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2007年2月 8日 (木)

映画「太陽」を見た(2006/8/30)

アレクサンドル・ソクーエフ監督作品「太陽」を見た。外国人が昭和天皇をどう描くのかという興味だけで、実は大して期待をしていたわけではなかった。ところが、このロシア人は昭和天皇について非常によく調べていて、その人となりは十分理解している上に、ここが不思議なところだが崇敬の念さえ持っていると窺えるのである。色彩は極力おさえ、薄霧に覆われているような映像を基調としている。せりふは少なく、言葉は詩的で象徴的である。この表現の基本コンセプトは、「太陽」というタイトルを採用したことと関係しているように思える。太陽を直接見ようとすることは出来ない。目を細め紗幕を通して初めてみることが出来るのだ。ソクーエフに日本人に対する遠慮があったとは到底感じられない。この映像表現は、ソクーエフにとっても昭和天皇がそのような存在だと感じられたものであることを示している。その上で、ソクーエフが描きたかった点はただ一つ、現人神として祭り上げられていた天皇がその衣を窮屈なものと感じていたこと、そしてその衣を脱ぎ捨てることにおいて敗戦の責任を引き受け、本来の人間的に生きることを回復したという一点である。個々のエピソードはさまざまの文献からとったものだろうから、事実に近いと思う。一つだけ承服しかねたのはマッカーサーがヒトラーの写真を見せて「仲間云々」といったことである。昭和天皇は「あったこともない。」と言下に言い切るが、こんな礼を欠くことがあったとは到底考えられない。映像については、天皇が東京大空襲の夢を見るシーンが秀逸だった。B29が泳ぎ回る魚のように火の海の中をうごめく様子を描いて優雅さと残虐の対比において戦争のむなしさを表現した。また、皇居とGHQの間を自動車で移動する場面が何度か現れるが、大きなビルが壊れていて、その間を縫うように通る。これは、でたらめである。ドイツのドレスデンのような都市であれば、石とコンクリートががれきとなって道を塞ぐが、皇居(桜田門)から日比谷の第一生命ビルまでの間にはそのような場所はない。敗戦の廃虚を描きたかったのだろうが、あの場所は内堀に面しているからもともと不向きであった。図らずもこういうところにほころびが隠れていた。それから御前会議の顔ぶれがよかった。キャスティングを誰がしたか分からないが、納得のいく老優たちが集まった。鈴木貫太郎総理大臣=森田比呂也、米内光政海軍大臣=西沢利明、阿南陸相=六平直政、木戸幸一内大臣=戸沢祐介、東郷外務大臣=草薙幸二郎、梅津陸軍大将=津野哲郎、豊田海軍大将=阿部六郎、阿部内務大臣=灰地順、平沼騏一郎枢密院議長=伊藤幸純、迫水久常書記官長=品川徹である。ただし、六平直政の阿南陸相が戦況を上奏する場面は疑問。六平がやくざの親分に見えたのは、作りすぎが原因だ。総じて外国人が描いた昭和天皇としては一応納得がいく内容であった。しかし、人間宣言の一点に絞ってその人間的側面を描くだけではあまりにも一面的に過ぎる。そもそも現人神といったのは、大日本帝国憲法第三条「天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラズ」が根拠になっているが、この条文の本来の意味は天皇に政治的責任はないということである。美濃部達吉の天皇機関説が一敗地にまみれたあたりから、これと第一条の「万世一系ノ天皇コレヲ統治ス」が一緒になって、軍を中心に天皇神格化が声高に叫ばれるようになったというのが事実である。その証拠に、明治天皇も大正天皇も「神」だといわれたことはなかった。昭和天皇は若い頃からヨーロッパで見識を広げ、立憲君主国がどういうものかを知っており、自分は明治憲法の理想を体現するものだという意識が強くあったと思われる。したがって、現人神などを強調されても実際はどんな実感もなかったのではないか?むしろ政治的な発言を自ら封じて、なお政治的な存在であり続けなければならなかった苦悩を思いはかれば、それを描くほうがよほどドラマティックではないかという気がした。

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