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2007年2月 8日 (木)

映画「ありの兵隊」を見た(2)

下から読んでください。
この映画が作られたきっかけは、ドキュメンタリー作家、池谷薫が「戦後60年」をテーマにした映像の素材を探していて、前・日中友好協会事務局長酒井誠からこの山西省残留兵士の話を紹介されたことによる。
訴訟の判決は平成17年でごく最近のことであるが、奥村和一が真相究明に動き出したのは1990年ごろからであり、防衛庁資料にはその以前に接触していたものと思われる。
現地の档安館(公文書館)で残留部隊である「暫編独立第十総隊」の「総隊長訓」と「総隊部服務規定」を発見するのは平成12年のことであり、この映画が撮影された平成14年には「再訪」ということになる。ここのところが惜しいなあと思う。この話が現地訪問の前にあったら、映画は俄然ドラマティックな展開になったはずである。
原一男の「ゆきゆきて神軍」は4年にわたる密着取材だったからあれだけの「発見」「驚き」があったが、これは話を「発見」するタイミングがよくなかった。ドキュメンタリー作家の嗅覚に差があることは残念だが歴然である。だからといって、このあまり知られていない山西省残留部隊問題に世間の耳目を集めた手柄は十分評価していい。
さらに言えばこの映画の成功には偶然だったと思うが、奥村和一のキャラクターが幸いした。奥村は真相を追及することにおのれの実存を賭けた。あの若い日の自分を追い込んだものは何だったのか?そこに80歳を超えた「現在」との落差はない。奥村にとってはあの日から一直線に現在があるのだ。そこに感傷が入る余地は無い。あるのは「俺は何ものか?」と言う空を切るような問い掛けだけである。
にもかかわらず、池谷薫の視点は甘い。それは動機が不純だったことに起因する。最初に「戦後60年」というテーマがあった。
現地取材中に、あまり脈絡なく日本兵に強姦されたという老女が登場する。「恨みはない。」と穏やかに話すのが支那人の大きさと感じたが、これは意図的に挿入したと思われる。「蟻の兵隊」は被害者であったが、加害者でもあったという紋切り型の図式を見せようとしたのである。「戦後60年」にふさわしいテーマだと思ったのだろう。しかし、昔から被害者意識と加害者意識という議論はあった。こんなものが不毛なことは明らかである。どういう立場で見ようが侵略戦争とはそういうものだからだ。
奥村はじっと聴いていたが、謝罪の言葉も涙もなかった。池谷にとっては意外でもあり、意図に反した結果だったに違いない。奥村にはこの被害女性もまた同じように苛烈な現実に投げ込まれた言わば時代の子であった。
謝罪?いったいどこの誰に対して?そんなものは政治家に預けておけばいい。奥村は、検察院に残されていた日本兵の告白書の写しをもって帰った。あまりにも酷薄で残虐な内容が書かれていた。書いた本人に渡すが、奥村の表情は変らない。あえて言えば「これがお前のやったことで、おれたちは皆こんなことやったのだ。」といっているようである。ここでも池谷は旧日本軍を告発することに失敗した。
やった本人が過去を持て余しているのは明らかだった。一方で、図らずも人間の執念のすさまじさを見せた場面があった。
支那派遣軍総司令部作戦主任宮崎舜一中佐は、昭和50年に国会でこの事件に関して証言を求められている。奥村は当然旧知である。訴訟の前後に95才でかくしゃくとした宮崎元中佐は画面に現れる。あるとき宮崎入院の知らせを受けた奥村が新幹線で病院に向かうとすでに意識はなく死の床にいた。時々意識が戻ると付添の長女が言う。奥村は僅かに動いたところへ名乗って訴訟のことを報告しようとする。すると突然宮崎中佐がエビぞりになって起き上がろうとしながら、のどの奥底から「ウォーウォー」と叫ぶのである。おそらくあの太原での会見を思い出して必死に奥村に何かを伝えようとしているのだ。宮崎もまた、あの日、澄田将軍を説得出来なかったという「重い現実」を抱えて生きてきたのであった。

 

この作品には山西省残留日本兵問題にかかわった人々は描かれているが、肝心の背景についてはほとんど説明がない。何故あんな奥地にまで陸軍は展開していたのか?あるいはその必要があったのか?処刑場となった鉱山はなんだったのか?閻錫山とは何ものか?についても知らないものには不親切であり、それがなければ蒋介石の国民党軍とはどんな性格のものだったかもわからない。
澄田将軍が戦犯として閻錫山に軟禁されていた事実についても説明がなければ不公平であろう。彼が我が国の軍隊を敵に売ったことは、軍人として命ごいをした卑怯千万の振るまいとともに許しがたいとしても。
戦争の記憶は風化していく。体験したものが亡くなっていくのだからそれに抗うことなど出来ない。つまりあの戦争は急速に歴史になっていくのである。歴史にいいも悪いもない。肝心なことはかくも人間とは愚かであることを知ること、そして、再び愚かなことを繰り返さないために歴史に学ぶこと、我々に出来ることはせいぜいそれだけである。

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