2020年7月 2日 (木)

劇評「十二夜」(06年、再掲。新国立劇場・山崎清介版)

2013年に書いた劇評「音のいない世界で」について、詩人ぶって子供向けの芝居を書いたつもりだろうが、詩にも何もなっていない酔っ払いの思いつきの、ただの愚作だと酷評した。「・・・耳にすませしは 君の声・・・」などという日本語を公的出版物に載せるのは、関係者揃いもそろって驚嘆すべき無神経といわざるを得ない。どこぞの大学がこれでも文学士の称号を与えて卒業させたのだから、我が国の知性もたいしたものである。...

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2020年6月28日 (日)

劇評「コリオレイナス」(04年に書いたもの)

久しぶりに福田恆存訳でシェイクスピアを見た。福田訳は、古来日本人の身体になじんだリズムを持っていて僕らの耳には心地よく響く。様々の発言を保守反動と ののしられたが、「現代かなづかい」と「当用漢字」の国語改革に抵抗、孤軍奮闘していた。英文学者ながら日本語の伝統をよく知っていたからに他ならない。 (福田は偏見を正すということをしなかったからいまでも誤解されたままの様な気がする。そこでついでながら僕が...

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2020年6月27日 (土)

劇評「東京原子核クラブ」(06年に書いたもの)

理化学研究所の話とはいいところに目をつけたものだ。昭和7年、本郷の下宿屋「平和館」に寄宿するいわゆる「理研」の研究者を中心にした若者の青春群像を描いている。賄い付きの下宿は、いまでこそ少なくなったが、昔の学生は皆これだった。   下宿屋だのアパートだのという設定であれば、いろんな連中が出てきて話が面白くなると、マキノノゾミは書いている。確かに理研といい、下宿屋といい、設定のうまさがひかっていて、...

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2020年6月23日 (火)

劇評「サド公爵夫人」(03年に書いたもの)

二葉亭四迷が書いた「浮雲」が日本ではじめて言文一致で書かれた小説ということになっている。山本夏彦によると(「二葉亭四迷の思いで」より)、二葉亭は「これを生み出すのに、まるで天地万物を生み出すような苦しみをした。」そうである。それでも小見出しに「アララ怪しの人の挙動(ふるまい)」などと黄表紙の面影をとどめていると指摘している。それを二葉亭に書くよう勧めた坪内逍遥の沙翁翻訳劇の文体は「尼寺へゆきゃれ...

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2020年6月21日 (日)

劇評「獅子を飼う」(06年に書いたもの)

千利休は何故突然死を命ぜられたのか?諸説あるが本当のところはわからない。しかし、その死には不思議に悲劇的なにおいを感じない。一つには年齢のことがある。さらにいえば、「わび茶」として自らの思想と様式を完成させ、多くの門人の敬愛を集めて後継者にも恵まれた。その茶道は今日に至るまで連綿と続いている。もし、いま少し永らえたとしても、何程のことがあったか?そう考えれば死の謎を詮索する興味もあまり強く働かな...

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2020年6月 6日 (土)

劇評「喪服の似合うエレクトラ」(04年に書いたもの)

このところ劇場は休みだ。「コロナ」で密集を避けるためという。だれが感染しているかわかれば、こういう自粛は必要なくなるだろう。歴史上の感染症をみれば、原因もわからず薬もなく、感染しているかどうか調べる方法もなかった。対策は、人と接触しないようにすること以外になかった。劇場は扉を閉め、俳優や裏方は、あるいは音楽家やパフォーマーは失業状態だ。 しかし、21世紀のいま、PCR検査というものがある。誰が...

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2020年5月31日 (日)

劇評「AMERIKA」(03年の再掲)

前回の劇評「城」(新国立劇場)とこの劇評「AMERIKA」(シアタートラム)はカフカ作、松本修演出という共通点がある。 順番から言えば、こちらが二年ほど前の公演。 この劇評で、これを新国立劇場に持っていき、さらに欧州へ、そして逆輸入し・・・云々と書いている。 新国立劇場公演は、別のカフカ作品「城」ですぐに実現した。 僕が書いたから、というわけではないだろうが、誇らしかった。松本は、年の離れた後輩...

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2020年5月29日 (金)

劇評「城」(2005年1月のもの)

 ブログのタイトルを変更しました。 これまで、このブログのタイトルは「私の演劇時評」としてきた。実を言うと「私の」というのには「私」がだれであるかをあえて隠そうという意図があった。「私」は「私」だが、「私」が誰であるか誰も知らない。しかし、無責任な言葉を吐き散らしていない証拠として「私」を差し出している。昨今のSNSをめぐる騒動などのいわゆる炎上のようなものを心配したわけでは全くない。ただ、その、...

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2020年4月17日 (金)

シャンソン「ラ・ボエーム」の映像版

井関真人「マダムシルクで“ラ・ボエーム”を」という曲の映像を作ろうとして、ある理由から躊躇しているうちに出来たものです。ある理由については後ほど。 ...

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2020年3月30日 (月)

CDの映像版「霧のパリ 雨のブリュッセル」

昔プロデュースしたCDの映像版。第三弾!...

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2020年3月28日 (土)

CDの映像「枯れ葉によせて」

前回に続いて、92年リリースのアルバムから映像版。   ...

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2020年3月 2日 (月)

CDの映像版

昔、プロデュースしたCDの映像版を作ってみました。...

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2020年2月22日 (土)

Twitter:「社会の柱」(新国立劇場演劇研修所公演)

夕べ、新国立劇場研修生公演「社会の柱」(作:イプセン)を見た。百年前の道徳に挑戦する「大」道徳劇。演出の宮田スクエア慶子が「らしい」丁寧な造りで好感が持てた。ただし、研修生のレベル以上に盛り上がらなかったのは仕方ないところ。女優陣は総じて達者、男優陣は出来がバラバラ。変なくせを取り除けなかったのは宮田も心残りだったろう。前回の「会議」の時よりは進歩してるが期待ほどではなかった。期待が高すぎたかも...

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2020年2月11日 (火)

劇評「殺陣師段平」(06年、青年座)再掲

新国劇の代表的な演目を新劇の青年座が上演するにはいささかの議論があったと鈴木完一郎が書いている。しかし、あえて青年座五十周年記念公演に選んだ理由は、芝居の裏方の話しであり、その普段は日の当たらない場所にいるもののことを考える機会にしようと思ったことと、温故知新、古い「旧劇」の芝居でも面白いものは面白い、青年座らしさを十分だせると考えたことだという。「国定忠次」なら議論にもならなかっただろう。 青...

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2020年2月10日 (月)

劇評「オトコとおとこ」(06年)川村毅シリーズ2

川村毅のことを思い出したのはなぜか分からないと書いたが、あの日、筑前煮の味付けをしているとき、不意に飯尾和樹の声が聞こえてきたからではないかと思う。この頃TVでよく見るから、それがどこをどう刺激したものか「フクロウ・・・」の時の記憶のかけらが奥深いところでほんの少しかき立てられたのかも知れない。 今回は、信濃町で見た地味だけど味わい深い作品。                △  劇評「オトコとお...

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