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2007年3月 5日 (月)

政談

政談はやらない主義だ。情報源に乏しいから書いても仕様がない。人に聞いた話なら面白がる人もいるかと思ってするのだが、友人によると今度の東京都知事選挙は見物(みもの)らしい。理由は、慎太郎がいい加減にしろ!というくらいに嫌われているからだという。嫌われる理由は、慎太郎の事だから十指に余るだろう。
第一に独裁者だという。都庁の役人が嫌気をさして働かないそうだ。役人というのは、普段は虫も殺さねえような従順な顔をしているものだが、なに、イザとなればやりたくないことなど平気でボイコットするものらしい。長期休暇を取って出てこなくなるそうだ。普通の企業ならソッコウ首が飛ぶところだが、それですんでるところを見るとまあどっちもどっちかと、見物しているしかない。
いっそ、知事でも、役人でもどっか、総合商社みたいなところに外注したほうがいいのではないかと思ったりする。都庁の民営化だ。どこに発注するかは4年に一度抽選で決める事にすると談合も起こるまい。伊藤忠にでも発注して見識ある丹羽宇一郎に知事の代わりをやってもらう。議員など金がかかるだけでろくでもないから、土建屋上がりの連中はじめ全部首、民間ボランティアという事にしてこれも抽選で決めたらいい。民主主義に近頃はやりの自由競争資本主義の原理を融合させるというアイディアだが、どうだろう。売り上げ13兆円、オーストラリアの国家予算とおんなじ大企業が誕生する。つまり都民がみんな株主だ。これを運用して都民に配当する、すると税金はただになる。資本主義的民主主義万歳!などというのは妄想か?
教育の現場も荒れているそうだ。どう荒れているのかさっぱり分からないが、慎太郎の思想信条と対立しているから教師にやる気が出ないというのだろう。日教組も今や見る影も無いが愚劣なテーマを争点にして屁の突っ張りをしている。「日の丸君が代」の問題は、裁判で教師の側の旗色が悪くなっている。近頃では若い者まで言う奴がいるらしいが、これは洗脳されたに決まっている。まあ、戦後60年も経ったのだからいい加減にしてよさそうなものだが、これもまたどっちもどっちである。
それから、福祉は切り捨てられて年寄りが怒り出しているそうだ。年寄りが怒ったって別に怖くもないから政治家は金がなくなれば真っ先にそこを切りたがる。もっともこれからは気をつけたほうがいい。いじめられた年寄りが若かった頃を思い出して、ヘルメットに手ぬぐいで身を固め国会を、いや都庁を取り囲んで投石に火炎瓶、車をひっくり返して火をつけて大暴れするかもしれない。なにしろこの世に未練はないから自爆テロだって平気である。そうなったって俺は知らないよ。
それからわがままも手が付けられないほどだという。てめえの息子は芸術家だといってえこひいきはする、料亭で高い料理を食らい、大名旅行はするは、訳の分からん金の使い方をしているとオンブズマンとやらがかみついた。こんな勝手を許しておくものか、というわけである。
ざっとまあこんなことで慎太郎は嫌われていると友人がいうのだ。
東京オリンピックを持ってくるというのはどうですかとうかがうと、単なるパフォーマンスだという。僕もあれは文学者らしくない平凡な発想だと思ったので安心した。対して本気じゃないという事だ。
東京都が作った金融機関もうまくいっていないそうだ。半分以上が焦げ付いているらしい。
これについては、中小企業を銀行が助けないのはけしからんといって、都が金融機関を作ろうとした時から黄信号が灯っていた。小説家が金貸しに手を出すと言う事例は聴いたことがないが、聞くだに恐ろしい事である。だいたい金がなくてつぶれそうな会社は、金があってもつぶれるのである。金を貸してやったら立ち直る会社なぞ一割もない事を銀行はよく知っている。つぶれるのが分かっていて金を貸す奴がどこにいるものか。審査は他に頼むところもないから信用金庫にまかせたそうだ。信用金庫はしめたと思ったろう。自分のところの不良債権処理に使えるからだ。やばい会社を都の銀行に紹介して、金が入ったら早速返してもらう、つまりはがししてしまおうというわけだ。銀行屋というものはこのくらいの事は平気である。自分では何もできない虚業の輩だがこの世でもっとも悪らつな事をやる連中だ。潰した会社の経営者が路頭に迷おうと、一家心中しようとどこ吹く風。よくしたもので、こういう連中から献金をもらっているのが政治家である。それを信じて投票している経営者というのが我が国の民主主義の構図である。
慎太郎も、銀行を作るよりは倒産経営者立ち直り資金を貸し付ける機関でも作ったほうがよほど役に立った。やがて、この銀行も赤字でつぶれるか、普通の銀行になって金を貸さなくなるだろう。
首都大学東京というのもいつの間にか名前が変っていたが、だれも文句は言わなかった。ところが、内容を見ると、ただ単に名称を変えただけに過ぎない。奇妙な事をやったものだ。
なるほどこれ以上慎太郎にやらせておくと勝手気ままの思いつきに振り回されるだけではないか。
では先生(この頃になると、先生と呼びたくなっていた)どうしたらいいでしょう。
先生いわく、女です、キーワードは女です。今女を対抗馬に出せば、慎太郎に勝てるに違いないということらしい。元宮城県知事の浅野さんがでるとかでないとか・・・
あれはダメでしょう。第一顔が良くない。
ああ、そうですか?では先生、どんな女がいいですか?
ブスはダメ。美人もよくない。中くらいの美形がいいでしょう。
いや、ですから具体的にだれが・・・
なかなかいないが、いたら面白そうという話だ。
そんなに面白いかな・・・

