれてるとうれしいけど。そう、思った。さて、出てきたものは・・・変わりねえじゃないか。
カウンター越しに何人かいた調理人のひとりに「この空豆だけどね」と声をかけた途端に、(でんでんと太鼓の音)さっと顔色が変わった。「なんだ」と、けしきばった顔。「それだとうまくないというんですか?」ときたね。あのバイトのお兄さん、ちゃんと伝えてあったらしい。「いや、料理というものはだね・・・」というと、その言葉を打ち消すように「うちは飲み屋であっておれは料理人じゃねえ」。なんだい、けんか腰だね。向上心のない奴は去れと誰かが言っていたな。酒の肴も立派な料理ではないか。縁なき衆生は度し難し。この青年、さっさとどこかへ逃げてしまっていた。
「店長を呼べ、店長を!」(といったつもり)「お客様、相済みません。空豆のこんなところに切り込みなど入れたらメニューの写真と違うといって他のお客様から文句が来ますんで。確かにお客様の言う通りにしたらおいしゅうございますでしょうが、これを提案するにはまず本部の○○区担当のところに話を上げて、それから東京関東地区の企画本部に提案書を提出して、この手間に何分かかるか計算した上でいくら値上げすべきか検討して・・・」(ときいたつもり)「もういい、わかった。余計な事を言って悪かった。」(といったつもり)
いやな世の中になってしまった。「バカだね、この人は」の声も身にしみる。「もういいや。・・・お勘定!」
いや、まてよ、その前にする事がある。笊に残った空豆をつかむといきなりカウンターに立ち上がり、調理場のやつらに一粒一粒思いっきり投げつけてやった。(つもり)

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コメント

思い出した。昔、

「男というものはな、自分を見失うほど怒っちゃいけねー。ちゃぶ台をひっくり返して怒ってみせるときも、まずちゃぶ台の上に壊れて不都合な高価なものなどないか一瞥する、次にひっくり返して誰かに怪我などさせないか気をつけた上で、思いっきり(のつもりで)エーィッとやるのよ。」

と教えてくれた男がいた。

今頃、押さえに押さえて、胃潰瘍にでもなっていなければいいが…。もっとも、主宰者のように、ブロッグで発散しているなら心配はない。

投稿: Dr. Waterman | 2007年3月13日 (火) 15時48分

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