2011年12月27日 (火)

劇評「天守物語」

中劇場の客席に張り出した舞台。下は奈落の底に暗く落ちていて、三尺ほど低く舞台を取り巻いた回廊が、一段高くなった奥舞台の下に潜り込んでいる。この奥の舞台は、幅一間ほどの長い板が二重三重に上下して、人物の登場に合わせたり,場面によって高さが自在に変化する。美術の小竹信節が中劇場の仕掛けをうまく引き出して、ここが五層の最上階であることを表現しようとした。上手手前に舞台に登る四、五段の階段。奥にホリゾントはなく暗闇である。 その闇に稲妻が光り、ひとしきり激しい雷鳴が轟き渡るとやがて驟雨の気配。 一条の光が舞台に差し込んで、白いシャツに白ズボンをはいた男が伸ばした片手を枕に横たわっているのが浮かび上がる...

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2011年11月21日 (月)

劇評「イロアセル」

世の中には、音を聞いたり、文字を見たりすると色を感じる者がいるらしい。たとえばドの音は赤、レは薄茶、ミはピンク,また別の人は、ハ長調が黄緑、イ短調がブルー、変ホ長調がグレーなどと、音を聞くたびにそれに対応した色が頭の中に見えるというのだ。 文字を見ると色が思い浮かぶ人もいる。 漢字の「田」は薄い黄、「科」の偏は緑で旁は赤とか、「かな」にもそれぞれ色が見えるらしい。 こういう人の脳を調べると、聴覚や視覚で反応する局所部分の他に、脳全体に分布する感覚系の活性が見られるという。 これは「共感覚」といって、200人に一人ぐらいの割合であらわれる能力と言うから、それほどめずらしくもない。 音楽を聴きなが...

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2011年10月28日 (金)

劇評「朱雀家の滅亡」

いやしくも舞台に上げる以上は、 演出家もプロデューサーも、 戯曲を「理解」していると考えるべきだろう。「理解するとは、そちら側に行くことだ。」といったのはジャン・ポール=サルトルだが、その伝で行くと、制作者は三島由紀夫がこの本で示そうとしたことに少なくともシンパシーを感じ、同じ側にいるということになる。 いまどきこの戯曲を選ぶというのはタイミングがよすぎると思ったら、二年も前に上演することが決まっていたらしい。それはそうだ。「日本国の滅亡」とも言うべき有様のときに「滅びの美学」などといってみても、あの瓦礫の山と爆発した原発建屋をみると「美学」とはほど遠い現実に、なにを気取っているのだと思うもの...

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2011年10月 3日 (月)

角幡唯介の新刊二冊を読んだ

角幡唯介「空白の五マイル」が面白いというので、本屋に行ったら最新刊の『雪男は向こうからやってきた』しかおいてなかったからそれを先に読んだ。(読み終わってすぐに「空白の・・・・・・」を手に入れたけど。) 『雪男・・・・・・」は、角幡がイエティ・プロジェクト・ジャパンと称する雪男捜索隊に加わって、2008年八月から十月にかけてヒマラヤに滞在したときのドキュメントである。早大探検部以来、チベットの秘境、ツアンポー峡谷の空白の地図を埋めるという目的にとりつかれていた彼自身は、雪男のような未確認生物に興味を持ったことはない。新聞記者を辞めたばかりのタイミングでもあり知人の誘いにのった形である。 そんなこ...

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2011年8月18日 (木)

劇評「おどくみ」

横須賀の仕出し弁当屋一家の話。 書いた青木豪の自伝的な内容を含むと言うが、なるほど話としてそれなりのリアリティは備わっている。つまり、新国立劇場の注文に応じて無理な物語を書いた印象はない。しかし、「おどくみ」の「どく=毒」をどこかに込めようと書き進めるうちに、おそらく作家の性格もあるのだろうが、どこにも引っかかりのないするりとした「よくある話」に仕上がってしまった感がある。 実は、タイトルを見て、毒など入っているはずもないと思って食ったら、毒に当たってしまった話かと思って密かに期待していた。 学習院出身(大学は明治)のお育ちの良さが邪魔をしたのか、時代認識がずれているのか、およそ毒のない話にな...