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コメント

この度は(も)誇り(何の?)をもって細君にこのブロッグを説明してやった。これこそ政談の鑑。

政談は、右や左を持ち上げることではない。どちらも冷静に直視して自分で考えるようにさせなければならない。そして、多少の諧謔が加わらなければならない。芝居の極意と同じだ。火炎瓶を持ってジジイ、ババアが捨て身の闘争に突入する場面を想像したら抱腹絶倒。

問題は、やはり、それでは誰か?だね。しかし、そこまでの結論を出したら、私の理想とする「政談」ではないから、これでいい。

投稿: Dr. Waterman | 2007年3月 6日 (火) 03時57分

>首都大学東京というのもいつの間にか名前が変っていたが、だれも文句は言わなかった。ところが、内容を見ると、ただ単に名称を変えただけに過ぎない。奇妙な事をやったものだ。

これは違います。名前をすげ替えただけではありません。
http://www.kubidai.com/

投稿: 八王子市民 | 2007年3月 9日 (金) 02時38分

首都大学東京について単に名前を変えただけではないかと書いたら、どうもそうではないらしいことが「八王子市民」氏の投稿で分かった。学部の名称に「都市」を付けたのは、どうも怪しいと思っていた。そんな料簡の狭い学問が成立するはずがない。したがって、金は東京都から出ている事を鮮明にしたつもりなのかと思っていた。
ところが、http://www.kubidai.com/を見たら、とんでもない事になっているらしい。
もう少し勉強してみよう。
安易な事を書いてしまってごめんなさい。

投稿: 隆一郎 | 2007年3月 9日 (金) 03時36分

名称が変わったというのは、都の経営する大学の統廃合があったからで、東京都立大学の名前だけが変わったのでもなく、当時は関係する教員連が大騒ぎをしたこともニューズで知っていた。しかし、その後は音沙汰なしと思っていたが、私も「八王子市民」様が紹介くださったサイトで今尚盛んなことを知りました。

しかし、彼らの騒ぎにどれほどの理と益があるかは、都民の皆様が判断されるわけでしょう。政談は、どちらかに与してしまえば政談でなくなり、単なるプロパガンダになってしまうから、深入りしなくてよかったと思う。

ところで、初めから気になっていたのはこの大学の奇妙な名称だ。いったい、こんな日本語があるのか。公募の案をもとに練り上げたらしいが、首都と東京がダブっているし、大学がどうして真ん中にあるのだ。首都も欲しい、東京も欲しい、大学も抜かせない、そこでできたのが首都大学東京なのか。東京都立大学の卒業生ははずかしいだろうなあー。この3要素のコンビネーションは次のとおり(3!=6種類)。

東京首都大学←前と変わんねーか
大学東京首都、大学首都東京←いずれも大学イモみたいだなー
東京大学首都、首都東京大学←ゲゲッ、どれも石原親分の嫌いなT大学みたいだぞー
残るは首都大学東京、これにしちまい!

と、なったのではなかろうか。

Tokyo Metropolitan University という英語の名称の座りはよい。しかし、これも奇妙だ。だいたい、metropolis (「母なる都市」が原義)というのは、首都とは限らない。首都なら capital が正しい。Metropolitan の付く世界の大学を見てみたまえ。田舎の都市にまであって、ごちゃまんとあるぞ。たまたま首都の大学もあるが、本来は単なる大都市のことであり、大阪が使ってもいいし、盛岡が使っても(ひょっとしたら)いい。

MWW


投稿: Dr. Waterman | 2007年3月10日 (土) 15時10分

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