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2011年7月10日 (日)

一ヶ月も入院してた。本日退院。

というわけで、突然生涯初めて入院、たった今家に帰ってきたばかり。この一ヶ月で、見逃した芝居が三つ。病院の18階に留め置かれて動けなかった。もっとも体力もなくベッドでうんうんいいながら寝てばかりいる身分だったが。新国立劇場、井上ひさしの「雨」、燐光群、坂手洋二の「推進派」、新国立劇場、青木豪の新作「おどくみ」である。「雨」は、96年のこまつ座、木村光一演出、辻萬長、三田和代で見ている。02年にもほぼ同じメンバーで再演したのをやはり紀伊國屋ホールで見た。この芝居は、僕の見たところ井上芝居のトップスリーに入る。次は「父と暮らせば」。(あとは、見ていない芝居も少しあるから何が入るかまだ決めかねる。)新...

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2011年5月26日 (木)

劇評「鳥瞰図」

忘れないうちに書いておくが、入江雅人の髪はなんだ! 僕が演出なら「さっさと前髪を切ってこい!」と言ってやるんだが・・・・・・。あれでは学生か、職業不詳の遊び人か、売れない小説家である。仮に船長としても、客が釣りをしている間、操舵室にいて文庫本でも読んでいそうな風体で、とてもつきあう気になれないタイプである。 2008年の初演を見て書いた劇評は、隔靴掻痒。言いたいことをもっと直裁に明確に書くべきだった。 「同じ時代を生きる、新しい世代の劇作家と異世代の演出家によるコラボレーション企画」「シリーズ・同時代」と銘打った若手三人による書き下ろしのひとつであったこの芝居が、はたしてどのような「同時代」を...

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2011年5月12日 (木)

劇評「ゴドーを待ちながら」

 新国立劇場小劇場はただの細長い箱でできている。今度はそれがよく分かった。二階部分に箱を見下ろす手すりの着いた廊下がぐるりと取り付けられ、天井にはくまなく照明器具が下がっている。通常はロビー側から向こうに舞台、手前に客席を階段状に配置するのだが、演出によってはステージの位置も客席も自在に変えられる。 今度の芝居は、道に一本の枯れ木があるだけという設定で、状況も物語も排した抽象劇である。 磯沼陽子は大胆にも高さ三尺ほどの道を、小劇場の長い方の辺の真ん中にぶっ通した。道の端がかまぼこのように丸く切れ落ちていて下が見えないから、暗闇に道が浮かんで見えるのが効果的だった。両端はドーム型の闇に消えてい...

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2011年4月 1日 (金)

劇評 「シングルマザーズ」

二兎社三十周年だそうである。永井愛と大石静、昭和二十六年兎年生まれの二人が作った劇団だから二兎社。互いの作品を上演しながら十年たったところで、大石がTVドラマの作家として転出した。後は永井愛が自身の作品を舞台に上げる劇団として孤軍奮闘。それにしても三十年は随分続いた。おまけに今年二人の干支は一回転する。(今時還暦なんぞ流行らないけれど。女の還暦も祝うのかな?) 興行を意識するなら、三十周年記念公演とか何とか銘打って、オールスター超大作!とでも考えそうなものだが、ポスターにはただ「二兎社三十周年」とすこぶる愛想がない。 つましく「シングルマザーズ」では、なんだか景気が悪いから「記念公演」と威張っ...

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2011年3月15日 (火)

劇評「焼き肉ドラゴン」

新国立劇場2007/2008シーズンはこの「焼き肉ドラゴン」初演を除いて8本すべて見た。どうしてこれが抜けてしまったのか・・・ 後でいろいろな演劇賞を取ったことを知って「しまった」と思っていたが、再演されて今回めでたく見ることができた。 構成のうまさはさすがにたいした手練れである。 さりながら、先に印象を書いておくと、期待した割には、存外薄味に仕上がっており、これがどうしてそんなに賞を取ったのか正直のところ理解に苦しんだ。 一言で言えば、「在日」の問題はいろいろと詰め込んであるが、その本質にある「差別」に対する「批評」はなく、アボジもオモニも自分たちの境遇は宿命だったと受け入れるあたりはあまり...

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